「お前の鑑定とやらで、魔物が倒せるのか?」
第二王子エーリヒの声が、玉座の間に響いた。
広間に居並ぶ貴族たちが一斉にミレーヌを見た。蜂蜜色の巻き毛を揺らした小柄な公爵令嬢は、琥珀色の目を伏せたまま立っている。
「冒険者にすらなれないお前を、余の婚約者にしておく意味がない」
エーリヒは玉座の肘掛けに顎を乗せ、退屈そうに宣告した。青い目にはミレーヌへの関心すら残っていない。「お前」。名前すら呼ばない。
「婚約は本日をもって破棄する。——ついでだ、辺境にでも行って石ころでも鑑定していろ」
広間にくすくすと笑い声が広がった。鑑定スキル。見るだけ。剣も振れない、魔法も放てない。公爵家の次女でありながら、姉のように炎を操ることもできない。
ミレーヌは顔を上げた。泣いてはいなかった。
「……承知いたしました、殿下」
その声は静かで、思いのほか揺れていなかった。
「辺境で石ころを鑑定してまいります」
辺境グラーフ領。
王都から馬車で七日。街道が途切れ、未舗装の細道を半日揺られた先にある寒村だった。名目上は「辺境領への視察派遣」——しかし迎えの馬車も護衛もなく、商人の荷馬車に便乗しての旅だった。誰が見ても追放に等しい。
秋の終わり。冷たい風が吹きすさぶ中、ミレーヌは荷馬車から降りた。目の前に広がるのは、石造りの粗末な家が二十軒ほど、痩せた畑、そして——灰色の荒野。
「……これが、私の新しい居場所」
呟いた言葉を、風がさらっていった。
「ミレーヌ嬢ですか」
背後から声がした。振り返ると、暗褐色の髪に深緑の目をした青年が立っていた。日焼けした肌、がっしりとした体格。節くれ立った大きな手が、ミレーヌの荷物に伸びた。
「辺境領主のルーカス・グラーフです。荷物、持ちます」
「あ、ありがとうございます。ルーカス様」
ルーカスは頷いただけだった。無愛想——というより、口下手なのだろう。ミレーヌの荷物を軽々と担ぐと、背を向けて歩き出した。
「村は……見ての通りです。人口は六十三人。冬を越せるかも怪しい」
その声には領主としての責任感と、隠しきれない焦りが滲んでいた。
ミレーヌは歩きながら、無意識に周囲を見回していた。鑑定の癖だ。目に入るもの全てを、つい読み取ってしまう。
痩せた畑の土。灰色の石壁。風に揺れる枯れ草——。
そのとき、琥珀色の目が金色に光った。
「……ルーカス様」
「何ですか」
「この村の地面の下に、何かあります」
ルーカスが足を止めた。
「——とても、大きな何かが」
翌朝。ルーカスに案内されて、村の裏手にある古井戸へ向かった。
「この井戸は昔から枯れていて、誰も使っていない。底が見えないほど深い」
ミレーヌは井戸の縁に手を置き、目を閉じた。鑑定を発動する。琥珀の瞳が金色に染まり、暗闇の奥を読み取っていく。
——名前:大穴ダンジョン(未発見)。
——階層数:五十。
——特性:希少鉱石群、高純度魔力鉱脈、未知の薬草群生地帯。
——危険度:A級(深層)。
——推定経過年数:三百年以上。
ミレーヌの目が見開かれた。
「これは……すごいです!」
声が裏返った。鑑定結果が次々と流れ込んでくる。五十階層。希少鉱石。高純度魔力鉱脈。この規模は——王国が現在把握しているどのダンジョンよりも大きい。
「ルーカス様、ルーカス様!」
「……落ち着いてください」
「五十階層です! 王都の王立ダンジョンが十二階層ですよ!? しかも希少鉱石の鉱脈がある、高純度の魔力鉱脈まで——これは世界最大級のダンジョンです!」
ミレーヌは目を輝かせて早口でまくし立てた。鑑定結果を語り出すと止まらない——いつもの悪い癖だ。
ルーカスは目を瞬かせて、それからぽつりと言った。
「……それは、すごいのか?」
「すごいなんてものじゃありません! この村は世界最大の宝の山の上に座っているんです!」
ルーカスは呆然とした顔でミレーヌを見ていた。しかし——蜂蜜色の巻き毛を振り乱して興奮する小柄な令嬢を見ていると、不思議と嘘だとは思えなかった。
「鑑定を信じてくれますか」
「信じる。——あんたが言うなら」
会って二日目の男に、なぜそこまで信じてもらえるのか。ミレーヌは不思議に思ったが、ルーカスの深緑の目に浮かんでいたのは単純な信頼だった。公爵令嬢だからでもなく、鑑定スキルが珍しいからでもなく——目の前の人間が、真剣にそう言っている。それだけで十分だった。
翌日から、ルーカスは村の若者を集め、古井戸の周囲を掘り始めた。ミレーヌが鑑定で地層を読み、最も安全なルートを指示する。
「ここから三歩右に掘ってください。左には水脈があります」
「この岩盤は脆いので迂回を。——その先に空洞が見えます」
三日かけて、幅二メートルほどの入口が開いた。冷たい風が吹き上がってくる。魔力を含んだ風だ。
「行ってみよう」
ルーカスが松明を手に、先頭に立った。ミレーヌが続き、村の腕自慢の若者が三人。簡素な装備だが、浅層なら何とかなる——ミレーヌの鑑定がそう告げていた。
階段を降りること百段。暗闇の中に、ぼんやりと青い光が見えた。
「壁に鉱石が露出しています……」
ミレーヌが壁面に手を当てた。琥珀の瞳が金色に輝く。
「——蒼星石。純度九十七。魔力伝導率が極めて高い最高級品です」
壁一面を埋め尽くす青い結晶が、松明の灯りを受けて幻想的に輝いていた。宝石のように美しいが、美しさだけではない。魔道具の核として使えば、王都の魔法省が飛びつく品質だ。
「こっちの壁にも——『翠玉鉄』。錆びない鉄鉱石です。通常の鉄の五倍の強度がある。武具に最適」
「……こっちは?」
ルーカスが足元に生えている薄緑の苔を指差した。
「鑑定させてください!」
ミレーヌは目を輝かせてしゃがみ込んだ。
「『月光苔』! 万能解毒薬の主原料です。王都の薬師ギルドが一握り金貨十枚で買い取ります。それがこんなに群生している……」
浅層だけでこれだ。五十階層の深部には、さらに何が眠っているのか。ミレーヌの鑑定が読み取った情報の一端だけでも、この村の運命を変えるには十分だった。
ミレーヌの本当の戦いは、ここから始まった。
鑑定スキルの真価は戦闘ではない。「万物の価値を知る目」——それがミレーヌの鑑定の本質だった。幼少期から「なぜこの石は高いのか」「なぜこの薬は効くのか」を鑑定で探求し続けた知識が、スキルの精度を王国随一にまで押し上げている。
だが、知識だけでは人は動かない。
ルーカスが村人を集めた夜、ミレーヌはダンジョンの存在を説明した。五十階層。希少鉱石。世界最大級——しかし村人たちの反応は冷たかった。
「地下に宝? そんな話、信じろってのか」
「このあたりは昔から何もない荒地だ。ダンジョンなんて聞いたこともねえ」
「王都から追い出されてきた令嬢の言うことだろう?」
最後の一言が、ミレーヌの胸に刺さった。——事実だから反論できない。追放された令嬢が、辺境の村人に「この村は宝の山だ」と言ったところで、戯言にしか聞こえないだろう。
ルーカスが立ち上がった。
「俺は鑑定を信じる。実際に井戸の下に空間があった。鉱石も見た」
「領主様が信じるのは勝手だが——」
「なら、見せてやる」
翌朝、ルーカスは村で一番頑固な老農夫ヨーゼフを連れてきた。秋の畑仕事で深く切った手のひらが、化膿しかけている。
「月光苔です。万能解毒薬の原料ですが、そのまま患部に当てても消炎効果があります」
ミレーヌが浅層から採取した月光苔を湿布のように巻くと、半日で腫れが引いた。ヨーゼフは自分の手を見つめ、それからミレーヌを見た。
「……嬢ちゃん。こいつは本当に地下から?」
「はい。群生しています。採っても採っても尽きないほど」
ヨーゼフは太い腕を組んだ。長い沈黙の後、ぶっきらぼうに言った。
「——で、俺は何を手伝えばいい」
一人が動けば、風向きが変わる。翌日から協力者が少しずつ増え始めた。
村人の協力を得ても、外部の壁は厚かった。
ミレーヌは冒険者ギルド本部に宛てて鑑定書を書いた。ダンジョンの規模、階層数、確認済みの鉱石リスト。ルーカスが使者を出し、王都まで片道七日。返書が届いたのはさらに二週間後——内容は素っ気ないものだった。
「——『辺境からのダンジョン発見報告は年間七十件以上。大半が誤報または小規模穴蔵。現地調査団の派遣には審査委員会の承認が必要。現在の待機案件十二件。順番をお待ちください』」
ミレーヌは手紙を読み上げ、がっくりと肩を落とした。
「……順番待ち。いつになるか分かりません」
「ならどうする」
ルーカスが訊いた。責めているのではない。純粋に「次の手」を問うている。
ミレーヌは顔を上げた。
「サンプルを送ります。蒼星石の現物と、この鑑定書を王国標準書式で書き直して。——ルーカス様、辺境領主の印章をお借りできますか」
「使え」
即答だった。ミレーヌは三日かけて鑑定書を書き直した。単なる報告書ではない。蒼星石の純度分析、魔力伝導率の数値比較、月光苔の薬効検証——公爵家で学んだ書式作法が、ここで活きた。
木箱に蒼星石のかけらと月光苔の乾燥サンプルを詰め、鑑定書と辺境領主の印章を添えて再送する。
十日後。通常なら数ヶ月かかる審査を飛ばして、ギルド本部から調査団が到着した。蒼星石の現物を見た審査官が「これが本物なら即日承認だ」と走り回ったらしい。
五人の熟練冒険者と、一人の鑑定士。
「失礼ですが——本当に五十階層?」
調査団の団長、銀髪の女剣士が半信半疑で訊いた。
「鑑定結果の通りです。疑うようでしたら、ご自身の目でお確かめください」
ミレーヌがダンジョン入口に案内すると、調査団の鑑定士が自分のスキルを発動した。——そして、固まった。
「……嘘だろ。五十階層……本当に五十階層ある。しかもこの魔力密度は——」
「王都の王立ダンジョンの三倍以上です」
ミレーヌが静かに補足した。
「浅層だけでもこれだけの希少鉱石が露出しています。深層にはまだ誰も足を踏み入れていません。——冒険者にとっては、これ以上ない未踏の宝庫だと思いますが」
団長が仲間と目を見合わせ、それから大きく頷いた。
「ギルド本部に早馬を出す。支部の開設を申請しよう。——正直に言って、こんな規模は見たことがない」
ミレーヌは少しだけ誇らしかった。鑑定書の数字が嘘ではなかったと証明された瞬間だ。
ルーカスがミレーヌの隣に立ち、ぽつりと言った。
「ありがたい」
ミレーヌは横目でルーカスを見た。この人はいつもそうだ。短い言葉にだけ、本当の気持ちを込める。
ギルド支部が開設されると、冒険者が集まり始めた。最初は腕試しの若手が数人。しかしダンジョンの素材品質が噂になると、中堅、ベテラン、果てはA級パーティーまでが辺境を目指した。
ミレーヌは素材倉庫に陣取り、冒険者たちが持ち帰る戦利品を片端から鑑定した。
「この魔物の牙は——加工法が間違っています。斜めに削ると魔力が逃げる。水平に薄く削ぎ、低温で乾燥させれば、同じ素材で三倍の価値になります」
「この鉱石は第七層産ですね。含有する魔力元素の偏りから見て。第七層の鉱石は熱に弱いので、冷鍛がおすすめです」
冒険者たちは最初、鑑定スキルの小柄な令嬢を怪訝な目で見ていた。だがミレーヌの鑑定が一つ、また一つと的中するたびに、態度が変わっていった。
「おい、あの嬢ちゃんの言う通りに加工したら、買い取り額が倍になったぞ」
「俺が見つけた石、ゴミだと思ってたのに金貨二十枚だってよ」
「鑑定嬢に見てもらわなきゃ損だ」
いつしかミレーヌは「鑑定嬢」の愛称で呼ばれるようになった。蔑称ではない。尊敬を込めた呼び名だ。ミレーヌの一言で素材の価値が跳ね上がるのだから、冒険者にとっては最も頼りになる存在だった。
それは「見るだけの力」ではなかった。「正しい価値を見出す力」だった。
ミレーヌは鑑定だけでなく、経営にも才を発揮した。
素材の取引ルートを整備し、冒険者が採取した素材をミレーヌが品質ごとに仕分け、最適な加工を施してから出荷する仕組みを作った。中間搾取を排除し、冒険者には正当な報酬を、村には取引手数料を。
三ヶ月で、村の人口は六十三人から三百人に増えた。
半年で、宿屋が五軒、鍛冶屋が三軒、薬師が二軒。冒険者ギルドの支部が常設され、毎日のようにダンジョンに挑む冒険者が集まった。
その頃にはルーカスとの距離も、自然と縮まっていた。
ミレーヌが夜遅くまで素材倉庫で鑑定作業をしていると、ルーカスが黙って温かい茶と干し果物を置いていく。
「ルーカス様、また来てくださったんですか。お忙しいのに」
「通りがかっただけだ」
通りがかるには遠回りすぎる場所だった。ミレーヌはそれを指摘せず、微笑んでお茶を受け取った。
ある朝、ミレーヌが市場の鉱石を鑑定していると、ルーカスが「これを見てくれないか」と、拳大の灰色の石を差し出した。
「畑の端から出てきた。何かの鉱石か?」
ミレーヌは石を受け取り、鑑定を発動した。琥珀の目が金色に光り——そして、くすりと笑った。
「これは……ただの石です、ルーカス様」
「……そうか」
「でも」
ミレーヌは石を返しながら、楽しそうに言った。
「鑑定させてくれてありがとうございます。何でも見せてくださいね。ただの石でも嬉しいんです」
「……助かる。あんたがいると、何が価値のあるもんか分かって」
ルーカスは少し照れたように目を逸らした。石を見つけるたびにミレーヌのところに持ってくるのは——彼なりの、不器用な接触の口実だった。ミレーヌにはそれが分かっていた。分かっていて、嬉しかったのだ。
一年で——辺境グラーフ領は、王都に次ぐ交易都市になっていた。
「信じられない」
ルーカスは、かつて二十軒の石造りの家しかなかった村を見渡して、呟いた。今は石畳の大通りが走り、二階建ての商館が並び、冒険者たちの活気ある声が響いている。
「ミレーヌ嬢のおかげだ。——本当に、ありがたい」
「私は鑑定しただけです。実際に動いてくださったのはルーカス様です」
「鑑定しただけ、なんて言わないでくれ」
ルーカスの声に、珍しく力がこもった。深緑の目がまっすぐにミレーヌを見ている。
「俺には見えなかった。この村の地下に何があるか。あの石がいくらの価値か。あの苔が何に使えるか。——全部、あんたが教えてくれた」
ミレーヌは少し驚いた。口下手なルーカスが、こんなに長く話すのは初めてだった。
「ルーカス様……」
「鑑定は、すごい力だ」
短い言葉だった。しかしその一言は、ミレーヌが十八年間で一度も言われたことのない言葉だった。
姉は「鑑定なんて可哀想」と言った。父は「攻撃魔法だったらよかったのに」と嘆いた。エーリヒは「冒険者にすらなれない雑魚スキル」と切り捨てた。
鑑定はすごい力だ——そう言ってくれた人は、この日焼けした朴訥な領主が初めてだった。
「……ありがとうございます」
ミレーヌの声が少し震えた。琥珀色の目が潤んでいることに、本人は気づいていなかった。
辺境の繁栄は、当然のように王都にも届いた。
秋が再び巡ってきた。ミレーヌが辺境に来て、ちょうど一年。去年と同じ冷たい風が吹いているのに、街の景色はまるで違う。
ある日の午後、ミレーヌが素材倉庫で鉱石の仕分けをしていると、大通りから馬蹄の音と怒号が聞こえた。
飛び出すと——金髪の青年が、白馬に跨がって大通りの真ん中に立っていた。
エーリヒ・フォン・クロイツ。第二王子。
ミレーヌの胸が一瞬、冷たくなった。一年前の玉座の間。退屈そうな青い目。「冒険者にすらなれない女」。あの言葉は今でも、胸の奥に刺さったままだ。
「お前。——戻れ」
一年ぶりに聞く声は、あの日と同じ尊大さだった。
「辺境の繁栄の報告は受けている。ダンジョン発見の功績は認めよう。だが、この地の利益は王国のものだ。お前も王都に戻り、余の下で鑑定スキルを使え」
——余の下で。
つまりエーリヒは、鑑定スキルの価値を認めたのではない。鑑定スキルが生み出す利益の価値を認めたのだ。あの日と何も変わっていない。ミレーヌ自身を見ているのではなく、使える道具として見ている。
大通りの冒険者たちがざわめいた。一年前にミレーヌを追放した王子が、今さら「戻れ」と言いに来た——その噂はすでに街中に広まっていた。
ミレーヌは答えなかった。答える前に——。
「殿下」
ルーカスが、ミレーヌの前に立った。
がっしりとした背中。日焼けした首筋。ミレーヌを背にして、静かにエーリヒと向き合っている。普段は穏やかな深緑の目が、凍りついたように冷たい。
辺境伯には古来より、王命に対する独自の裁量が認められている。辺境の防衛と統治は王都から遠く、王の手が直接届かない。だからこそ辺境伯は——王命への拒否権を持つ。
「辺境領主は王命への拒否権を持つ。ご存知でしょう」
「拒否権だと? たかが辺境伯の分際で——」
「この地の繁栄は彼女のものだ」
ルーカスの声は低く、静かだった。怒鳴ってはいない。だがその声には、一歩も退かない意志があった。
「ミレーヌ嬢がこの地を鑑定し、価値を見出し、繁栄を導いた。——殿下は彼女を『石ころでも鑑定していろ』と追放された。その石ころの価値が、今や王都の税収を超えている」
エーリヒの顔が歪んだ。
「返す道理がない」
ルーカスの一言は、鉄のように重かった。
大通りに沈黙が落ちた。冒険者たち、商人たち、村人たち——グラーフ領の全員が、ルーカスの背中を見ている。
「ルーカス様……」
ミレーヌはルーカスの背中に向かって、小さく呼びかけた。そして一歩前に出て、ルーカスの隣に立った。
「殿下」
琥珀色の目が、まっすぐにエーリヒを見た。
「一年前、殿下は仰いました。『鑑定スキルで魔物が倒せるのか』と。——倒せません。私の鑑定は、今でも何一つ壊せない力です」
ミレーヌは穏やかに微笑んだ。
「でも、この村を見てください。鑑定は、壊さなくても——作ることができます」
石畳の大通り。活気ある商館。笑顔の冒険者たち。一年前には荒野と石造りの家しかなかった寒村が、今は数千人が暮らす繁栄の地になっている。その全てが、「見るだけの力」が生み出したものだ。
「私はこの村にいます。この村の鉱石を鑑定し、素材を見極め、価値を見出していきます。それが私にできることで——私がしたいことですから」
エーリヒは口を開いたが、言葉が出なかった。
周囲の視線がエーリヒに集まっている。冒険者たちの目は——哀れみだった。世界最大のダンジョンの上に立つ繁栄の街で、かつて「石ころ」と嗤った王子が、取り返しのつかない過ちを突きつけられている。誰もが知っていた。この街を作ったのが誰で、この街を捨てたのが誰かを。
「……覚えておけ、ミレーヌ」
エーリヒは馬首を返した。——名前を呼んだ。一年前は「お前」としか言わなかった男が、初めてミレーヌの名を口にした。しかしもう遅い。名前を呼ぶことに意味があったのは、一年前の玉座の間だった。
「この辺境が余の領土であることは変わらない。いずれ——」
「いずれ、で構いません」
ミレーヌは微笑んだままだった。
「そのときも鑑定して差し上げますから。殿下のお言葉の価値を」
エーリヒは何も言わず、馬を駆って去った。白馬の蹄の音が遠ざかり、やがて消えた。
大通りに沈黙が残った。——一拍おいて、どこかから拍手が聞こえた。冒険者の一人だ。それが二人、三人と広がり、気づけば通り中が歓声に包まれていた。
「鑑定嬢!」「よく言った!」「お前がいなきゃこの街はなかった!」
ミレーヌは照れたように頭を下げた。冒険者たちの声が温かい。一年前、王都で笑われた「鑑定しかできない令嬢」は、今やこの街の誰からも必要とされている。
日が暮れた。
素材倉庫の裏手にある小さな丘で、ミレーヌとルーカスが並んで座っていた。眼下にはグラーフ領の灯りが広がっている。素朴な松明と蝋燭の灯り。だがそれが無数に連なって、まるで地上の星座のようだった。
「ルーカス様」
「うん」
「先ほど、ありがとうございました。殿下の前に立ってくださって」
「……当然のことをしただけだ」
ルーカスはぶっきらぼうに言った。しかし耳が少し赤い。暗がりでなければ、はっきり分かっただろう。
「あんたがいなかったら、この村は冬を越せなかった。俺一人じゃ、あの井戸がダンジョンだなんて一生気づかなかった」
「私は鑑定しただけです」
「また、それを言う」
ルーカスが少し笑った。笑うと深緑の目が柔らかくなる。
「鑑定しただけ、じゃない。あんたは——この村の価値を、見つけてくれた」
風が吹いた。冬の入り口の、冷たい風。ミレーヌが身を縮めると、ルーカスが無言で外套を肩にかけた。
「……ルーカス様」
「寒いだろ」
それだけ言って、またぶっきらぼうに前を向いた。口下手だが行動で示す。一年間ずっとそうだった。ミレーヌが徹夜で鑑定作業をしていれば黙って温かい茶を置いていき、商人との交渉で疲れた日には何も言わず夕食を用意してくれた。
ミレーヌはルーカスの外套に頬を寄せた。土と日向の匂いがする。
「私、初めてです」
「何が」
「自分の居場所だと思える場所ができたのが」
公爵家では姉の影だった。王都では「鑑定しかできない令嬢」だった。どこにいても、自分の力が認められる場所はなかった。
「この村に来て——ルーカス様が『鑑定はすごい力だ』と言ってくださって。初めて、ここにいていいんだと思えました」
ルーカスは黙っていた。しばらくして、ぽつりと言った。
「……ずっと、いてくれ」
「え?」
「この村に。——俺の隣に」
ミレーヌは目を見開いた。ルーカスは前を向いたまま、耳まで真っ赤にして、それでも言葉を撤回しなかった。
「あんたの鑑定が必要だとか、村のためだとか、そういうことじゃなくて」
口下手な男が、必死に言葉を探している。
「俺が——ミレーヌに、いてほしい」
嬢、がない。初めて呼び捨てにされた名前が、夜風に溶けた。
ミレーヌの琥珀色の目が、金色に光った。鑑定ではない。涙が灯りを反射しただけだ。
「鑑定させてください」
「……は?」
「ルーカス様のお言葉の価値を、鑑定させてください」
ルーカスが困惑した顔でミレーヌを見た。ミレーヌは涙を拭いて、いたずらっぽく微笑んだ。
「——鑑定結果。金貨では換算できません。この世界で最も価値のある言葉です」
「……そういうのは、鑑定で分かるのか」
「いいえ。鑑定しなくても分かります」
ミレーヌはルーカスの大きな手に、自分の小さな手を重ねた。
「ここにいます。ずっと」
辺境の丘の上で、二つの影が寄り添っていた。
眼下のグラーフ領は灯りに溢れている。一年前には六十三人の寒村だった場所が、今は王都に並ぶ交易都市になっている。その全てが、「見るだけの力」——ただ一人の鑑定令嬢の目が、見出した価値だ。
鑑定スキルは雑魚スキルだと笑われた。
しかしその「雑魚スキル」は、辺境に眠る世界最大のダンジョンを見つけ、鉱石の真の価値を暴き、寒村を繁栄に導き——そして、一人の朴訥な領主の、不器用な愛の価値も見抜いた。
万物の価値を知る目は、最初からここにあった。
ただ、それを「価値がある」と認める人に、出会えていなかっただけだ。
【あとがき】
最後まで読んでいただきありがとうございました。
「実力証明型」のざまぁストーリーです。鑑定スキルという「戦えない力」が、見方を変えれば最強の経営チートになるという逆転。エーリヒ王子が「石ころでも鑑定してろ」と言ったのに、その石ころが金貨に変わる皮肉——自業自得ですね。
◇◆◇ 「捨てられ令嬢は最後に笑う」シリーズ ◇◆◇
婚約破棄・追放・裏切り——捨てられた令嬢たちが、それぞれの方法で最後に笑う短編シリーズです。
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