S01-P14 「当たらぬ占いなど不要だ」と追放された令嬢の最後の予言——「一年以内に、あなたは全てを失う」

第1話: 「当たらぬ占いなど不要だ」と追放された令嬢の最後の予言——「一年以内に、あなたは全てを失う」

第1アーク · 10,201文字 · final

炎が、全てを飲み込んでいた。

カルバート公爵邸——アルディア王国屈指の名門が誇る壮麗な屋敷が、真紅の炎に包まれ、崩れ落ちていく。柱が裂け、天井が崩落し、数百年の歴史を刻んだ調度品が一瞬で灰と化す。

逃げ惑う使用人たちの悲鳴。馬のいななき。夜空を焦がす火柱。

その地獄の只中で、若い騎士が膝をついていた。

「……彼女の、言う通りだった」

レオン・グレイスは、煤に汚れた顔で呟いた。炎に照らされた瞳に映るのは、絶望と後悔。

彼女——セラフィーナ・ルナティア。

追放された、予言の令嬢。

あの日、彼女が最後に残した言葉が、今になって胸を(えぐ)る。

「一年以内に、あなたは全てを失う」

あれは脅しではなかった。呪いでもなかった。

ただの——予言だった。


時は遡る。一年前、春。

カルバート公爵邸の大広間。

セラフィーナ・ルナティアは、婚約者の前に静かに立っていた。

銀色の髪が窓から差し込む光に淡く輝く。薄紫の瞳は穏やかで、どこか遠くを見つめているようだった。

目の前の男——エドウィン・カルバートは、一切の感情を排した冷たい声で宣告した。

「不吉な女など、我が家には不要だ」

深い青の瞳が、氷のようにセラフィーナを見据えている。漆黒の髪は一本の乱れもなく、完璧に整えられた装いは大公爵の威厳そのもの。

セラフィーナは微笑んだ。いつものように、穏やかに。

「……そうですか」

「新しい婚約者を迎える。マリアンヌ嬢——社交界の華だ。少なくとも、不吉な予言で人を怯えさせたりはしない」

「……ええ。それが、よろしいかと思います」

怒りはなかった。悲しみは——あった。けれど、それすらも深い諦めの底に沈んでいた。

三年間。

三年間、この人のために尽くした。予知の(さきみのめ)が視せる災いを伝え続けた。

一度も——信じてもらえなかった。

その瞬間だった。

視界が暗転する。

突然、セラフィーナの世界が闇に閉ざされた。大広間も、エドウィンも、何もかもが消え——代わりに、鮮烈な映像が脳裏に流れ込んでくる。

炎。

崩壊する屋敷。逃げ惑う人々。空を焦がす赤い光。

そして——全てを失い、泥濘(ぬかるみ)の中に膝をつくエドウィンの姿。

映像が途切れ、現実に引き戻される。

激しい頭痛が襲った。こめかみが脈打ち、視界がぐらりと揺れる。けれどセラフィーナは倒れなかった。最後の予言を告げなければならない。

「……視えます」

声が変わった。

いつもの穏やかな声ではない。低く、深く、大広間の空気を震わせるように響く声。

エドウィンの眉が僅かに動いた。

「またか。今度は何が『視えた』のだ?」

嘲りを込めた声。けれどセラフィーナの瞳が淡く光を帯びたのを見て、一瞬だけ言葉が途切れた。

セラフィーナは静かに告げた。

「一年以内に、あなたは全てを失います」

大広間の空気が凍りついた。

侍女たちが息を呑む。側近のレオンが顔を強張らせる。

エドウィンだけが、鼻で笑った。

「……脅しのつもりか」

「違います。これは……予言です」

セラフィーナはそれだけ言うと、静かに一礼した。そして背を向け、荷物をまとめるために自室へ向かった。

振り返らなかった。


セラフィーナの予知の(さきみのめ)が初めて発現したのは、五歳のときだった。

突然、目の前が暗くなった。怖くて泣きじゃくる幼い自分の脳裏に、兄が馬から落ちる映像が流れ込んできた。

「お兄様が怪我をするの! お馬さんに乗っちゃだめ!」

泣きながら訴えた。誰も信じなかった。翌日、兄は落馬して腕を骨折した。

家族は顔を見合わせた。気味が悪い、と。

十二歳のとき、大火災を予知した。三日前から頭痛がひどくなり、炎に包まれる街の映像が何度も何度も押し寄せてきた。

「火事になります! 逃げてください!」

必死に叫んだ。「不吉なことを言うな」と叱られた。

三日後、本当に火災が起きた。使用人が二人、亡くなった。

父であるルナティア侯爵は、初めてセラフィーナの力を認めた。けれど同時にこう言った。

「お前の力は人を不安にさせる。あまり口にするな」

それから社交界に出ても、「不吉な令嬢」の噂は常についてまわった。パーティーでは避けられ、茶会に招かれることもなく、まるで幽霊のようだと陰口を叩かれた。

誰もが距離を置く中、唯一手を差し伸べたのがエドウィン・カルバートだった。

ただし、それは愛ではなかった。

「予知能力があるなら、政治に使える」

それが彼の本音だった。セラフィーナにはわかっていた。

それでも——自分を必要としてくれる人がいるなら。そう思って、婚約を受け入れた。


三年間の婚約生活は、セラフィーナにとって「信じてもらえない」日々の連続だった。

最初の大きな予知は、婚約から半年後。

夜会の直前、セラフィーナの視界が暗転した。エドウィンが苦しみ、倒れる映像。赤いワインと、歪んだ笑みの給仕。

「今夜のワインは、飲まないでください」

セラフィーナは震える声で懇願した。

「根拠は?」

「……視えたのです。あなたが苦しむ姿が」

「迷信だ」

エドウィンは取り合わなかった。しかし夜会の席で、偶然グラスに肘が当たり、ワインがこぼれた。結局飲まずに済んだ。翌日、その給仕が政敵に買収されていたことが発覚し、逮捕された。

セラフィーナは安堵した。エドウィンは言った。

「偶然だ」

次の予知は一年後。視えたのは、崩落する石橋と、その下敷きになる馬車。

「あの橋は、使わないでください」

「理由を説明したまえ」

「説明できません。ただ……崩れる音が、聞こえるのです」

「聞こえるはずがない。君は考えすぎだ」

しかしセラフィーナがあまりにも必死だったので、エドウィンは舌打ちしながら迂回路を選んだ。数時間後、その橋は崩落した。通りかかった商人の馬車が巻き込まれ、大怪我を負った。

「老朽化していただけだ。偶然だ」

そして三度目。婚約から二年半が経った頃。

政敵との契約書にサインしようとするエドウィンに、セラフィーナは泣きながら(すが)りついた。

「その契約書に、サインしないでください!」

「君は口を出すな。これは政治だ」

周囲の貴族たちがくすくすと笑った。「公爵が令嬢に振り回されている」「情けない」。

エドウィンの顔が紅潮した。屈辱だった。

それでも——セラフィーナの尋常ではない様子に、プライドに折り合いをつけるように「慎重を期して」署名を延期した。数日後、契約書に巧妙な罠が仕掛けられていたことが発覚した。

「……私の慎重さが功を奏しただけだ」

毒殺未遂も、橋の崩落も、政敵の罠も。

全て「偶然」で片付けられた。

一度も、感謝されなかった。

そして——あの契約書の一件が、決定打だった。

マリアンヌが囁いたのだ。「社交界の皆様が、公爵様のお立場を心配なさっていますわ。あの令嬢がお傍にいる限り——」。美しい微笑みの裏に、計算があった。けれどプライドを傷つけられたエドウィンの耳には、正論にしか聞こえなかった。

人前で泣きつく婚約者は、公爵家の恥だ。こんな不吉な女はもう要らない、と。


追放の日。

セラフィーナは最後の予言を残し、公爵邸を後にした。

唯一、侍女のアリシアだけが付き従った。

小柄で、栗色の髪をきちんと結んだ娘。セラフィーナが幼い頃からずっと傍にいてくれた、たった一人の理解者。

「お嬢様……本当に、よろしかったのですか」

辺境に向かう馬車の中で、アリシアが不安げに問うた。

セラフィーナは窓の外に流れていく景色を眺めていた。王都アルディスの尖塔が、少しずつ小さくなっていく。

「ええ。もう、疲れましたから」

穏やかな声だった。いつもの、感情を押し殺した声。

「信じてもらえないのに伝え続けるのは……とても、疲れるのです」

窓ガラスに、自分の顔が映っていた。銀色の髪、薄紫の瞳。

その瞳を、一筋の涙が伝った。


辺境の西部、ローゼンベルク村。

人口二百人ほどの小さな村。都の権力闘争とは無縁の、穏やかな場所。

セラフィーナとアリシアは、村の外れにある小さな家を借りて暮らし始めた。正体は隠した。ただの「都から来た貴族の娘」として。

薬草を育て、村人の手伝いをし、子供たちに読み書きを教えた。

「……ここは、穏やかですね」

縁側で薬草を干しながら、セラフィーナは呟いた。

「お嬢様、もう予知は……?」

「ありますよ。時々。でも……」

目を伏せる。

「もう誰にも伝えません。信じてもらえないから」

アリシアは唇を噛んだ。何か言いたそうにして、けれど飲み込んだ。

追放から一ヶ月が過ぎた頃。

夜中に、セラフィーナは飛び起きた。

予知だった。

視えたのは——小さな影が、暗い穴に落ちていく映像。子供の泣き声。村の井戸。

翌朝、セラフィーナは一瞬迷った。また信じてもらえなかったら。また「不吉だ」と言われたら。

けれど——子供が危ないのだ。

村長を訪ねた。

「あの……村の井戸なのですが」

「井戸? どうかしましたかな」

「お孫さんを……気をつけてあげてください。井戸に、近づけないように」

村長は不思議そうな顔をした。けれど、都の令嬢の真剣な眼差しに、素直に頷いた。

「分かりました。気をつけますよ」

翌日。村長が孫を見張っていたところ、本当に幼い子が井戸の縁によじ登ろうとした。慌てて抱き上げ、事なきを得た。

「あなたのおかげです! 本当に、ありがとうございます!」

村長が深々と頭を下げた。

セラフィーナは、目を見開いた。

——ありがとう。

その言葉を、何年ぶりに聞いただろう。

二十一年の人生で、予知を信じてもらえたのは初めてだった。感謝されたのも、初めてだった。

「……どういたしまして」

声が震えた。涙が零れそうになるのを、必死にこらえた。


同じ頃、王都では。

カルバート公爵邸。側近のレオン・グレイスが蒼白な顔で執務室に駆け込んだ。

「公爵……機密文書が、流出しました」

エドウィンの手が止まった。

「何だと」

「裏切り者は……ヴィクター副官です。政敵に買収されていました」

「あり得ん。彼は私の腹心だぞ」

しかし証拠は覆しようがなかった。ヴィクターは既に姿を消していた。

レオンが躊躇いがちに口を開いた。

「公爵……セラフィーナ様が、以前こう仰っていました。『信頼している方の中に、裏切り者がいます』と……」

「偶然だ」

エドウィンは即座に切り捨てた。

「誰だって疑心暗鬼になれば、そのくらいのことは言う」

けれど、心の奥のどこかで——小さな棘が刺さった。

レオンもまた、胸の内で棘を抱えていた。毒殺未遂も、橋の崩落も、そして今度の裏切りも——全て、セラフィーナ様が予知していた。三度目の「偶然」を、偶然と呼び続けることに、もう限界が来ていた。

追放から三ヶ月後。

主要取引先のリヒテンベルク商会が突然倒産した。カルバート家は莫大な損失を被った。

財務官が震える声で報告した。

「公爵、これは……予測不能でした」

「兆候はなかったのか?」

「……セラフィーナ様が、『あの商会とは距離を置いて』と仰っていましたが」

「黙れ」

エドウィンの声が、鋭く響いた。

新しい婚約者マリアンヌが、寄り添うように言った。

「あの令嬢のことは、忘れましょう? 過去に囚われていては前に進めませんわ」

「……ああ。その通りだ」

追放から半年。

領地で原因不明の疫病が発生した。

高熱と発疹。原因不明。治療法不明。日に日に患者が増えていく。

医師が首を振った。

「これは……かつてセラフィーナ様が警告していた『見えない(やまい)』ではありませんか」

「彼女は医学の専門家ではない」

「しかし公爵……」

レオンが、もう黙っていられないという顔で進み出た。

「公爵。裏切り者のことも、商会のことも、疫病のことも——全て、セラフィーナ様の予言通りです」

「黙れと言っている!」

エドウィンが机を叩いた。書類が散らばった。

静寂が落ちた。

レオンもマリアンヌも、凍りついたように動けなかった。

エドウィンの手が、微かに震えていた。


追放から九ヶ月。

政敵たちが一斉に攻勢をかけた。

カルバート家の利権が剥奪され、同盟を結んでいた貴族たちが次々と手を引いた。王宮での発言力は地に落ち、かつて「天才公爵」と称えられた男の周囲から、人が消えていった。

「なぜだ……なぜこうも不運が重なる」

エドウィンは執務室で頭を抱えていた。

マリアンヌが不安げに佇んでいた。

「エドウィン様……私、怖いです」

「大丈夫だ。必ず立て直す」

そう言いながら、自分でもその言葉を信じられなかった。

レオンが控えめに提案した。

「公爵……あの、セラフィーナ様を、お呼び戻しになっては……」

「ふざけるな! 私が、あの女に頼ると思うか!」

プライドが、認めることを拒んでいた。

自分が間違っていたと。あの女の予言が——全て、正しかったと。


追放から十一ヶ月。

それは、深夜のことだった。

原因不明の火災が、カルバート公爵邸を襲った。

乾いた風に煽られ、炎は瞬く間に屋敷全体に広がった。数百年の歴史を持つ名門の邸宅が、一夜にして灰燼(かいじん)に帰した。

「公爵! 逃げてください!」

レオンが叫んだ。

「文書は!? 財宝は!?」

「もう間に合いません!」

命からがら、炎の中から脱出した。

振り返ると、自分の全てだった屋敷が、赤々と燃えていた。

翌日。

焼け跡の前で茫然と立ち尽くすエドウィンに、マリアンヌが告げた。

「もう……無理です。婚約は解消させていただきます」

「待ってくれ……」

「あなたには、もう何も残っていません」

美しい顔に浮かんでいたのは、冷たい計算だった。沈む船から逃げる鼠。それだけのことだった。

去っていく背中を、エドウィンは見送ることしかできなかった。

レオンだけが、傍に残った。

「公爵……」

エドウィンは、力なく笑った。

「……レオン。セラフィーナは、どこにいる」

「辺境の、ローゼンベルク村だと聞いております」

廃墟となった屋敷の前で、エドウィンは空を仰いだ。

冬の空は、残酷なほど澄んでいた。

「一年以内に、全てを失う」

彼女の最後の予言が、脳裏で鳴り響いた。

「……彼女の、言う通りだった」

全てを失って、ようやく分かった。

セラフィーナの予言は——一度も、外れたことがなかったのだ。


ボロボロの姿で馬に跨るエドウィンを、レオンが引き留めた。

「公爵、せめてお供を——」

「いい。これは……私一人の罪だ」

冬の辺境への道は、長く、寒かった。

かつて大公爵として君臨した男の面影はなかった。煤に汚れた外套。痩せこけた頬。充血した青い瞳。

馬を駆りながら、三年間の記憶が蘇る。

ワインを飲まないでと懇願する、セラフィーナの震える声。橋を渡らないでと訴える、必死な瞳。契約書にサインしないでと泣きすがる、華奢な指。

全て——全て、自分を救おうとしていたのだ。

信じてもらえなくても。嘲笑されても。不吉だと蔑まれても。

それでも——。


ローゼンベルク村に辿り着いたのは、追放からちょうど一年が過ぎた、早春の朝だった。

小さな村だった。石造りの家々が肩を寄せ合い、畑には冬を越えた麦の芽が顔を出している。都の喧噪(けんそう)とは別世界の、穏やかな場所。

村人が、ボロボロの旅人を怪訝(けげん)そうに見つめた。

「あの……どちら様で……」

「セラフィーナ・ルナティアは、ここにいるか」

枯れた声でそれだけ告げると、村人は驚いた顔で村外れの小さな家を指さした。

庭には、丁寧に手入れされた薬草畑が広がっていた。

扉が、静かに開いた。

アリシアが顔を出し、エドウィンを見て息を呑んだ。

「お嬢様……エドウィン様が……」

奥から、穏やかな声が聞こえた。

「……分かっています」

セラフィーナが姿を現した。

銀色の髪は相変わらず月光のように淡く輝いていた。薄紫の瞳は穏やかで、一年前と何も変わらない。

けれど——どこか、柔らかくなっていた。辺境の暮らしが、この人を少しだけ解放したのかもしれない。

「……久しぶりだな、セラフィーナ」

「……ええ。お久しぶりです、エドウィン様」

エドウィンは、自分の惨めな姿を見せることに恥じらいすら感じなかった。もう、プライドなど砕け散っていた。

「君の言う通りになった。全て……失った」

「……」

「笑え。『それみたことか』と言え。私は、それだけのことをした」

セラフィーナは、首を横に振った。

「そんなこと、言いません」

そして——静かに扉を開け、中に招き入れた。

小さなテーブルに椅子を勧め、温かいお茶を淹れた。湯気の向こうに、ハーブの穏やかな香り。

エドウィンは、茶杯を両手で包みながら、俯いた。

「……なぜだ。なぜ君は……私を憎まない」

「憎んでいませんから」

「私は君を追放した。侮辱した。不吉な女と呼んだ。君の警告を……全て、無視した」

「……ええ」

「それなのに……」

セラフィーナは穏やかに微笑んだ。一年前と同じ——いや、もう少し温かい微笑みだった。

「私はただ……あなたに、傷ついてほしくなかっただけです」

エドウィンの手から、茶杯が零れそうになった。

「……予知は、呪いです」

セラフィーナは窓の外を見つめながら、静かに語り始めた。

「見たくないものを、見てしまう。止められない災いを、知ってしまう。そして……誰も信じてくれない」

声は穏やかだった。けれど、その一言一言に、二十一年分の孤独が滲んでいた。

「五歳のとき、初めて視えたんです。兄が怪我をする映像。必死に訴えました。笑われました。翌日、兄は骨折しました」

「……」

「十二歳のとき、大火災を視ました。三日前から頭が割れそうで、叫ぶように伝えました。『不吉な子』と言われました。三日後、使用人が二人、亡くなりました」

「……」

「それでも私は……大切な人が傷つくのを、見ていられなかった」

静かに涙が頬を伝った。セラフィーナは拭おうともせず、ただ微笑んでいた。

「信じてもらえなくても、伝えずにはいられなかった。視えてしまうから。助けられるかもしれないから。それが……私の呪いです」

エドウィンは、椅子から崩れ落ちるように膝をついた。

「……すまなかった」

掠れた声だった。

「君はずっと、私を救おうとしていたのに」

「……」

「私は……傲慢だった。自分の力だけで全てを支配できると思っていた。見えないものを、認めようとしなかった」

額を床につけた。天才公爵と呼ばれた男の、無様な姿だった。

「許してくれとは言わない。ただ……もう一度だけ、教えてほしい」

顔を上げた。青い瞳に、初めて——本当の感情が宿っていた。

「今度こそ、君の予言を信じる」

セラフィーナは、優しく手を差し伸べた。

「……立ってください、エドウィン様」

その瞬間——薄紫の瞳が、淡く光を帯びた。

予知が降りてきた。

視界が暗転し、映像が流れ込む。今度は——災いではなかった。

夜の王宮。密かに集う男たち。陰謀の証拠。そして——光の差す道。

「……視えます」

「何が」

「あなたが、全てを取り戻す道が」


セラフィーナは、視えた全てを伝えた。

「都に戻ってください。三日後の夜、王宮の西棟で密会があります」

「密会?」

「あなたを陥れた者たちが集まります。次の標的を決める場です。そこで証拠を掴み、国王陛下に直訴してください」

エドウィンは、じっとセラフィーナを見つめた。

かつてなら、「根拠は」「論理的に説明したまえ」と言っただろう。

けれど今は——。

「……信じよう」

静かに、けれど確かに頷いた。

「今度こそ、信じる」

セラフィーナの瞳から、涙が零れた。けれどそれは——嬉しい涙だった。

二十一年間、誰にも信じてもらえなかった言葉。

「信じる」

たったそれだけの言葉が、こんなにも温かいなんて。


エドウィンは、都に戻った。

セラフィーナの予言通り、三日後の深夜、王宮西棟に政敵たちが集まっていた。カルバート家を陥れた陰謀の首謀者たちが、次の標的について密議を交わしている。

レオンと共に潜入し、決定的な証拠を押さえた。

翌日、国王に謁見。

「この証拠を、ご覧ください」

陰謀が白日の下に晒された。政敵たちは一斉に失脚した。

国王が問うた。

「卿は、誰からこの情報を?」

「……予言者からです」

「予言?」

「ええ。かつて私は、予言を信じませんでした」

エドウィンは真っ直ぐに国王を見据えた。

「しかし今は——信じています」

次にセラフィーナが視せてくれたのは、北の森に生える特別な薬草のビジョンだった。

エドウィンは迷わず北の森に入り、その薬草を見つけ出した。疫病に苦しむ領民たちに煎じて飲ませると、嘘のように快方に向かった。

ひとつひとつ。

セラフィーナの導きに従い、エドウィンは失ったものを取り戻していった。

信頼を。領地を。人の心を。

レオンが感嘆した。

「公爵……まるで奇跡のようです」

「奇跡ではない」

エドウィンは、西の空を見つめて言った。

「彼女が——導いてくれているんだ」


全てを取り戻した春の日。

エドウィンは再び、ローゼンベルク村を訪れた。

今度はボロボロの旅人ではなく、大公爵としての正装で。けれど表情は、かつての冷徹さとは程遠い、穏やかなものだった。

薬草畑で子供たちに囲まれているセラフィーナを見つけた。

「お姉ちゃん、これなあに?」

「これはカモミールよ。お腹が痛いときに効くの」

「お姉ちゃんの予知ってすごいね! 村長のおじいちゃんが言ってたよ!」

「……ええ。でも、使い方次第ですよ」

穏やかな笑顔だった。都にいた頃には見せなかった、心からの笑顔。

「セラフィーナ」

振り向いた彼女と、目が合った。

「……エドウィン様」

「都に戻ってきてくれないか」

セラフィーナは少し考え、それから静かに首を振った。

「……私は、ここが好きです。ここには、私の予言を信じてくれる人たちがいますから」

エドウィンは、その言葉に胸を貫かれた。

都では誰にも信じてもらえなかった彼女が、この小さな村で、初めて居場所を見つけたのだ。

「ならば——」

エドウィンは膝をついた。

子供たちが目を丸くする。アリシアが息を呑む。村人たちがざわめく。

「もう一度、私の婚約者になってほしい」

「……」

「今度は、君を大切にする。君の言葉を信じる。君の予言を——呪いではなく、祝福として受け止める」

セラフィーナの薄紫の瞳が、大きく見開かれた。

——祝福。

その言葉を、予知の(さきみのめ)に対して使った人は、誰もいなかった。

父は「人を不安にさせる力」と言った。社交界は「不吉」と呼んだ。エドウィン自身も「迷信」と切り捨てた。

それを——祝福、と。

「私はもう、都と辺境を行き来してもいい。君がここにいたいなら、私がここに来る。何度でも」

「……」

「信じてくれ。今度こそ——」

セラフィーナの頬を、涙が伝った。

けれどそれは、あの追放の日の涙とは違っていた。

「……はい」

小さく、けれど確かに頷いた。

子供たちが歓声を上げた。アリシアが泣き崩れた。村人たちが拍手した。

エドウィンは立ち上がり、セラフィーナの手をそっと取った。

細い指。けれど——この手が、ずっと自分を支えていたのだ。


それから一年が経った。

カルバート公爵家は完全に復活した。けれどエドウィンとセラフィーナは、都と辺境を行き来する生活を選んだ。

ローゼンベルク村の小さな家は、今もセラフィーナの帰る場所だった。

春の陽射しの中、薬草畑で子供たちと笑うセラフィーナ。その傍らに、不器用に薬草を摘むエドウィン。

「お姉ちゃんの予知ってすごいよね! この前も村長のおじいちゃんの風邪、当てたでしょ!」

「あれは予知じゃなくて、季節の変わり目だからですよ」

くすくすと笑うセラフィーナ。

「でもね」

子供たちの頭を撫でながら、穏やかに言った。

「予知は、一人では意味がないの。信じてくれる人がいて、初めて……誰かを救えるのよ」

エドウィンが、優しく微笑んだ。かつての冷徹な面影はどこにもなかった。

「これからも、君の予言を信じる」

「……ありがとうございます」

二人の手が、そっと繋がれた。

セラフィーナの予知の(さきみのめ)は、相変わらず災いだけを視せる。それは変わらない。

けれど——もう、一人ではなかった。

予言は呪いではない。

信じてくれる人がいれば——それは、祝福になる。


【あとがき】

最後まで読んでいただきありがとうございました。

この作品は「カサンドラ症候群」をテーマに書きました。ギリシャ神話のカサンドラは、アポロンから予言の力を授かりながら「誰にも信じてもらえない」という呪いをかけられた悲劇の巫女です。正しいことを言っているのに誰も耳を傾けてくれない——現代でも、職場や家庭で同じような経験をされている方は少なくないのではないでしょうか。セラフィーナの苦しみを通じて、その孤独と理不尽さを描きたいと思いました。

こだわったのは、セラフィーナが追放後も恨まないという点です。彼女が恨まないのは聖人だからではなく、「慣れてしまったから」。信じてもらえないことに慣れ、拒絶されることに慣れ、諦めることに慣れてしまった——その静かな諦観こそが、カサンドラの本当の悲劇だと考えています。だからこそ、辺境の村で初めて「ありがとう」と言われたとき、彼女の涙は本物なのです。

そして最後に、予言を「呪い」ではなく「祝福」と呼んでくれる人が現れること。信じてもらえなかった言葉が、信じてもらえた瞬間に力を持つこと。それが、この物語で一番書きたかったことです。

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