S01-P20 乙女ゲームの悪役令嬢として断罪されました——シナリオ通りのはずなのに、攻略対象が全員ついてくるのは想定外です

第1話: 攻略本に載っていないエンディング

第1アーク · 10,015文字 · draft

「ローゼマリー・フォン・ヴィントミューレ! お前の罪は明白だ!」

王立星降学園の大講堂に、クリストフ王子の声が響き渡った。
 壇上に立つ金髪碧眼(へきがん)の王子は、まさに「正義の審判者」然とした表情で——まあ、絵に描いたような王子様だ。見た目だけは。

(来た——ついに来た。断罪イベント。ゲームで言うところの第三章クライマックス)

ローゼマリーは内心で拳を握った。いや、正確には心の中でガッツポーズだ。

(待ってたよこの瞬間を。いや「待ってた」って言うと語弊があるけど、でもまあ、シナリオ通りに進んでくれてよかった……!)

「リーゼロッテに対する度重なる嫌がらせ、彼女の研究成果の妨害、そして——」
「うっ……ひっく……ローゼマリーさまが、わたしに……」

王子の背後で、蜂蜜色の巻き髪を揺らすリーゼロッテ・エーデルシュタインが涙ぐんでいる。ピンクのリボンに大きな翠緑(すいりょく)の瞳。小動物系ヒロインの完璧なビジュアルだ。
 泣き方まで可愛い。さすがゲームのヒロイン、スペックが違う。

(いやいや感心してる場合じゃない。あの涙、全部演技なんだけどなあ……。まあいいか、シナリオ通りだし)

ローゼマリーが「自分がゲームの悪役令嬢だ」と気づいたのは、一年前のことだった。

学園の図書塔で『星降る王国の伝説』という古い本を読んだ時、脳内に前世の記憶がフラッシュバックした。——日本のOL、佐藤真由美。趣味は乙女ゲーム。過労で倒れたのが最後の記憶。
 そして目の前の世界は、真由美が全ルートコンプリートした乙女ゲーム『星降る王国のロゼリア』そのものだった。
 攻略対象の顔ぶれ、ヒロインの転入時期、学園のイベント——全てが一致した。
 そして自分は、全ルートで断罪される「悪役令嬢ローゼマリー」。

(つまりここで大人しく断罪されれば、ヒロインが攻略対象と結ばれてハッピーエンド。わたしが退場すれば、みんな幸せになれる)

一年かけて、ローゼマリーは完璧な「悪役令嬢」を演じた。——つもりだった。

「ローゼマリー。お前との婚約は破棄する。学園からの退学を命じる」

クリストフの碧眼が真っ直ぐにローゼマリーを射抜く。
 大講堂がざわめいた。生徒たちが固唾を飲んで見守る中、ローゼマリーは——

微笑んだ。

「おっしゃる通りですわ、殿下」

凛とした声が講堂に響いた。銀髪のロングが優雅に揺れる。氷青色の瞳は穏やかだった。

「私は身を引きましょう。皆様にご迷惑をおかけしましたわ」

周囲がどよめいた。抵抗しないのか。公爵令嬢が、何の弁明もせず追放を受け入れるのか。

(よし、完璧な退場セリフ。これで攻略対象はリーゼロッテさんとくっつくはず。ミッション・コンプリート!)

「お待ちください」

冷たい声が割って入った。
 灰色の目に眼鏡、黒髪をきっちり撫でつけた青年——ルートヴィヒ・フォン・カンツラーが立ち上がる。

「証拠が不十分です。このまま断罪を進めるのは、手続き上——」

ローゼマリーは目でルートヴィヒを制した。微笑みを崩さずに。

(ちょ、宰相ルートの人! 余計なことしないで! シナリオ壊れるから!)

「お気になさらず、ルートヴィヒ様」

穏やかに言ったつもりだったが、目は「黙れ」と訴えていた。
 ルートヴィヒは眼鏡を直し、一瞬だけ唇を引き結んで——座った。

ローゼマリーは一礼し、大講堂を去った。振り返らなかった。

(イベントクリア。あとはエンディングを待つだけ。お疲れさまでした、悪役令嬢ローゼマリー)


翌朝。
 ローゼマリーは夜明け前に荷物をまとめ、学園の門をくぐった。

(あー、終わった終わった。三年間の悪役令嬢生活、お疲れさまでした、わたし)

早朝の空気が冷たくて気持ちいい。春の匂いがする。卒業式を前にした学園は静まり返っていた。

(前世では「ローゼマリーひどい! 早く断罪されろ!」って画面に向かって叫んでたのに、まさか自分がそのローゼマリーになるとは……人生って何があるか分からないね。いや前世で死んでるから人生二周目だけど)

門の前で、ふと足を止めた。
 振り返る。
 朝靄の中、学園の尖塔がぼんやりと浮かんでいる。三年間通った場所。前世を含めれば——ゲームの画面越しに何十時間も眺めた場所だ。

(まさか自分がこの風景の中にいたなんて。ゲームの背景グラフィック、綺麗だなーって思ってたけど、本物はもっと綺麗だったな……)

右手に見える騎士訓練場。アルベルトに剣の手入れを教えた場所だ。
 あの不器用な騎士は、研磨の仕方も(つば)の調整も知らなくて、見かねて三日連続で「たまたま通りかかった」ことにして教えた。「悪役令嬢の気まぐれですわ」と言い訳したっけ。

左手に見える図書塔。フェリクスの研究室があった階。
 星辰魔法の理論的再構築——誰にも理解されない彼の研究を、「それって星の配置で魔法効率が変わるってこと? 面白いじゃない」と言ったら、あの無愛想な顔が初めて驚いた表情に変わった。匿名で研究費を送ったのは、ただ続きが読みたかったからだ。

正面の本館、二階の生徒会室。ルートヴィヒと辺境貿易振興策を議論した部屋。
 あの切れ者は、ローゼマリーの数字に基づいた分析を「見事です」と評した。その言葉が——ゲームの悪役令嬢には似合わないほど、嬉しかった。

(……楽しかったな)

不意に、クリストフの顔が浮かんだ。——あの王子だって、根は悪い人じゃない。ゲームでは「操られやすい善人」という設定で、それは現実でも同じだった。外交書簡の誤字を直したのも、予算案の計算ミスを訂正したのも、わたしが「婚約者だから」という理由で引き受けただけ。
 彼はきっと、わたしが何をしていたか知りもしないだろう。知らないまま、リーゼロッテとくっついて、メインルートのハッピーエンドを迎えるはずだ。

(それでいいの。シナリオ通りで、いいの)

——本当に?

その疑問は、喉の奥に沈めた。

シナリオ上は「嫌がらせ」ということになっている。でもわたしにとっては、ただのお節介だった。前世の世話焼き体質が抜けなくて、困っている人を放っておけなかっただけ。

「さよなら」

小さく呟いて、門の外へ踏み出した。
 自由な空が広がっている。

(さて、第二の人生スタート! 攻略対象のいない世界線で、のんびり暮らすぞー! 領地に帰ってお菓子でも作ろうかな。前世で覚えたレシピ、この世界の材料で再現できるかなあ)

足取りは軽かった。
 ——この時のローゼマリーは、まだ知らなかった。シナリオの外で、とんでもないことが起きようとしていることを。


追放二日目。
 ヴィントミューレ公爵領へ向かう街道を、ローゼマリーは馬車でのんびり進んでいた。
 風車が点在する穏やかな農業地帯。実家の領地は豊かで、追放されたところで暮らしに困ることはない。

(ゲームの悪役令嬢にしては恵まれた結末よね。公爵家だし。破滅エンドって言っても、田舎で優雅に暮らすだけだし——)

背後から、馬蹄(ばてい)の音。
 速い。街道を全力で駆ける音だ。

振り返った瞬間、赤銅色の短髪が視界に飛び込んできた。

「待ってくれ!」

(え?)

アルベルト・フォン・シュヴェルト。
 琥珀色の目。日に焼けた肌。右頬の小さな傷跡。——騎士ルートの攻略対象Aが、息を切らせて馬を並べてきた。

(えええええ? なんで騎士ルートの人がここに? リーゼロッテさんと護衛イベントやってるはずなのに?? このタイミングで出てくるイベント、攻略本に載ってなかったんだけど!?)

「アルベルト、何をしていますの? あなたには——」

ヒロインがいるでしょう、と言いかけた。
 しかしアルベルトは馬車の横に馬を寄せ、まっすぐにローゼマリーを見た。

「俺は——あんたに恩がある」

声は武骨で、飾り気がなかった。

「騎士になれたのはあんたのおかげだ。剣の手入れ、研磨の仕方、鍔の調整——全部あんたが教えてくれた。試験官が言った『騎士の剣は命。手入れを怠る者に資格はない』って言葉に応えられたのは、あんたのおかげだ」

(ちょっと待って。あれゲームでは「ヒロインの応援で合格」ってなってたよね? 好感度、わたしに入ってたの??)

「勘違いですわ。たまたま通りかかっただけのこと——」
「嘘だ」

琥珀色の目が揺るがない。

「あんたは三日連続で『たまたま通りかかった』。毎回、俺が手入れで困ってるタイミングで」

(ぐ……正論すぎて反論できない)

「ヒロインとか知らねぇ。俺が守りたいのは、あんただ」

(好感度振り切ってない!? ねえ、好感度の上限100でしょ!? 何その真っ直ぐな目!!)

ローゼマリーは表情が崩れるのを必死に堪えた。

「あ、あなたには関係のないことですわ! わたく——私は追放された身。付いてきても何もいいことはありませんことよ?」

(あっ、一人称ブレた。冷静になれわたし。ここで動揺したらシナリオが——いやもうシナリオ壊れてるけど!)


追放四日目。
 ヴィントミューレ公爵領の屋敷に着いたローゼマリーは、父と母に温かく迎えられた。追放とはいえ公爵家の令嬢。実家に戻れば何の不自由もない。

(アルベルトは庭の隅で剣の素振りしてるし……なんで居着いてるの? 帰って? 騎士団に戻って?)

しかし問題はそれだけではなかった。

屋敷の応接間に通された来客。藍色の長い髪に紫の瞳。白衣の下から学園の制服が覗いている。指先がインクで汚れている——。

「やあ、ローゼマリー」

フェリクス・フォン・ツァオベルン。
 魔法使いルートの攻略対象Bが、研究ノートを小脇に抱えて立っていた。

「匿名の研究費、出所は調べた」

(バレてる!! 足がつかないように三つの商会を経由したのに!!)

「三つの商会を通したのは見事だった。が、第二商会の帳簿と、公爵家の支出記録の時期が一致する。僕の専門は理論だが、数字を追うのは得意だよ」

(さすが天才。解析能力が高すぎる……)

「君だけだよ」

紫の瞳がローゼマリーを見つめた。いつもは死んだような目をしているくせに、今日は——光がある。

「僕の論文を『面白い』と言ったのは。星辰魔法の理論的再構築に興味を示したのは、この世界で君だけだ。僕にとって、それがどれだけ——」

言葉が途切れた。感情を表現する語彙が、この天才には足りないようだった。

(いや待って。魔法使いルートのイベントフラグ、全部わたしに立ってない? ヒロインに行くはずのフラグが?? これ好感度システムのバグじゃないの!?)

「フェリクス、感情的ですわね。あなたらしくありませんわ」
「感情は非合理的だ。だが——君がいない研究室は、非合理的に静かだった」

(なんでこの人、決め台詞だけは上手いの!?)

庭から足音が近づいてきた。

「……誰だ、こいつは」

アルベルトが素振りの木剣を肩に乗せて、フェリクスを睨んでいる。

「騎士くんか。君も来ていたのか」
「先に来たのは俺だ」
「先着順に意味があるのか? 非合理的だな」
「理屈で来たわけじゃねぇ。理屈で来たお前より、俺のほうがよっぽど——」
「よっぽど何だ? 言語化できないなら黙っていたまえ」

(なんでマウント取り合ってるの!? あなたたちリーゼロッテさんの攻略対象でしょ!?)

ローゼマリーは二人を見比べて、深呼吸した。

「お二人とも、お引き取り——」
「飯はまだか」

アルベルトが平然と言った。

「研究室の機材をこちらに運ぶ手配をした。二階の空き部屋を使わせてもらえるか」

フェリクスも当然のように言った。

(帰る気ないんだ!? この二人、完全に居座る気だ!!)


追放一週間後。
 事態はさらにエスカレートした。

門前に止まった立派な馬車から、黒髪を完璧に撫でつけた青年が降り立つ。灰色の目に銀縁眼鏡。手には——分厚い書類の束。

「お待たせしました、ローゼマリー嬢」

ルートヴィヒ・フォン・カンツラー。宰相ルートの攻略対象Cが、書類を胸に抱えて優雅に一礼した。

「追放撤回の法的根拠。王への上奏文。そしてエーデルシュタイン嬢の虚偽申告の証拠——全て揃えてまいりました」

(準備良すぎない!? 一週間でこの書類量!? 宰相ルートの人、仕事が早すぎる!!)

「ルートヴィヒ様、そこまでしていただく理由が——」
「理由なら三つあります」

ルートヴィヒは眼鏡を直した。——ああ、この癖。本音を言う時の癖だ。

「第一に、根拠なき断罪は法に反します。第二に、あなたほどの政治的手腕を持つ方を追放するのは国家的損失です。辺境貿易振興策——あの草案はあなたなしには生まれなかった」

一呼吸置いて。

「第三に——私はあなたを政治的パートナーとして評価しています。いえ、正直に申しましょう。パートナー以上の感情があります」

(プロポーズ!? しかも三段論法で!? 宰相ルートのエンディングは政略結婚から始まる恋愛のはずなのに、順番おかしくない!? あとプレゼンテーション形式でプロポーズするの初めて見たんだけど!?)

ローゼマリーが絶句していると、庭から二つの声が飛んできた。

「おい、何だあの眼鏡は」
「また一人増えたのか。……騒がしい」

アルベルトとフェリクスが並んで現れた。普段は接点のない二人が、ルートヴィヒを見る目だけは一致していた。——警戒。

「シュヴェルト卿、ツァオベルン殿。お二人ともいらしたのですか。……予想はしていましたが」
「予想してたなら帰れ」
「非合理的な発言だな、騎士くん。帰る理由がない」

(三人揃い踏み……。逆ハーレム状態になってるんですけど!? これゲームのどのルートにもないイベントなんですけど!? 攻略本に載ってないんですけど!!!)

ローゼマリーは頭を抱えたくなるのを堪えて、令嬢の微笑みを維持した。

「あの……皆様、リーゼロッテさんのところにお戻りになっては——」
「「「断る」」」

三人の声がぴったり揃った。
 これだけは意見が一致するらしい。


さて——と、ルートヴィヒが書類を広げたのは、公爵家の応接間だった。

「調査結果をご報告します」

アルベルトが壁に寄りかかり、フェリクスが椅子に深く腰掛け、ローゼマリーが正面に座った。

「リーゼロッテ・エーデルシュタインの証言と事実を照合しました。結論から申し上げると——彼女の訴えは、ほぼ全て虚偽です」

書類が次々とめくられる。

「『ローゼマリーに研究を妨害された』——実際には、フェリクス殿の研究費を匿名で援助していたのはローゼマリー嬢です」
「知ってた」とフェリクスが淡々と言った。
「『ローゼマリーに騎士団の訓練を邪魔された』——実際には、アルベルト殿に剣の手入れを教えたのはローゼマリー嬢です」
「……ああ」とアルベルトが短く頷いた。
「『ローゼマリーが政策案を盗んだ』——辺境貿易振興策の草案はローゼマリー嬢との共同作業です。証拠は私の手元にあります」

ルートヴィヒは書類を閉じた。

「さらに——王子殿下の公務について。外交書簡の誤字修正、予算案の計算ミスの訂正、貴族への失言のフォロー。これらを行っていたのも——」
「わたしですわ」

ローゼマリーが静かに言った。もう隠す必要はなかった。

「ゲームでは全部ヒロインの……いえ、何でもありません。リーゼロッテさんの功績として処理されるはずでしたの」

(「ゲームでは」って言いかけた。危ない危ない)

フェリクスが目を細めた。

「最初から怪しいと思っていた。データが一致しない。あの女——エーデルシュタイン嬢が関わった研究で、成果が出たものは一つもない」
「……あの女の涙は嘘だった。最初から、全部」

アルベルトの琥珀色の瞳に、静かな怒りが宿っていた。


一方、学園では。

ローゼマリーがいなくなった影響は、一週間で明確に現れていた。
 ルートヴィヒの情報網が捉えた報告によれば——

クリストフ王子の公務は破綻し始めていた。外交書簡に誤字が混じり、予算会議で計算ミスを指摘され、貴族への失言が立て続けに起きた。全てローゼマリーがこっそりフォローしていた部分だ。
 騎士科の訓練では装備の質が落ち、魔法科の研究予算は縮小され、生徒会の政策案は通らなくなった。

そして——リーゼロッテ。
 ゲームのヒロインは「全員に愛される特別な存在」のはずだった。光魔法(リヒト)の希少な素質。可愛らしい容姿。泣けば誰かが助けてくれる——それがこの世界での彼女の生存戦略だった。
 だが攻略対象が一人、また一人と離れていく中、追い詰められたヒロインの仮面がひび割れ始めていた。

「なんであの女がいなくなったのに、みんな離れていくの!?」

誰もいない教室で、リーゼロッテは叫んだ。翠緑の瞳から涙がこぼれている。——今度は、演技ではなく。

「わたしが本物のヒロインなのに! わたしのほうが先にいたのに!」

クリストフ王子が、初めて真実に直面したのはその直後だった。ルートヴィヒが残していった調査の写しが、王子の机に届いた。
 全てを読み終えた王子は、震える手で書類を置いた。

「僕は……取り返しのつかないことを……」

碧眼から涙がこぼれた。王子としての矜持も、正義の審判者という仮面も、もう意味がなかった。操られていたと認めることは屈辱だったが——それ以上に、恩人を追放した事実が重かった。


ヴィントミューレ公爵邸。
 夕暮れの庭で、ローゼマリーは三人の話を全て聞き終えた。

風車の羽根が、夕陽の中でゆっくり回っている。
 (ヴィント)の属性を持つこの土地の空気は、いつも穏やかだ。

(……そうか)

ようやく、ローゼマリーは理解した。

(わたしは「悪役令嬢のイベント」だと思ってやっていた。ゲームのシナリオ上、悪役令嬢への好感度は表示されない。だからプレイヤーのわたし——佐藤真由美は気づかなかった)

(でもこの世界は現実で。好感度は、ちゃんと上がっていたんだ。わたしが「嫌がらせ」のつもりでやったことは——ゲームの仕様上は「嫌がらせ」だったけど、現実では違った)

(アルベルトに剣の手入れを教えたのは、ただ困っているのを放っておけなかったから。フェリクスの研究に投資したのは、純粋に面白かったから。ルートヴィヒと政策を練ったのは、議論が楽しかったから。殿下のフォローをしたのは——婚約者として当然だと思ったから)

(わたしがやったことは「悪役のイベント消化」じゃなくて、ただの……お節介で、親切で、本心だった)

「シナリオ通り」に生きようとしていたけれど、自分の行動はずっとシナリオの外にあった。
 ゲームのローゼマリーは本当に「悪役」だったかもしれない。でも、転生したわたしは——。

「ローゼマリー」

三つの声が、ほぼ同時に呼んだ。

アルベルトが一歩前に出た。琥珀色の目がまっすぐだ。

「……あんたはもう、悪役令嬢じゃなくていい」

フェリクスが研究ノートを閉じた。

「合理的に考えて、君がいない世界線は非合理的だ」

ルートヴィヒが書類を胸に抱えた。

「追放撤回の準備は整っています。あとは——あなたの意志だけです」

ローゼマリーの表の仮面が——三年間被り続けた「悪役令嬢」の仮面が、ひび割れた。

「……わたし、ずっと怖かった」

令嬢口調ではなく、素の言葉が溢れた。「私」ではなく「わたし」。高飛車な声ではなく、ただの——一人の女の子の声。

「シナリオを壊したらバッドエンドになるって。わたしが余計なことをしたら、みんなが不幸になるって。だから『悪役令嬢』でいようとした。わたしが嫌われ者なら、みんなハッピーエンドになれるって——」

氷青色の瞳が揺れた。涙が溢れる。こらえようとして、こらえきれない。

「でも——それって、おかしいよね。わたしだけがいない『ハッピーエンド』なんて」

三人が、それぞれの形で手を差し出した。

アルベルトは無言で。——言葉はいらない。差し出された手が全てを語っていた。
 フェリクスは目を逸らしながら。「帰ってこい。研究報告の相手がいない」——素直になれないまま。
 ルートヴィヒは姿勢を正して。「あなたの力が、この国には必要です」——公式的な言葉だが、声が微かに震えていた。

ローゼマリーは泣きながら笑った。

(……これ、攻略本のどこにも載ってないよ。「悪役令嬢の逆ハーレムエンド」なんて、聞いたことない)

「わたしは——悪役令嬢を、辞めます」

涙を拭って、三人の顔を見渡した。

「シナリオなんか知りません。わたしは——わたしとして、生きます」

三人は顔を見合わせた。
 アルベルトが不器用に笑った。フェリクスが「……合理的な結論だ」と呟いた。ルートヴィヒが眼鏡を直して、「では、手続きを進めましょう」と言った。

夕陽が沈む。風車の羽根が、新しい風を受けて回り始めた。


後日。

ローゼマリーは王立星降学園に復帰した。
 ルートヴィヒが準備した上奏文は王の承認を得、追放は正式に撤回された。リーゼロッテの虚偽申告も明るみに出て、調査が進められていた。

大講堂。あの断罪が行われた同じ場所で。
 クリストフ王子が、深く頭を下げた。

「すまなかった、ローゼマリー嬢。僕は——愚かだった。君が何をしてくれていたか、何も見えていなかった」

碧眼は充血していた。眠れない夜が続いたのだろう。

ローゼマリーは穏やかに微笑んだ。——今度は仮面ではなく、本物の笑みで。

「ええ、愚かでしたわね、殿下」

クリストフが僅かに怯んだ。

「でも——ちゃんと反省イベントをこなしてくださったじゃありませんか」
「……反省、イベント?」
「いいえ、何でもありませんわ」

(危ない。ゲーム用語が口から出た)

リーゼロッテは虚偽申告の罰則を受けることになった。学園を去ることになるだろう。完全な破滅ではない——男爵家への帰還と、自分の力で生き直す機会は残されている。
 廊下ですれ違った時、リーゼロッテは立ち止まった。翠緑の瞳に涙はなかった。——演技の涙が枯れたのではなく、もう演じる相手がいないからだ。

「……あなたに、全部持っていかれたのね」

小さな声だった。

「全部よ。わたしが欲しかったもの、全部」

ローゼマリーは何も言わなかった。同情も、反論も、謝罪もしない。
 ただ——「ゲームのヒロイン」という役割に縛られていたのは、もしかしたら彼女も同じだったのかもしれない、と思った。
 リーゼロッテは背を向けて歩いていった。花飾りのないピンクのリボンが、揺れていた。

(結局、わたしは「悪役令嬢」じゃなかった)

学園の中庭を歩く。春の陽射しが銀髪を照らしている。

(前世でゲームをプレイしていた「佐藤真由美」のまま——お節介で、お人好しで、人の世話を焼かずにいられない、普通のわたしだった)

(ゲームの「ローゼマリー」は悪役だったかもしれない。でもわたしは、わたしだ)

背後から、三つの声が聞こえてくる。

「今日の護衛は俺が——」
「僕の研究報告が先だ。約束したのは僕のほうが早い」
「お二方、スケジュールは私が管理しますので——」

(……逆ハーレムエンドの攻略法、誰か教えてください)

ローゼマリーは笑った。仮面でも、演技でもない。ただの——幸せな笑い。

(——これが「真のエンディング」。攻略本には載ってないけど、わたしだけのハッピーエンド)

星降る王国に、春が来ていた。


【あとがき】

最後まで読んでいただきありがとうございました。

今作は「悪役令嬢もの」の王道を、ちょっとだけ裏返してみた話です。ローゼマリーは「ゲームの悪役だから」という理由で自分を消そうとしていた。シナリオ通りに嫌われ者として退場すれば、みんなが幸せになれると信じて。でもこれって、現実世界でもよくあることだと思うんです。「自分がいなくなったほうが周りのためになる」という思い込み。それは優しさに見えて、実は自分の価値を否定しているだけなんですよね。

書いていて一番楽しかったのは、攻略対象たちが次々と追いかけてくるシーンです。特にフェリクスの「感情は非合理的だ。だが——君がいない研究室は、非合理的に静かだった」は、彼の不器用さと誠実さが全部詰まった一言になったと思います。三段論法でプロポーズしてくるルートヴィヒも気に入っています。もう、ほんとに宰相ルートだなあと(笑)。

ローゼマリーが最後に流した涙は「自分だけがいないハッピーエンドなんて、おかしい」という気づきの涙でした。攻略本に載っていないエンディングは、彼女が自分自身を取り戻す物語でもあります。

◇◆◇ 「捨てられ令嬢は最後に笑う」シリーズ ◇◆◇

婚約破棄・追放・裏切り——捨てられた令嬢たちが、それぞれの方法で最後に笑う短編シリーズです。

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