S03-P02 頭上に『好感度』が見える転生者、人の心がわかりすぎて逆に孤独です

第1話: 俺には世界が数字で見える

第1アーク · 5,040文字 · draft

——47、52、38、71、60。

門をくぐった瞬間、数字の洪水が押し寄せた。

人の頭上に浮かぶ光る数字。暖色のもの、寒色のもの、灰色のもの。ゆらゆらと揺れるそれらが、前世(ぜんせ)のSNS通知みたいに視界を埋め尽くす。

王立ヴァルトハイム学園。クレスティア王国の最高学府。貴族も平民も、優秀な若者が集うこの場所が、今日から俺の戦場になる。

……戦場、か。我ながら物騒だ。でも、あながち間違いでもない。

俺——(ひいらぎ)(れん)。ローゼン男爵家の三男。そして、この世界でたぶん一番、人付き合いが面倒臭い人間。

その理由は単純だ。

俺には、他人の頭上に浮かぶ『好感度』が見える。


前世の俺は、三十二歳のITエンジニアだった。リモートワーク。画面の向こうにしか人がいない生活。Slackの既読スルー、SNSのいいね——人との距離を測る手段が、いつの間にか全部数字になっていた。

そのまま過労死して、気がついたら異世界の赤ん坊だった。

ローゼン男爵家の三男として十六年。この世界のことは大体わかった。エルディア大陸、クレスティア王国、属性魔法(ぞくせいまほう)、封建制度。

問題は、十歳の誕生日に覚醒(かくせい)した——この目だ。

好感度可視化(フェイバー・サイト)光神(こうしん)ルミナスの祝福(ブレッシング)。俺の祝福は「他人が自分に対して抱いている好感度を、0から100の数値で見る」こと。色で大まかな感情も判る。暖色なら好意、寒色なら敵意、灰色は無関心。

最初は喜んだ。人間関係の最強チートだと思った。

——思っていた時期が、俺にもありました。


学園の正門前。新入生でごった返す人混みの端を歩きながら、俺は習慣として視線を上げる。

通りすがりの生徒——灰色の『31』。無関心。男爵家の三男なんてそんなものだ。隣を歩く貴族の子弟ふたり——互いに暖色の『56』と『58』。友人同士、良好な関係。

「蓮!」

聞き慣れた声が、雑踏を切り裂いて飛んできた。

振り返ると、亜麻色(あまいろ)のロングヘアをハーフアップにまとめた少女が、人混みを縫って駆けてきた。翡翠色(ひすいいろ)の瞳が朝日に透けている。制服の胸元には——小さなリボンのブローチ。

……あれは確か、ガキの頃に俺がやったやつだ。まだつけてるのか。

リーナ・フォン・ヴェルデ。ヴェルデ伯爵家の一人娘。物心つく前からの幼馴染。

俺は彼女の頭上に視線を走らせた。

淡いオレンジ色の数字。

『72』。

……72。昨日、出発前に挨拶に来てくれたときは『73』だった。

1、下がってる。

なぜだ。俺、何かしたか? 昨日の会話を思い返す。「学園、楽しみだな」「うん、わたしも」「……また明日」「うん」。何も変なことは言っていない。

「また明日」のときの声のトーンが素っ気なかったか? 目を合わせる時間が短かった?

「蓮ってば! 聞いてる?」

「……ああ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」

リーナが眉間にしわを寄せた。——出た、この顔。怒ってるときの癖だ。

「はぁ? 入学式の日にぼーっとしないでよ。遅れたらどうするの」

「まだ時間あるだろ。門も開いたばかりだし」

「そういう問題じゃないの。初日の印象って大事でしょ?」

『72』。変わらない。怒ってるように見えて、数値は安定。つまりこれは本気の怒りじゃなく、いつものツッコミだ。

俺は内心で安堵(あんど)しながら、少しだけ口角を上げた。

「わかったわかった。行くよ、リーナ」

「もう……。相変わらずね」

リーナが小さくため息をついて、隣に並んだ。

横目で確認。『72』。動かない。よし。

——こうやって数値を確認して安心する自分が、ちょっと気持ち悪いことは自覚している。でもやめられない。OFFにする方法がわからないのだ。目を開けている限り、数字が見える。


王立ヴァルトハイム学園の講堂。数百人の新入生が木製の長椅子に座り、壇上では学園長が挨拶をしている。

俺の視界には数字の海が広がっていた。前の席の生徒——『22』。灰色。興味なし。その隣——『35』。薄い青。微妙に警戒されてる?

考えすぎだ。初対面の好感度は見た目と出身家の格でほぼ決まる。男爵家の三男は、この学園では下の中だ。

問題ない。この数値は上げられる。六年間で培った経験則がある。笑顔で挨拶すればプラス1〜3。相手の話に共感すればプラス2〜5。困っているときに助ければプラス5〜10。逆に、言葉を間違えればすぐマイナス。

だから俺は慎重に、最適な言葉を選ぶ。最適な表情を作る。最適な距離感を保つ。

それが俺の処世術(しょせいじゅつ)だ。

隣のリーナが小声でささやいた。

「蓮、またやってる」

「何が?」

「人の頭の上、見てる。昔からの癖でしょ。何が気になるの?」

心臓が跳ねた。

「……天井の装飾。すごいなと思って」

「嘘。蓮が建築に興味あるわけないじゃん」

鋭い。この幼馴染は、数値なんかなくても人の嘘を見抜く。

『72』。変わらない。疑ってはいるが、好感度には響いていない。いつものやり取りの範囲だ。

「……まあ、人が多くて目のやり場に困るだけだよ」

「ふーん」

リーナは納得していない顔だったが、それ以上は追及してこなかった。


入学式が終わり、クラス分けの掲示板の前に人だかりができていた。

俺は文官科の二年ア組。リーナは魔法科の二年イ組。学科が違うから、同じクラスにはなれない。

「あ、別々か……」

リーナが残念そうな顔をした。頭上の数字がかすかに揺れる——『72』から『71』へ。

……また下がった。

同じクラスになれなかった失望か。それとも、俺がそのことに対して何のリアクションも見せなかったからか。

考えろ。最適な言葉を——

「でもまあ、学園内だしな。昼飯は一緒に食えるだろ」

リーナがこちらを見上げた。

「……うん。そうだね」

『71』。戻らない。くそ、ダメだったか。もっと残念そうにすべきだった? 「俺も同じクラスがよかった」と言えば——

いや、やめろ。こうやって数値を上げるための最適解を探すのは——前世と同じだ。

その自覚が、胸の奥にちくりと刺さった。


文官科の教室に入ると、まだ半分くらいの席しか埋まっていなかった。

俺は窓際の後ろから二番目を選んだ。視界に入る人数が少ない席。人が少なければ、頭上の数字も少ない。それだけで少し楽になる。

「おい、ここ空いてる?」

突然、横からでかい声が降ってきた。

見上げると——赤茶色の短髪に寝癖。琥珀色(こはくいろ)の、いつも笑っているような目。がっしりした体格に、だらしなく袖をまくった制服。

頭上の数字——『48』。暖色寄りの黄色。初対面にしてはかなり高い。平均が約40のところで48。

「……空いてるよ」

「さんきゅー!」

どかっ、と隣に座る。椅子が(きし)んだ。

「俺、カイル・ブレイド。剣術科志望だったんだけど、筆記試験の成績がアレで文官科に回されたんだわ。お前は?」

「……柊蓮。ローゼン男爵家の三男」

「おっ、貴族か。俺は平民、奨学生。よろしくな!」

屈託がない。声が大きい。表情が豊か。そして——

『48』。

微動だにしていない。

普通、会話が進めば数値は動く。名乗っただけで1か2は変化するのが常だ。なのに、ぴくりとも——動かない。

「お前さ、フードなんて被って暗くね? 室内だぜ?」

「……日光に弱いんだ」

「マジで? ヴァンパイアかよ。ハハハ!」

大声で笑う。周りの生徒がちらりとこちらを見た。彼らの数字がいくつか動く——『32→30』。騒がしい奴だな、という反応。

でもカイルの『48』は——ぴくりとも動かない。

面白い。いや、不思議だ。好感度が動かない人間なんて、六年間この目で見てきて初めてだ。

「なあ蓮、この後オリエンテーションで施設見学だろ? 一緒に回ろうぜ」

「ああ、いいよ」

反射的に答えていた。数値に基づかない、素の返事。

たぶん、それは本当に久しぶりのことだった。


オリエンテーションは、文官科の新入生全員で学園内を巡るものだった。

図書館、食堂、魔法実習棟、薬草園——案内役の上級生について歩く列の中で、カイルは始終落ち着きがなかった。

「おい蓮、あの塔なんだ? めちゃくちゃでかいじゃん」

「天文台。夜間は魔法科の観測に使うらしい」

「へぇー。登ったら王都全部見えんのかな。実家どこだっけ、北のほうだから——見えるわけねぇか。ハハハ!」

俺は思わず口元が緩んだ。距離感が独特だ。初対面で遠慮がない。でもそれが不快じゃない。

薬草園の前を通りかかったとき、カイルがしゃがみ込んで雑草を引っこ抜いた。

「お、これ実家の裏にも生えてた。食えるんだよ、これ」

「……それ薬草園の見本植物だと思う」

「マジで?」

慌てて元に戻そうとして、根が千切れて、カイルが泣きそうな顔で俺を見た。

「——見なかったことにしとくよ」

「サンキュー! お前いいやつだな!」

こいつに「いいやつ」認定されても、あんまり嬉しくない。いや——嘘だ。少し、おかしかった。

不思議な時間だった。俺はカイルの『48』をほとんど気にしていなかった。数値が動かないから、気にしても仕方ない。上げるための最適解を探す意味がない。

だから俺は——ただ歩いて、ただ話して、ただ笑っていた。

何も計算しない時間。六年ぶり、かもしれない。


オリエンテーションが終わったのは夕刻前だった。

学園の中庭で解散になり、生徒たちが三々五々、寮へ向かっていく。春風が桜の花弁を舞わせていた。

「じゃあな、蓮。飯のときまたな!」

カイルが手を振った。

俺は何気なく——本当に何気なく——別れ際にカイルの頭上を見た。

——65。

「……は?」

二度見した。

65。暖色のオレンジに色が変わっている。さっきまでの黄色じゃない。

48だったはずだ。ついさっきまで——いや、最後に確認したのはいつだ? 教室でのやり取りのとき。オリエンテーション中は、数値を気にしていなかった。

65。たしかに65。

17ポイントの上昇。半日で。

……ありえない。

六年間の経験で、こんな急変は見たことがない。好感度は通常、1か2か3ずつ地道に変動する。丁寧に言葉を選び、適切な距離感を保ち、相手に合わせた最適な行動を積み重ねて——ようやく月に5か10上がれば上出来だ。

それが一気に17。半日で。

しかも——俺は何も「最適化」していない。

褒めてもいない。気を遣ってもいない。好感度を上げようとするどんな行動も取っていない。ただ一緒にオリエンテーションを回って、くだらない会話をして、薬草園の雑草を見なかったことにしただけだ。

なぜだ?

カイルはもう寮の角を曲がろうとしている。その頭上に浮かぶ『65』が、夕日に透けるように揺れている。

「……なぜ、上がった?」

小さく呟いた言葉は、春風にかき消された。

わからない。俺は何もしていないのに。


夕方。寮の自室で、俺はベッドに横たわっていた。

天井を見上げる。誰もいない部屋。数字がひとつも浮かんでいない天井。

一日で会った人間、約五十人。そのすべての頭上に数字が浮かんでいた。初対面の平均好感度は約40。教師は51。クラスメイトたちは30台から40台。

そして——。

リーナ。73から72。72から71。幼馴染の好感度が1ずつ下がっていく。俺が何をしたのか、何をしなかったのか、わからない。

カイル。48から65。初対面の男の好感度が17も跳ね上がった。俺が何をしたのか、何をしなかったのか——これもわからない。

下がる理由がわからない。

上がる理由もわからない。

数字は見えるのに——理由が見えない。

目を閉じた。暗闇の中に、数字の残像がちらちらと浮かぶ。71。65。72。48。

前世の夜——暗い部屋でスマホの通知をチェックし続けたあの感覚と、どこが違う?

転生したのに。異世界に来たのに。魔法がある世界に来たのに。

俺は結局、数字を見ている。人を見ていない。数字を見ている。

でも——今日、ひとつだけわかったことがある。

リーナの『71』とカイルの『65』。この二つの数字は、俺のこれまでの経験則では説明できない。最適化で上げた数字でも、最適化を怠って下がった数字でもない。

数字が人の心を映しているのだとしたら——俺は心を、理解していない。

窓の外、異世界の夜空に二つの月が浮かんでいる。

明日、リーナの数字はいくつだろう。カイルの数字は——まだ動くのか。

数字のない天井を見つめながら、俺は入学初日の夜を終える。

わからないことだらけだ。数字は見えても、人はわからない。

……それが少しだけ——怖くて、少しだけ、面白かった。

文字数: 5,040