◆レオン視点
魔王城の門が、目の前にそびえていた。
「……でかいな」
俺は剣の柄を握り直した。
手が震えてる——いや、震えてない。空腹で力が入らないだけだ。そういうことにしておく。
隣でリーゼが無言で城を見上げている。前髪の隙間から見える目は、いつも通り何も映していないような顔をしている。
後ろでガルドが小刻みに震えている。こっちは隠す気もないらしい。
「が、ガルド。盾、逆だぞ」
「え……あっ、す、すみません……」
がちゃがちゃと盾を持ち替える音がする。
三人。装備はボロボロ。最後にまともな飯を食ったのは三日前。宿代を節約して野宿を続けたせいで、全員ふらふらだ。
いや——最後にまともな飯って言ったけど、三日前のあれも「まとも」とは言い難い。
硬くなったパンを三つに割って分けた。あれだけだ。
「……レオン」
「なんだよ」
「……あれ、門」
リーゼが城門を指さした。
——開いてる。
「なんで開いてんだ」
「……わからない。罠かも」
「ガルド、盾構えろ——って、だからそれ裏表が逆だって」
「す、すみませんっ……」
まあいい。行くしかない。
俺たちは勇者パーティだ。魔王を倒す。それが任務で、それだけが俺たちの存在意義だ。
少なくとも、そう言い聞かせてきた。
門をくぐる。
中は——暗いかと思ったが、松明が灯っていた。廊下はきれいに掃除されている。
城の奥から、何かの匂いがした。
「……何の匂いだ?」
「……煮込み料理の匂い。肉と、根菜。……香草も入ってる」
リーゼの鼻は確かだ。分析魔法の副産物で、匂いから素材まで嗅ぎ分ける。便利なのか不便なのかよくわからない特技だが、野営では毒草を見分けるのに何度も助けられた。
腹が鳴った。
——くそ。今鳴るなよ。
「レオン。お腹、鳴ってる」
「うるせぇっ!」
ガルドが「ぼ、僕もです……」と小声で言った。農村にいた頃、お母さんが「おなか空いたら言いや」って言ってくれた。あれ以来、誰にも言えなかった言葉を、今、言ってしまった。
「ガルド、お前はいいんだよ。盾持ちは体力使うんだから」
「で、でも、レオンだって……」
「俺は平気だっつの」
嘘だ。三人の中で一番腹が鳴ったのは俺だ。
全員空腹だった。敵の城に乗り込んでいるのに、全員の腹が鳴っている。勇者パーティとしてどうなんだ。
奥の大広間の扉が開いていた。
剣を構える。ガルドが盾を構える。リーゼが詠唱の準備をする。
中に——
◆よしこ視点
来た。
厨房で仕込みをしていたら、ヴェルザさんが「勇者パーティが城門を通過しました」と報告してきた。
思ったより早い。昨日「明日か明後日」言うてたのに、もう来た。
仕込み途中やけど——まず顔を見んと。
玉座の間に戻って座った。
ヴェルザさんが「魔王としての威厳を」と言うから、背筋を伸ばして、足を組んで、腕を組んだ。
……腕組みって、やったことないからなんか違和感ある。保育園では腕組みしたら子どもが怖がるからやらんかったのよな。
大広間の扉が開いた。
三人。
赤い髪の男の子が先頭。剣を構えとる。目がぎらぎらしとる。
その横に銀髪の女の子。杖を持って、周囲を警戒しとる。
後ろにでっかい男の子。盾を構えとる——けど盾が震えとる。
三人とも——
「…………」
あかん。
見た瞬間にわかった。
服がボロボロ。
革鎧は継ぎ接ぎだらけ。女の子のローブはサイズが合ってなくてぶかぶか。でっかい子の鎧は中古品で、あちこち錆びとる。
赤い髪の子——左の頬に古い傷跡。頬がこけてる。
銀髪の子——顔色が悪い。唇の色が薄い。痩せすぎ。
でっかい子——体は大きいのに、目がおどおどしとる。肩が内側に丸まっとる。怯えとる。
三人とも、目の下に隈がある。
保育士を40年やっとったら、わかるねん。
この三人は、ちゃんとした大人に面倒を見てもらったことがない子どもや。
赤い髪の子が叫んだ。
「俺は勇者レオンだ! 魔王、覚悟しろ!」
声は大きいけど、足元がふらついとる。空腹で。
構える剣も——あれ、ぴかぴかの新品やなくて、刃こぼれした古い剣や。ちゃんと手入れした跡はある。道具を大事にする子や。
「…………」
ヴェルザさんがちらっとこっちを見た。
「どうなさいますか」の目や。
どうもこうもない。
わてには、この子らが「敵」には見えへん。
見えるのは——ごはんを食べていない子ども。ボロボロの服を着た子ども。怯えとる子ども。
保育園で、虐待の兆候がある子が入園してきた時と、同じ目をしとる。
立ち上がった。
「あ——」
あかん、魔王口調。
「——よく来た。勇者たちよ」
うん。それっぽい。我ながら上出来や。
レオンくんが剣を突きつけてきた。
「黙れ! 今日こそ魔王を倒す!」
「うんうん。元気やなぁ——」
あっ。
「——勇ましいことだ」
「な、舐めんじゃねぇ!」
レオンくんが踏み込んできた。
剣が振り下ろされる。
「魔王様っ!」
ヴェルザさんが動こうとしたけど——
レオンくんの体がぐらっと揺れた。
膝が折れる。剣がからん、と床に落ちた。
「…………っ」
崩れ落ちる。膝をついて、肩で息をしとる。
「くそ……力が……」
立ち上がろうとして——立てない。
「レオン!」
「レオン、しっかり……っ」
リーゼちゃんとガルくんが駆け寄った。
リーゼちゃんも走ったらふらついとる。ガルくんがレオンくんの肩を支えた。
わては三人を見下ろしとる。
魔王の玉座から。
——三日、ごはん食べてへんな。
膝が折れるのは、低血糖の症状や。保育園でもたまにあった。朝ごはん食べさせてもらえない子。
「ヴェルザさん」
「は」
「……ヴェルザよ」
「はっ」
「この子らの武器、預かっておいて。——危ないから」
「……承知いたしました」
わてが「危ない」言うたんは、「わてが危ない」やなくて「この子らが怪我するから危ない」や。ふらふらで刃物振り回したらあかん。
玉座から降りた。
三人の前にしゃがんだ。
「な、なんだよ……」
レオンくんが睨んでくる。
目はぎらぎらしとる。けど、腕が震えとる。
「…………」
わてはその目をじっと見た。
保育園で、新しく来た子が、最初に保育士を睨む目と同じや。
「信用しないぞ」「また裏切るんだろ」「近づくな」——ぜんぶ、怖いから。
「……あんたら、いつからごはん食べてへんの(^^)」
「…………は?」
「あんた頬こけてるやん」
リーゼちゃんの方を見た。
「そっちの子、顔色悪い。唇の色が薄いのは鉄分が足りてへん」
ガルくんの方を見た。
「でっかい子。あんた手ぇ震えてるやん。それ空腹やろ」
「え……あ、は、はい……す、すみません……」
「謝らんでええ。お腹が空くのは悪いことちゃう」
立ち上がった。
「——勇者たちよ」
魔王口調。背筋伸ばして。威厳。
「待っておれ。すぐに——」
……なんて言えばええんやろ。
「——食事を用意させる」
あかん、「させる」やない。自分で作るんやけど。まぁええわ。
くるっと振り返って、厨房に向かった。
仕込みは途中やけど、シチューの材料は切ってある。鍋に水は張ってある。火をつけたらあとは煮込むだけ。
30分あったらいける。
歩きながら、ちょっとだけ目頭が熱くなった。
——あの子ら、誰もちゃんと面倒見てもらってへんわ。
装備を見たらわかる。国からもらった武器やない。自分で手入れした中古品や。
ローブはサイズが合ってない。鎧は錆びとる。
「勇者」って名前だけ渡して、ろくに面倒も見ずに送り出したんやろ。
……ほんまに、もう。
厨房に着いた。
かまどに火をつけた。
泣いてる場合やない。
まず、ごはんや。
◆レオン視点
何が起きたのか、わからなかった。
俺は魔王を倒しに来た。
剣を振った。
倒れた——自分が。
情けない。くそ。最低だ。
魔王はこっちを見下ろして——殺されると思った。
だって魔王だ。人類の敵だ。容赦なく俺たちを消し飛ばすはずだ。
だが魔王は、しゃがんだ。
近い。顔が近い。
深紅の目。黒い髪。角。——間違いなく魔王だ。
なのに。
「……あんたら、いつからごはん食べてへんの(^^)」
意味がわからなかった。
俺の頬のこけ具合を見て、リーゼの唇の色を見て、ガルドの手の震えを見て——全部当てた。
一目で。
一瞬で。
怖い目だろうと思った。威圧的な、冷酷な目を。
違った。
心配そうな目をしていた。
それが一番——困った。
だって。
そんな目で俺を見たやつ、いないから。
孤児院にも。ストリートにも。教会にも。
誰も、俺の頬がこけてることなんか、気にしなかったから。
魔王は「食事を用意させる」と言って、くるっと背を向けて歩いていった。
マントの裾を引きずりながら、ちょっと早足で。
……逃げたのかと思った。
違う。あの歩き方は、何かをしに行く時の歩き方だ。
「…………」
ガルドが呟いた。
「い、いい匂い、してたよね……さっきから……」
「うるせぇ」
「……する。煮込み料理」
リーゼまで言った。
くそ。確かに匂いはする。城に入った時からずっとしてた。温かい、肉と野菜の匂い。
腹が鳴った。また。
リーゼが小声で言った。
「……あの目。分析じゃない。経験で見てる」
「は?」
「魔法を使わないで、私たちの状態を全部当てた。……あれは、何千人も見てきた人の目」
リーゼが魔法使いだからわかるのだろう。分析魔法で見るのと、経験で見るのは違う。リーゼは目で見る。あの魔王は——体で知っていた。
銀髪のヴェルザとかいうやつが、こっちを見ている。
鋭い金色の目。こっちは正真正銘の「殺せる目」だ。
「……勇者よ」
「なんだよ」
「武器を預かる。魔王様の命だ」
「冗談じゃねぇ! 武器を渡すわけ——」
リーゼが俺の袖を引いた。
「……レオン。私たち、今戦える状態じゃない」
「…………」
わかってる。わかってるよ。
剣も持てないくらい腹が減ってるのに、何が「魔王を倒す」だ。
俺は——悔しくて、唇を噛んだ。
「……剣は渡さねぇ。でも、鞘に収める」
「……よかろう」
ヴェルザが一歩引いた。
やるじゃねぇか、この銀髪。交渉の余地を残してくれた。
三人で、大広間の床に座った。
立っていられなかった。
ガルドが壁にもたれて、もう半分寝かけている。リーゼは膝を抱えて、じっとしている。
城の奥から、鍋の音がかすかに聞こえる。がたん、ことん。
誰かが、何かを作っている。
——なんなんだよ。
魔王のくせに。
俺たちを殺すんじゃなくて、ごはんを作ってんのか。
意味がわからない。
でも——あの匂いは、嘘じゃない気がした。
【あとがき】
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第2話は「出会い」の話です。
短編版では出会い→食事→就寝まで一気に描きましたが、連載版では「出会い」だけで1話使いました。レオンが剣を振って、自分が倒れるシーン——あれが、この3人の「今」を一番端的に表しています。敵を倒すどころか、自分が立っていられない。
よしこは魔王なのに、真っ先に「頬のこけ具合」「唇の色」「手の震え」を見ました。保育士の観察眼は、戦場でも発動します。「この子らは、ちゃんとした大人に面倒を見てもらったことがない」——そう見抜くのに、魔法はいりません。40年の経験があればいい。
レオンの「そんな目で俺を見たやつ、いないから」が、この話で一番大事な一行です。心配そうな目で見られたことがない子ども。それが、どれだけ辛いことか。
次回、よしこのシチューが登場します。
「まずお手て洗おうね」が炸裂します。
ブックマーク・評価・感想をいただけると、よしこと一緒に泣いて喜びます(^^)