S08-P01 魔王(よしこ62歳)と勇者パーティ

第3話: まずお手て洗おうね

第1アーク · 3,735文字 · draft

◆よしこ視点

鍋が歌っとる。

ぐつぐつ、ことこと。蓋の隙間から湯気がふわーっと立って、厨房に温かい匂いが広がる。

肉と芋と玉ねぎとにんじんを放り込んで、じっくり煮込んだ。塩は控えめ。胡椒を少し。ハーブは——この世界のやつ、名前はわからんけど嗅いだらローリエに近い匂いがしたからこれを使った。

味見。

……うん。美味しい。

保育園のシチューに比べたら素朴やけど、体が温まる味になった。空腹の子に食べさせるなら、まずこれでいい。胃に優しい。

鍋の蓋を開けて、もう一度かき混ぜた。

芋が崩れかけとる。ちょうどええ。崩れた芋がとろみになって、スープにコクが出る。これは保育園時代に給食のおばちゃんに教えてもらった技や。

パンもある。棚にあった硬めの丸パンを、かまどの横で軽く焼いた。外はカリッと、中はふわっと。シチューに浸して食べたら最高のやつ。

「ヴェルザさん」

厨房の入り口に立っとるヴェルザさんに声をかけた。

「はっ」

「皿とスプーン、5人分出してくれへん?」

「……5人分、でございますか」

「あの子ら3人と、わてと、ヴェルちゃんの分」

「……ヴェルザです。また、私の分は不要で——」

「不要ちゃうわ(^^) 一緒に食べるの。食卓は人数が多いほうが美味しいんやで」

ヴェルザさんが何か言いかけて、やめた。

3秒ほど黙ってから——

「……かしこまりました」

うん。この人、断り方を知らんタイプや。300年真面目に仕えてきた人やもんな。

鍋を持ち上げる。——重い。園児200人分サイズの鍋は、中身が入ると本気で重い。

でもこの体、力はあるらしい。62歳のよしこなら腰がいってるサイズやけど、魔王の体は平気や。若い体、ありがたい。

大広間に向かう。

マントの裾が邪魔やから、腰のところでぐるっと結んだ。即席エプロンや。

「魔王様……その格好は……」

「動きやすいやろ(^^)」

「…………」


◆レオン視点

どのくらい待っただろう。

30分か、1時間か。腹が減りすぎて時間の感覚がない。

ガルドは壁にもたれて寝落ちしかけていた。リーゼは膝を抱えたまま動かない。

匂いだけがずっとしていた。

温かい、肉と野菜の匂い。城に入った時からずっと。さっきよりも強くなっている。

大広間の扉が開いた。

魔王が、鍋を持って入ってきた。

でっかい鍋を。両手で。

——マントを腰で結んでエプロンにしていた。

後ろからヴェルザが、世界の終わりみたいな顔で立っていた。

テーブルに鍋が置かれる。

蓋を開けると、湯気がぶわっと立ち上った。

シチューだった。

肉と芋と野菜がごろごろ入った、素朴な、温かいシチュー。

腹が——もう我慢の限界だった。

ガルドが目を覚まして、鍋を見て、目がまん丸になっている。

リーゼが顔を上げた。——あいつの目が、少しだけ動いた。

皿が並べられる。スプーンが配られる。

パンの籠も出てきた。焼きたてのパン。

「さ、食べ——」

魔王がぴたっと止まった。

俺たちの手を見ている。

「……ちょっと待ち」

「は?」

「あんたら手ぇ洗った?」

「はぁ!?」

何を言ってるんだ、こいつは。

「食べる前に手ぇ洗い! 基本中の基本やろ!」

「い、いや——俺は勇者——」

「勇者でも手は洗う!」

有無を言わさなかった。

魔王が三人の背中をぐいぐい押して、廊下の水場まで連れて行った。

抵抗する気力がなかった。腹が減りすぎていた。

気がつけば、三人並んで手を洗っていた。

ヴェルザが廊下の柱の影から覗いていた。

何かを堪えるような顔をしていた。

水場から戻ると、皿にシチューがよそわれていた。湯気が立っている。パンが添えてある。

「よし。ほな食べ——」

また止まった。

「——食すがよい(^^)」

魔王口調のつもりらしいが、「(^^)」の笑顔が台無しにしている。

俺たちは動かなかった。

「……毒でも入ってんのか」

言ってから、ちょっと後悔した。

魔王は少し困った顔をして、鍋から自分の皿にシチューをよそい、一口食べた。

「ほら。入ってない(^^)」

「…………」

リーゼが先に動いた。

スプーンを手に取り、シチューを一口すくい、口に入れた。

二秒。三秒。

「……おかわり、ある?」

一口で。一口でおかわりを要求した。

魔王がにっこり笑った。

「いっぱいあるよ(^^)」

ガルドが我慢できなくなったらしい。皿を手に取り、がふがふと食べ始めた。

目に涙が浮かんでいる。

「う、うまい……うまいです……」

「よしよし。いっぱい食べや(^^)」

ガルドがスプーンを握ったまま泣き始めた。

がふがふ食べながら、ぼろぼろ泣いている。

食べて泣いて食べて泣いて。もうぐちゃぐちゃだ。

「ぼ、僕……魔王を、倒しに来たのに……ごはん食べて……泣いて……す、すみません……」

「ええよええよ。泣きたい時は泣いたらええねん」

魔王が、ぽんぽん、とガルドの頭を撫でた。

190cmの大男の頭を。当たり前のように。

……くそ。

俺は舌打ちして、スプーンを手に取った。

一口。

「…………」

うまかった。

肉が柔らかい。芋がとろとろに溶けてる。野菜の甘みがスープに染み出て、体の奥まで温かくなる。

二口目。三口目。

止まらない。

気づいたら、皿の底が見えていた。

パンをちぎった。シチューの残りに浸して食べた。パンがスープを吸って、ふやけて、口の中で崩れる。

「……おかわり」

「はいはい(^^)」

べ、別に美味いとは言ってない。

腹が減ってたから食べただけだ。

でも——二杯目をよそってもらった時、手が震えた。

空腹のせいだ。それだけだ。

絶対にそれだけだ。


◆よしこ視点

レオンくん——意地張って少なめに食べてるフリしとるけど、パンは四つ食べとる。実質三杯分や。

リーゼちゃん——途中からスプーンのスピードが上がった。三杯。ええ食べっぷり。

ガルくん——五杯。泣きながら。よう食べる子や。

三人とも、食べ終わったらうとうとし始めた。

そらそうや。腹が膨れたら眠くなる。子どもはそういうもんや。

ヴェルザさんも一杯食べた。

「美味しゅうございます」と小さい声で言うたのを、わては聞き逃さへんかったで。

「ヴェルちゃん」

「……ヴェルザでございますが」

「この子ら寝かすとこある? 布団。ベッド。なんでもええけど」

「……客室であれば」

「ほな、そこ使おう」

「勇者を客室に泊めると?」

「子どもを床で寝かすわけにいかんやろ」

ヴェルザさんは何か言いたそうにしていたけど、結局「かしこまりました」と頭を下げた。

レオンくんが半分寝ながら言った。

「俺は……勇者だぞ……明日……倒す……」

「はいはい。明日な。おやすみ(^^)」

「…………すー」

寝た。3秒で。

リーゼちゃんはもう椅子で寝とった。

ガルくんは座ったまま壁にもたれて寝とった。

三人とも、ぐっすりや。

……ほんまに子どもやなぁ。

レオンくんの寝顔を見た。

起きてる時はあんなにぎらぎらしとるのに、寝たら年相応の子どもの顔やった。

左頬の傷跡が目に入る。古い傷。誰が手当てしたんやろ。——自分でやったんかな。

リーゼちゃんの手を見た。

ローブの袖から出た細い指。爪が短く切ってある。自分でちゃんと手入れしとる子や。ローブの破れを自分で繕った跡もある。器用な子やな。

ガルくんの寝顔。

体は190cmもあるのに、眉が下がったまま寝とる。怯えながら寝とるみたいや。夢の中でも誰かに怒られとるんかな。

「…………」

この子らを、「魔王を倒してこい」って送り出したやつがおるんやな。

ごはんも食べさせんと。

服もまともに与えんと。

「行ってこい」って。

……今はまだ怒らん。

今は、この子らが寝てるから。

「ヴェルザさん」

「はっ」

「毛布、ある?」

「……ございます」

「三枚持ってきてくれへん。——頼む」

ヴェルザさんが毛布を持ってきた。

三人にかけてやった。

ガルくんの眉が、少しだけ——ほんの少しだけ、下がったままやけど、柔らかくなった気がした。

さてと。

鍋、洗わなあかん。

明日の朝ごはんも考えなあかん。

——ほな、がんばりますかね(^^)


【あとがき】

最後まで読んでいただきありがとうございました。

第3話はこの作品の「核」です。

「まずお手て洗おうね」——このタイトルに、よしこの全部が詰まっていると思っています。敵が来た。武器を持っている。殺しに来たかもしれない。でもよしこが最初にやったのは「手を洗わせる」でした。

保育園では当たり前のことです。ごはんの前に手を洗う。それだけ。でもこの三人は、誰かに「手を洗いなさい」と言われたことがないんです。「ごはんできたよ」と呼ばれたことがない。温かいシチューを目の前に出されたことがない。

ガルドが食べながら泣くシーンを書いている時、自分も少し泣きました。「うまいです」じゃなくて「僕、魔王を倒しに来たのに」と謝るんです。ごはんを食べて泣いて、それを「すみません」と謝る子ども。——誰がこの子をこんなふうにしたんだ、とよしこが思ったはずのことを、読者の皆さんにも感じていただけたら嬉しいです。

レオンは泣きません。泣けないんです。まだ。でも二杯目をよそってもらった時に手が震えた、とだけ書きました。レオンが泣ける日が来るまで、もう少しかかります。

次回、魔王城の朝。よしこが「おはよう」と言います。——たったそれだけのことが、この三人には初めてなんです。

ブックマーク・評価・感想をいただけると、よしこと一緒に泣いて喜びます(^^)

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