◆ガルド視点
魔王城で目覚めて、二日目の朝。
ベッドがふかふかだった。
毛布が温かかった。
枕があった。——枕なんて、初めて使った。
ここに来るまで、僕たちはずっと野宿だった。
硬い地面に寝て、マントを毛布にして、背中合わせで寝た。レオンがいつも外側で、僕が真ん中で、リーゼさんが内側。レオンは「見張りだ」と言っていたけど、本当は一番寒い位置を選んでいたのだと思う。
でもここでは、一人にベッド一つ。
毛布は二枚。
朝になると——
「おはよう(^^) よう寝たなぁ」
魔王さまが、部屋の扉を開けて覗いている。
「顔洗っておいで。朝ごはんできてるで」
毎朝。
毎朝、魔王さまが起こしに来てくれる。
「おはよう」って。
僕は、誰かに「おはよう」って言われたのは、いつ以来だろう。
農村にいた頃は——お母さんが言ってくれていた気がする。でも教会に連れていかれてからは、起床は鐘の音だった。
「……おはようございます」
「ええ返事や(^^)」
えへへ。
◆よしこ視点
二日目。
朝ごはんを食べ終わって、午前中の家事をやって、昼ごはんも終わった。
さて。
「ヴェルザさん」
「はっ」
「おやつの時間作ろう思うんやけど」
「…………おやつ、でございますか」
「うん。午後3時くらいに。ちょっと甘いもん食べて、お茶飲んで、休憩する時間」
ヴェルザさんの眉がぴくぴくした。最近この人の眉はずっとぴくぴくしとる。
「……魔王軍に、おやつの時間は前例が——」
「ないやろな。作るねん(^^)」
「…………」
「子どもにはおやつが必要なんよ。三食だけやと栄養が足りひん。特にあの三人、痩せすぎやから間食で補わなあかん」
「……魔王様。勇者たちは敵で——」
「敵でも子どもはおやつがいるの。——それに、ヴェルちゃんとこの兵隊さんたちも疲れた顔しとるやろ。甘いもんは疲れに効くで」
ヴェルザさんが口を開けて、閉じて、もう一回開けて、閉じた。
「……かしこまりました」
うん。ヴェルザさんの「かしこまりました」、昨日から何回聞いたかな。30回は超えたな。
厨房に向かった。
蜂蜜がある。これはええもん見つけた。
小麦粉もある。バターに近いものもある。卵もある。
ビスケットを焼こう。
シンプルなやつ。蜂蜜を少し入れて、ほんのり甘いやつ。保育園で何百回と焼いたレシピや。
ついでに蜂蜜飴も作ろう。蜂蜜を煮詰めて、固めて、小さく切る。これは大阪のおばちゃんの必需品——飴ちゃんの代わりや。
かまどに火を入れる。
生地をこねる。型で抜く。天板に並べる。
——この作業が好きなんよなぁ。無心になれる。
焼き上がり。
ちょっと形が不揃い。でもそれがええねん。手作りの味や。
大広間にテーブルを出した。ビスケットを山盛りにした皿と、蜂蜜飴を小さな器に盛って、お茶を淹れた。
「——おやつの時間やで(^^)」
◆ヴェルザ視点
魔王城に、おやつの時間が導入された。
正確に言えば、魔王様が大広間のテーブルにビスケットを山盛りにして「食べや(^^)」と宣言なさったのだ。
勇者パーティの三名が集まった。
ガルドが真っ先に飛びついた。
「わぁ……ビスケット……!」
甘い匂い。バターと蜂蜜の匂い。
——知ってる。この匂い。
農村にいた頃、お母さんが、かまどで焼いてくれた。小麦粉を練って、蜂蜜を少し入れて、ちょっと焦げた丸いやつ。名前なんて知らない。でも、「ガルドのおやつ」って呼んでた。
教会に連れていかれてから、二度と食べられなかった。
「僕、食べていいんですか?」
「もちろんやで(^^)」
「えへへ……えへへ……」
あの巨体が「えへへ」と言いながらビスケットを頬張る光景は、なかなかに異様だ。
リーゼが一枚手に取り、端を齧った。
二秒。
「……バター。蜂蜜。小麦。……卵」
もう一枚手に取った。
レオンは腕を組んで壁に寄りかかっていた。
「べ、別に……腹減ってねーし」
言いながら、ちらちらとビスケットの皿を見ている。
「レオンくんの分もあるで」
「……くんって言うな。誰だよレオンくんって」
「あ。——勇者よ、汝の分もあるぞ」
「急に変えんな! ……ったく」
レオンが舌打ちしながらビスケットを一枚取った。
齧った。
黙った。
もう一枚取った。
……なるほど。彼の「別に」は信用しないほうがよいようだ。
問題は——
「あの……ヴェルザ殿」
兵のひとりが、おそるおそる近づいてきた。
「……何だ」
「その……匂いが、ここまで来ておりまして……」
見れば、大広間の入り口に兵たちが数名、顔を覗かせている。
全員、ビスケットの匂いに釣られて来たのだ。
「ヴェルちゃん、あの子らも呼んだり(^^)」
「……魔王様。兵にビスケットを配るのは、魔王の威厳に——」
「えー、みんなで食べたほうが美味しいやん」
「…………」
「——配ってやれ、ヴェルザよ」
魔王口調。もう騙されない。
「……かしこまりました」
兵たちにビスケットが配られた。
魔王軍の精鋭たちが、甘い焼き菓子を頬張っている。
中には尻尾を振っている者までいる。……魔族に尻尾があったのか。
「ヴェルちゃんも食べ(^^)」
「……私は——」
「はい」
目の前に蜂蜜飴を差し出された。
小さな、琥珀色の飴。
「この世界に飴ちゃんがないから、蜂蜜で作ってん。はい、どうぞ」
「…………」
四天王筆頭が、魔王から飴を受け取る。
口に入れた。
甘い。
蜂蜜の、素朴な甘さが口の中にじわっと広がる。
「……美味しゅう——」
止めた。三日前にも同じことを言った。四天王筆頭として、これ以上は——
「ございます」
言ってしまった。
魔王が嬉しそうに笑った。
またあの——威厳のない笑顔だった。
「えへへ……このビスケット、甘くて……僕、こういうの初めて食べました……よし——魔王さま」
ガルドが五枚目を食べながら泣いている。
——今、「よしこさん」と言いかけなかったか。
この少年は食べるたびに泣くのか。
リーゼは黙々と食べ続けている。七枚。そろそろ皿の半分を一人で食べている。
——先ほど、一枚目を齧った時。あの無表情の少女が、素材を口の中で分析するように呟いていた。「バター。蜂蜜。小麦。卵」と。分析魔法の癖なのだろうが、あの瞬間だけ、目が少し光っていた。
レオンは壁に寄りかかったまま「べ、別に」と言いながら四枚目を齧っている。
大広間には、ビスケットの甘い匂いと、お茶の香りが満ちていた。
勇者と魔王と魔族の兵が、同じテーブルのビスケットを食べている。
——何を見せられているのだろうか。
三百年仕えてきたが、こんな光景は初めてだ。
先代魔王は、食事は一人で摂り、酒は冷酒のみ、菓子など見たこともなかった。
だが。
周りを見ると、兵たちの顔が——柔らかくなっている。
勇者の少年たちも、さっきまでのような緊張した顔をしていない。
ビスケット一枚で、空気が変わった。
……ビスケットで空気が変わるなど、軍事書のどこにも書いていない。
「ヴェルちゃん、もう一個いる?」
「……ヴェルザです。——いただきます」
【あとがき】
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第4話は「おやつの時間」です。
保育園では午後3時のおやつは当たり前です。手作りビスケットを焼いて、みんなで「いただきます」をして、食べて、「ごちそうさま」をする。よしこはそれを魔王城でもやっているだけなんですが、それが前代未聞の出来事になるのがこの世界のおかしさであり、切なさでもあります。
ヴェルザの「何を見せられているのだろうか」は、彼の代名詞的なモノローグです。300年仕えてきた忠臣が、ビスケットで空気が変わる現場に立ち会っている。「軍事書のどこにも書いていない」——そりゃそうです。でも、よしこの保育日誌には書いてあるんです。「おやつの時間に子どもの表情が一番柔らかくなった」って。
ガルドは食べるたびに泣きます。レオンは食べるたびに「別に」と言います。リーゼは黙って枚数が増えます。三人の「食べ方」がそのまま性格なのが、書いていて楽しかったです。
次回、レオンが逃げます。そしてよしこの「廊下は走らない!」が炸裂します。
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