S08-P01 魔王(よしこ62歳)と勇者パーティ

第5話: 廊下は走らない

第1アーク · 3,372文字 · draft

◆レオン視点

四日目の夜。

目が覚えた。

ベッドの中で天井を見る。石造りの天井。松明の明かりが揺れている。

ここは魔王城だ。

俺は勇者だ。

——なのに、三日間、ごはんを食べて、ベッドで寝て、おやつまで食べた。

なんなんだよ。

魔王は毎朝「おはよう」と言ってくる。

「ごはんできてるで」と言ってくる。

「よう頑張ったなぁ」と言ってくる。

「廊下走ったらあかんで」と言ってくる。

——誰にもそんなこと、言われたことない。

孤児院では、自分で起きろ。自分で食え。自分で生きろ。

ストリートでは、もっと単純だった。食えなきゃ死ぬ。

教会に勇者に選ばれた時、嬉しかった。

やっと俺にも「意味」ができたと思った。

でも教会がくれたのは聖剣と「行ってこい」の一言だけで、路銀もろくにもらえなかった。

——それでも、「勇者」は俺の居場所だった。

唯一の。

なのに。

この城に来て、ごはんを食べて、ベッドで寝て、「おはよう」を言われるたびに——

ぐらつく。

「勇者」の看板が。

魔王を倒すっていう、俺の唯一の存在意義が。

——ここにいたら、ダメだ。

俺は静かにベッドから抜け出した。

剣を取る。

鞘に収めたまま背中に差す。

廊下に出る。

深夜。誰もいない。

正門は……わからない。入ってきた方向を思い出す。右。突き当たりを左。

静かに歩く。足音を殺す。

……なんだろう。この感覚。

逃げるのに、後ろめたい。

べつに悪いことなんてしてない。ここは敵の城だ。逃げて当たり前だ。

なのに——

リーゼとガルドの顔が浮かんだ。

あいつらは——起きたら俺がいないことに気づく。

……大丈夫だ。あいつらにはごはんが出る。ベッドもある。毛布もある。

俺がいなくても——

足を速めた。

角を曲がった。長い廊下。正門に続く通路。

走った。


◆よしこ視点

夜中にふと目が覚めた。

なんやろ。なんか気になる。

保育士を40年やっとると、「子どもが起きた」気配がわかるようになる。理屈やない。体が覚えとるねん。

廊下に出た。

レオンくんの部屋の前を通った。

——扉が開いとる。

中を覗く。ベッドは空。

あぁ。

逃げたか。

まぁ、そうやろな。

あの子は「勇者」の看板にしがみつかないと生きていけないと思っとる。ここにおったらその看板が揺らぐから、怖いんや。

保育園でもおったわ。転園してきた初日に脱走する子。新しい場所が怖いんやない。新しい場所が「心地いい」のが怖いねん。

さて、どこ行ったかな。

正門の方やろな。男の子は大体そっちに行く。

廊下を歩く。

——あ。

見えた。長い廊下の奥を、走っとる背中。赤い髪。

走っとる。

……走っとる?

廊下を?

「——レオンくん!」

声が出た。

声と一緒に——

「廊下は走らない!!」

——なんか出た。

体の中から、ばん、って。

衝撃波みたいなもんが、廊下にどーんと広がった。

松明の炎が全部消えた。壁が震えた。石の床にひびが入った。

レオンくんが吹っ飛んだ。

廊下の端まで転がっていった。

「…………え」

何。今の何。

わての体から出た……? あの衝撃。

「な、なんやこれ……」

手を見る。何も変わらない。角もそのまま。

でも確かに、「廊下は走らない!」って叫んだ瞬間に、体の中からどかんって。

「…………」

……いや、今それはええわ。レオンくん。

走った——あっ。廊下走ったらあかん。

早歩きで向かった。

レオンくんが廊下の端で仰向けに倒れとった。

気絶——してない。目が開いとる。天井を見上げとる。

「……何だよ、今の……」

「大丈夫? 怪我してへん?」

しゃがんで覗き込んだ。

頭を打ってないか確認。外傷なし。瞳孔も正常。

「……離せよ……」

「怪我してへんならええけど。——あんた、なんで逃げるん」

「…………」

レオンくんが目を逸らした。

「……勇者だからだよ」

「うん」

「魔王を倒すのが、俺の仕事だ」

「うん」

「だから——ここにいちゃ、ダメなんだ」

声が震えとった。

「…………」

わてはしばらく黙っとった。

この子は、嘘をついてない。嘘をついてないからこそ、辛いんや。

「勇者」を手放したら、自分が何者かわからなくなる。それが怖い。

保育園でもおった。「いい子でいなきゃ」って自分を縛る子。看板を手放せない子。

叱ることもできる。

でも今は——

「レオンくん」

「……くんって言うな」

「今日の夕ごはん、煮込みハンバーグにしようと思うんやけど」

「……は?」

「お肉こねるの手伝ってくれへん? 力仕事やねん」

「…………は?」

「一人でこねるん大変やねん。あの鍋でっかいから量も多いし」

レオンくんが仰向けのまま、信じられないものを見る目でこっちを見た。

「……今、そういう話じゃ——」

「そういう話や(^^) 晩ごはんの話。大事な話やで」

「…………」

「逃げるんは明日でもできるやろ。ごはんは今日食べなあかん」

「…………」

レオンくんがしばらく天井を見ていた。

それから——

「……ハンバーグって、なんだよ」

「お肉をこねて丸めて焼くやつ。美味いで」

「…………」

長い沈黙。

「……手伝うとは、言ってねぇからな」

「うん(^^)」

「べ、別に……腹が減ってるだけだ」

「うんうん(^^)」

レオンくんが、のろのろと起き上がった。

よし。

今日のところは、これでええ。

この子は、まだ「逃げたい」と思っとる。それでええ。無理に引き留めたらあかん。

でも、ごはんがある間は、ここにおる理由になる。

——ごはんは、そういうもんや。


◆レオン視点

朝になって、リーゼとガルドが廊下ですれ違った。

「……レオンの部屋、空だった」

「え……レオン、どこに——」

「……厨房。魔王と一緒に肉をこねてる」

「…………え?」

「……私にもわからない」

俺は結局、肉をこねた。

魔王が「こうやって、ぐっと」と手を動かして見せるから、同じようにやった。

肉の塊を手でぐちゃぐちゃにこねるのは、剣を振るのとは全然違う感触だった。

「うまいやん(^^) 力あるなぁ。さすが勇者」

「……褒めんな」

なんで俺は魔王の城で肉をこねてるんだ。

意味がわからない。

ハンバーグとかいうものが焼き上がった。

肉汁がじゅわっと出て、ソースがかかって、付け合わせに芋がある。

一口食べた。

「…………」

うまい。

悔しいくらいうまい。

「おいしい?」

「…………」

「レオンくん」

「……べ、別に」

「ふふ(^^)」

笑うな。笑うなって。

——隣でガルドが「うわぁぁぁ美味しいです」と泣いていた。こいつほんとに食べるたびに泣くな。「レオンも食べてる……えへへ……みんなで食べると美味しい……」——俺は食べてるだけだ。泣くな。

ガルドが小声で「レオン、これ、お母さんが作ってくれたのに似てる……」と言った。こいつの家の話は、聞いたことがなかった。

リーゼは二個目を黙々と食べている。「……この肉、こねた人の手の温度が移ってる」と小さく呟いた。何を言ってるんだ。

ヴェルザが「美味しゅうございます」と小声で言っていた。

五人で食卓を囲んでいる。

勇者と魔王と四天王が、同じハンバーグを食べている。

おかしい。

全部おかしい。

でも——

今夜は、逃げなくていいかと思った。

ハンバーグがうまかったから。

それだけだ。

……それだけだからな。


【あとがき】

最後まで読んでいただきありがとうございました。

第5話はレオンの話です。

レオンは逃げました。「ここにいちゃダメだ」——それは嘘じゃない。彼にとって「勇者」は唯一の居場所で、唯一の存在意義です。その看板が揺らぐのが怖いから逃げた。でも、ごはんが怖くて逃げたんじゃないんです。ごはんが「美味しい」のが怖かったんです。居心地がいいのが怖い。それは「いつか失う」と知っているから。

よしこは追いかけませんでした。追いかけたら逃げるから。代わりに「ハンバーグ手伝って」と言いました。保育園で脱走する子への対処法と同じです。捕まえない。引き留めない。「ごはんあるけど、食べる?」と聞く。子どもは、ごはんがある場所には戻ってくるんです。

よしこの魔力暴発、第1号です。「廊下は走らない!」で衝撃波。——本人が一番びっくりしています。魔力の暴発は感情がトリガーなんですが、よしこの場合「保育士としての反射」が感情を呼ぶので、結果的に保育の注意が必殺技になるという。怒ったんじゃないんです。40年の条件反射なんです。

次回、レオンに字を教え始めます。「字、読めへんの?」——その一言がレオンの人生を変えます。

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