◆カイン視点
最悪を、覚悟していた。
荒野を三日、越えた。
夏の盛りは過ぎたはずだが、荒野の日差しは依然として容赦がない。
部下十名。全員、腕の立つ精鋭。聖騎士団の中でも選りすぐりだ。
——それでも。魔王城を前にして、足が竦まない者はいない。
「副長殿」
隣を歩くベルク——部下の中で最も冷静な男——が声を抑えて言った。
「城が見えます」
「……ああ」
黒い尖塔。禍々しい城壁。荒野の果てに聳え立つ魔王の居城。
報告書で読んだ通りの外観だ。
先代魔王の時代から、幾度となく騎士団が挑み、帰還した者はいない。
——勇者パーティも、おそらく。
ここで全滅したのだろう。三人の子どもが。十七歳の少年を筆頭に、十六歳と十八歳の——子どもが。
任務は安否確認。
だが、生存の可能性は限りなく低い。
遺品の回収が本当の目的だと——上層部が考えていることくらい、わかっている。
「陣形を維持しろ。先頭に出るな。私が前に立つ」
「了解」
甲冑の擦れる音。剣帯の金具が鳴る。
十人が一つの塊になって、魔王城の門に向かう。
——門が。
開いている。
「…………」
城門が——開いていた。
閉じていない。罠でもなく、威嚇でもなく。
ただ、開いている。
まるで——客を迎えるように。
「副長殿、門が——」
「見えている」
剣に手をかけた。
部下たちも構える。
門の向こうに——人影が立っていた。
◆カイン視点(続き)
長身。白髪。
整えられた軍服。金色の瞳。
——魔族だ。
間違いない。纏っている気配が人間のそれではない。三百年級の存在が放つ、静かな威圧。
「ようこそ、魔王城へ」
その魔族が——深く、礼をした。
「四天王筆頭ヴェルザと申します。調査隊の皆様をお待ちしておりました」
「…………」
待っていた?
情報が漏れていたのか——いや、索敵は当然だろう。荒野を三日も歩けば、気づかぬ方がおかしい。
問題はそこではない。
「……迎撃ではなく——出迎えか」
「左様でございます」
四天王筆頭が、微かに——微かに——口角を上げた。
笑ったのか? いや、これは——
「我が主、魔王様がお待ちです。どうぞ、中へ」
「……罠ではないのか」
「ご安心ください。武装のままで結構です。——ただし」
ヴェルザの金色の目が、静かに光った。
「暴れた場合は、相応の対処をいたします」
「…………」
軍人の目だ。
私と同じ——主君に仕える軍人の目。
嘘はない。罠もない。だが油断もさせない。
そういう目だ。
「……わかった。入る」
「こちらへ」
ヴェルザに先導され、城の中に入る。
部下たちが警戒しながら続く。
——城の中は。
「…………」
清潔だった。
床が磨かれている。壁に燭台が灯っている。
窓から光が差し込んでいる。
——花の香りがする。どこかで花を飾っているのか。
天井近くに、淡い光が揺れている。魔法の飾りだろうか。
禍々しさが——ない。
報告書に記載されていた「暗黒の居城」の面影が、どこにもない。
「副長殿……ここは、本当に魔王城ですか」
「……黙って歩け」
ヴェルザが大きな扉の前で立ち止まった。
「大食堂でございます」
扉が開いた。
——匂い。
肉が焼ける匂い。パンの匂い。濃厚なシチューの匂い。
大食堂——天井の高い、広い空間。
テーブルに白いクロスが敷かれ、皿が並び、湯気を上げる料理が所狭しと置かれている。
シチュー。山盛りのパン。焼き肉。サラダ。
——二十人分以上の料理が、テーブルの上に並んでいた。
その、食卓の奥に。
「——いらっしゃい(^^)」
声が響いた。
銀髪。赤い瞳。見た目は若い——だが、纏っている魔力の質が、この城の誰よりも深い。
——魔王。
魔王が。
満面の笑みで。
両手を広げて立っていた。
「遠くから来てくれはったんやろ? 荒野越えて、三日もかけて。大変やったなぁ」
「…………」
——は?
「お疲れさま。ごはんあるで(^^) 座って座って」
魔王が——椅子を引いている。
調査隊のために。
魔王が、椅子を引いている。
「副長殿……」
「……待て。整理させてくれ」
「整理も何も、副長殿。魔王が椅子を引いてくれています」
「それは見ればわかる」
「報告書に何と書けば——」
「今は黙れ」
私は魔王の前に立った。
銀髪の魔王は——近くで見ると、目尻に柔らかい皺が寄っている。微笑む時にできる種類の皺だ。
戦闘者の目ではない。
この目は——なんだ。
「王命により、騎士団副長カイン以下十名、勇者パーティの安否確認のため参上いたしました」
「おお、ご丁寧にどうも(^^) わたくしが魔王です」
頭を下げた——私ではなく、魔王が。
「長旅やったやろ。まず食べてや。話はそれからでええから(^^)」
「——話は食事の後に、と」
「せやで。お腹空いてるやろ? ほれ、シチューあるで。ガルくんが朝から仕込んでくれたんや。美味しいんやでこれが」
魔王が——嬉しそうに鍋を指差した。
「……あ、ああ——あのっ、す、すみません! まだ少し煮込みが足りなくて——!」
奥の方から、エプロン姿の大柄な少年が駆けてきた。
十八歳前後。人間の——少年。
勇者パーティの一人。戦士ガルドか。
——生きている。
「あ、あの、シチューはもう少しだけ待ってください……! パンは焼きたてです、先にどうぞ……!」
「ガルくん、大丈夫やで(^^) 十分美味しいから」
「で、でも——!」
「ええから、ええから(^^)」
魔王が——ガルドの頭をぽんぽんと撫でた。
魔王が。勇者パーティの戦士の頭を。撫でている。
「副長殿」
「黙れ」
「報告書に——」
「黙れと言っている」
私は——甲冑のまま、椅子に座った。
他に、何ができた。
「ほな皆さんもどうぞ(^^) 遠慮せんでええからな」
部下たちが、困惑したまま席に着く。
テーブルの端に、巨大な赤髪の魔族が腕を組んで立っている。
——あれも四天王か。殺気は感じないが、威圧が凄まじい。
反対側に、扇子を手にした女性の魔族。こちらは笑顔だが——目が笑っていない。いや、少し笑っているか? 判別がつかない。
天井近くに——子どもが浮いている。
羽根のある子どもが。こちらを見て手を振っている。
「いらっしゃーい!」
子どもの声が大食堂に反響した。
「ピプ、降りてきなさい(^^) ご飯の時は座って食べるんやで」
「はーい!」
——限界だ。
情報が多すぎる。
処理が追いつかない。
目の前に——シチューが置かれた。
皿から湯気が立ち上っている。
肉と野菜がごろごろと入った、濃厚なシチュー。
その横に、焼きたてのパン。
温かい。手に取ると、ふわりと柔らかい。
「……いただきます」
食べた。
「…………」
——美味い。
体の芯まで染み込むような、温かい味だ。
三日間、荒野で干し肉と堅パンしか食べていなかった体に、この温かさが——
「美味しいやろ?(^^) ガルくん、お客さんも美味しい言うてるで!」
「ほ、本当ですか……! えへへ……」
エプロンの少年が——嬉しそうに笑った。
部下たちが——黙々と食べている。
全員が、黙って食べている。
警戒を忘れたわけではない。だが——空腹には勝てなかった。
私も——二口目を食べた。三口目。
パンをシチューに浸して食べた。
……美味い。
「おかわりあるからな(^^) 遠慮せんでええで」
隣で、あの巨大な赤髪の魔族が——ビスケットを齧っていた。
ものすごく美味そうに齧っていた。
「……副長殿」
「……なんだ」
「報告書ですが」
「……ああ」
「『魔王城に到着。歓迎の宴にて食事を供される。シチューは美味であった』——と書いてよろしいでしょうか」
「…………」
まだ一行目も書けていない。
こんな報告書、誰が信じるというのだ。
◆よしこ視点
お客さんが来た(^^)
疲れとる。顔に出とる。
甲冑の男の人たち。若い子もおる。全員、目の下にクマがある。ろくに寝てへんのやろ。荒野の三日間、野宿やもんな。
——ほんまに、ご苦労さんやで。
シチューを配った。パンも配った。焼き肉も出した。
ガルくんが朝から頑張ってくれたんや。美味しくないわけがない。
隊長さん——カインさんいう名前らしい——が、硬い顔でシチューを食べとる。
でも——二口目を食べた時、一瞬だけ目が緩んだ。
わてにはわかる。
四十年、子どもの表情を見てきたからな。
あの顔は「美味しい」の顔や。
隊員さんたちも食べとる。おかわりしとる子もおる。ええぞええぞ。
レオンくんが——テーブルの端で、黙ってパンを食べとる。
目が合った。すぐ逸らされた。
……そうやな。この子らにとっては、「迎えに来た人」やもんな。
リーゼちゃんは静かにスープを飲んどる。表情は変わらへん。でも、いつもより匙を動かす速度が遅い。考え事しとるんやな。
「魔王様」
ヴェルちゃんが近づいてきた。小声で。
「調査隊の武装は確認済みです。隊長カイン殿は聖剣ではなく通常の騎士剣。聖術の使い手は二名。——万が一の場合は、私とドルガ殿で」
「ヴェルちゃん、心配性やなぁ(^^)」
「ヴェルザです。そして心配性ではなく——」
「用心深い、やろ(^^) 知ってるで」
「…………」
ヴェルちゃんが小さく溜息をついた。本日一回目。
「——お任せください」
「うん(^^) 頼りにしてるで、ヴェルちゃん」
「ヴェルザです」
本日二回目。
大食堂に——笑い声が混じり始めた。
隊員さんの一人がおかわりを頼んどる。ガルくんが慌てて鍋からよそっとる。
ピプが隊員さんの甲冑に興味津々で「これなに? かたい!」って触っとる。隊員さんが困っとる。
ドルガくんが壁際で腕を組んどる。威圧しとるんやけど——手元にはビスケット。
メルちゃんが扇子の陰から隊員さんたちを観察しとる。あの子はああやって情報を集めるんやな。
ティアちゃんがお茶を配っとる。尻尾がピーンってなっとる。緊張しとるけど、ちゃんとお客さんにお茶出せとる。
「あの……お茶、いかがですか……」
「あ、ああ……ありがとう」
隊員さんが尻尾を二度見しとる。そらそうやな。犬の尻尾ついた女の子にお茶出されたら、びっくりするわな。
「……副長殿」
「……なんだ」
「あの侍女に尻尾が——」
「見ればわかる。報告書には書くな」
「了解であります。……書く内容が、そもそも——」
「黙って食え」
ふふ(^^)
カインさんは——ええ人やな。部下を大事にしとる。指示が的確やし、周囲をよく見とる。
でも、疲れとる。この人も——ちゃんと寝てへんし、ちゃんと食べてへんやろ。
「カインさん(^^)」
「——カイン、で結構です」
「カインさん(^^) おかわりどうぞ」
シチューの皿を差し出した。
「……いえ、結構——」
「遠慮せんでええよ。まだたくさんあるから(^^)」
「…………」
カインさんの目が——一瞬、揺れた。
ほんの一瞬やけど。
その目を、わては知っとる。
保育園で何度も見た目や。
お迎えが遅くなった子。一人でお弁当を食べてた子。
——「食べていいの?」って聞く目。
「どうぞ(^^)」
「…………いただきます」
カインさんが——おかわりのシチューを、食べた。
うん。
ええ子やな、この人も。
ちゃんと「いただきます」が言える人は、ええ人や(^^)
【あとがき】
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第25話「調査隊、来る」。Arc3「魔王と勇者の遠足」のスタートです。
カインという新しいキャラクターが登場しました。この人の役割は「読者の目」です。ヴェルザもレオンも、もう魔王城の日常に慣れてしまった。だから「これ、普通じゃないからね?」とツッコんでくれる常識人が必要でした。
カインが覚悟していたのは、勇者全滅の報。遺品の回収。三人の子どもの死の確認。
目の前にあったのは——シチューとパンと焼き肉。そして「いらっしゃい(^^)」と微笑む魔王。
カインの部下が「報告書に何と……」と困っているのは、この先ずっと続くギャグです。何を書いても上層部に信じてもらえない内容になるので。
よしこは、カインの目に「食べていいの?」を見ました。四十年間、子どもの表情を見てきた人は、大人の中にいる子どもにも気づきます。
次回、第26話「勇者は生きていた」。翌朝、調査隊が目にするのは——魔王と勇者が並んで朝食を食べている光景。カインがレオンに「帰還せよ」と告げます。
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