S08-P01 魔王(よしこ62歳)と勇者パーティ

第27話: 帰りたくない

第3アーク · 3,938文字 · draft

◆レオン視点

朝食の後。

みんながそれぞれ動き出した頃、俺はリーゼとガルドを呼んだ。

「——ちょっと来い」

行き先は決めていなかった。ただ、誰にも聞かれない場所がよかった。

よしこの耳に入らない場所。ヴェルザにも。カインにも。

結局、城の西棟の空き部屋に入った。

使われていない客間。埃っぽい空気。窓から朝の光が差し込んでいるけど、どこか薄暗い。窓の外で、荒野の乾いた風が鳴っている。

「……で?」

リーゼが壁に寄りかかって、腕を組んだ。

いつもの顔。何も読めない目。

「あ、あの……レオン、どうしたの? 急に……」

ガルドが部屋をきょろきょろ見回している。図体がでかいから、空き部屋が狭く見える。

「……」

俺は窓際に立った。

石の窓枠に手を置いた。冷たい。

——昨日のカインの言葉が、まだ耳に残っている。

『帰還せよ』。

軍人の声。命令の声。

あれは「お願い」じゃない。「帰れ」だ。

「……お前ら、聞いただろ」

「……カイン隊長の話?」

リーゼが小さく頷いた。

「……聞いた」

「ぼ、僕も……聞きました……」

ガルドの声が震えている。こいつは嘘がつけない。体がでかいくせに、感情が全部顔に出る。

沈黙。

埃が光の中を漂っている。

「——帰りたくねぇ」

言った。

リーゼとガルドの方を向いて、はっきりと。

前に——よしこに言ったことがある。中庭のベンチで、二人きりの時に。

でもあれは、ほとんど独り言だった。力の抜けた声で、自分でも信じてないみたいに。

今は違う。

「俺は、帰りたくねぇ」

声が、思ったより大きかった。

空き部屋に響いた。埃が揺れた気がした。

「王都に帰って、また教会の犬やるなんてごめんだ。——お前らだってそうだろ」


◆リーゼ視点

レオンが、こっちを見ている。

緑の目。いつもは怒っているか、照れているか、どちらかの目。

今日は——どちらでもなかった。

まっすぐだった。

「……」

私は壁に寄りかかったまま、腕を組んだ手にわずかに力を込めた。

帰りたくない。

レオンが、それを言った。

——知ってた。

この人がそう思っていることは、とっくに知っていた。

あの日、中庭のベンチで、よしこと話していたのを見た。遠くからだったけど——レオンの背中が震えていたのは、見えた。

でも、私たちの前で口にしたのは——これが初めてだ。

「……私も」

言った。

思ったより簡単に出た。

「……私も、帰りたくない」

ガルドが息を飲んだ。

レオンが——少し、目を見開いた。

「……ここのごはんが美味しいから、じゃない。——それだけじゃない」

自分でも驚くくらい、言葉が出てくる。

普段は言わない。聞かれても「……別に」で済ませる。

でも今は——言わなきゃいけない気がした。

「王都に戻ったら、私はまた『勇者パーティの魔法使い』に戻る。教会に報告書を書かされて、次の作戦を渡されて——」

「……リーゼさん」

「——私は、あそこでは道具だった」

ガルドが黙った。

レオンも。

「分析魔法が使えるから、パーティに入れられた。私個人に価値があったんじゃない。能力に値札がついていただけ」

「……」

「……ここでは、違う」

声が——少し、掠れた。

「ここでは、よしこが……あの人が、名前で呼ぶ」

リーゼちゃん、って。

(^^)をつけて。

魔法使いでも、分析担当でも、没落貴族の娘でもなく。

ただ「リーゼちゃん」と。

「……だから、帰りたくない」

天井を見上げた。

埃っぽい空気。薄い光。

「……でも」

ここからが、本題だ。

「帰りたくないけど——帰らなきゃいけない理由がある」

レオンが舌打ちした。

わかっているから、舌打ちするのだ。この人は。

「……勇者の肩書きがなくなったら、私たちは何者でもない。レオンは孤児。私は没落貴族の娘。ガルドは——」

「……徴兵された農家の子」

ガルドが、小さく言った。

「勇者パーティという枠から出たら、私たちには何も残らない。身分も、住む場所も、食べていく手段も」

それが、現実。


◆ガルド視点

僕は——泣いていた。

いつの間にか。

リーゼさんの話を聞いていたら、涙が出ていた。

「お、おい、ガルド……」

「ご、ごめん……ごめんね……」

手の甲で涙を拭く。でも、止まらない。

「な、泣くなよ……」

「だ、だって……リーゼさんの言う通りだから……」

勇者パーティを辞めたら、僕には何もない。

村に帰っても——あの村にはもう僕の畑はない。教会に「戦士適性あり」って言われて、半ば連れていかれたんだ。帰る場所なんて、最初からなかった。

「僕も……帰りたくない……」

声がぐしゃぐしゃだ。情けない。190センチもあるのに。

「ここが好きなんだ……台所が好きで……ハーブの世話が好きで……ガルくんって呼ばれるのが……」

「……」

「魔王さまが、『ガルくん、今日のごはん何にする?(^^)』って聞いてくれるの……あれが、すごく……」

嬉しかった。

毎朝、嬉しかった。

「僕は戦えない。剣も振れない。盾も重くて持てない。——でもここなら、料理ができる。パンが焼ける。スープが作れる。みんなが『美味しい』って言ってくれる」

「……ガルド」

「僕にとって、ここが——」

言葉が詰まった。

涙で、声が出ない。

レオンが——溜息をついた。

でも、いつもの苛立った溜息じゃなかった。

「……わかってんだよ、そんなこと」

「え……」

「俺だって同じだ。字を覚えて、剣の稽古つけてもらって、ハンバーグ四個食って——」

レオンが窓の外を見た。

「ここが居心地いいなんて、んなもん、最初からわかってんだよ」

「……」

「問題はそこじゃねぇ」

レオンが振り返った。

「帰りたくねぇ。でも——カインの命令は王国の命令だ。無視したら、俺たちは逃亡者になる」

「……そう。勇者が魔王城に居座ったとなれば——教会は次の勇者を送ってくる。今度は討伐じゃなく、私たちの排除も含めて」

リーゼさんの声は冷静だった。泣いていない。この人はいつも冷静だ。

「……つまり、このまま残ったら、みんなに迷惑がかかる」

「……」

沈黙。

長い沈黙。

窓の外で、鳥が鳴いた。

——僕は、鼻をすすった。

「……でも」

「ん?」

「僕は……答えを出さなきゃいけないのは、わかってる。でも……今すぐじゃなくてもいいよね……?」

「……」

「だって、レオンが言ったんだよ。帰りたくないって。リーゼさんも言った。僕も言った。——三人とも、同じ気持ちだってわかっただけで……今は、それでいいんじゃないかな」

レオンが——口を開けた。

何か言おうとして——やめた。

リーゼさんが、かすかに唇を動かした。

笑った——のかもしれない。この人の笑顔は小さすぎて、いつも見逃しそうになる。

「……ガルドにしては、まともなこと言うじゃねぇか」

「え、えへへ……」

「……同意。今日は、ここまででいい」

リーゼさんが壁から背を離した。

「……ただ、時間はない。カインがいつまで待ってくれるかわからない」

「……ああ」

レオンが頷いた。

「でも——三人で決める。一人で抱え込むのは、なしだ」

「……」

レオンがこっちを見た。リーゼさんを見た。

「約束しろ。勝手に決めるな。三人で決める」

「……わかった」

「は、はい……!」

それだけだった。

大した約束じゃないのかもしれない。

でも——三人が同じ部屋で、同じ言葉を言った。

帰りたくない、って。

それだけで——胸の奥が、少しだけ軽くなった。


空き部屋を出た。

廊下は明るかった。朝の光が石壁を白く照らしている。

レオンが先に歩いていく。いつもの背中。ぶっきらぼうな歩き方。

リーゼさんは黙って隣を歩いている。

僕は——二人の後ろをとことこ歩きながら、思った。

お腹が空いた。

朝ごはんはちゃんと食べたのに。

泣いたせいかな。泣くとお腹が空くんだ、僕。

「……ねぇ、二人とも」

「あ?」

「……何」

「……僕、おにぎり作ってくるね」

「……は?」

「泣いたらお腹空いたから……二人の分も作る」

レオンが振り返った。

呆れた顔。——でも、口元が少しだけ緩んでいた。

「……好きにしろ」

「……梅干しがあるなら、入れて」

「うん! あとね、昨日の焼き鮭の残りがあるから、それも入れるね!」

台所に走った。

190センチの体が、廊下をどたどた駆けていく。

——答えは、まだ出ていない。

でも。

お腹が空いたら、ごはんを作る。

それが、僕にできること。

よしこさんが教えてくれたこと。

考えるのは——おにぎりを食べてからでいい。


【あとがき】

最後まで読んでいただきありがとうございました。

第27話「帰りたくない」。よしこが一度も登場しない、珍しい回です。

この話は、三人だけで書きたかった話でした。

レオンは第22話「手紙」で、よしこに「帰りたくねぇ」とこぼしています。でもあれは二人きりの、ほとんど独り言のような告白でした。今回は違います。仲間の前で、はっきりと。「俺は帰りたくねぇ」と。

リーゼが「私も」と言いました。この子が自分から気持ちを語るのは、作中でも数えるほどしかありません。「名前で呼んでくれる」——たったそれだけのことが、この子にとってどれだけ大きかったか。

ガルドは泣きました。この子はいつも泣きます。でも今回の涙は、弱さじゃなくて正直さです。190センチの大男が泣きながら「ガルくんって呼ばれるのが嬉しかった」と言う。それを笑える人は、この物語にはいません。

答えは出ていません。「帰りたくない」と「帰らなきゃいけない」の間に、まだ三人は立っています。

でもガルドが言いました。「三人とも同じ気持ちだってわかっただけで、今は、それでいい」。

そしてお腹が空いたから、おにぎりを作りに行った。

考えるのは、おにぎりを食べてからでいい。——よしこが教えたのは、きっとそういうことです。

次回、第28話「遠足のしおり」。よしこが動きます。「ほな、直接話しに行こか(^^)」。

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