◆レオン視点
朝食の後。
みんながそれぞれ動き出した頃、俺はリーゼとガルドを呼んだ。
「——ちょっと来い」
行き先は決めていなかった。ただ、誰にも聞かれない場所がよかった。
よしこの耳に入らない場所。ヴェルザにも。カインにも。
結局、城の西棟の空き部屋に入った。
使われていない客間。埃っぽい空気。窓から朝の光が差し込んでいるけど、どこか薄暗い。窓の外で、荒野の乾いた風が鳴っている。
「……で?」
リーゼが壁に寄りかかって、腕を組んだ。
いつもの顔。何も読めない目。
「あ、あの……レオン、どうしたの? 急に……」
ガルドが部屋をきょろきょろ見回している。図体がでかいから、空き部屋が狭く見える。
「……」
俺は窓際に立った。
石の窓枠に手を置いた。冷たい。
——昨日のカインの言葉が、まだ耳に残っている。
『帰還せよ』。
軍人の声。命令の声。
あれは「お願い」じゃない。「帰れ」だ。
「……お前ら、聞いただろ」
「……カイン隊長の話?」
リーゼが小さく頷いた。
「……聞いた」
「ぼ、僕も……聞きました……」
ガルドの声が震えている。こいつは嘘がつけない。体がでかいくせに、感情が全部顔に出る。
沈黙。
埃が光の中を漂っている。
「——帰りたくねぇ」
言った。
リーゼとガルドの方を向いて、はっきりと。
前に——よしこに言ったことがある。中庭のベンチで、二人きりの時に。
でもあれは、ほとんど独り言だった。力の抜けた声で、自分でも信じてないみたいに。
今は違う。
「俺は、帰りたくねぇ」
声が、思ったより大きかった。
空き部屋に響いた。埃が揺れた気がした。
「王都に帰って、また教会の犬やるなんてごめんだ。——お前らだってそうだろ」
◆リーゼ視点
レオンが、こっちを見ている。
緑の目。いつもは怒っているか、照れているか、どちらかの目。
今日は——どちらでもなかった。
まっすぐだった。
「……」
私は壁に寄りかかったまま、腕を組んだ手にわずかに力を込めた。
帰りたくない。
レオンが、それを言った。
——知ってた。
この人がそう思っていることは、とっくに知っていた。
あの日、中庭のベンチで、よしこと話していたのを見た。遠くからだったけど——レオンの背中が震えていたのは、見えた。
でも、私たちの前で口にしたのは——これが初めてだ。
「……私も」
言った。
思ったより簡単に出た。
「……私も、帰りたくない」
ガルドが息を飲んだ。
レオンが——少し、目を見開いた。
「……ここのごはんが美味しいから、じゃない。——それだけじゃない」
自分でも驚くくらい、言葉が出てくる。
普段は言わない。聞かれても「……別に」で済ませる。
でも今は——言わなきゃいけない気がした。
「王都に戻ったら、私はまた『勇者パーティの魔法使い』に戻る。教会に報告書を書かされて、次の作戦を渡されて——」
「……リーゼさん」
「——私は、あそこでは道具だった」
ガルドが黙った。
レオンも。
「分析魔法が使えるから、パーティに入れられた。私個人に価値があったんじゃない。能力に値札がついていただけ」
「……」
「……ここでは、違う」
声が——少し、掠れた。
「ここでは、よしこが……あの人が、名前で呼ぶ」
リーゼちゃん、って。
(^^)をつけて。
魔法使いでも、分析担当でも、没落貴族の娘でもなく。
ただ「リーゼちゃん」と。
「……だから、帰りたくない」
天井を見上げた。
埃っぽい空気。薄い光。
「……でも」
ここからが、本題だ。
「帰りたくないけど——帰らなきゃいけない理由がある」
レオンが舌打ちした。
わかっているから、舌打ちするのだ。この人は。
「……勇者の肩書きがなくなったら、私たちは何者でもない。レオンは孤児。私は没落貴族の娘。ガルドは——」
「……徴兵された農家の子」
ガルドが、小さく言った。
「勇者パーティという枠から出たら、私たちには何も残らない。身分も、住む場所も、食べていく手段も」
それが、現実。
◆ガルド視点
僕は——泣いていた。
いつの間にか。
リーゼさんの話を聞いていたら、涙が出ていた。
「お、おい、ガルド……」
「ご、ごめん……ごめんね……」
手の甲で涙を拭く。でも、止まらない。
「な、泣くなよ……」
「だ、だって……リーゼさんの言う通りだから……」
勇者パーティを辞めたら、僕には何もない。
村に帰っても——あの村にはもう僕の畑はない。教会に「戦士適性あり」って言われて、半ば連れていかれたんだ。帰る場所なんて、最初からなかった。
「僕も……帰りたくない……」
声がぐしゃぐしゃだ。情けない。190センチもあるのに。
「ここが好きなんだ……台所が好きで……ハーブの世話が好きで……ガルくんって呼ばれるのが……」
「……」
「魔王さまが、『ガルくん、今日のごはん何にする?(^^)』って聞いてくれるの……あれが、すごく……」
嬉しかった。
毎朝、嬉しかった。
「僕は戦えない。剣も振れない。盾も重くて持てない。——でもここなら、料理ができる。パンが焼ける。スープが作れる。みんなが『美味しい』って言ってくれる」
「……ガルド」
「僕にとって、ここが——」
言葉が詰まった。
涙で、声が出ない。
レオンが——溜息をついた。
でも、いつもの苛立った溜息じゃなかった。
「……わかってんだよ、そんなこと」
「え……」
「俺だって同じだ。字を覚えて、剣の稽古つけてもらって、ハンバーグ四個食って——」
レオンが窓の外を見た。
「ここが居心地いいなんて、んなもん、最初からわかってんだよ」
「……」
「問題はそこじゃねぇ」
レオンが振り返った。
「帰りたくねぇ。でも——カインの命令は王国の命令だ。無視したら、俺たちは逃亡者になる」
「……そう。勇者が魔王城に居座ったとなれば——教会は次の勇者を送ってくる。今度は討伐じゃなく、私たちの排除も含めて」
リーゼさんの声は冷静だった。泣いていない。この人はいつも冷静だ。
「……つまり、このまま残ったら、みんなに迷惑がかかる」
「……」
沈黙。
長い沈黙。
窓の外で、鳥が鳴いた。
——僕は、鼻をすすった。
「……でも」
「ん?」
「僕は……答えを出さなきゃいけないのは、わかってる。でも……今すぐじゃなくてもいいよね……?」
「……」
「だって、レオンが言ったんだよ。帰りたくないって。リーゼさんも言った。僕も言った。——三人とも、同じ気持ちだってわかっただけで……今は、それでいいんじゃないかな」
レオンが——口を開けた。
何か言おうとして——やめた。
リーゼさんが、かすかに唇を動かした。
笑った——のかもしれない。この人の笑顔は小さすぎて、いつも見逃しそうになる。
「……ガルドにしては、まともなこと言うじゃねぇか」
「え、えへへ……」
「……同意。今日は、ここまででいい」
リーゼさんが壁から背を離した。
「……ただ、時間はない。カインがいつまで待ってくれるかわからない」
「……ああ」
レオンが頷いた。
「でも——三人で決める。一人で抱え込むのは、なしだ」
「……」
レオンがこっちを見た。リーゼさんを見た。
「約束しろ。勝手に決めるな。三人で決める」
「……わかった」
「は、はい……!」
それだけだった。
大した約束じゃないのかもしれない。
でも——三人が同じ部屋で、同じ言葉を言った。
帰りたくない、って。
それだけで——胸の奥が、少しだけ軽くなった。
空き部屋を出た。
廊下は明るかった。朝の光が石壁を白く照らしている。
レオンが先に歩いていく。いつもの背中。ぶっきらぼうな歩き方。
リーゼさんは黙って隣を歩いている。
僕は——二人の後ろをとことこ歩きながら、思った。
お腹が空いた。
朝ごはんはちゃんと食べたのに。
泣いたせいかな。泣くとお腹が空くんだ、僕。
「……ねぇ、二人とも」
「あ?」
「……何」
「……僕、おにぎり作ってくるね」
「……は?」
「泣いたらお腹空いたから……二人の分も作る」
レオンが振り返った。
呆れた顔。——でも、口元が少しだけ緩んでいた。
「……好きにしろ」
「……梅干しがあるなら、入れて」
「うん! あとね、昨日の焼き鮭の残りがあるから、それも入れるね!」
台所に走った。
190センチの体が、廊下をどたどた駆けていく。
——答えは、まだ出ていない。
でも。
お腹が空いたら、ごはんを作る。
それが、僕にできること。
よしこさんが教えてくれたこと。
考えるのは——おにぎりを食べてからでいい。
【あとがき】
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第27話「帰りたくない」。よしこが一度も登場しない、珍しい回です。
この話は、三人だけで書きたかった話でした。
レオンは第22話「手紙」で、よしこに「帰りたくねぇ」とこぼしています。でもあれは二人きりの、ほとんど独り言のような告白でした。今回は違います。仲間の前で、はっきりと。「俺は帰りたくねぇ」と。
リーゼが「私も」と言いました。この子が自分から気持ちを語るのは、作中でも数えるほどしかありません。「名前で呼んでくれる」——たったそれだけのことが、この子にとってどれだけ大きかったか。
ガルドは泣きました。この子はいつも泣きます。でも今回の涙は、弱さじゃなくて正直さです。190センチの大男が泣きながら「ガルくんって呼ばれるのが嬉しかった」と言う。それを笑える人は、この物語にはいません。
答えは出ていません。「帰りたくない」と「帰らなきゃいけない」の間に、まだ三人は立っています。
でもガルドが言いました。「三人とも同じ気持ちだってわかっただけで、今は、それでいい」。
そしてお腹が空いたから、おにぎりを作りに行った。
考えるのは、おにぎりを食べてからでいい。——よしこが教えたのは、きっとそういうことです。
次回、第28話「遠足のしおり」。よしこが動きます。「ほな、直接話しに行こか(^^)」。
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