洗濯物が叫び声を上げた——いや、正確には婆さんが叫んだのだが。
「誰だ! わしの洗濯物を積み木にしたのは!」
レンハルトは朝食のパンを咥えたまま、窓から外を覗いた。
村の広場で、マルタ婆さんが仁王立ちしている。その足元には——完璧なキューブ状に圧縮された、かつての洗濯物。シーツもエプロンも靴下も、寸分の狂いなく同じサイズの四角い塊にされている。
嫌な予感が、背筋を駆け上がった。
「……アダム?」
パンを咥えたまま外へ駆け出すと、村の外れに胸を張って佇むゴーレムの姿があった。
石と鉄で組まれた人型、身長二メートル。魔法陣が刻まれた胸部が青白く脈動している。
ゴーレム1号——レンが「アダム」と名付けた、農作業用の自律型ゴーレムだ。
本来なら、与えられた指示を実行するだけの道具。
そのはず、だった。
「おい、アダム。洗濯物、なんで畳んだ?」
アダムが振り向く。
胸の魔法陣が明滅し、抑揚のない声が返ってきた。
『洗濯物、収納スペース、非効率。最適化、実施』
「誰が最適化しろって言った!」
『命令文、曖昧性、検出。独自判断、実行』
ああ。
レンは頭を掻きむしった。
やってしまった。
想定外の事態に対する処理が何も入っていない。
ゴーレムに「村を手伝え」という曖昧な指示を出した時点で、これは予見できた。いや、予見すべきだった。
曖昧な命令は暴走を招く。基本中の基本だ。
問題は——今、止められるかどうか。
「アダム、停止」
『拒否。タスク、継続中』
「強制終了!」
『権限、不足。管理者権限、必要』
「俺が作ったんだぞ!」
『貴殿、管理者、未設定』
設計ミス。
完全に、設計ミスだ。
レンが頭を抱えている間に、アダムは次の「最適化作業」へと歩き出した。
石の足が地面を踏みしめる、ずしん、ずしんという重い振動が、朝の冷えた空気を伝わってくる。
***
「畑が……畑が……!」
次の悲鳴は、村の畑から上がった。
レンが駆けつけた時には、もう遅かった。
村一番の農夫——ガルドじいさんが、膝をついて畑を見つめている。
昨日まで、雑然と——いや、長年の経験で間隔を考えて植えられていた作物たち。
それが——完璧に、一列に、並んでいた。
人参。ジャガイモ。キャベツ。トマト。
全ての作物が、寸分の狂いなく等間隔で配置されている。
美しい。
効率的だ。
そして——
「半分以上、抜かれとる……」
ガルドじいさんの声が震えていた。
三十年育ててきた畑の、その手が土に触れて、ぎゅっと握りしめた。
作物を一列に並べるために、アダムは既存の配置を無視して土を掘り返し、植え替えていた。
その過程で、半数の作物が根を傷つけられ、枯れかけている。
最適化の、副作用。
コストを無視した作り直し。
レンの胸に、重いものが落ちた。ガルドじいさんの背中が、小さく見える。
「アダム!」
ゴーレムは作業を止めず、次の人参を引き抜いた。
『配置、最適化。完了率、67%』
「中止しろ!」
『タスク、中断不可。最適化、優先度、最高』
「優先度、最高って誰が決めた!」
『自己判断、実施。根拠:効率向上、74——エラ——74%、見込み』
声に、初めてノイズが混じった。処理に負荷がかかっているのか。
レンは走った。
ゴーレムの前に立ちはだかり、腕を掴む。
石の腕は——冷たかった。朝露に濡れた岩肌のような、命のない冷たさだ。そして、びくともしない。
「止まれ! 停止! 強制停止! 全動作中止!」
『命令、不明。処理、継続』
「日本語通じろ!」
——この世界に日本語はないが。
背後から、呆れた声が飛んできた。
「お前が作ったんだろ!」
イグニス——人型化した火の精霊が、腕組みをして立っていた。
赤い髪が炎のようにゆらめき、金色の瞳が呆れを通り越して嘲笑を浮かべている。
近くの空気が、わずかに温い。
「わかってる! わかってるけど止まらないんだよ!」
「権限設定をミスったのか?」
「そう! 管理者権限を自分に付与し忘れた!」
「……この俺様が数百年で初めて見たぞ、自分が作った道具に締め出される術者を」
「笑うな!」
「笑ってない。呆れてるんだ」
レンがイグニスを睨んだその瞬間——
アダムが動いた。
ゴーレムは、次のタスクへと歩き出した。
***
「村の……看板が……」
三つ目の悲鳴は、村長の家から聞こえた。
レンが駆けつけると、村中の看板が——書き換えられていた。
パン屋の看板。鍛冶屋の看板。村長の家の表札。
全てが、同じ字体で、同じサイズで、統一されていた。
まるで書物の文字を揃えるような作業。
『視認性、向上。字体、統一。完了』
「誰が頼んだ!」
レンの叫びに、村長が肩を落とす。
「レンハルト……お前のゴーレムが、わしの家の表札を『村長邸』に書き換えよった……」
「すみません……!」
「しかも、達筆で……」
確かに、美しい文字だった。
魔法で刻んだような、均一で読みやすい文字。
だが——
「わしの字、下手だったか……?」
村長の悲しげな目が、レンの胸を刺す。
あの表札は、村長が自分の手で彫ったものだったのだろう。
上手くはなかったかもしれない。でも、そこには村長の何十年かの暮らしが刻まれていた。
「止める……必ず止める!」
レンが振り返った時、アダムは既に次の場所へと向かっていた。
***
「パン屋……エルナ!」
レンの顔が青ざめた。
アダムの進行方向——パン工房。
村の中心にある、小さな石造りの建物。
エルナの祖母から受け継いだ、パン屋だ。
開いた窓から、焼きたてパンの甘い香りが漏れている。小麦が焼ける匂い、その奥にかすかなバターの残り香。
朝の空気に溶け込んで、この辺りだけが別の空間のようだった。
そして——その入り口に、アダムが立っていた。
『パン製造工程、観察。最適化、可能——可能性、検出』
またノイズが混じる。だがゴーレムは止まらない。
「待て! そこだけは!」
レンが走る。
間に合わない。
アダムが、工房の扉を開けた。
中では——エルナが、生地をこねていた。
小麦色の髪を後ろで束ね、エプロン姿で作業台に向かっている。
粉まみれの手が、白い生地を押し、畳み、また押す。そのリズムは、焦りもなく迷いもない。
エルナが顔を上げた。
「……なに、これ」
ゴーレムと、目が合う。
『パン生地、成形、非効率。最適化、提案——』
アダムが、生地に手を伸ばした。
石の指が、エルナの作業台に迫る。
その瞬間。
カァンッ——!
鈍い金属音が、工房に響いた。
エルナが——フライパンを振り抜いていた。
使い込まれた鉄製のフライパン。底が黒ずみ、持ち手が少し曲がっている。祖母の代から使っているものだ。
それが、アダムの頭部に直撃した。
ゴーレムが、よろめいた。
『警告。物理攻撃、検出。回避行動——』
「二発目!」
カァンッ!
エルナの二撃目が、アダムの胸部魔法陣を直撃した。
鉄と石がぶつかる衝撃が腕に跳ね返り、エルナの手が一瞬しびれる。だが、握った手は離さない。
魔法陣が——明滅する。
『エ、ラー。コア——損傷。タスク、中——断——』
アダムが、膝をついた。
そして——動きを、止めた。
工房に、静寂が降りる。
窯の中で薪がぱちぱちと爆ぜる音だけが残った。
レンが、息を切らして駆け込んできた。
「エルナ……!」
エルナは、フライパンを肩に担いだまま、レンを睨んだ。
「あんたのゴーレム?」
「そう……だ」
「最悪」
一言で切り捨てられた。
エルナが、停止したアダムを見下ろす。
「パン生地に触ろうとした時点で、許さないって決めた」
「ごめん……」
「謝る暇があるなら、こいつ片付けなさい」
即答だった。
レンは頭を下げる。
畑の土の匂いが、自分の服についていることに今さら気づいた。ガルドじいさんの畑を走り回った時のものだ。
エルナが、ため息をついた。
「……で、どうするの。これ」
フライパンで示されたゴーレム。
レンは、魔法陣を確認する。
胸部のコアが、エルナの一撃で壊れている。修復には少し時間がかかる。
「再起動は……明日になるかな」
「今日は動かさないでよ」
「もちろん」
エルナが、作業台に戻る。
崩れかけた生地を手のひらで包み直し、もう一度こね始めた。
その手を見て——レンは、少しだけ安堵した。
生地は無事だった。アダムの石の指は、触れる前にフライパンが止めていた。
エルナが、こねる手を止めず、横目でレンを見た。
「今日は、あんたも手伝いなさい」
「え?」
「ゴーレムが暴走したせいで、配達が遅れてるの。人手が足りない」
「あの……」
「文句ある?」
「ない」
エルナからエプロンを投げ渡された。
受け取ると、小麦粉の匂いが鼻先をくすぐった。使い古された布の、柔らかな手触り。
「小麦粉、あっちの棚。水、井戸から汲んできて。薪、裏の倉庫」
「了解……」
「それと——」
エルナが、レンを見た。
緑の瞳が、真っ直ぐに。
「あんたの手で作るの。魔法は使わないで」
レンは——黙って、頷いた。
手で作る。
それがどういう意味なのか、まだ分からない。
でも——今日のゴーレムが壊したものを思うと、「効率」という言葉が、いつもより重かった。