S02-P01 「もう頑張らなくていい」と言われた聖女は、初めて自分のために泣きました

第18話: 不器用な告白

第2アーク · 3,302文字 · draft

——霜から薬草畑を守るため一晩中見守ったレオン。

白い息が、畑の上でほどけた。

夜の冷たさが、まだ土に残っている。

そして——私の薬草(やくそう)畑には、見覚えのない黒い外套(がいとう)が掛けられていた。


夜明け前の空は、薄い藍色だ。
 東の端だけが、かすかに白んでいる。

私は肩をすぼめながら、畑の(あぜ)に足を踏み入れた。
 土がきゅ、と鳴る。
 (しも)が降りた朝の、硬い音。

だから、気づいたのだ。
 畑の一角だけ、霜の白が薄い。
 そこに張られている霜除(しもよ)けの布が、風に揺れている。

……布じゃない。

布の上に、黒い外套がもう一枚、そっと被せられていた。
 私の知らない、でも——見覚えのある形。

「……レオン、さん……?」

指先で外套の端をつまむ。
 ひやり、とした布の奥に、まだ温かさが残っていた。
 焚き(たきび)の匂いと、少しだけ鉄の匂い。
 人の体温の匂い。

外套の下、支柱が何本も立てられている。
 枝を削って、紐で結んで、布が葉に触れないように工夫されていた。
 霜が触れたらすぐ(しお)れる幼い苗だけ、丁寧に守られている。

私は息を止めた。

畑の端のほう、低い石垣の影に小さな火がある。
 灰の中で、まだ赤い火種が呼吸していた。

その横に、レオンがいた。

外套を畑に掛けたせいで、彼は薄い上着一枚で、丸太にもたれて眠っている。
 腕が組まれたまま、眉間に小さなしわ。
 寝ていても、見張りの顔だ。

……一晩中。
 ここで。
 霜が降りる気配を、ずっと見ていた。

胸の奥が、ぎゅ、と音を立てる。
 あまりに小さな音なのに、耳が痛い。

私の畑だ。
 私が守るべきものだ。
 私はいつも、そうやって自分に言い聞かせてきたのに。

また、先に——。

彼の指先を見てしまう。
 革手袋は、片方だけ外されていた。
 焚き火を起こすときに外したのだろう。
 その手が少し赤い。
 冷えて、乾いて、硬そうに見えた。

私は喉の奥に言葉を溜めた。
 怒りたいのか、泣きたいのか、自分でもわからない。

だから、代わりに。
 そっと、自分のマフラーの端をほどき、彼の首元へ掛けた。
 触れた皮膚が冷たくて、指が震えた。

その震えで、彼のまつ毛が揺れる。

「……ん」

レオンが目を開けた。
 ぼんやりした瞳が、火の赤を映して、ゆっくり私を捉える。

「……凛。早いな」

声が、少し掠れている。
 眠りの底から引き上げられた声。

私は、唇を結んだまま頷いた。
 頷くしか、できなかった。

レオンは状況を理解するのに数秒かかって、畑に掛けた自分の外套を見た。
 それから、悪いことをした子どもみたいに視線を逸らす。

「……霜が降りそうだったから」

「だからって……」

言いかけて、途切れた。
 “だからって、あなたが徹夜する理由にはならない”と続けたいのに、言葉が喉で絡まる。

レオンは立ち上がろうとして、膝を押さえた。
 硬くなった足を、無理に動かしたような仕草。

私は反射的に、彼の腕を掴んだ。

「無茶、しないでください。……手、冷たい」

掴んだ腕の下で、筋肉が微かに強張る。
 でも彼は、振りほどかない。
 私の手のひらに、彼の冷たさが染みてくる。

「平気だ」

平気な顔で言うな、と言いたい。
 でも、彼の言う“平気”は、いつだって本当の平気じゃない。
 それを知ってしまったのは、私だ。

私は外套の端を指で押さえた。
 畑の中の小さな芽たちは、霜の白から守られて、青く息をしている。

「……こんなこと、しなくても。私が、もっと早く気づけば……」

「気づけねえ」

レオンが、短く言った。
 責める響きじゃない。
 ただ、事実みたいな声。

「夜は冷える。霜は急に来る。……俺も、たまたま外に出ただけだ」

たまたま。
 そう言って、自分の行動を小さくする。
 いつもそうだ。
 大事なことほど、何でもないふうに隠す。

私は、外套の布をぎゅっと握った。

「なぜ毎回、私より先に私の大事なものを……」

言った瞬間、胸の奥が熱くなった。
 “畑”の話をしているはずなのに、別のものが溢れそうで怖い。

レオンは私を見た。
 焚き火の残り火が、彼の瞳の奥で静かに揺れている。
 いつもより近い。
 近すぎて、逃げ場がない。

「……あんたの大事なもんが俺にも大事なだけだ」

その言葉が、朝の冷気を割って、まっすぐ胸に落ちてきた。
 音じゃない。
 重みだ。

私は息を吸うのを忘れた。
 喉が痛い。
 目が熱い。

「……ずるいです」

声が震えて、自分の情けなさが嫌になる。
 でも、止められない。
 涙が、ふいに視界を滲ませた。

レオンが、困ったように眉を寄せる。
 手を伸ばしかけて、途中で止める。
 触れていいのか迷っているみたいに、宙で指が彷徨(さまよ)う。

だから私は、彼の迷いを許さないように、もう一度腕を掴んだ。
 それだけで、十分だった。
 彼の体温が、少しずつ戻っているとわかる。

「……泣くな。畑、守れた」

慰め方が、下手だ。
 でも、その下手さが、今は痛いほど優しい。

私は首を横に振って、涙を拭った。
 拭っても、頬がまだ濡れている。

「畑が、じゃなくて……」

続きは言えなかった。
 言ったら、もっと違う名前で呼んでしまいそうで。
 その名前を口に出したら、私の中の何かが変わってしまう気がした。

レオンは、答えない。
 ただ、焚き火の灰を棒で崩し、残り火に息を通した。
 ぱち、と小さな音がして、橙色が蘇る。

その明かりに照らされた横顔が、朝の空よりずっと近い。


やがて東の空が、金色にほどけはじめた。
 畑の端の草が、光の粒を抱いて揺れる。
 霜の白が、ゆっくり水へ変わっていく。

私たちは焚き火の前に並んで座った。
 レオンは自分の外套がないことに気づいて、困ったように肩をすくめる。
 私は代わりに、自分の外套の端を少しだけ広げた。
 二人で入るには、足りない。
 でも、肩が触れるくらいなら——足りた。

「……寒いか?」

「……いいえ」

本当は寒い。
 でも、触れている場所だけ、変に熱い。

レオンが咳払いをひとつして、視線を空へ投げる。
 朝日が彼の頬を撫で、眠れなかった影を隠していく。

私は畑を見つめた。
 小さな芽が、ちゃんと生きている。
 それだけで嬉しいはずなのに、胸の中は別のものでいっぱいだった。

焚き火のそばに、小さな薬缶(やかん)が置かれているのに気づく。
 昨夜、レオンが村の台所から借りてきたのだろう。
 律儀に蓋がされ、雪みたいな霜が薄く貼りついていた。

私はそれを火の上へかけ直し、手のひらで湯気を待った。
 湯が沸くまでの時間が、妙に落ち着かない。
 言葉にする勇気はないのに、沈黙だけは増えていくから。

「……凛」

名前を呼ばれて、心臓が跳ねた。

「俺、別に……」

“いい”と言いたいのだろう。
 “こんなことしなくていい”と。
 そういう断り方だけは、彼は上手い。

私は首を振った。

「あなたが一晩したことに比べたら、これくらい……」

言ってから、また胸が熱くなる。
 比べるものじゃないのに、比べてしまう。
 あなたがくれたものを、私も返したくて。

湯が小さく鳴いた。
 私は布を折って簡単な鍋敷きを作り、薬缶を下ろす。
 湯気が立ち上って、空気が少しだけ柔らかくなる。

レオンの手を取った。
 迷いが減った分、心臓がうるさい。

「……熱くない程度に、温めます」

彼の指先に、自分の両手を重ねる。
 焚き火の近くで温まった掌の熱が、彼の冷たさを押し返していく。
 レオンは何も言わず、ただ、息を吐いた。
 その息が私の髪を揺らして、距離の近さを思い出させる。

“あんたの大事なもんが俺にも大事”

それは、告白じゃない。
 でも私の心は、そう受け取ってしまった。
 受け取ってしまって、戻せない。

レオンの指先が、膝の上で少しだけ動く。
 硬くなった手が、無意識に開いたり閉じたりする。

私は、その手を見てしまって。
 次の瞬間、気づけば——指先で、そっと触れていた。

レオンがこちらを見た。
 驚いたように、目が少しだけ見開かれる。

私は、逃げられなかった。
 触れた指先の冷たさが、私の中の決意みたいに思えたから。

「……今日は、私が」

何を、とは言えない。
 言えないけれど、伝えたい。
 あなたがしてくれたみたいに。

レオンの手が、ゆっくり動いた。
 私の指を、握り返そうとして——ためらう。

ためらいの間に、朝日が強くなった。
 世界が明るくなるほど、二人の距離だけが、危うく近い。

私はその手を、逃がさないように握り直してしまい——

——次話「王太子の求婚」――次の一手が、運命を動かす。

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