S02-P01 「もう頑張らなくていい」と言われた聖女は、初めて自分のために泣きました

第30話: 弟子たち

第3アーク · 3,260文字 · draft

——凛の予防医療を学びたいと若い治癒師たちが集まる。

診療所を開いて、ひと月が過ぎていた。
 旅の商人が運ぶ噂と、エルザさんの知り合いの口伝えで、「辺境に魔法に頼らない治癒師がいる」という話は少しずつ広がっていたらしい。

扉を叩く音が、いつもより硬く響いた。
 朝の診療所(しんりょうじょ)は静かで、だからこそ、その三つのノックが「何かが始まる」合図みたいに聞こえた。

私が戸を開けると、外に三人の若い治癒師(ヒーラー)が立っていた。
 雨上がりの土の匂いと一緒に、真っすぐな視線が飛び込んでくる。

先頭の少女が、深く頭を下げた。
 「凛先生。……私たちに、先生の方法を学ばせてください」

後ろの青年も、緊張した顔で言葉を繋ぐ。
 「予防医療、というやつです。……俺たち、今のままじゃ、救える命にも限りがあるって思って」

もう一人の少女は、拳を握っている。
 怖いのに来た、その手だ。
 「魔法で治すだけが治癒じゃないって……先生が証明したって聞きました」

私は三人を順に見て、名を尋ねた。
 「お名前を、教えていただけますか」
 「アリスです」
 「トマスです」
 「ミラ、です」

私は胸の内側で、小さく息を整える。
 誰かが来るたびに、私のやり方は「例外」だと言われてきた。
 でも今日は違う。例外を学びに来た人たちが、目の前にいる。

「……どうぞ。中へ」

診療所の奥に案内して、私はまず(おけ)を指さした。
 水は朝に()んだばかりで、石鹸(せっけん)は私が作った粗いものだ。

「最初の授業は、手洗いです」

三人の顔が揃ってきょとんとした。
 トマスさんが思わず口にする。
 「え。……それ、授業なんですか?」

私は頷く。
 「はい。治癒の前に、治癒師の手が病を運ばないようにします。爪の間、指の股、手首まで。……時間を測って、二十数えましょう」

アリスさんが困ったように笑った。
 「でも、病は魔法で消せますよね……? 感染なんて、治したら終わりじゃ」

「終わりません」
 言葉が硬くなってしまったのに気づいて、私は少しだけ声を落とした。
 「魔法で傷口が(ふさ)がっても、原因が残っていれば、また熱が出ます。咳が増えます。……そのたびに、治癒師が力を使う。命を削るような治癒を、繰り返すことになります」

ミラさんが眉を寄せる。
 「でも……命を削ってでも助けるのが、治癒師の誇りだって」

私は一度、目を閉じた。
 その誇りの言葉に、私は何度も救われて、何度も縛られた。

「誇りは、別の形にできます」
 目を開けて、私は言い切る。
 「命を削らない。それが私たちの誇りです」

沈黙が落ちる。
 その静けさの中で、桶の水面が小さく揺れた。

私は手本を見せるように袖をまくり、丁寧に泡を立てた。
 「手洗いは、魔法より地味です。でも、地味なことほど、たくさんの人を救います。……まずは自分の手が安全だ、と言えるようになりましょう」

レオンさんが、奥から木の台を抱えて現れた。
 「ここに置けばいいか?」
 「はい。ありがとうございます」

彼は三人を見て、軽く顎で挨拶する。
 「弟子志望か。……凛の仕事は地味だぞ」
 「地味でも、やります!」
 アリスさんが即答して、顔を赤くした。
 レオンさんが鼻で笑う。
 「いい返事だ」

私は次に、布を掛けた小部屋の扉を示した。
 「隔離(かくり)の部屋です。咳が強い方、熱が続く方は、ここで診ます」

トマスさんが目を丸くする。
 「わざわざ離すんですか? 不安になりません?」

「不安になります。だから説明します」
 私は頷く。
 「怖がらせるためではありません。守るためです。同じ空気を吸う人を減らす。布団や器を分ける。手を洗う。……それだけで、次の患者さんが減ります」

ミラさんが唇を噛んだ。
 「次の患者を減らす……」
 「はい。治癒師の仕事は、目の前の一人を治すことだけじゃありません。『明日の診療所』を軽くすることでもあります」

私は棚から帳面を取り出し、机に広げた。
 「ここに、症状と日付と、同じ家の人の体調を書きます。誰が、いつから、どこで。……病は人の間を歩きます。なら、足跡を残せばいい」

アリスさんが帳面を覗き込み、目を輝かせた。
 「魔法の(じん)みたい……!」
 「ええ。紙の上の魔法です」

トマスさんはまだ半信半疑の顔をしていた。
 「でも、そんなことしてる間に、重症の人が……」

「だから順番です」
 私は指を二本立てた。
 「一、危ない人を先に助ける。二、危なくなる人を減らす。どちらも、同じくらい大事です」

レオンさんが窓を開け放つ。
 湿った空気が抜けて、少し冷たい風が入った。

「換気も、予防です」
 私が言うと、ミラさんが小さく首を傾げた。
 「風邪(かぜ)を引きませんか?」
 「寒さは布で防げます。でも、(よど)んだ空気は布で防げません」

言いながら、私は自分の言葉に驚いていた。
 以前の私は、説明が苦手だった。
 「分かってもらえない」前提で話して、早口で終わらせてしまっていた。

でも、今は違う。
 目の前の三人は、理解するためにここにいる。
 だから私は、教えるために言葉を選べる。

昼前、近くの家から子どもが運び込まれた。
 熱と咳。母親の目が真っ赤だ。

「先生……!」
 「大丈夫です。まず、ここへ」

私はアリスさんに手洗いを促し、ミラさんに布の用意を頼む。
 トマスさんには、母親を診療所の外で待たせるように説明してもらった。

「離すんですか?」
 母親が震えた声で言う。
 トマスさんが、私の言葉をそのまま丁寧に伝えた。
 「怖がらせるためじゃありません。守るためです。……お母さんが倒れたら、この子はもっと苦しくなる」

母親は涙をこぼしながら、頷いた。
 その背中を見て、トマスさんの肩の力が少し抜ける。

子どもの胸を聴診しながら、私は弟子たちの動きを見た。
 ぎこちない。遅い。けれど、迷わない。
 魔法を構えるより先に、手を洗う。
 患者さんの顔を覗き込むより先に、布を分ける。
 それは、最初は不格好な儀式みたいだった。

でも、夕方になって、診療所に来る咳の患者さんが減っていることに気づく。
 昨日までなら、同じ家族が次々と倒れていたはずなのに。

アリスさんが帳面を抱えたまま、息を弾ませて言った。
 「先生、さっきのお家……弟さん、熱が出てないって!」
 ミラさんも頷く。
 「布団を分けて、手を洗って、窓を開けて……それだけで」

トマスさんは、言葉を探してから、ぽつりと言った。
 「……魔法に頼らない治癒なんて、格好悪いって思ってました」

彼は自分の手を見る。
 泡で荒れた指先を、誇らしそうに。

「でも、これ……格好いいですね」

私は笑ってしまった。
 「はい。格好いいです。とても」

夜、三人は帰らず、診療所の机を囲んだ。
 レオンさんが持ってきた木炭(もくたん)で、簡単な図を描く。

「手洗い、換気、隔離。帳面。……これを『凛式』って呼ぶのは、嫌です」
 私が言うと、三人が同時に顔を上げた。

「え?」
 「私は、私の名前を残したいんじゃありません。仕組みを残したいんです」

私は帳面の一頁(いちページ)を破り、題を書いた。
 『命を削らない治癒——予防の手引き』

「これを、次の村でも、次の町でも、同じように使える形にします。……あなたたちが、あなたたちの言葉で教えられるように」

ミラさんが、静かに息を呑んだ。
 「私たちが……教える側に?」
 「はい。学び手は、いずれ教え手になります」

アリスさんが拳を握る。
 「私、やります! 先生のやり方を、私の村でも……!」
 トマスさんも頷いた。
 「俺も。……神殿のやり方だけが正しいって、もう言えない」

レオンさんが腕を組んで、窓の外を見た。
 「これが広がれば、戦場でしか価値がない治癒師って扱いも変わるかもな」
 「変えましょう」
 私は、迷いなく答えた。
 「治癒師が倒れていく世界を、当たり前にしないために」

紙の上で、私たちは小さな学派(スクール)を作った。
 派手な旗も、神殿の承認もない。
 でも、手を洗う水音が、祈りより確かな始まりを告げていた。

——そのとき、診療所の扉が再び叩かれた。
 今度のノックは、朝よりも重い。

レオンさんが一歩前に出る。
 私は立ち上がり、弟子たちを見る。

「……次の授業が、来たみたいですね」

——次話「王太子の凋落」――ざまぁの歯車が、さらに加速する。

文字数: 3,260