S02-P01 「もう頑張らなくていい」と言われた聖女は、初めて自分のために泣きました

第31話: 王太子の凋落

第3アーク · 3,235文字 · draft

——聖女を道具にした代償は、王太子の座そのものだった。

王太子セドリックは、玉座の間で“王太子”ではなくなった。
 聖女を政治に使った——その事実が、王都(おうと)の噂から評議(ひょうぎ)の議事録へ落ちるまで、三日とかからない。
 決定だけは、いつも速い。

半円に並ぶ貴族たちの視線は、(やいば)より静かだった。
 怒号も罵声もない。あるのは、責任の切り分けと、国の顔を守る算段だけ。

「聖女を道具にした王太子など、玉座に近づけてよいはずがない」
 「神殿の信義(しんぎ)を損ね、民の祈りを踏みつけた。——この件は“個人の逸脱”として処理すべきだ」
 「王家が組織として関わったと知られれば、諸侯(しょこう)は必ず揺さぶる。次の反乱の火種になる」

セドリックは、言葉を飲み込んだ。
 “国のため”という言い訳は、ここでは通用しない。
 通用しないのではない。通用させれば、同じ過ちが仕組みとして温存される。

老公爵(ろうこうしゃく)が紙を掲げる。
 印璽(いんじ)(あか)は乾き、すでに誰のための決裁でもない色をしていた。

「王太子セドリック・アルディス。聖女の政治利用を主導し、王宮(おうきゅう)と神殿の関係を損ね、国威(こくい)を傷つけた」
 「よって——王太子の座を剥奪(はくだつ)王位継承(おういけいしょう)の列より外す」

宣告は淡々と落ちた。
 処刑より残酷なのは、感情が一切混じらないことだ。

「今後は“聖女保護”の名目で行ってきた政策を改める。神殿との協定も見直す」
 「責は殿下個人へ帰し、王家の権威は守る。——それが唯一の落とし所だ」
 「民は分かりやすい悪を求める。分かりやすい“断罪”を与えれば、混乱は(しず)まる」

議論はセドリックを見ないまま進む。
 彼がそこにいるのは、もはや“説明すべき当事者”ではない。
 “処理される案件”としての存在だ。

「異議はあるか」
 問う声は形式で、否定の余地を用意していない。

セドリックは背筋を伸ばした。
 ここで取り乱せば、最後の品位すら失う。

「……ありません」

(わず)かな間。
 貴族たちの空気が、安堵の方向へわずかに緩む。
 “片付いた”という顔だ。

「王太子の証——肩章(けんしょう)佩剣(はいけん)を」

セドリックは留め具を外し、金糸の肩章を(てのひら)に置いた。
 剣帯(けんたい)をほどき、(さや)ごと剣を机へ滑らせる。
 腰の軽さが、骨まで冷やした。

「今後は王都を離れ、領外で静養とする。——国に混乱を残さぬためだ」
 「……承知しました」

立ち去る背へ、誰も言葉を投げない。
 追うべき部下も、肩に手を置く友もいない。
 あったのは肩章と剣と、役割だけだったのだと——今さら理解する。

扉が閉まる音がした。
 その音は、王都の噂が確信へ変わる音と同じだった。

回廊(かいろう)へ出ると、待機していた廷臣(ていしん)たちが一斉に目を伏せた。
 礼はする。だがそれは王太子への敬意ではなく、王宮の作法への敬意だ。
 すれ違いざま、(ささや)きが薄く追いかけてくる。

「——継承順位の繰り上げは」
 「次の評議で決まる。今は火消しが先だ」
 「聖女の件は、これで終わりにできる。……できなければ困る」

終わりにする。
 あの人の人生を燃やして得た便利さを、“一件”として閉じる。
 セドリックは歩幅を変えず、ただ奥歯を噛み締めた。

振り返らないのは、逃げではない。
 振り返ったところで、もう誰も彼の背に道を作らないからだ。


夜。
 セドリックは、与えられた小さな部屋で便箋(びんせん)を前に手を止めていた。
 王太子の執務机はない。報告もない。命令も届かない。

残ったのは、言葉だけだった。
 だが言葉は、遅れた者の(なぐさ)めにしかならないと知っている。

(りん)
 彼女の名を思うと、胸の奥に空洞が広がる。
 自分が見ていたのは“聖女”で、彼女の人間(にんげん)としての重さではなかった。

王都で彼女がどんな目を向けられていたか、思い返すたび胃が冷える。
 微笑(ほほえ)めと言われ、祈れと言われ、救えと言われ——拒めば「聖女ではない」と囁かれる。
 その“優しい圧力”を、セドリックは守護だと思い込んだ。
 実際は、(おり)だったのに。

ペン先を紙に置く。
 書きながら、言い訳を削り落とす。
 許しを乞えば、また相手から何かを奪うことになる。
 ——もう二度と、それはしない。

『凛へ。
 
 君の価値を知るのが遅すぎた。
 君を“国の宝”と呼びながら、君の痛みと尊厳(そんげん)を計算に変えた。私がしたのは保護ではなく、利用だ。
 私は君を救ったつもりでいた。だが本当は、君が救うたびに減っていくものを見ないふりをした。
 勝つために必要だと考え、必要だから正しいと考えた。——その思考が、人を道具に変えるのだと、今は分かる。
 
 許してほしいとは言わない。返事も不要だ。
 ただ、私の過ちが私の名で裁かれたことだけは、伝えておきたい。
 王太子の座は剥がされ、継承の列から外された。私は、私のしたことの重さをようやく自分の身体で知った。
 それが君の失ったものに釣り合うとは、思っていない。釣り合うはずがない。
 
 君が、もう誰の道具にもならずに生きていることを願う。
 そしてもし、私の名が君の生活のどこかに刺さっているなら——それがただの音に戻るまで、遠くにいる。
 
 セドリック』

封を閉じると、胸が軽くなるどころか、静かな重さが残った。
 贖罪(しょくざい)ではない。ただの自覚だ。
 それでも彼は、その紙片を出さずにはいられなかった。

部屋の窓から見える王都の(あか)りは、いつも通りだ。
 灯りの下では、明日の取引があり、明日の陰口があり、明日の祈りがある。
 そのどれにも、自分の席はない。

——そうして、ようやく理解した。
 王太子とは、玉座へ向かう人間ではなく、皆が作る道に乗っているだけの人間だったのだと。
 道が消えれば、ただの男だ。


リンデン村。
 乾いた風が畑を撫で、遠くで(おけ)の水がはねる音がした。

凛は診療所(しんりょうじょ)の机で、薬草の束を整えていた。
 封のある手紙が届いても、作業の手は止まらない。
 火にかけた鍋の湯気が落ち着き、乾燥棚の布を確かめ、最後に手を洗う。

それから封を切った。
 紙の()れる音がして、王都の匂いが一瞬だけよぎる。
 けれど心は、もうそこへ戻らない。

王都にいた頃、手紙は命令だった。
 封を開けるたび、私の時間が誰かの都合に変わっていく。
 だから、今は手順を守る。
 洗って、拭いて、整えて——それから開く。
 私の生活は、私の順番で流れる。

凛は淡々と目を走らせた。
 そこにあるのは謝罪と、遅い反省と、失った者の礼儀正しさ。
 悪意はない。だからこそ、受け取る痛みもない。

読み終え、凛は小さく息を吐いた。
 感情ではなく、確認として言葉が落ちる。

「……遅すぎましたね」

凛は手紙を折り、引き出しを開けた。
 中には診療の記録、薬の配分、村の家々の覚え書き。
 そこへ紙片を収め、他の書類と同じ厚みに揃える。

引き出しを閉める。
 鍵は()けない。鍵が必要なものではないから。

少し前なら、胸がざわめいたはずだ。
 怒りか、悲しみか、(あきら)めか。
 でも今の私は、そのどれにも時間を割かない。
 手紙を閉じた瞬間、心の中で何かが“終わった”というより、既に終わっていたことを確認しただけだった。

窓の外では子どもが笑い、誰かが(まき)を割る音がする。
 生活は、奇跡より強い。
 奇跡を“道具”にしなくても、明日は作れる。

凛は白衣(はくい)の袖を整え、外の光を受けた。
 冷たい風が頬に触れたが、不思議と心地よかった。

畑の向こうに、小さな煙が上がっている。
 昼の支度だ。薬湯(やくとう)の匂いと、パンの焦げる匂いが混ざる。
 私はその匂いの中へ歩いていく。

誰かの期待に縛られるためではない。
 誰かの痛みを軽くするためだ。
 そして——自分の明日を、自分で選ぶためだ。

過去は過去。
 あの手紙は、閉じた引き出しの中で紙に戻った。
 だから私は、今日の患者の名を呼ぶ。
 明日も同じように、前だけを見る。
 それでいい。

——次話「レオンの言葉」――二人の距離が、もう一段近づく。

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