S02-P01 「もう頑張らなくていい」と言われた聖女は、初めて自分のために泣きました

第34話: 大神官の追放

第3アーク · 3,389文字 · draft

——王都(おうと)の広場で、ヴェルナーに全権剥奪と追放が言い渡される。

王都(おうと)への道は、三日かかった。
 エルヴィンからの書簡が村に届いたのは、大神官の裁きが決まった翌朝のこと。
 「立ち会ってほしい」——その一文で、私は覚悟を決めた。
 レオンは何も言わずに馬の準備をした。反対しなかったのは、私がもう「行かなきゃ」ではなく「行きたい」と言ったからだと思う。


その日、大神官は追放(ついほう)される。
 祈りの声が止まった瞬間、王都(おうと)はざわめいた。
 ヴェルナーは、誰からも「大神官」と呼ばれなくなった。

広場の石畳(いしだたみ)は、冬の名残(なごり)で冷たい。
 冷たさが足裏から上がってくるのに、人の熱だけは濃く、息が白く折り重なっていた。

高壇(こうだん)の上には、王の紋章(もんしょう)と、神殿(しんでん)の紋章が並べられている。
 今日、その並びは終わる。

王命(おうめい)により宣告する」

巻物を広げたのは、王立記録官エルヴィンだった。
 墨の匂いが風に混じる。筆先が、ためらいなく紙を()でていく。

「ヴェルナー・クラウディウス。お前の官位を剥奪(はくだつ)し、神殿における全権を永久に失わせる」
 「聖女制度の濫用(らんよう)寄進(きしん)の私物化。文書の隠蔽(いんぺい)。国と民への背信」
 「ゆえに——王都ルミエールより追放。再入都を禁ずる」

宣告が終わった瞬間、どこかで息を吸い込む音がした。
 それは歓声の前の息ではない。
 長い間、喉に詰まっていたものが、やっと通った音だった。

ヴェルナーは(だん)の下に立っている。
 かつては金糸(きんし)の大神官服で、誰より高く見えた男だ。

今日は、白い麻布(あさぬの)だけ。
 刺繍(ししゅう)も、聖印(せいいん)の首飾りも無い。
 その首元は、寒さより先に、(はだか)に見えた。

「……神は、沈黙なさるのですか」

ヴェルナーが絞り出した声は、いつもの滑らかな祈り口調ではなかった。
 喉の奥に砂があるみたいに、(かす)れている。

私の隣で、レオンが動かなかった。
 黒い外套(がいとう)の影だけが、私の肩へ静かに落ちる。
 視線はまっすぐ壇を見ているのに、剣の(つか)へ手を伸ばさない。
 守る相手が私だと、身体で言っている。

エルヴィンが合図をする。
 近衛(このえ)が一歩進み、ヴェルナーの胸元へ手を伸ばした。

「触るな!」

叫んだ直後、ヴェルナー自身が気づいたように口を(つぐ)む。
 ここで「触るな」と言える立場は、もう無い。

聖印の(くさり)が外される。
 金属が鳴った。ちいさく、情けない音。
 その音だけで、広場の空気が変わる。

「返せ」
 誰かが言った。
 「返せよ。あんたが使った分を」

次の言葉は続かない。
 続けたら泣いてしまう、と分かっている声だった。

ヴェルナーは首を振った。
 必死に、祈りの台詞を探している。
 けれど祈りは——もう、彼のためには形にならない。

「私は……秩序を……」
 「秩序、ですか」

私の声は、自分でも驚くほど静かだった。
 怒鳴りたい衝動はある。憎みたいのも本当だ。
 でも私は、もう「聖女様」の役を演じない。
 この言葉は、私のために言う。

「あなたが守ったのは、秩序じゃありません」
 「私たちの沈黙です」

ヴェルナーの灰色の目が、初めて私を捉えた。
 私を「聖女様」ではなく——一人の人間として見た目だった。

遅い。
 それでも、その遅さは彼の敗北だ。

群衆の中で、誰かが笑った。
 笑いは(やいば)じゃない。熱だ。
 熱が伝染(でんせん)して、抑え込まれていたものが一斉にほどける。

「大神官様じゃないんだってさ」
 「ただの男だ」
 「ただの、嘘つきだ」

ヴェルナーは一歩、よろけた。
 支える者はいない。
 支えようとした人間ほど、先に背を向けた。

連行(れんこう)せよ」

エルヴィンの声は淡々としていた。
 淡々としているからこそ、慈悲が無い。
 裁きは怒りで燃えるより、事務のように進むときがいちばん残酷だ。

ヴェルナーは(なわ)を掛けられ、壇の脇へ引かれていく。
 その背中は、かつて私に「神のために」と言った背中より小さかった。

私は目を()らさない。
 終わらせるために、見る。

そして、終わった。

王都の門が見えてくる頃には、ヴェルナーの足取りはもう儀礼の速度ではなかった。
 (すね)に絡む泥で、麻布の(すそ)が重い。

門の外には、また人がいた。
 暇つぶしの見物じゃない。
 これまで声を奪われてきた人たちの、遅れて届いた列だ。

「聖女様は、何人死んだ」
 老いた男が言った。
 問いじゃない。数字をぶつける言い方だった。

ヴェルナーは答えない。
 答えたら、そこから数え直さなければならないから。

誰かが雪解けの泥を(すく)って投げた。
 頬を叩く、鈍い音。
 白い麻布に、茶色い染みが広がる。

「ほら。綺麗じゃなくなった」
 子どもの声がした。
 残酷さを知らない声。
 けれど今日だけは、その無邪気が正しい方向を向いてしまう。

ヴェルナーは唇を震わせた。
 祈りの言葉が出ない。
 代わりに出たのは、吐息だけ。

「……私は、必要だった」

その独り言に、誰も返事をしない。
 必要だったのは、彼の権威じゃない。
 救いが、仕組みが、真実が必要だった。

近衛が門の外へ彼を押し出す。
 街路樹(がいろじゅ)の影が途切れ、外の風が容赦なく吹いた。

ヴェルナーは振り返った。
 王都は、もう彼にとって「帰る場所」ではない。
 誰も「お帰りなさい」と言わない。

彼が最後に見たのは、民衆の顔でも、王宮の塔でもない。
 掲示板に貼られた写本(しゃほん)だった。
 百年分の「大丈夫です」が、風に(あお)られて揺れている。

その紙が、彼の肩書きを剥ぎ取り、道を閉じた。


旧神殿跡(きゅうしんでんあと)は、春を待つ色をしていた。
 崩れた(はしら)の間に、雪がまだ少し残っている。
 それでも土の下から、細い草の匂いが立ち上っていた。

石工が(つち)を置く。
 作業の音が止まると、空がいきなり広くなる。

「……これで、刻み終わりです」

エルヴィンが、(てのひら)の粉を払った。
 今日の彼は記録官の服ではなく、簡素な作業着だ。
 指の関節が赤い。石の冷たさに、正直な色。

慰霊碑(いれいひ)は、祈りのための飾りじゃない。
 逃げ場のない事実を、ここに固定するための石だ。

正面には、百年分の名前が並ぶ。
 整った文字と、震えた文字と、途中で途切れた刻み。
 時代ごとの癖があるのに、どれも同じ重さで沈んでいる。

第十七代聖女。
 第十八代聖女。
 知らない名ばかりなのに、胸が痛い。

そして——
 第二十代聖女リアナ。

レオンが、私の少し後ろで息をした。
 それだけで、彼がここに立つ理由が分かる。
 守れなかった名が、ここにある。

私の名は、まだ刻まれていない。
 けれど私は知っている。
 この石に刻まれる未来が、いままで「当然」だったことを。

私は慰霊碑に手を伸ばした。
 冷たい。硬い。
 でも、逃げない。
 逃げなくていい世界にするために、触れる。

「……ごめんなさい」

誰に向けた言葉か分からないまま、口から出た。
 ごめんなさい、と言う癖は、私の中にまだ残っている。
 でも、今日は違う。
 これは謝罪じゃない。
 遅れて来た(とむら)いの言葉だ。

風が抜ける。
 崩れた礼拝堂(れいはいどう)の窓枠が、笛みたいに鳴った。

私は息を吸い、石の前で背筋を伸ばす。
 誰かに見せる姿勢じゃない。
 自分が、自分の言葉を裏切らないための姿勢。

「もう誰も、こんな思いはしません」

声は小さいのに、石の前では不思議と揺れない。
 この誓いは、祈りより硬い。

レオンが、何も言わずに頷いた。
 その横顔に、救えなかった過去がまだ刺さっている。
 でも刺さったままでも、前へ進めると——今は分かる。

私は(かご)から花を取り出した。
 王都の花屋の薔薇(ばら)じゃない。
 道の脇に咲いていた、小さな白い花。
 名前は分からない。
 それでも、この花は「役目」を背負っていない。

一本ずつ、石の足元へ置く。
 数を数えない。
 足りないのは分かっているから。

「……これから、増やします」
 私は石へ、というより自分へ言った。
 救いの方法を。
 奪われない仕組みを。
 嘘ではない「大丈夫」を。

(ふところ)の中で、紙が(こす)れる。
 持ってきた小さな手帳(てちょう)
 空白の頁が、まだたくさんある。

石に刻まれた名前が、私に問いかけている気がした。
 「あなたは、何を書き残す?」

私は花を置いた手を引き、手帳に指をかけた。
 次は、私が言葉を残す番だ。

——次話「前世の私へ」――隠してきた真実が、扉を開く。

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