S02-P02 悪役令嬢は嘘がお嫌い——私に隠し事は通用しませんことよ?

第3話: 外交官は三度嘘をつく

第1アーク · 4,586文字 · revised

外交官は、嘘をつく生き物だ。

それは職業柄であり、処世術であり——ある意味では、この世界で最も「正しい」嘘のつき方だ。国のために嘘をつく。民のために真実を隠す。そこに私情はなく、使命だけがある。

だから外交官の嘘は、社交界の嘘より見抜きにくい。

——はずだった。


朝一番の顧問府。

青い顔をした外務卿の使者は、早口で事情を説明した。

「友好国アルシャント公国の通商大使、ジルベール・クレマン卿。三年前の赴任以来、両国の交易拡大に尽力いただいておりましたが……」

「先日の査察で、軍事機密を含む書簡が公国側に流出した痕跡が見つかったと」

オスカーが使者の言葉を引き取った。眼鏡を拭く手つきに焦りはない。

「外務卿は正式な告発の前に、確認を求めている。顧問府に——つまり、君に」

セレスティーヌに視線が向く。

「証拠は?」

「状況証拠のみ。書簡は暗号化されており、誰が持ち出したかは特定できていない。だが——」

「クレマン卿が最も疑わしい、と」

「三年間に渡る通商交渉で、彼だけが軍事施設の視察を頻繁に求めていた。外務卿の言葉を借りれば、『好奇心が過ぎる』とのことだよ」

オスカーは書類を差し出した。クレマン卿の経歴。赴任前の外交履歴。通商交渉の記録。

セレスティーヌは目を通しながら、考える。

外交官の嘘は「職業的な嘘」と「個人的な嘘」が重なる。どこまでが職務で、どこからが裏切りなのか。

——くだらない。嘘に階層があること自体が、この世界の病理だ。

その境界を見極めるには、直接会って「読む」しかない。

「お会いしますわ」

「よろしい。——騎士団長」

壁際のレクトが顎を上げた。

「護衛と、念のための確保要員だ。頼めるかね」

「任務ですから」


応接室に通されたジルベール・クレマン卿は、四十代半ばの洗練された紳士だった。

銀混じりの黒髪。仕立ての良い外交服。穏やかな笑顔。手の動きは優雅で、声には適度な温かみがある。——「誠実な外交官」の完璧な見本。

セレスティーヌは、扉をくぐった瞬間から「読んで」いた。

薄紅——ある。最初の挨拶で、すでに色が見えた。

「お目にかかれて光栄です。宮廷顧問殿」

薄紅。光栄ではない。警戒している。

「突然のお呼び立て、失礼いたしましたわ」

「いえ。通商大使として、顧問府とは良好な関係を築きたいと常々。——何かお力になれることでも?」

薄紅。「常々」は嘘。顧問府に呼ばれた理由を察して探りを入れている。

三つ。冒頭の挨拶だけで三つの嘘。

外交官としては標準的だ。問題は、ここからだ。

「クレマン卿。単刀直入にお尋ねしますわ」

クレマンの目がわずかに細まった。

「先月の査察で、軍事書簡の流出が確認されました。通商大使として、この件についてご存知のことはございますか」

沈黙が落ちた。

セレスティーヌはクレマンの全身を読む。

呼吸——微かに深くなった。心拍の上昇を抑えようとしている。右手の人差し指がテーブルの縁に触れた。「自己接触行動」。嘘をつく前の準備動作。

そして——感情の色。

複雑だった。警戒の灰色。焦りの灰色。そして、奥深くに——計算の冷たい灰色。

「軍事書簡の流出……? 初耳ですな。由々しき事態だ。すぐに公国側にも確認を——」

薄紅が、厚く灯った。

嘘だ。

「初耳」ではない。この男は知っている。

だがセレスティーヌが読み取ったのは、そこだけではなかった。

「クレマン卿」

「はい」

「今の発言で、三つの嘘がありましたわ」

空気が凍った。

「一つ目。『初耳ですな』——あなたの呼吸は、わたくしが『軍事書簡』と口にした時点で変わりました。知らない情報に対する反応ではありません。既知の事実を聞かされた時の、『来たか』という覚悟の呼吸です」

クレマンの表情が固まった。

「二つ目。『由々しき事態だ』——あなたの感情に驚きの色が見えません。本当に初耳であれば、少なくとも動揺が混じるはずです。あなたは事態の深刻さを演じていますが、実際にはこの状況を冷静に計算しています」

背後でレクトが微かに位置を変えた。出口に近い壁際へ。退路を塞ぐように。

セレスティーヌは続けた。

「三つ目。『すぐに公国側にも確認を』——あなたの右手が、上着の内ポケットに一瞬だけ向かいました。公国側に確認するのではなく、何かを確認しようとした。……内ポケットの中身が気になったのではありませんこと?」

沈黙。

クレマンの顔から外交官の仮面が、ゆっくりと剥がれていった。

「……お嬢さん。あなたは——」

「三つ嘘を重ねれば十分ですわ。——それで、あなたの内ポケットには、外務卿の知らない書簡があるのではございませんか」

クレマンが椅子から立ち上がった。

その瞬間、レクトが動いた。

音もなく間合いを詰め、クレマンの退路を完全に塞ぐ。抜刀はしない。だが佇まいだけで——この男が本気を出せば一瞬で制圧できることが伝わる。

クレマンは立ち止まった。レクトを見上げ、薄い苦笑を浮かべた。

「……近衛騎士団長殿か。——退路なし、と」

「座っていただければ。話の続きがあるそうなので」

レクトの声は穏やかだった。だが有無を言わせない重みがあった。

クレマンは、ゆっくりと腰を下ろした。


外交官の抵抗は、長くは続かなかった。

セレスティーヌが一つずつ嘘を剥がすたびに、クレマンの仮面は薄くなっていった。最後に残ったのは、疲れ切った中年の男だった。

「……分かりました。認めましょう」

内ポケットから取り出されたのは、暗号化された連絡先の一覧。

クレマンは三年前から、軍事施設の情報を公国の情報部に流していた。見返りは金銭と、帰国後の地位の保証。

「ただし」とクレマンは付け加えた。「情報の受け渡しは直接ではない。仲介者がいる」

「仲介者?」

「王都にある商会だ。アステル商会(あすてるしょうかい)。通商交渉の名目で取引を行い、その裏で情報を流す。——俺一人の判断ではない。あの商会を通じて情報を渡すよう、指示があった」

アステル商会。

セレスティーヌはその名を記憶に刻んだ。前世の経験則が囁く。——通商と諜報を兼ねる商会。組織的な情報網のハブ。個人の犯罪ではなく、仕組まれた構造。

視界の端で、レクトの手が一瞬だけ拳を握った。

セレスティーヌは振り向かなかった。だが、気づいた。

あの読めない男が、「アステル商会」の名前に反応した。それも——聞き覚えがあるかのように。

「デュヴァル様。報告書を作成しますわ。クレマン卿の身柄については外務卿と協議が必要かと」

扉の外で控えていたオスカーが入室した。穏やかな微笑み。

「……興味深い手際だったよ、セレスティーヌ君」

万年筆がオスカーの指先でくるりと回った。

「——クレマン卿、別室にご案内する。騎士団長、護送を」

「了解」

レクトがクレマンに付き添い、部屋を出ていく。

すれ違いざま、セレスティーヌはレクトの横顔を「読んだ」。——もちろん、何も見えない。だがその佇まいには、いつもの飄々とした軽さがなかった。


顧問府への帰路。

秋晴れの回廊を、セレスティーヌとレクトが並んで歩いている。二歩後ろに下がっていた護衛が、いつの間にか半歩の距離にまで詰めてきている。

「騎士団長殿」

「ん?」

「交渉の場で、あなたはわたくしが証拠の在処を指摘する前に、既に退路を塞いでいましたわね」

レクトは前を向いたまま答えた。

「護衛ですから」

「わたくしの推理の先を読んでいたのではなくて?」

「……あなたが内ポケットの話を始めた時点で、相手が逃げるか暴れるかの二択だと判断した。護衛として当然の読みです」

嘘ではない——はずだ。この男には薄紅が灯らない。だが「当然の読み」という言葉の裏に、もう少し複雑なものがある気がした。

「もう一つ」

「どうぞ」

「クレマン卿が『アステル商会』の名を出した時、あなたの右手が拳を握りましたわ」

レクトの歩みが、ほんの一瞬だけ遅れた。

「……癖だ」

短い。あまりに短い。

「嘘では——」

「俺は嘘がつけないので」

そう。嘘ではない。嘘ではないが——全てでもない。

この男はオスカーとは別の方法で情報を隠す。オスカーは「言わない真実」を選ぶ。レクトは言葉を削ることで核心を逸らす。嘘がつけないなら、黙ればいい。——この男は、それを知っている。

「騎士団長殿。わたくし、あなたを信用したいと思い始めていますわ。——ですが、あなたが何かを隠していることも、感じています」

レクトが足を止めた。

振り向いた灰青色の目が、真っ直ぐこちらを見た。

「顧問殿。俺は嘘がつけない。だが——全てを話す義務もない。あなたにも、そういう部分はあるだろう」

……前世のこと。言いかけて飲み込んだ秘密。

「——ええ。ありますわね」

「だったら、お互い様だ。……今は、それでいいだろう」

レクトが歩き出した。セレスティーヌも続く。

半歩の距離。近すぎず、遠すぎず。

信用とは呼べない。だが、不信とも違う。

護衛と顧問。仕事上の関係。——今は、それでいい。


「顧問様! 大手柄じゃないですか!」

顧問府に戻るなり、マルゴが飛びついてきた。エプロンには今日も新しいシミ。

「外交官の二重スパイを捕まえたって、もう宮廷中の噂ですよ! 外務卿の侍従がうちの侍女に話して、そこから——」

「マルゴさん。宮廷中に広まっているなら、わたくしに報告する意味は薄いのでは」

「あっ、確かに! ——でも顧問様、すごいです!」

セレスティーヌは執務室の椅子に腰を下ろした。

すごくはない。外交官の嘘は分かりやすかった。職業的な嘘と個人的な嘘は、色の重なり方が違う。

問題は——アステル商会。

一国の外交官を動かすほどの情報網を持つ商会。通商と諜報を兼ねる組織。それが王都に存在する。

セレスティーヌは窓の外に目をやった。

王都クレセンティアの街並み。白亜の城壁の向こうに、商業区の屋根が連なっている。あの中のどこかに、その商会がある。

「マルゴさん」

「はい!」

「アステル商会について、何か知っていますか?」

マルゴが首をかしげた。「アステル……ああ、王都でも五指に入る大商会ですよね? 貴族御用達で、宮廷にも出入りしてるって聞きます」

「詳しいですわね」

「侍女仲間の間では有名ですよ。お屋敷の仕入れ先ですし。——あっ、もしかして調べますか?」

セレスティーヌが頷くと、マルゴの目がきらりと光った。

「お任せください! 絶対ですよ! 侍女の口伝えなら、帳簿に載らない話まで拾えますから!」

薄紅がない。得意だという自負に嘘はない。

セレスティーヌは小さく頷いた。

嘘と真実が絡み合うこの宮廷で、私の目が役に立つなら——使おう。

ただし。

オスカーの穏やかな微笑みの裏にある計算。レクトの「アステル商会」への反応。

この宮廷には、外交官の嘘よりもずっと深い闇がある。

——くだらない。嘘を暴いても、次の嘘が待っている。

そんな予感が、胸の奥で静かに灯っていた。

翌日。セレスティーヌの執務室に、一通の招待状が届いた。

差出人は——シャンヴェール伯爵夫人ベアトリス。

「社交界の新星にお目にかかりたく、ささやかな茶会へご招待申し上げます」

セレスティーヌは招待状を裏返した。

——ささやか、ね。嘘の色が見えなくても、この文面だけで分かる。ささやかな茶会など、あの女性が開くはずがない。

包囲網だ。

外交官の嘘は、暴けた。だが社交界の嘘は——もっと、厄介だ。

セレスティーヌは招待状を執務机の引き出しにしまった。丁寧に。まるで宣戦布告を保管するように。

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