S02-P02 悪役令嬢は嘘がお嫌い——私に隠し事は通用しませんことよ?

第4話: 仮面の茶会

第1アーク · 6,168文字 · revised

社交界の茶会は、戦場に似ている。

微笑みが剣で、沈黙が盾で、噂話が矢だ。そして何より厄介なのは——全員が味方のふりをしていること。

セレスティーヌは、シャンヴェール伯爵夫人の屋敷の門をくぐりながら、そう思った。


「顧問殿」

門の手前でレクトが足を止めた。

「ここからは入れません。女性のみの茶会ですので」

「知っていますわ」

「何かあれば——」

「茶会ですわよ。命の危険はありませんこと」

レクトは薄い苦笑を浮かべた。

「社交界の茶会のほうが、戦場より死傷者が多いと聞きますが」

「……否定はいたしませんわね」

セレスティーヌは振り向かずに歩き出した。背中にレクトの視線を感じる。読めない視線を。

——いないほうが、気が楽なはず。護衛がいないのだから。

なのに、一歩ごとに、何か足りないような感覚が纏わりつく。


シャンヴェール伯爵夫人ベアトリスのサロンは、王都でも指折りの華やかさだった。

天井から下がる魔法灯のシャンデリア。磨き上げられた銀の茶器。壁一面の薔薇のタペストリー。——そして、完璧に着飾った十二人の貴婦人たち。

セレスティーヌが一歩踏み入れた瞬間、視界が色で溢れた。

薄紅。薄紅。薄紅。

十二人中、十一人に見慣れた色が灯っている。笑顔の裏に好奇心。好意を装った警戒。歓迎を偽った品定め。

——十一人。一人だけ、違う。

ベアトリスの右隣。穏やかな銀灰色の髪を品よくまとめた中年の夫人——宰相レヴェリエ卿の奥方だ。マルゴの事前調査で顔は知っていた。この規模の茶会に宰相夫人が出席しないのは体裁が悪い——格式を保つための義務的な参加だろう。

その夫人だけ、薄紅がない。代わりに淡い灰色と薄い緑——義務感と穏やかな好意。宰相の妻という権力の渦中にいながら、仮面をつけていない。

——これは、茶会ではない。査定会だ。

「まあ、セレスティーヌ様! ようこそおいでくださいましたわ!」

ベアトリス・ド・シャンヴェールが両手を広げて出迎えた。

蜜色がかった金髪を完璧にまとめ上げ、翡翠の瞳が自信に満ちている。——「社交界の女王」の名に恥じない佇まい。

セレスティーヌは読む。

薄紅——ある。「ようこそ」は嘘。その奥に、支配欲の暗い紅。そして——恐怖の灰色。私に見透かされることへの恐怖。

なるほど。攻撃は最大の防御、というわけか。

「お招きいただき、光栄ですわ。ベアトリス様」

「ささやかな集まりですの。——皆様、ご紹介しますわ。宮廷顧問のセレスティーヌ・ド・ラヴァリエール様よ」

十二対の目がこちらを向いた。微笑みの仮面を被ったまま。


茶会が始まった。

最初の三十分は、優雅な世間話に見えた。天気。流行のドレス。秋の園遊会の予定。

だがセレスティーヌの目には、別の風景が見えていた。

全ての話題が、巧妙にセレスティーヌを試すように設計されている。

「外交官の事件、お見事でしたわね。——あのような場面では、やはり特別なお力を?」

嘘の色。称賛のふりをした探り。能力の詳細を聞き出そうとしている。

「お力、と申しますと?」

「あら、ご謙遜を。宮廷中の噂ですわよ。人の嘘が全て見えるとか」

「全てとは大げさですわ。——ただ、不誠実な言葉には、どうしても気づいてしまいますの」

一瞬の沈黙。何人かの貴婦人が居心地悪そうに姿勢を正した。

ベアトリスの翡翠の目が細まった。

「まあ、怖いこと。わたくしたち、嘘なんてつきませんわよねえ?」

笑い声。だが視界は嘘の色の花盛りだった。

——くだらない。嘘を本気で信じている嘘が、一番たちが悪い。


茶会の中盤。話題が移り変わる。

「ところで——ダルシニー伯爵夫人、先日のご旅行はいかがでしたの?」

ベアトリスが、向かいに座る中年の夫人に話を振った。豊かな栗色の髪に、柔和な笑顔。ダルシニー伯爵夫人——名前は聞いたことがある。穏やかな人柄で知られる夫人。

「ええ、とても素敵でしたわ。夫と二人で南部の温泉地に。久しぶりにゆっくりできましたの」

セレスティーヌの目が、反射的に動いた。

薄紅——厚い。

「夫と二人で」が嘘。「ゆっくりできた」も嘘。この夫人は旅行中、ずっと苦しんでいた。そして「夫」という単語を口にした時、感情の色が激しく揺れた。

——夫の浮気を知っている。

知っていて、隠している。穏やかな笑顔の裏で、ずっと耐えている。

セレスティーヌは口を閉じた。

これは指摘すべきではない。クレマン卿のような犯罪者ではない。ただ夫婦の問題を抱えた、一人の女性だ。

——だが。

「ダルシニー伯爵夫人」

声が出ていた。

「はい?」

「南部の温泉地は、お一人で行かれたほうが、お体にはよろしいかもしれませんわね」

沈黙が落ちた。

ダルシニー夫人の顔から、ゆっくりと血の気が引いた。

「……どういう、意味かしら」

「深い意味はございませんわ。ただ——温泉は、心身の疲れを癒すもの。気を遣う旅では、十分な効果が得られませんもの」

セレスティーヌは自分の失言に気づいていた。「一人で」がこの場では「夫なしで」を意味する。前世の臨床心理士が咄嗟に口を挟んだのだ——患者の無理な笑顔を見過ごせなかった時のように。

だが社交界は、カウンセリング室ではない。

空気が凍った。

十二人の視線がセレスティーヌに集まる。ダルシニー夫人の目に涙が浮かんでいた。

ベアトリスの唇が、勝ち誇ったように歪んだ。

「あら、セレスティーヌ様。せっかくのお茶が冷めてしまいますわ。——お口に合わなかったかしら?」

——やられた。

ベアトリスは最初からこれを狙っていたのだ。ダルシニー夫人の「秘密」を知っていて、わざとセレスティーヌの近くで話題を振った。「見えてしまう」セレスティーヌが反応するのを待っていた。

嘘は暴かれた。だが悪者にされるのは、暴いたほうだ。

セレスティーヌは茶杯を静かに置いた。

「……失礼いたしましたわ。伯爵夫人」

ダルシニー夫人は目を伏せたまま、小さく首を振った。

その時、隣から静かな声が聞こえた。

「ダルシニー夫人。——南部の温泉地でしたら、水仙の季節にもう一度お訪ねになるとよろしいですわ。春のお湯は格別ですのよ」

レヴェリエ夫人だった。穏やかな声で、何でもないように話題を変えた。ダルシニー夫人の秘密にも、セレスティーヌの失言にも触れず——ただ、空気を静かに和らげた。

ダルシニー夫人が微かに顔を上げた。「……ありがとう、ございます」

レヴェリエ夫人は小さく微笑んで、それ以上何も言わなかった。

——この人は、見えていなくても分かるのだ。

セレスティーヌは内心で舌を巻いた。嘘を見る力など使わなくても、人の痛みに寄り添える。力ずくではない強さ。

ベアトリスの目が面白くなさそうに細まったが、レヴェリエ夫人には何も言わなかった。


茶会の終盤。セレスティーヌはもう会話に加わる気力がなかった。

笑顔の裏の悪意。同情の裏の嘲笑。「大丈夫?」の裏の好奇心。——全て見える。全て、見えてしまう。

視線を逸らした先に、一人の少女がいた。

サロンの隅。他の貴婦人たちから離れた場所に、質素な服の若い女性が座っている。赤銅色の髪。琥珀色の目。——周囲から明らかに距離を置かれている。

没落モンフォール家の一人娘。リュシエンヌ・ド・モンフォール。

茶会への出席を許されたのは、ベアトリスの「慈悲」——実際には、見下すための飾り物。

セレスティーヌはリュシエンヌの感情を読んだ。

紅——濃い。灼けるような紅が、少女の輪郭を覆っている。怒りだ。そしてその奥に、深い青が沈んでいた。悲しみ。紅と青が絶えず揺れ、混じり合っている。

だが色だけでは、何に怒り、何を悲しんでいるかまでは分からない。

分かるのは——泣きそうなほど傷ついているのに、背筋だけは一分の隙もなく伸ばしていること。質素な服の裾を、白くなるほど握りしめていること。一度も目を伏せていないこと。

前世の直感が読む。——限界に近い。でも折れることを、自分に許していない。

……強い。

セレスティーヌは指摘しなかった。

ダルシニー夫人には、つい口を挟んでしまった。だがこの少女には——言わない。見えている。紅も、青も、震える拳も。

でも、言わない。

なぜだか分からなかった。前世から含めて、こんな選択をしたのは初めてかもしれない。

リュシエンヌがこちらの視線に気づいた。琥珀色の目が鋭くなる。

「……何よ、その目」

低い声。警戒と拒絶が混じっている。

「わたくしのこと、憐れんでいるの? 没落令嬢を見て、可哀想だとでも?」

セレスティーヌは首を横に振った。

「いいえ。——強い方だと、思いましたの」

リュシエンヌの目が一瞬だけ揺れた。だがすぐに、背筋をさらに正して、棘を纏い直す。

「……ふん。お世辞なら間に合ってますわ。ここの方々から、もう十分いただいておりますもの」

皮肉だった。ベアトリスたちの「慈悲」への怒りを、冷たい言葉に変えている。

「『可哀想なモンフォール家のお嬢様、今日もお古のドレスがお似合いね』——毎回こうですのよ。おかげさまで慈悲の正体には詳しくなりましたわ」

声に皮肉の棘。だが微かに震えている。——泣く前に怒るタイプだ。

「お世辞ではありませんわ」

セレスティーヌは静かに言った。

「わたくしの目に、嘘の色は見えませんもの。——あなたにも、わたくし自身にも」

リュシエンヌの眉が跳ねた。

「……嘘の色? あなた——噂の、『氷の令嬢』?」

「不名誉な異名ですこと」

「わたくしも似たようなものよ。『没落令嬢』。——不名誉な肩書きは慣れておりますの」

その声には、嘲笑ではなく、ほんの一瞬の共感があった。

リュシエンヌはふいに目を逸らした。窓の外を見るふりをして、潤んだ瞳を隠している。

「……父は、無実でしたの」

声が小さくなった。令嬢口調の棘が、剥がれかけている。

「モンフォール伯爵家の横領事件。世間では決着がついた話ですわ。——でもわたくしは知っている。三人の証人が、まるで台本を読むように同じことを言った。父を嵌めた誰かがいるのよ」

セレスティーヌの心臓が跳ねた。

——三人の証人の供述が、不自然に一致。それは、揺らぎのない均一な色——殿下の恋慕に似た構造ではないか。

だが今は、推測に過ぎない。

「……失礼ですが」

「何よ」

「その話、もう少し詳しく伺いたいですわ。——ここではなく、別の場所で」

リュシエンヌが息を呑んだ。琥珀色の目が、今度はまっすぐにセレスティーヌを見た。警戒でも拒絶でもない、何かを確かめるような眼差し。

「……なぜ。あなたに、何の関係があるの」

「まだ分かりませんわ。でも——嘘の色が見える人間には、見過ごせないこともありますの」

リュシエンヌは暫く黙っていた。それから、自分に腹を立てるように顔を背けた。

「……勝手にすれば。わたくしは、誰にも期待なんかしていませんわ」

目を逸らしたまま。だが——拒絶は、しなかった。

言葉のない何かが、二人の間に落ちた。まだ名前のつかない、種子のようなもの。


茶会が終わった。

門を出た途端、秋の冷たい風が頬を撫でた。シャンデリアの光から解放されて、視界がようやく静かになる。

——疲れた。

嘘が見える場所で、二時間。頭が重い。

「お疲れ様です」

レクトが門の脇に立っていた。

その手に——湯気の立つ茶杯。

セレスティーヌは足を止めた。

「……なぜ茶が用意してあるのです」

「顔を見れば分かります。俺でも」

「わたくしの顔に、何が書いてありますの」

「疲れた、と。あとは——怒っている、と。見たまんまです」

セレスティーヌは茶杯を受け取った。温かい。秋の風に冷えた指先に、じんわりと熱が染みる。

「……怒ってはいませんわ」

「嘘ですね」

「……わたくしの嘘は見抜かなくてよろしいのです」

一口飲む。ハーブの香り。胃が温まる。

この男は嘘がつけないくせに、なぜかちょうどいいものを用意する。湯気が立っているということは、茶会が終わる時間を見計らって淹れたのだ。

——それは護衛の仕事ではない。

「騎士団長殿」

「はい」

「社交界の嘘は、外交官よりずっと厄介ですわ。外交官は自分が嘘をついていると知っている。でも社交界の女性たちは——自分の嘘を、本気で信じていることがある」

レクトは黙って聞いていた。

「わたくしの目は、嘘を見抜く。でも——見えたからといって、指摘していいとは限らない。今日、それを学びましたわ」

「……いい勉強では」

「高い授業料でしたわ」

セレスティーヌは空になった茶杯をレクトに返した。

指が触れかけて、どちらともなく避けた。


顧問府への馬車の中。

マルゴが興奮した様子で待っていた。

「顧問様! お茶会どうでした!?」

「二度と行きたくありません」

「えっ、そんなに!? ——あ、でもでも、わたし調べてきたんです! アステル商会のこと!」

セレスティーヌの意識が切り替わった。

「聞かせてちょうだい」

「アステル商会、宮廷に出入りしてるって言ったじゃないですか。いろんなお屋敷の茶会に物資を卸してるんです。お茶の葉、お菓子、食器まで。——今日の茶会も、たぶんアステル商会の卸しですよ」

磨き上げられた銀の茶器。あれがアステル商会のものだとしたら——くだらない茶会にも、一つだけ意味があったということか。

「それと、もう一つ。モンフォール家って知ってます? 三年前に没落した伯爵家。アステル商会の帳簿のどこかに、その名前がちらっと出てくるらしいんです」

「あっ、あともう一つ! 侍女仲間から聞いたんですけど、殿下が最近あの令嬢と——アッシュフォード男爵家の方とご一緒だそうで」

蜂蜜色の巻き毛が、ふと脳裏を過ぎった。舞踏会で、空気のように場に溶けていたあの令嬢。完璧すぎる微笑み。

モンフォール家。

茶会の隅にいた、赤銅色の髪の少女。

偶然か。あるいは——。

「マルゴさん。もう少し詳しく調べてもらえますか。モンフォール家とアステル商会の関係を」

「はい! ぜーったい調べます! お任せです!」

セレスティーヌは馬車の窓に目をやった。

夕暮れの王都。商業区の屋根が茜色に染まっている。あの中のどこかに、全てを繋ぐ糸がある。

外交官のスパイ。茶会の裏側。没落した伯爵家。——そしてアステル商会。

レヴェリエ夫人の穏やかな顔が蘇る。仮面をつけない不思議な夫人。——なぜ、あの人だけ嘘がなかったのだろう。

点と点が、まだ線にはなっていない。モンフォール家の冤罪。アステル商会。三人の証言者の不自然な一致。そして宰相府。

だが今日、三つの収穫があった。ベアトリスの手口。レヴェリエ夫人という未知の存在。そして——怒りの奥に悲しみを隠す、強い瞳の少女。

リュシエンヌ・ド・モンフォール。父の冤罪を信じ、たった一人で戦おうとしている少女。

——あの子の話を聞かなければ。

そう決めた時、馬車が顧問府の前で止まった。マルゴが慌てた様子で駆け寄ってきた。

「顧問様! 今、王宮から急使が!」

「何事ですか」

「明後日の宮廷晩餐会——宰相レヴェリエ卿の主催で、顧問様にも出席の要請が。殿下も、ベアトリス様も、主要な貴族が全員招かれているそうです」

宰相の晩餐会。茶会とは比べものにならない規模の社交の場。

セレスティーヌは窓の外に目をやった。夕暮れの王都に、長い影が伸びている。

——嫌な予感がする。

理由は分からない。だが今日読みすぎた嘘の残像が、まだ視界の端でちらついていた。茶会が「査定」だったとすれば——次の晩餐会は、何だ。

秋の風が、帷を揺らした。

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