S02-P02 悪役令嬢は嘘がお嫌い——私に隠し事は通用しませんことよ?

第6話: 没落令嬢の矜持

第1アーク · 5,728文字 · revised

裁判記録は、嘘で出来ていた。

正確に言えば——嘘ではなかった。それが問題だった。

晩秋の冷気が石壁から滲み出す宮廷記録保管室の奥、埃っぽい書架に囲まれた閲覧席で、私は三度目の溜息をついた。

「……まったく、くだらない」

マルゴがお茶を淹れ直してくれている背後で、レクトが書架に寄りかかったまま尋ねる。

「何がくだらない?」

「記録が、です」

私は開いたままの羊皮紙の束を指先で叩いた。三年前のモンフォール伯爵の裁判記録。公金横領の罪で有罪となり、処刑された男の、最後の記録。

「証言者三名。全員が『確かに見た』と言っている。伯爵が金庫から金貨の袋を持ち出すところを。証言は完全に一致している」

「それは——」

「完全に、です」

私は顔を上げて、レクトを見た。彼の灰青色の瞳がこちらを映している。相変わらず、何も読めない。

「完全に一致した証言など、あり得ませんわ。人間の記憶は曖昧なもの。三人が同じ場面を見ても、必ず細部は食い違う。時刻の認識、伯爵の服装、袋の大きさ——些細な部分に必ずズレが生じる」

指を折って数える。

「ですがこの三人は、まるで同じ台本を読んでいるかのよう。『夜七つの鐘が鳴った直後』『紺色の上着に金の刺繍』『革の袋、両手で持つほどの大きさ』——寸分違わず同じことを言っている」

「……均一、か」

レクトが呟いた。何かを確かめるような、低い声だった。

「ええ。均一すぎる。まるで——」

私は言葉を切った。先日の毒入りワイン事件を思い出していた。あの犯人の、自分でもなぜか分からないと言った不自然な敵意。揺らぎのない、均一な感情。

同じだ。

構造が、同じだ。

「——まるで、誰かが揃えたかのよう」

その言葉に、レクトの表情が一瞬だけ変わった。眉が、ほんの僅かに寄せられる。私は彼の感情を読めない。だが——何かを感じた。重い、何か。

「騎士団長殿」

「どうぞ」

「あなた、今——」

何を感じているの、と問いかけようとして、マルゴが戻ってきた。

「お茶、お持ちしました! あとクッキーも見つけました! 保管室の管理人さんがくれました!」

明るい声に、保管室の空気が少しだけ軽くなる。マルゴの天性の才能だ。私は小さく礼を言い、温かいカップを受け取った。

レクトも一息つくように笑みを浮かべる。先ほどの重さは、もうどこにもない。

「で、どうするんです? この記録」

「写しを取らせていただきますわ」

私は羽ペンを手に取った。

「リュシエンヌに、見せる必要があります」


その名を口にした時、マルゴが小さく目を丸くした。

「リュシエンヌ様……あの、茶会にいらした方ですか?」

「ええ」

「赤銅色の髪の、きれいな方。でもちょっと怖かったです」

怖い、か。確かにそうかもしれない。没落した家名を背負い、誰にも媚びず、一人で立っている令嬢だ。

「彼女が、わたくしに言いましたの。『父は嵌められた』と」

「で、調べたんですか」

レクトが淡々と言う。

「ええ」

「自分から首を突っ込む性格じゃないと思ってたが」

「……見えてしまいましたから」

私はカップを置いた。茶会の日のリュシエンヌの瞳を思い出す。怒りの奥にある、深い悲しみ。それでも折れない、誇り。

「彼女の感情は、本物でした。嘘が一切ない」

「だから信じた?」

「……ええ」

レクトが小さく笑った。皮肉なのか、それとも——。

「らしくない」

「は?」

「感情で動くなんて、あなたらしくない」

「……わたくしだって、人間ですわ」

むっとして言い返すと、レクトはますます笑みを深くした。

「ああ。そうだな」

何がおかしいのだ、この男は。


翌日。

私はリュシエンヌを顧問府に呼んだ。

応接室に通された彼女は、質素な服を着ていた。だが立ち姿は凛としている。

「……何の用かしら」

警戒した声。当然だ。

「お父様の件で、お話がありますの」

その言葉に、リュシエンヌの瞳が鋭く細められた。

「……あなた、調べたの」

「ええ」

「なぜ」

私は羊皮紙の束を、彼女の前の卓に置いた。

「あなたの感情が、本物だったから」

リュシエンヌが息を呑む。

「裁判記録を閲覧しました。非公式にね。顧問の権限を使って」

「……それ、まずいんじゃないの」

「バレなければ問題ありませんわ」

私は淡々と続けた。

「証言者三名の供述を読みました。結論から言えば——不自然です」

「不自然?」

「ええ。あまりにも均一すぎる。まるで誰かが台本を用意したかのよう」

リュシエンヌが卓に手をついた。

「それじゃあ——」

「証拠にはなりません」

冷たい言葉を、私は躊躇わずに口にした。リュシエンヌの顔が強張る。

「『不自然』は疑いを生みますが、法廷で覆せるほどの力はありません。ましてや三年前の確定判決を。お父様はもう——」

「分かってる」

リュシエンヌが遮った。声が震えている。

「分かってるわ。父はもういない。判決を覆したところで、父は戻ってこない」

「それでも——」

「それでも、知りたいのよ!」

彼女が叫んだ。

応接室の空気が、張り詰める。

「誰が父を嵌めたのか。なぜ嵌めたのか。父が何を知ってしまったのか——それを知らなければ、わたくしは、前に進めない」

リュシエンヌの拳が、卓を叩いた。

「三年よ。三年間、一人で考えて、調べて、でも何も分からなくて——」

声が、割れた。

「何度も諦めかけた。……それでも——諦められなかった。母は、死んだ。領地は取り上げられた。親戚は皆、わたくしを見捨てた。残ったのは——父への想いだけ」

リュシエンヌの目が、潤んでいた。

「父は無実だった。それだけが、わたくしを支えてきた。でも誰も信じてくれなかった。『没落貴族の妄執』だって、笑われた」

私は、黙って聞いていた。

彼女の感情を、観ていた。

嘘は、ない。

三年間の怒りと悲しみが、全て本物だ。

偽りのない、純粋な痛みが——彼女を包んでいる。

「……セレスティーヌ」

リュシエンヌが顔を上げた。琥珀色の瞳が、真っ直ぐに私を見る。

「あなたの目には、見えるのでしょう? わたくしが嘘をついているかどうか」

「ええ」

「なら——教えて」

彼女の声が、懇願になった。

「わたくしは、間違っていない? 父は本当に——無実だった?」

私は、ゆっくりと頷いた。

「わたくしの目で見る限り——」

言葉を紡ぐ。ひとつひとつ、丁寧に。

「あなたのお父様への想いは、本物ですわ。嘘も、自己欺瞞も、ない。純粋な——娘の、愛」

リュシエンヌの目から、涙が零れた。

彼女は慌てて手で顔を覆う。

「……ばか」

震える声。

「そんなこと……言われなくても、分かってる……」

「いいえ」

私は静かに言った。

「三年間、一人で信じ続けてきた。誰かに言ってもらわなければ、折れそうな時もあったでしょう」

リュシエンヌが顔を上げた。涙で濡れた顔で、怒るように笑った。

「……何よ、それ。優しいじゃない」

「わたくしは優しくなどありませんわ」

「嘘」

リュシエンヌが笑う。泣きながら、笑う。

「あなたは優しい。不器用で、口下手で、表情が冷たくて——でも、優しい」

私は何も言い返せなかった。

——くだらない。優しいだなんて。ただ見えてしまうだけだ。

ただ、小さく溜息をついた。


リュシエンヌが帰った後。

私は執務室の窓辺に立ち、外を眺めていた。夕暮れが王都を染めている。

「……疲れましたか」

背後から声がした。レクトだ。いつの間にか、部屋に入っていた。

「少し」

「お茶、淹れましょうか」

「騎士団長が侍女の真似事ですの?」

「俺でもお茶くらい淹れられます」

レクトが茶器を手に取る。手慣れた動きで湯を注ぐ。意外なほど、様になっている。

カップを受け取った。優しい香りが立ち上る。一口飲んで、ふと口を開いた。

「……レクト殿」

騎士団長殿、と言うつもりだった。なぜか名前が先に出た。レクトは気にした様子もなく答える。

「どうぞ」

「あなたに、聞きたいことがあるのだけれど」

レクトが窓の反対側に立った。夕陽が彼の横顔を照らしている。

「なんでしょう」

「なぜ——」

私は言葉を選んだ。

「なぜ、嘘をつかないの?」

レクトの表情が、止まった。

「……唐突ですね」

「ずっと気になっていましたの」

私はカップを両手で包んだ。

「わたくしの観察眼は、嘘を見抜く力。でもあなたには効かない。なぜなら——あなたは嘘をつかないから」

「ええ」

「でも、それは——」

私は彼を見た。

「信念ではないでしょう? あなたは『嘘をつかない』のではなく、『嘘がつけない』」

レクトが、小さく笑った。

「……何で分かるんです」

「分かりませんわ。でも、感じる」

彼の笑みが消えた。

「理由は——いつか、話します」

「今は、ダメ?」

「今は、まだ」

レクトがこちらを向いた。灰青色の瞳が、真っ直ぐに私を映す。

「でも、必ず。いつか」

私は頷いた。

「……待ちますわ」

それだけ言って、私は再び窓の外を見た。

沈黙が降りる。

でも——嫌な沈黙ではなかった。


その夜。

顧問府の執務室で、私は記録の写しを並べていた。

モンフォール伯爵の裁判記録。証言者三名の供述。そして——先日の毒入りワイン事件の記録。

共通項がある。

均一な供述。均一な感情。

まるで誰かが——意図的に揃えたかのような。

ふと、晩餐会でのフローレンスの顔が浮かんだ。毒が発覚した瞬間、あの場で唯一微笑みを崩さなかった女。均一な霧のような感情。あれも——同じ構造ではないのか。

「……何かが、動いている」

呟いた時、ノックの音がした。

「顧問様、まだ起きてらっしゃいますか?」

マルゴの声だ。

「ええ、どうぞ」

マルゴがホットミルクを持って入ってきた。受け取ると、心配そうに覗き込まれる。

「顧問様、最近お疲れじゃないですか?」

「大丈夫ですわ」

「絶対大丈夫じゃないです! 騎士団長様も心配してましたよ! 『ちゃんと休ませろ』って!」

レクトが、か。

私は小さく笑った。

「お節介ですわね」

「優しいんですよ! だから顧問様も、もっと頼ってください! 一人で抱え込まないで!」

マルゴの言葉に、私は何も返せなかった。

一人で抱え込む。

ずっと、そうしてきた。

でも——

リュシエンヌの涙を見た。

レクトの沈黙を感じた。

一人じゃ、ないのかもしれない。

「……ええ。そうしますわ」

そう答えると、マルゴが満面の笑みを浮かべた。

「約束ですよ! 絶対ですよ!」


翌朝。運河に浮かぶ枯れ葉を窓越しに眺めながら廊下を歩くと、レクトが待っていた。

「で、何か分かりました?」

「……まだ、推測の域を出ませんわ。でも——何かが、繋がり始めている」

「話してみますか? 推測でも」

読めない瞳。でも——信じられる、気がする。

私は小さく息を吸い込んだ。

「証言の均一さ。感情の均一さ。二つの事件に、同じパターンがある」

「ええ」

「もし——これが偶然ではなく、意図的なものだとしたら」

言葉にする。

「誰かが、人の証言や感情を——操作している」

レクトの表情が、変わった。

ほんの一瞬だけ——何かが、彼の瞳に浮かんだ。

「……鋭い」

レクトが一歩、近づいた。

「その仮説を追うなら、俺も協力します」

「なぜ?」

「……俺にも、理由がある」

彼の声が、低くなった。

「いつか話すと言いましたね。嘘がつけない理由」

「ええ」

「それと——これは、繋がっている」

私は息を呑んだ。

「レクト殿……あなた、知っているの?」

「全部は知らない。でも——」

レクトが真っ直ぐに見つめてくる。

「あなたなら、見つけられると信じていた。——嘘じゃないですよ」

その言葉の意味が、私には分からなかった。

でも——確かなことがひとつだけ、あった。

この人は、私と同じものを——追っている。

「……協力、お願いしますわ」

私が差し出した手を、レクトが握った。

「任せてください」


その日の午後。

リュシエンヌが再び顧問府を訪れた。

「話があるって——また記録でも見つけたの?」

「いいえ。あなたに、協力をお願いしたくて」

私はリュシエンヌを執務室に招き入れた。

「お父様は、何を調べていましたの? 嵌められた理由があるはず」

リュシエンヌがゆっくりと頷いた。

「父は……宮廷財務の要職にいた。公金の流れを管理していた」

「ええ」

「で、ある時から——おかしな支出に気づいたみたい」

「おかしな支出?」

「記録にない金の動き。父が問い詰めると——一ヶ月後、横領の疑いで逮捕された」

リュシエンヌが拳を握りしめた。

「父は真実に近づいた。だから消された」

私は立ち上がった。

「お父様の遺品は?」

「ほとんど処分された。でも——」

リュシエンヌが懐から、小さな革の手帳を取り出した。

「これだけ、隠し持っていた。父の手記」

私は手帳を受け取り、ページを開いた。几帳面な文字で調査の記録が綴られている。

最後のページ。震える文字で、こう書かれていた。

『もし私に何かあったら——「調律」を調べろ。感情を書き換える術。宮廷ではそう呼ばれていたらしい』

私の手が、止まった。

調律(ちょうりつ)

感情を、書き換える——

「……これ」

私が呟いた時、レクトが部屋に入ってきた。

「レクト殿。これを見て」

最後のページを示すと、レクトの顔色が変わった。

「『調律』……」

その言葉を、彼は噛みしめるように呟いた。

「やっと——名前が出た」

私とレクトの視線が交わる。

そして——

リュシエンヌが割り込んできた。

「ちょっと待って。『調律』って何? あなた達、知っているの?」

私は深く息を吸い込んだ。

「まだ仮説ですわ。でも——誰かが、人の感情を操作している」

その言葉に、リュシエンヌが息を呑んだ。

「それが、父を殺した——」

「おそらく」

私は頷いた。

「お父様は、その術の痕跡に気づいてしまった。だから——」

「消された」

リュシエンヌの声が、震えた。

怒りと、悲しみと、そして——ほんの少しの、安堵。

「やっぱり……父は、正しかった」

「ええ」

私は手記を閉じた。

「これから——わたくし達は、『調律』を追います」

リュシエンヌが顔を上げた。

「わたくしも、一緒に」

「危険ですわよ」

「構わない」

リュシエンヌが強く言った。

「怖いわ」

リュシエンヌの目が潤みかけた。だが次の瞬間、背筋を正す。涙が怒りに変わるのが見えた。

「——折れるわけにはいかない。父の仇を討つ。それが、わたくしの矜持」

私は小さく笑った。

「……分かりましたわ」

そして——

三人の視線が交わった。

セレスティーヌ、レクト、リュシエンヌ。

それぞれ違う理由で、同じ敵を追う——

長い戦いの、始まりだった。

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