S03-P01 異世界SLA99.99% ~元SEは今日も魔法インフラを落とさない~

第10話: 一人に依存するのがリスク

第1アーク · 5,593文字 · revised

ゴルドが倒れた日のことを、リオンは何度も思い返していた。

あの朝、農地魔法陣の不調を知らせに鍛冶場を訪ねたとき、ゴルドは作業台に突っ伏していた。額に脂汗を浮かべ、顔色は土のように悪かった。
「大丈夫ですか、ゴルドさん」
「……ただの寝不足だ。放っておけ」
 そう言い張るゴルドを、結局、近所の女たちが半ば強引に寝台まで運んだ。

問題はそこからだった。
 農地魔法陣の刻印が摩耗して、魔力の変換効率が落ちている。このままでは収穫に影響が出る。修復には魔法陣の刻印を彫り直す技術が必要だ。
 だが、この村でそれができるのはゴルドだけだった。


結果から言えば、なんとかなった。
 リオンが事前に書いておいた手順書、「魔法陣刻印の補修手順」と題された巻物を、若い村人のトマスが読みながら作業を行い、応急処置に成功した。
 ゴルドは3日後に復帰し、トマスの作業を確認して「……まあ、及第点だ」と渋い顔で認めた。

手順書は機能した。
 それ自体は、良いニュースだ。

でも、リオンの胸には別の感情が渦巻いていた。


あの3日間。
 トマスが手順書を見ながら恐る恐る作業しているとき、リオンは横で【診断(ダイアグノーシス)】を使って状態を確認していた。手順書に書いてあるとおりに進めれば大丈夫だと、何度も声をかけた。
 それでもトマスの手は震えていた。

「リオン、本当にこれで合ってるのか……?」
「合ってます。手順書の通りにやれば大丈夫」
「でもゴルドさんがいないのに……」
「だから手順書があるんです」

あのやりとりを、リオンは覚えている。
 トマスの不安は、技術的なものだけではなかった。「ゴルドさんがいないと駄目だ」という思い込み、属人化がもたらす心理的な依存。
 前世で、何度も見た光景だった。


ゴルドが復帰してから5日が経った。
 農地魔法陣は安定稼働している。トマスの応急処置をゴルドが仕上げ直し、今は問題ない。
 村はいつもの平穏を取り戻していた。

でも、リオンにはわかっていた。
 これは「たまたまうまくいっただけ」だ。

手順書があったから、トマスが作業できた。リオンが横で診断していたから、ミスにも気づけた。ゴルドが3日で復帰したから、大事には至らなかった。
 どれか一つでも欠けていたら。

リオンは、村長の家を訪ねることにした。


村長のグラムは、自宅の居間で薬草茶を啜っていた。
 温厚だが芯のある老人だ。リオンが水浄化魔法陣を直して以来、こうした相談にも耳を傾けてくれるようになった。

「やあ、リオン。座りなさい」

リオンは勧められるまま腰を下ろし、出された薬草茶を一口飲んだ。

「ゴルドの件で、話があるんです」
「ああ……あれは肝が冷えたな」村長はため息をついた。「ゴルドが寝込んだと聞いたときは、どうなることかと思った」
「今回はたまたまうまくいきました。手順書があって、トマスが頑張ってくれて、ゴルドさんもすぐ復帰した。でも、次もそうなるとは限りません」
「……そうだな。ゴルドも歳だ」
「年齢だけの問題じゃないんです」

リオンは少し前のめりになった。技術の話になると、つい熱が入る。前世からの癖だ。

「怪我をするかもしれない。病気が長引くかもしれない。理由はなんでもいいんです。大事なのは、『一人しかできない仕事がある』という状態そのものが危険だということです」


村長は黙って聞いていた。
 リオンは続けた。

「ゴルドさんは、すごい職人です。腕は確かだし、経験も知識もある。でも——ゴルドさんの頭の中にしかない知識が、たくさんあるんです。魔法陣の刻印の癖。この村の魔法陣特有の調整方法。何十年もかけて身につけた勘と経験。それが全部、ゴルドさん一人の中にしかない」
「……まあ、そうだな。あいつは教えるのが苦手だ」

村長は苦笑した。

「問題は、ゴルドさんが悪いわけじゃないんです」リオンは首を振った。「仕組みの問題です。一人に任せきりにしてきた、村の仕組みの問題です」


リオンの脳裏に、前世の記憶が蘇っていた。

大手SIerのインフラ運用チーム。九条諒がチームリーダーに昇格して最初の年。
 チームには「鈴木さん」という先輩SEがいた。入社20年のベテラン。基幹ネットワークの設計から運用まで、すべてを一人で把握している人だった。

鈴木さんがいれば、どんな障害も解決できた。
 鈴木さんがいれば、顧客への説明も完璧だった。
 チーム全員が、鈴木さんに頼っていた。

そして、鈴木さんは辞めた。

引き継ぎなし。ドキュメントなし。「見ればわかる」が口癖だった鈴木さんの頭の中にしかなかった知識が、一夜にして消えた。
 残されたチームは混乱した。障害対応に倍の時間がかかるようになった。顧客からのクレームが増えた。九条諒は連日深夜まで対応に追われ、半年で5キロ痩せた。

あのとき学んだ。
 一人に依存するのが、最大のリスクだと。


「僕が前にいた場所で」リオンは慎重に言葉を選んだ。「チームを率いていたことがあるんです。小さなチームですが」
「ほう。お前が?」

村長は少し驚いた顔をした。15歳の少年がチームを率いていた、というのは確かに奇妙な話だ。でもリオンの目は、15歳のそれではなかった。

「そのチームに、一人だけ飛び抜けて優秀な人がいました。何でもできる人で、みんなその人に頼っていた。僕も頼っていた」
「……よくある話だな。うちのゴルドみたいなもんだ」
「ええ。そしてある日、その人が——いなくなりました」

村長の表情が変わった。

「急に?」
「ええ。事情があって。引き継ぎもなく。その人の頭の中にしかなかった知識が、全部消えたんです」

リオンは薬草茶のカップを両手で包んだ。温かい。

「残されたチームは大変でした。その人がやっていた仕事を、誰もできない。何がどうなっているのか、誰もわからない。元に戻すのに、ものすごく時間がかかりました」
「……」
「あのとき、僕は思い知ったんです。一人に依存するのがリスクなんですよ」


村長は長い沈黙の後、薬草茶を啜った。

「お前の言いたいことは、なんとなくわかる。ゴルドに何かあったら村が困る。手順書を書いたのも、そういうことだろう」
「はい」
「だが……現実的にどうすればいい? ゴルドの技は何十年もかけて身につけたものだ。手順書を読んだだけで、同じことができるとは思えん」

リオンは頷いた。
 その通りだ。手順書は万能ではない。前世でも、ドキュメントだけで全てが解決するとは限らなかった。

「全く同じレベルにはなれません」リオンは正直に言った。「ゴルドさんの腕と経験は、一朝一夕で真似できるものじゃない。でも——」
「でも?」
「『ゴルドさんがいなくても、最低限のことはできる人』を増やすことはできます」

リオンは指を立てた。

「まず、手順書。これは今回、効果があると証明されました。基本的な作業は、手順書を見ればできる」
「トマスがやったやつだな」
「はい。次に、ゴルドさんに教えてもらう時間を作る。週に一度でもいい。トマスや、他の若い人たちに、実際の作業を見せてもらう。やらせてもらう」
「ゴルドが承知するかな……」
「今回の件で、ゴルドさんも少しは考えが変わったと思います。自分が倒れたとき、手順書のおかげでトマスが対応できた。それはゴルドさんにとっても——」

リオンは言葉を探した。

「——安心材料のはずです。自分がいなくても、村が止まらない。それは、ゴルドさんの負担を減らすことでもあるんです」


村長は腕を組み、天井を見上げた。

「難しいことはわからんが」

ゆっくりと、視線をリオンに戻す。

「つまり——ゴルドがいなくても、村が回るようにしてくれるのか?」

リオンは一瞬、言葉に詰まった。
 村長の問いは、とてもシンプルだった。技術論でもリスク管理論でもない。ただ、村を守りたいという、素朴な願い。

前世の九条諒は、こういうシンプルな問いに弱かった。
 顧客が本当に求めていることは、いつだってシンプルだ。「止まらないでほしい」「困ったときに助けてほしい」「安心して暮らしたい」。技術者はそれを複雑な言葉で語りたがるが、本質はいつも同じだ。

「……そういうことです」

リオンは静かに頷いた。

「ゴルドさんがいなくても、村が回るようにします。ゴルドさんだけじゃない。僕がいなくても、回るように」
「お前もか?」

村長は目を丸くした。

「当然です。僕一人に依存する体制も、同じリスクですから」


村長は、しばらく黙っていた。
 そして、ゆっくりと笑った。

「お前は変わった子だな、リオン」
「よく言われます」
「普通、自分の価値を高めようとするものだ。自分にしかできないことを増やして、必要とされようとする。なのにお前は、自分がいなくても回るようにしたいと言う」
「……前の場所で、自分にしかできない仕事を増やした結果、壊れた人を知ってますから」

それは自分自身のことだった。
 九条諒は、チームの中で最も多くの仕事を抱えていた。誰にも任せられないと思っていた。任せる時間もないと思っていた。
 そしてサーバールームの床で倒れた。

「自分がいなくても回る仕組みを作る。それが——一番大事なことだと、僕は思ってます」


村長の家を辞したリオンは、夕暮れの村を歩いていた。

空が茜色に染まっている。畑仕事を終えた村人たちが家路につく。この日常を守るために、魔法陣が動いている。そして——その魔法陣を維持する仕組みが、今は危うい。

リオンは頭の中で、計画を組み立てた。
 ゴルドへの協力依頼。手順書の拡充。トマスたち若い村人への教育。リオン自身の知識——【診断(ダイアグノーシス)】の読み解き方や、前世の運用知識をこの世界の言葉に翻訳すること。

「……やることが多いな」

でも、一人で全部やる必要はない。それこそが、今日村長に話したことの本質だ。
 前世では「時間がない」「自分でやったほうが早い」と言い訳して、結局一人で抱え込んだ。

今度は違う選択をする。


鍛冶場の前を通りかかると、中から金属を打つ音が聞こえた。
 ゴルドが仕事を再開している。体調は戻ったらしい。

リオンは足を止め、少し迷ってから、鍛冶場の扉を叩いた。

「ゴルドさん」
「……なんだ」

ゴルドは振り向かずに答えた。赤く焼けた金属を叩いている。いつもの仏頂面だ。

「体の調子、大丈夫ですか」
「見ての通りだ。心配するな」
「……トマスの作業、見てくれましたよね」

ゴルドの手が、一瞬だけ止まった。

「……ああ」
「どうでした?」
「下手だ」

ぶっきらぼうな一言。でも。

「……だが、手順通りにはやっていた。致命的なミスはなかった」

それは、ゴルドなりの評価だった。
 リオンは少しだけ笑った。

「ゴルドさん、お願いがあるんです」
「なんだ」
「トマスに、もう少し教えてやってくれませんか。週に一度でいい。実際の作業を見せて、やらせてみてほしいんです」

ゴルドは金属を打つ手を止め、ゆっくりと振り向いた。

「……俺の技は、見て覚えるもんだ。手取り足取り教えるようなもんじゃない」
「知ってます。でも、見て覚えるにも、見る機会がなければ始まりません」

ゴルドは黙った。

「ゴルドさんが倒れたとき」リオンは静かに言った。「トマスは手順書を握りしめて、手を震わせながら作業してました。ゴルドさんがいないのが怖かったんじゃない。ゴルドさんに頼りきりだった自分が怖かったんです」

ゴルドの眉が、微かに動いた。

「……あのガキが、そんなことを」
「言ってません。でも——見ればわかります」

沈黙が落ちた。
 鍛冶場の炉の火が、パチパチと爆ぜる音だけが響く。

「……週に一度か」
「はい」
「考えておく」

ゴルドはそう言って、再び金属に向き合った。

「考えておく」は、ゴルドの言葉では「承知した」に近い。少なくとも、門前払いではない。
 リオンは軽く頭を下げて、鍛冶場を後にした。


帰り道、リオンは空を見上げた。星が瞬き始めている。

前世では、属人化の排除を何度も訴えた。でも忙しすぎて教育の時間が取れず、結局できる人に仕事が集中する悪循環を断ち切れなかった。

今度は少しだけ、状況が違う。
 村のペースは穏やかだ。教育に使える時間がある。ゴルドも、今回の件で少しは聞く耳を持ってくれた。

小さな一歩だ。でも、確かな一歩だ。

「……定時で帰るためにも、な」

リオンは小さく呟いて、家路を急いだ。


翌朝。
 リオンが朝食を済ませて家を出ると、村の広場にトマスが立っていた。

「あ、リオン。おはよう」
「おはようございます。どうしたんですか、こんな朝早くに」
「その……ゴルドさんが、今日の午後に鍛冶場に来いって」

リオンは目を瞬いた。

「ゴルドさんが?」
「うん。魔法陣の刻印の基本を教えてやるから、遅れるなって。怖い顔で言われた」

トマスは苦笑していたが、その目には——緊張と、ほんの少しの期待が混じっていた。

リオンは、込み上げてくるものを抑えて、平静を装った。

「よかったですね。遅れないように」
「う、うん。リオンも来てくれる?」
「もちろん。手順書に追記することが山ほどありますから」

トマスが小走りで去っていく。
 その背中を見送りながら、リオンは思った。

ゴルド・トマス・リオン。
 たった三人。前世の基準で言えば、最小構成のチームだ。

でも——一人より、三人のほうがいい。
 一人が倒れても、残りの二人で回せる。知識が共有されていれば、引き継ぎで慌てることもない。

冗長構成。
 システムの世界では当たり前の考え方が、この世界では——まだ、当たり前ではない。

だからこそ。

「さて——今日から、チームビルディングだな」

リオンは誰にともなく呟いて、鍛冶場に向かって歩き出した。
 秋の朝の冷たい空気が、頬を撫でる。

前世で果たせなかった「仕組みづくり」を——この世界で、始める。


【あとがき】
属人化の排除は技術論ではなく組織論。村長への説得シーンに、前世で果たせなかった「仕組みづくり」への決意を込めました。三人のチームが動き出します。

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