S03-P01 異世界SLA99.99% ~元SEは今日も魔法インフラを落とさない~

第13話: この世界にも運用保守が必要だ

第1アーク · 5,901文字 · revised

辺境の空は、どこまでも広い。

リオンは丘の上に腰を下ろし、眼下に広がる風景を眺めていた。ルーンフェル村から始まって、近隣の四つの村を巡ったのがこの二ヶ月間。どの村でも魔法陣を診断し、直せるものは直し、応急処置が必要なものには手を打ってきた。
 そして今日、最後の村、麦畑が広がるハーゼル村での作業を終えて、帰路についたところだった。

「……まとめるか」

リオンは背負い鞄から巻物を取り出した。前世の習慣で、訪問先ごとに所見を書き留めている。巻物には村の名前と、診断結果と、対応内容が並んでいる。前世ならExcelで管理していたところだが、この世界では羊皮紙とインクだ。

広げて、一覧する。


ルーンフェル村。水浄化魔法陣と農地魔法陣の魔力パス干渉。設定分離で解決済み。防壁魔法陣はシングル構成のまま、予算不足で冗長化見送り。管理者なし。

カーレン村。灯火魔法陣の出力低下。刻印の摩耗が原因。応急で再刻印したが、根本的には石板ごと交換が必要。前任の魔術師は三年前に亡くなり、後継者なし。

ブラント村。通信魔法陣の遅延。中継ノードの過負荷。トラフィックの分散が必要だが、そもそも中継の仕組みを理解している人間がいない。「昔からこうだ」で放置。

ミルデ村。農地魔法陣の異常動作。土壌管理の設定値が季節に合っていない。本来は時期ごとにパラメータを調整するものだが、手順が伝承されていない。「じいさんがやっていたが、死んだ」。

ハーゼル村。防壁魔法陣と農地魔法陣の同時運用で魔力が枯渇する問題。魔力供給の配分設計にそもそも無理がある。誰が設計したのかも不明。「古代からこうなっている」。


五つの村。五つの障害。

リオンは巻物を膝の上に置き、空を見上げた。

「……全部、同じだ」

どの村にも共通している問題。それは。

ドキュメントがない。
 属人化している。
 老朽化が進んでいる。
 そして、誰もそれを問題だと思っていない。

「動いているから大丈夫」。
 「壊れたら直せばいい」。
 「昔からこうだ」。

前世でも、何百回と聞いたセリフだった。

「前の世界では、これを『技術的負債(ぎじゅつてきふさい)』って呼んでたんだよな……」

目を瞑ると、前世のオフィスが浮かぶ。深夜のサーバールーム。山積みのチケット。「なんで今まで放置してたんですか」と聞いても、返ってくるのは「動いてたから」。

この世界も、まったく同じだ。
 古代魔術師が作ったインフラの上に、文明が乗っかっている。でも作った人はもういない。設計書もない。保守の手順も伝わっていない。
 かろうじて動いているだけ。

そして、かろうじて動いているものはいつか必ず止まる。


リオンは巻物を巻き直し、鞄にしまった。

丘の上から見渡すと、遠くに各村の屋根が点々と見える。煙突から夕餉の煙が立ち上り、畑では農夫たちが帰り支度をしている。穏やかな風景だ。

でもリオンには、その風景の「裏側」が見えていた。
 地中を走る魔力パス。村と村を繋ぐ魔法陣のネットワーク。軋み、劣化し、干渉し合いながら、なんとか動き続けているインフラ。

「一人じゃ、無理だな」

呟きは、風に消えた。

五つの村を回っただけで二ヶ月。診断はできる。原因の切り分けもできる。でも修復作業は一人では限界がある。刻印の再刻(さいこく)には精密な道具が要る。魔力パスの再配線には魔術の知識が要る。
 おまけに、ヘルム集落の防壁新規構築まで引き受けてしまった。壊れた部品からのゼロベース組み上げ——あの案件だけでも、一人では何週間かかるかわからない。
 そして何より自分一人で全部やっていたら、また前世と同じになる。

終わらない障害対応。
 増え続けるチケット。
 鳴り止まない呼び出し。

気づいたらサーバールームで倒れている。

「……それだけは、勘弁してほしい」

リオンは膝を抱え、額を乗せた。

前世の九条諒は、一人で抱え込んだ。チームリーダーなのに、部下に任せられなかった。「自分がやったほうが早い」。その判断が、属人化を生み、過労を生み、最後には自分を殺した。

同じ轍を踏むわけにはいかない。


考えを整理しよう。

リオンは鞄から新しい巻物を取り出し、地面に広げた。前世の癖で、問題を書き出すと頭がまとまる。

まず、辺境の魔法インフラが抱える問題。

一、保守運用の担い手がいない。魔術師は「新しい魔法を研究する」ことに興味があっても、「既存の魔法陣を維持する」ことには興味がない。前世でいう「開発はやりたいが運用はやりたくない」問題。

二、道具が足りない。魔法陣の刻印を修復するには、専用の工具と素材が必要だ。村の鍛冶屋では精度が足りない。王都から取り寄せると時間も金もかかる。

三、仕組みがない。定期点検の制度もなければ、障害時の連絡体制もない。壊れてから慌てる。毎回がインシデント対応だ。

四、知識が残らない。手順書も引き継ぎもない。一人が倒れれば、その村のインフラは誰も面倒を見られなくなる。

書き出してみると、ため息が出た。
 前世の中小企業のIT部門とまったく同じ構図だ。

「……でも、逆に言えば」

リオンはペンを止めた。

前世では解決策を知っていた。実践する暇がなかっただけで。

チームを作る。役割を分担する。手順書を整備する。定期メンテナンスの仕組みを作る。ナレッジを共有する。一人に依存しない体制を築く。

前世でやりたくてもできなかったことを、この世界でやればいい。


チーム。

その言葉が頭の中で回り始めた。

リオン一人では、診断はできても修復は追いつかない。必要な人材は明確だ。

まず、魔術師(まじゅつし)。魔法陣の構造を理解し、魔力の操作ができる人間。理論よりも実践。学院で教わる「正しい魔法の使い方」ではなく、現場で手を動かせる感覚派が望ましい。

次に、職人。刻印の修復、工具の製作、素材の加工ができる鍛冶師か魔道具師。図面を読めて、精密な作業ができる人間。

そして——人と仕事を繋ぐ人間。依頼の受付、スケジュール管理、資材の調達、村との交渉。前世でいうプロジェクトマネージャーか営業。技術がわからなくても、仕事を回せる人。

三人。最低でも三人。

「工房が要るな」

拠点も必要だ。道具を置く場所、資材を保管する場所、作業する場所。ルーンフェル村の外れに、使われていない小屋があったはず。あそこを借りられれば——。

リオンは、気づけば巻物の余白に間取り図を描いていた。診断室、作業場、資材庫、資料室。前世のオフィスレイアウトを思い出しながら。

そしてふと、手を止めた。

自分がまた、前のめりになっている。

「……落ち着け」

深呼吸する。

焦るな。急ぐな。一気にやろうとするな。
 前世の二の舞になるのは、こういうときだ。やるべきことが見えた瞬間に突っ走って、気づいたら一人で全部抱え込んでいる。

ペースを守れ。
 まず仲間を見つけろ。
 一人でやるな。


丘を下りて、村への道を歩いていると、荷馬車が追い越していった。御者台に座っていたのは、行商人のおじさんだ。時々ルーンフェル村に日用品を届けに来る。

「おう、リオンじゃないか。また遠出か?」
「ええ、ハーゼル村まで。魔法陣の診断です」
「はは、お前さんも忙しいな。最近どこの村でも名前を聞くぞ」
「……それ、あまり嬉しくないんですけど」

忙しいのは前世だけで十分だ。

「そういえば」

行商人は荷台に積んだ樽を叩きながら、思い出したように言った。

「鍛冶ギルドを破門(はもん)になった腕利きの職人がいるって聞いたことあるか? ドルクっていう男。ギルドの親方と喧嘩して飛び出したらしいが、腕は確からしい。今はどこかの町外れで一人で鍛冶場を構えてるとか」
「鍛冶ギルドを破門……?」
「ああ。なんでも『図面も引かずに勘で打つな』とか親方にくってかかったとかで。頑固者だが、あの男が打った金具は十年使っても歪まないと評判だぞ」

図面を引く鍛冶師。
 リオンの頭の中で、何かが引っかかった。

「……その人、今どこにいるか知ってます?」
「さあな。リグレットの町あたりじゃないか? 詳しくは知らんが」

行商人は手を振って去っていった。

リオンは立ち止まり、今の情報を反芻(はんすう)した。

図面を引く職人。ギルドの慣習に逆らってでも、正しい手順を重視する人間。
 それは——リオンが求めている人材像に、かなり近い。


ルーンフェル村に戻ると、日はすっかり暮れていた。

村長の家に報告に行くと、村長は囲炉裏端で茶を飲んでいた。

「おう、リオン。ハーゼルはどうだった」
「防壁と農地の魔力配分に問題がありました。応急処置はしましたが、根本的には設計の見直しが必要です」
「ふむ……」

村長は茶を啜り、しばらく黙った。

「お前さん、一人で大丈夫か? 最近、顔色が悪いぞ」
「……自覚はあります」

嘘は言えなかった。二ヶ月間、五つの村を回って、休みらしい休みを取っていない。前世の悪い癖が顔を出し始めている。

「実は、村長にお願いがあるんですが」
「なんだ」

リオンは居住まいを正した。

「村の外れにある空き小屋、使わせてもらえませんか。工房を作りたいんです」
「工房? お前さんが?」
「はい。魔法陣の保守運用を、もっとちゃんとやる仕組みを作りたい。そのための拠点が必要です」

村長は眉を上げた。

「一人でやるのか?」
「いえ」

リオンは、はっきりと言った。

「仲間を集めます。僕一人じゃ無理です。手を動かせる魔術師と、道具を作れる職人と、仕事を回せる人。最低でも三人。チームを作ります」

村長はしばらくリオンの顔を見つめていた。

「……お前さんの目、最近変わったな」
「変わりました?」
「ああ。最初に水浄化魔法陣を直したときは、『頼まれたから直しただけ』って顔をしてた。今は——なんというか、覚悟が決まった目だ」

リオンは苦笑した。覚悟というか、諦めに近い。やらなければ、この辺境のインフラはいつか落ちる。落ちれば人が困る。困っている人を見て見ぬふりができるほど、僕は器用じゃない。

「小屋は好きに使え。どうせ誰も使っとらん。修繕は自分でやれよ」
「ありがとうございます」


村長の家を辞して、夜道を歩く。

見上げれば、星が降るようだった。前世では、ビルの谷間から見上げても星なんて見えなかった。

ふと、村の酒場の前を通りかかったとき、中から声が漏れてきた。

「——魔術学院を落第した娘がいるらしいぞ」
「ああ、エルナとかいう子だろ? 筆記試験がまるでダメで退学になったが、実技だけは教官が舌を巻いたとか」
「感覚で魔法を使うタイプか。学院じゃ評価されんわな」
「今は実家に戻ってるらしい。もったいない話だ」

リオンは足を止めた。

学院の筆記は壊滅的。でも実技は抜群。
 理論より実践。感覚派の魔術師。

また、頭の中で何かが噛み合った。

魔法陣の保守運用に必要なのは、学術論文を書ける魔術師じゃない。現場で手を動かし、魔力を繊細に操作できる人間だ。理論は後から教えればいい。感覚は、教えて身につくものじゃない。

「……覚えておこう」

リオンは酒場を通り過ぎ、さらに歩いた。


自宅に戻り、机に向かう。
 蝋燭(ろうそく)の火が揺れる中、リオンは巻物を広げた。

今日一日で得た情報を整理する。

鍛冶ギルドを抜けた腕利きの職人、ドルク。手順と図面を重んじる男。
 魔術学院を落第した感覚派の魔術師、エルナ。実技は折り紙付き。

あと一人。仕事を回せる人間。

リオンが巻物にペンを走らせていると、ふと思い出した。先日、カーレン村で魔法陣を修理したとき、村人が言っていた。

「あの村の商人の娘さん、すごいぞ。十三で帳簿をつけ始めて、父親の店の売上を倍にしたとか。ミーナっていう子だ。商才があるっていうか、数字に強いっていうか……」

帳簿がつけられて、交渉ができて、数字に強い。
 技術はわからなくても、仕事を回せる人間。

パズルのピースが、少しずつ揃い始めている。


リオンは巻物から顔を上げ、窓の外を見た。

星空の下、村は静まり返っている。

前世の僕は、チームを作ることに失敗した。

そう、思った。

九条諒はチームリーダーだった。部下がいた。でも本当の意味でチームを作れなかった。「自分がやったほうが早い」と仕事を抱え込み、部下には雑務だけを振り、ナレッジは自分の頭の中にしか残さなかった。

その結果が——過労死だ。

リオンになった今、もう一度チャンスがある。

今度こそ、ちゃんとチームを作る。
 一人に依存しない。
 手順書を書く。ナレッジを共有する。役割を分担する。
 全員が同じ情報を持ち、誰が抜けても回る体制を作る。

前世でできなかったことを——この世界でやる。

「この世界にも運用保守(うんようほしゅ)が必要だ」

口に出すと、不思議と腹が据わった。

戦う力はない。華やかな魔法も使えない。
 でも——インフラを守る仕事は、誰かがやらなければならない。

前世では、それを「地味で報われない仕事」だと思っていた。
 でも今は違う。

水が出ること。畑が実ること。明かりが灯ること。防壁が村を守ること。
 それを当たり前に維持する仕事は——この世界を支える仕事だ。

リオンは巻物を丸め、蝋燭を吹き消した。

明日から動こう。
 まずは工房の小屋を見に行く。修繕の計画を立てる。
 そしてドルクという鍛冶師の居場所を探す。エルナという魔術師の情報を集める。ミーナという商人の娘について聞いてみる。

やることは山ほどある。でも——焦るな。

「定時で帰るために、まずは仕組みを作る」

リオンは布団に潜り込みながら、小さく笑った。

前世の自分に伝えたい。
 九条諒。お前が本当にやりたかったのは、こういうことだったんじゃないか。

障害を一人で直すことじゃない。
 障害が起きない仕組みを作ること。

第二の人生で、ようやく出発点に立てた気がした。


翌朝。

リオンは村の外れに立ち、古い小屋を見上げていた。
 壁は所々崩れ、屋根には穴が開いている。雑草が腰の高さまで伸びている。

「……これ、まずインフラの前に建物の修繕(しゅうぜん)が必要だな」

呟いて、苦笑する。

でも——悪くない。ゼロからのスタートだ。
 前世は、すでに壊れかけたシステムの上で走り続けるしかなかった。
 今度は、自分で基盤から作れる。

リオンは腕まくりをして、雑草を掻き分けながら小屋に足を踏み入れた。

窓から差し込む朝日が、埃だらけの床を照らしている。
 ここが——新しい始まりの場所だ。

辺境の、小さな工房。
 ここから、この世界の運用保守(うんようほしゅ)が始まる。

リオンは深く息を吸い、頷いた。

「さて——まずは掃除からだな」


【あとがき】
第1アークの締めくくり。五つの村を回って見えた課題は、前世の中小企業IT部門そのもの。工房設立と仲間集め、第2アークへの橋渡しとなる回です。

文字数: 5,901