S03-P01 異世界SLA99.99% ~元SEは今日も魔法インフラを落とさない~

第14話: 依頼は日中のみ

第2アーク · 5,059文字 · revised

朝日が差し込む前に、リオンはもう小屋の前に立っていた。

村の外れ。雑草に埋もれた石壁の小屋。屋根の端が崩れ、扉は蝶番(ちょうつがい)が外れて傾いている。昨日の夕方に村長から使用許可をもらったばかりだが、夜明け前に目が覚めてしまった。
 前世の癖だ。新しいプロジェクトが始まると眠れなくなる。

「……まずは現状把握から」

小屋の周囲を一周する。壁はところどころ石が抜けているが、構造自体は頑丈だ。屋根材の一部が腐っている。床は土間。窓は二つ。元は倉庫だったらしく、内部は広い。
 前世のインフラ点検と同じ要領で、状態を巻物に書き出していく。

修繕箇所。屋根の補修。壁の穴埋め。扉の付け替え。窓枠の取り付け。床の整地。
 必要な人手。一人では、かなりきつい。

「インフラの前にインフラか」

まるで、データセンターの建屋工事から始めるような話だ。


雑草を刈り始めて一時間ほど経った頃、背後から声がした。

「おう、もう始めとるのか」

振り返ると、村長のグラムが朝靄(あさもや)の中を歩いてくるところだった。白髪交じりの髪に日焼けした顔。手には大きな木箱を抱えている。

「村長。おはようございます」
「おはようさん。ほれ、差し入れだ」

木箱の中にはパンとチーズ、干し肉、水筒。

「まだ飯も食っとらんだろう」
「……すみません。つい」
「お前さんは放っておくと飯も食わずに働く」

パンをかじりながら、リオンは改装の計画を説明した。

「この小屋を工房にします。診断室と作業場、あと資材を保管する場所」
「ほう。本気だな」
「はい。ただ、一つ、最初に決めておきたいことがあるんです」
「なんだ」

「この工房は、夜は閉めます」

グラムが目を瞬いた。

「夜……閉める?」
「はい。依頼の受付は日の出から日没まで。夜間の対応はしません」

村長は、しばらくリオンの顔を見ていた。

「……なぜだ? 魔法陣の障害は夜にも起きるだろう」
「起きます」

リオンは頷いた。そして少しだけ、遠い目をした。

「前にいた場所では、僕は昼も夜も関係なく働いていました。呼び出されたら真夜中でも飛んでいく。休日も関係ない。二十四の(とき)、三百六十五日。ずっと」

グラムは黙って聞いていた。

「最初は使命感でした。自分がやらなきゃ止まる。だからいつでも対応する。それが正しいと思ってた」

前世の記憶がよぎる。
 深夜二時の電話。サーバールームの冷気。三日目の徹夜。「九条、また障害だ」。「九条、週末だけど出られるか」。
 ——九条。九条。九条。
 ある冬の夜、意識が途切れた。

「でも、人間は壊れるんです。体も、心も」

リオンは顔を上げた。

「今度は壊れる前に、ルールを決めます。夜は休む。緊急時の対応基準も、ちゃんと決める」

グラムは腕を組んで、じっとリオンを見ていた。
 それから、ふっと表情を緩めた。

「お前さんは、まだ十五だぞ。十五の小僧が、そんな顔で働き方を語るもんじゃない」

グラムは笑った。でも、目は笑っていなかった。

「……だが、わしもな。若い頃に無理をして体を壊した口だ。毎日夜明けから夜更けまで畑を耕して、ぎっくり腰で三日寝込んだ。畑は誰も見なかった。三日で麦が一区画やられた」

グラムは空を見上げた。

「一人で全部やろうとすると、倒れたとき全部止まる。お前さんの言う通りだよ」
「……はい」
「夜閉めたきゃ閉めろ。わしが村の連中には言っておく」

リオンは、深く頭を下げた。


午前中いっぱい、小屋の中の残置物を運び出した。

壊れた農具、腐った木材、正体不明の壺。前の持ち主が残していったガラクタが山のように出てくる。前世の感覚でいえば、データセンターに放置された旧サーバーの撤去作業だ。

汗だくになって三往復した頃、入口に影が差した。

「……何をやっとるんじゃ」

ゴルドだった。白髪に鋭い目。煤だらけのエプロン。太い腕を組んで、小屋の中を不審そうに見回している。

「ゴルドさん。工房を作ろうと思って」
「工房じゃと? お前さんが?」
「魔法陣の保守運用の拠点です。診断と修理の依頼を受けて、計画的にメンテナンスしていく場所です」

ゴルドはしばらく無言で小屋を見回し、壁の石積みを叩き、天井を見上げた。小さく鼻を鳴らす。

「この屋根じゃ、次の雨で水浸しじゃ」
「ですよね……」
「壁の目地(めじ)も甘い。冬には隙間風が入る。床が土間のままでは、精密な道具は錆びるぞ」

リオンは項垂(うなだ)れた。わかってはいたが、専門家に指摘されると堪える。

「……ゴルドさん、助言いただけませんか」
「わしは鍛冶師じゃ。大工ではない」
「でも、建物の構造はわかりますよね」

ゴルドはぶすっとした顔のまま、小屋の周囲をもう一周した。壁を叩き、柱を揺らし、基礎の石を蹴る。

「基礎はしっかりしとる。壁も石積みの(しん)はまだ生きとる。屋根を()き直して、目地を詰め直せば使えんことはない」

それから腰に差した巻尺を取り出した。

「屋根の寸法を測るぞ。突っ立っとらんで手伝え」
「え——あ、はい!」

ゴルドは不機嫌そうな顔のまま、手は正確に動いていた。壁の幅、天井の高さ、窓の位置。数値を読み上げ、リオンが巻物に書き取る。前世でいうサイトサーベイだ。

「ここが入口。南側に作業場。北側に資材庫。東の角に診断室を置け。窓一つで、暗くできるようにしろ。お前さんの診断(スキル)は暗いほうが見えやすいじゃろう」
「え、なんでそれ知ってるんですか」
「見ればわかる。お前さん、診断するとき毎回光源を嫌がっておったじゃろうが」

さすがに五十年、現場を見てきた人間は違う。リオンが言語化できていなかった要件を、ゴルドは一瞬で見抜いた。

ゴルドは巻物を突き返した。

「言っておくが、わしは手伝わんぞ。助言はした。あとは自分でやれ」

背を向けて三歩歩いてから、振り返らずに言った。

「……屋根材は、わしの鍛冶場の裏に余りがある。勝手に持っていけ」
「——! ありがとうございます!」
「礼を言うな。邪魔だから片付けたかっただけじゃ」


午後。

トマスがやってきたのは、リオンが一人で屋根に登ろうとして梯子(はしご)を滑らせた直後だった。

「リオン! 何やってるんだ! 一人でやる気か?」
「ああ、トマスさん。屋根の修繕を」
「待ってろ。着替えてくる」

十分後、作業着に着替えて戻ってきたトマスが梯子を支え、リオンが屋根に登る。腐った屋根材を剥がし、ゴルドの鍛冶場から運んできた板材を打ちつけていく。
 リオンの腕は細く、金槌を振るたびに釘が曲がる。

「リオン、打ち方が違う。手首をこう」
「こ、こう?」
「もっとまっすぐ! お前、本当に体使う作業が苦手だな」
「……否定できない」

二人で作業を続けながら、トマスが聞いた。

「で、この工房、どういうルールでやるんだ? ゴルドのじいさんみたいに、何かあったら夜中でも飛んでくのか?」

リオンは屋根の上で手を止めた。

「……逆だよ。夜は対応しない。依頼は日中のみ」

トマスは目を丸くした。

「えっ。でも、夜に魔法陣が止まったらどうするんだ?」
「止まる前に手を打つ。定期メンテナンスで異常を検知して、壊れる前に直す。前にいた場所では、これを『予防保全(よぼうほぜん)』って呼んでた」

リオンは空を見上げた。

「それでも想定外は起きる。でも、想定外を減らす努力はできる。その努力をしないで夜中の呼び出しに耐えるのは——ただの根性論(こんじょうろん)だ」

トマスは屋根の上からルーンフェル村を見下ろした。畑が広がり、煙突から煙が上がっている。

「リオン。お前さ、前にも言ってたよな。『暇なのが最高だ』って」
「うん。運用は、暇なのが一番いい。何も起きないのが理想なんだ」
「……変なやつ」

トマスは笑った。でも、否定はしなかった。


日が傾き始めた頃、作業の手を止めた。

「今日はここまでにしよう」

トマスは意外そうな顔をした。

「まだ明るいぞ?」
「疲れた状態で作業すると、精度が落ちる。精度が落ちると手戻りが増える。結局トータルの工数(こうすう)が増える。だから——疲れる前にやめる」
「……前にいた場所で学んだことか」
「身をもって、ね」

トマスは手を振って帰っていった。

一人になった小屋で、リオンはゴルドの間取り図を広げた。入口の横に掲示板を作ろう。工房のルールを書いて貼る場所だ。

巻物に文字を書く。

一、依頼受付は日の出から日没まで。
 二、夜間の呼び出しには対応しない。
 三、緊急対応が必要な場合は、翌朝一番で対処する。
 四、定期メンテナンスを優先する。壊れる前に直す。
 五、作業記録を必ず残す。

五箇条。前世では、こんなルールを掲げる余裕すらなかった。「サービスレベル? 24時間365日に決まってるだろ」。それが当たり前の世界だった。

「——前世の僕への手紙、みたいなもんだな」

九条諒が作れなかったルールを、リオンが作る。前世の二の(にのまい)だけは、絶対に御免(ごめん)だ。


翌日から、改装は着々と進んだ。

トマスが午前中だけ手伝いに来てくれた。ゴルドは「手伝わん」と言ったくせに、二日目の朝に扉用の蝶番を黙って置いていった。三日目には窓枠の金具。四日目、リオンが出かけている間に壁の目地が半分ほど塞がっていた。

「……ゴルドさん、手伝わないって言ってましたよね?」
「通りすがりに気になっただけじゃ」

トマスが堪えきれずに吹き出した。

五日目。屋根は完全に葺き替えられ、壁の穴は塞がり、新しい扉が取り付けられた。まだ中は空っぽだが、建物としてはもう立派に使える。


六日目の朝。

リオンは工房の入口に、木の看板を打ちつけた。
 ゴルドに「字が汚い」と言われたので、トマスに代筆を頼んだ。トマスの字は、農家の青年にしては意外なほど丁寧だった。

——

魔法陣保守工房
 依頼受付:日の出より日没まで
 夜間対応:致しかねます
 定時退勤推奨

——

村長のグラムが、朝の散歩がてら見に来た。

「ほう……『夜間対応、致しかねます』か。変わった工房だな」
「変わってますか?」
「鍛冶ギルドの工房は『いつでも承ります』と書いてあるぞ」
「いつでも承った結果、職人が疲弊して品質が落ちるんです。疲れた人間が魔法陣を触るのは、危険です」

グラムはゆっくりと頷いた。

「道理だな。好きにやれ。——そうだ、この工房、名前はあるのか?」
「名前……まだ決めてません」
「決めておけ。『リオンの小屋』じゃ格好がつかん」

グラムは笑いながら去っていった。


午後、ゴルドがふらりと現れた。

完成した工房の中を見回し、壁を叩き、床を踏み、天井を見上げる。

「……まあ、住めるようにはなったな」
「ゴルドさんのおかげです。蝶番も金具も」
「わしはやっとらん」

リオンはもう突っ込まないことにした。

ゴルドは入口の看板の前で足を止めた。

「……『夜間対応、致しかねます』。甘いことを言うな。魔法陣が夜中に止まったらどうする」
「壊れる前に定期メンテで対処します」
「理想論じゃな」
「理想を目指さなければ、いつまでも夜中に叩き起こされますよ。ゴルドさんも、五十年ずっとそうだったんじゃないですか?」

ゴルドが、一瞬だけ黙った。

「僕は——ゴルドさんと同じ働き方はしたくないんです。尊敬はしてます。五十年、一人で村のインフラを守り続けたことは、すごいことだ。でも——それは、ゴルドさんの人生を犠牲にした上で成り立っていた。違いますか」

ゴルドの顔が強張った。怒るかと思った。
 だがゴルドは怒らなかった。

「……小生意気な小僧じゃ」

それだけ言って、工房を出ていった。振り返りもしなかった。
 でもリオンには、その背中が怒っているようには見えなかった。


夕暮れ。

工房の前に立ち、リオンは完成した看板を見上げた。

前世の九条諒が見たら、何と言うだろう。
 「甘い」と笑うだろうか。「俺にもそれを言ってくれ」と泣くだろうか。

「……ここから始めよう」

リオンは工房の扉を閉めた。新しい蝶番が、軽い音を立てた。

明日からは、仲間を探しに行く。鍛冶ギルドを抜けた職人、ドルク。魔術学院を落第した魔術師、エルナ。商才ある商人の娘、ミーナ。

でも——今日は、ここまで。
 日はもう沈んだ。工房のルールに従って、今日の作業は終わりだ。

リオンは帰り道、ふと足を止めて振り返った。
 夕闇の中に佇む小さな工房。入口の看板が、最後の残照を受けて薄く光っている。

『夜間対応:致しかねます』

前世で自分に言えなかった言葉を、看板に刻んだ。

それだけで——今日は十分だった。


【あとがき】
前世で言えなかった「夜は休む」を看板に刻む話。自分を守るルールを最初に決める勇気が、工房の土台になっていきます。

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