ミルデ村から依頼書が届いたのは、工房が本格稼働を始めて五日目のことだった。
「刻印板の摩耗による農地魔法陣の出力低下、か」
リオンは依頼書を読み上げ、傍らのメモに要点を書き写す。隣ではミーナが帳簿を開き、エルナが椅子の背にもたれて聞いている。窓の外から、ドルクの金槌の音が規則正しく響いていた。
「以前リオンさんが巡回で行った村ですよね?」ミーナが帳簿から顔を上げた。
「ああ。二ヶ月前に診断したとき、既に刻印板の摩耗がかなり進んでいた。推定五十年分」
「五十年!?」エルナが目を丸くする。
「前の世界では『EOL』って呼んでた。End of Life——サポート期限切れだ。いつ止まってもおかしくない」
リオンは鍛冶場に向かい、ドルクに作業概要を伝えた。
「刻印板のリプレース。幅二十セントム、厚さ三セントム。素材は魔導石。現地で元の紋様を【診断】で読み取って図面を起こす」
「図面は」
「これから作る」
「……素材の手配に三日、鍛造に二日だな」
鍛冶場の入り口に立っていたミーナが、すかさず帳簿にメモを取った。
「魔導石の在庫はないですよね。あたしが明日リグレットに行って交渉してきます。値段も叩きますね」
ドルクが微かに口元を緩めた。「……頼もしいな」
翌日、リオンとエルナはミルデ村に向かった。
秋の風が金色に色づいた麦畑を揺らし、遠くの丘に赤い実をつけた灌木が点々と見える。ルーンフェル村から西に半日ほどの道のりだ。
「リオンさん、今回は全員で分担するんですよね」
「ああ。初めてのフルチーム作業だ。僕が診断と設計、ドルクさんが刻印板の製造、エルナが魔力の充填と微調整、ミーナがスケジュール管理と村との交渉。全員に役割がある」
リオンは歩きながら、前を見据えて続けた。
「前の世界では、サーバーのリプレース——古い機器を新しいものに入れ替える作業は、一人じゃ絶対にできなかった。設計する人、調達する人、設置する人、動作確認する人。全員が持ち場を完璧にこなして、初めて成功する」
エルナは少し間を置いて、小さく笑った。
「なんか、ちょっと楽しみです」
「僕もだよ」
素直にそう答えた。前世では、チーム作業は「調整コスト」でしかなかった。誰かがミスをすれば自分が尻拭いをし、スケジュールが遅れれば自分が徹夜で埋め合わせた。チームとは名ばかりの、一人作業の集合体。
今度は——違うものにしたい。
ミルデ村の北側。畑の中央に据えられた石の台座に、農地魔法陣の中核となる刻印板が嵌め込まれている。
リオンは台座に手を置き、目を閉じた。
「【診断】」
視界が変わる。魔力の流れが風景に重なって見える。台座から放射状に伸びるべき青白い光の脈——だが東側の三本は、微かに明滅しているだけだ。
そして刻印板の表面。紋様がヤスリで削られたように摩耗している。線の深さが半分以下の箇所、完全に消えかかった箇所。五十年分の風雨と魔力負荷の痕跡だった。
「摩耗率、推定六十八パーセント。紋様の三割が判読不能。出力は設計値の四割を切ってる」
「四割で動いてたんですか……」
「古代の魔術師の設計精度がそれだけ高かったってことだ。冗長性が最初から織り込まれていたんだろう。——でも、もう限界だ」
村長ヨハンの顔が青ざめた。横に立っていた農夫の一人が、不安げに口を開いた。
「あの……直せるんですか?」
「直すんじゃなくて、入れ替えます」リオンは振り返り、はっきりと言った。「この刻印板はもう寿命です。修理じゃなくリプレース——新品に交換する。うちの工房で新しい刻印板を作って、丸ごと入れ替えます」
「そんなことができるのか?」ヨハンが目を丸くした。
「できます。うちにはそれができる職人がいる」
午後いっぱいをかけて、リオンは【診断】で可視化した紋様を羊皮紙に写し取った。摩耗で消えた線は、周囲のパターンから推測して補完する。
エルナも手伝った。刻印板に直接触れ、魔力の流れから紋様の意図を読み取る。
「ここ、線が途切れてますけど……魔力の流れ的には、こう繋がってるはず」
「助かる。機械的なスキャンだけじゃ拾えない情報だ」
エルナが少し頬を赤くした。リオンは気づかなかった。
図面を仕上げながら、リオンは作業手順の核心をエルナに説明した。
「旧板を外した瞬間に魔法陣が完全停止する。だからその前に、エルナの魔力操作でバッファに魔力を蓄えておく。蓄えが保つ間に入れ替えと初期充填を終わらせる。制限時間は約二時間」
「二時間で全部……結構きついですね」
「だからこそ、チームでやる意味がある」
工房に戻ると、ミーナがリグレットから帰っていた。
「魔導石、定価の八掛けで交渉しました。継続購入なら値引きするって」
「やるな……」
「あと、ミルデ村のヨハン村長さんには作業当日の段取りも説明済みです。東区画の畑仕事を中断してもらう件、了承もらってます」
「……サービス影響の事前通知まで自分でやったのか」
「当然じゃないですか。お客さんに影響が出る作業なら、先に説明しないと。商売の基本です」
リオンは小さく笑った。前の世界では専門の担当が行う「メンテナンス告知」を、ミーナは商人の常識として自然にこなしている。
三日後、魔導石が届き、ドルクの鍛造が始まった。
リオンは横で【診断】を発動し、加工中の魔力量をモニタリングした。ドルクは金槌ではなく精密な鋼鉄のノミで、一打一打、正確に紋様を刻んでいく。図面に忠実だが、線の終端部分だけ、図面にない処理が加えられていた。
「ドルクさん、紋様の端末を丸めてくれたんですね。図面には指定してなかったけど」
「……角が立ってると摩耗が早くなる。五十年使わせるなら、そのくらいはやっておく」
リオンは目を閉じた。仕様書の行間を読み、五十年後のことまで考えて手を動かす。これが職人の仕事だ。
前世では「仕様書に書いてないことはやるな」が常識だった。余計なことをすれば「工数に含まれていない」と叱られた。でもドルクは違う。誰に言われずとも、品質を追求する。
鍛造が終わったとき、エルナが刻印板に手を触れて確認した。
「パスの通りが滑らかです。抵抗もない。新品なのに、もう馴染んでいるみたい」
「ドルクさんの仕上げがいいからだろうな」
「……褒めても何も出んぞ」
ドルクは背を向けて火床を片づけ始めた。耳が赤いのは、火の熱のせいだろう。
作業当日の朝。四人はミルデ村に向かった。
村に着くと、ヨハン村長が数人の農夫と待っていた。
「東区画の畑仕事は止めてある。いつでもいいぞ」
リオンは三人の顔を見渡した。
「手順を確認する。まず僕が【診断】で最終チェック。次にエルナがバッファに魔力を蓄積。確認が取れたら、僕とドルクさんで旧板を外して新品に入れ替え。エルナが初期充填。最後に僕が動作確認。制限時間二時間。——作業開始」
エルナが台座の横に膝をつき、両手を魔力パスの根元に当てた。
リオンの【診断】には、透明な青い流れがバッファ領域に溜まっていくのが見えた。
「蓄積率……五十パーセント……七十……九十……十分だ、止めていい」
エルナが手を離し、深く息をついた。
「ドルクさん、旧板の取り外しを」
「ああ」
五十年間嵌め込まれたままの刻印板は、台座と一体化しかけていた。ドルクは石の癖を読みながら、最小限の力で固定具を一つずつ外していく。
最後の留め具が外れた。
「外す」
「バッファ残量八十七パーセント。行けます」
ドルクが旧板を慎重に持ち上げた瞬間、農地魔法陣の出力がゼロに落ちた。
「ダウンタイム開始。ミーナ、時間計測!」
「計測開始!」
ここからは時間との戦いだった。
ドルクが台座の嵌合面を素早く清掃する。石粉と古い魔力の残滓を丁寧に、しかし手早く拭き取っていく。リオンが【診断】で接合面の状態を確認した。
「接合部、問題なし。新板の装着、行けます」
ドルクが布を解き、新しい刻印板を取り出した。灰白色の石板が秋の陽光を受けて鈍く光る。大きな手が、刻印板を台座に嵌め込んだ。精密に削られた寸法が窪みにぴたりと収まる。固定具を締めていく。
「固定完了」
「パスの連結、正常。——エルナ、初期充填を!」
エルナが再び台座に手を当てた。今度はバッファに蓄えた魔力を、新しい刻印板に流し込む作業だ。
リオンの【診断】には、魔力が新しい紋様に沿って広がっていくのが見えた。乾いた川床に水が流れ込むように、パスが一本ずつ光を取り戻していく。
エルナの表情は真剣そのものだった。新品の刻印板は魔力の馴染みが浅い。流す速度が速すぎれば紋様に負荷がかかり、遅すぎればバッファが先に枯渇する。
東側の、半年以上死んでいた区域にも——光が戻った。
「充填率、六十……八十……充填完了!」
「ミーナ、時間は!?」
「一時間十二分!」
制限の二時間を大幅に下回った。
リオンは最後の【診断】を実行した。
「全パス正常。出力、設計値の九十五パーセント。——リプレース完了。作業成功です」
エルナが歓声を上げた。ドルクは無言で頷いたが、口元が確かに緩んでいた。ミーナが小走りに駆け寄ってくる。
「やりましたね! ヨハン村長さんに報告してきます!」
四人で、やった。
設計、製造、実装、管理。それぞれが持ち場をこなし、連携して一つの仕事を完遂した。
前世の九条諒は、全部自分でやっていた。設計も実装もテストもドキュメントも。部下には仕事を渡さず、結果として自分が潰れた。
今日は違った。ドルクさんの鍛造は僕にはできない。エルナの魔力操作は僕の能力外だ。ミーナの交渉と段取りは、僕が逆立ちしても真似できない。
これが——チームだ。
帰り道。四人は秋の夕焼けに染まった道を並んで歩いた。
「今日の作業時間を記録しておく。次の見積もりの基準になる」
「各工程の所要時間、あたしがメモしてあります。素材手配三日、鍛造二日、現地作業一日。実作業一時間十二分」
「完璧だ。——ドルクさん、鍛造で気づいたことは?」
「紋様の交差部分、もう少し間隔を広げたほうが打ちやすい。精度は変わらん」
「次の図面から修正する。エルナは?」
「新品の刻印板って、魔力の通りに癖があるんです。慣らし運転みたいなものが必要かも」
「それは【診断】だけじゃわからない情報だ。記録しておく」
四人がそれぞれ違う視点で気づいたことを共有する。前世で言う「ふりかえり」だ。KPT——Keep, Problem, Try。
ミーナが横から声をかけた。
「あたし、今日ちょっと感動しました。技術のことはわからないけど、自分にも役割があって、ちゃんとチームの一員だったなって」
「当たり前だ。ミーナがいなかったら素材の手配も村との調整もできなかった。技術だけじゃ仕事は回らない。それは——前の世界でも、この世界でも同じだ」
ミーナが一瞬きょとんとして——それから嬉しそうに笑った。
「……ありがとうございます、リオンさん」
その声がいつもより少し柔らかかったことに、リオンはやはり気づかなかった。横を歩くエルナが、微妙な目でミーナを見ていたことにも。
工房に戻ると、すっかり夜だった。ドルクが持ち込んだ酒で軽く打ち上げをする。
「まあ、初仕事にしちゃ上出来だろ」ドルクが杯を傾けた。
「一時間十二分は優秀です。次はもっと——」
「はいはい、今日は仕事の話はなし!」ミーナが杯を高く掲げた。「乾杯しましょう、乾杯!」
「——チーム初仕事、成功おめでとう!」
四つの杯がぶつかる音が、夜の工房に響いた。
リオンは酒を一口含みながら、天井を見上げた。前世の九条諒は、打ち上げに参加したことがほとんどなかった。「まだやることがある」と言って、一人でサーバールームに戻っていた。
今日は、ここにいよう。この四人で成し遂げた仕事を、ちゃんと味わおう。
「……定時で帰れたな、今日は」
エルナが即座に突っ込んだ。
「帰ってないですよね!? もう夜ですよ!?」
「作業自体は日中に終わったから、概念的には定時だ」
「概念的って何ですか!?」
笑い声が響く。穏やかな夜だった。
——次の依頼は、明日考えればいい。
【あとがき】
四人のチームワークが噛み合った初仕事。一人で全部やっていた前世との対比が、リオンにとって一番の収穫だったと思います。