「戦闘適性——なし」の一言は、思ったより長く尾を引いた。
成人儀式から三日。リオンは畑仕事の合間に、村の大人たちの視線が変わったことに気づいていた。以前は「変わった子」に向けられる好奇心だったものが、今は「可哀想な子」に向けられる同情に変わっている。
それが、地味にきつい。
儀式の翌朝から、もう始まっていた。
朝食の席で、養父がぎこちなく口を開いた。
「リオン、畑のことなんだが……まあ、急がなくていいぞ。お前のペースでやればいい」
いつもと変わらない畑仕事の話のはずなのに、語尾に余計な優しさが乗っている。リオンは黙ってパンを齧った。
養母は心配そうにリオンを見つめていたが、何も言わなかった。前世の両親とは違う。九条諒の両親は「もっとまともな仕事はないの」と言うタイプだった。この世界の両親は、わからなくても口を出さない。その沈黙が、かえって胸に沁みる。
「大丈夫だよ、父さん。いつも通りやるから」
「……そうか」
養父は安堵したように頷いた。でも、その「安堵」自体が、お前は傷ついているはずだ、という前提の上に成り立っている。
畑に出ると、隣家のおばさんが声をかけてきた。
「リオン、無理しなくていいからね」
「ありがとうございます」
「スキルなんて気にすることないよ。農家の仕事も立派だ」
「ええ、そうですね」
笑顔で返す。前世で何千回と練習した「大丈夫です」の表情。障害対応でチームが疲弊しているとき、上司に「問題ありません」と報告するときの顔。体に染みついている。
村の中を歩くと、すれ違う大人たちの反応が手に取るようにわかった。
目を合わせてすぐ逸らす人。わざと明るく挨拶する人。何も言わずに肩を叩いていく人。
全員が善意だ。そこに悪意はない。
でも善意の同情ほど厄介なものはない。慰められるたびに、「お前はハズレを引いた」という事実が上書きされていく。
前世でもあった。プロジェクトが中止になったとき。チームが解散になったとき。「大変だったね」「気にするなよ」。その言葉の一つ一つが、失敗を刻印していく。
だからリオンは、笑って流す。
前世で学んだ処世術だ。
午後。畑仕事を早めに切り上げて、村外れの丘に向かった。
低い丘の上に一本の大きな樫の木がある。子どもの頃から、一人になりたいときはここに来ていた。根元に座れば、ルーンフェル村が一望できる。
腰を下ろし、膝を抱える。風が心地いい。前世では、こうしてぼんやりする時間なんてなかった。
「診断……」
リオンは自分の手のひらを見つめた。
状態が見える。異常が見える。負荷が見える。
前世のインフラ運用で、最初に叩き込まれたことを思い出す。
新人の頃、先輩に言われた。
——監視ができなきゃ、運用は始まらない。見えないものは守れない。
Zabbix。Nagios。Datadog。前世で触ってきた監視ツールたち。サーバーのCPU使用率、メモリ消費、ネットワーク帯域、ディスクI/Oをリアルタイムで可視化し、閾値を超えたらアラートを飛ばす。
運用保守の第一歩は、「見える化」。
【診断】は、それと同じじゃないのか。
「状態が見えるなら……悪くない」
悪くない。少なくとも、悪くはない。
問題は、何に使うか、だ。
家畜の病気を見つける? ベテラン農家の目利きと大差ない。治療師の補助? 診断しかできなければ半端者だ。
使い道が、まだ見えない。
丘の下から、声が聞こえた。
「——やっぱりここだ」
見下ろすと、儀式で弓術適性Aを出したテオが登ってきた。猟師の息子。褐色の肌に短い金髪。リオンとは幼馴染だが、性格は真逆だ。
「祝宴の二次会、まだ続いてるぞ。来ないのか」
「テオこそ、主役がサボっていいのか」
「母さんが酔って踊り出したから逃げてきた」
テオは隣にどかっと座った。草の上に仰向けに寝転がり、空を見上げる。
しばらく、沈黙。
「……気にしてないのか」
テオが切り出した。声は慎重だった。
「何を」
「スキル。戦闘適性なしって——」
「気にしてない」
嘘ではなかった。リオンが気にしているのは戦闘適性の欠如ではなく、使い道の不在だ。でもその区別は、15歳の幼馴染には伝わらないだろう。
「お前、昔からそうだよな」テオは呆れたように言った。「落ち込まないっていうか、最初から期待してないっていうか」
50歳の精神で15歳の試練を受ければ、そりゃ動じない。とは言えないので、リオンは曖昧に笑った。
「僕は戦いたくないんだよ。穏やかに暮らせればそれでいい」
「じゃあ農家を継ぐのか」
「……たぶん、それだけじゃ終わらない気がする」
テオは首を傾げた。
「どういう意味だ」
「わからない。ただ——【診断】って、使い方次第で化けるかもしれない。まだ検証中だけど」
「検証って……」
「試してみないと、わからないってこと」
テオは起き上がり、リオンの横顔を見た。
「お前って、たまに妙に大人だよな。15歳のくせに」
「よく言われる」
「まあいい。困ったら言えよ。弓術Aの俺が守ってやるから」
冗談めかした口調だったが、目は真剣だった。
「……ありがとう」
テオは手を振って丘を下りていった。
リオンは一人残り、もう少しだけ星空を眺めた。
この世界の空は星が多い。光害がない。前世の東京では考えられない贅沢だ。
翌日から、リオンは【診断】の仕様検証を始めた。
エンジニアの基本。まず、ツールの仕様を把握する。何ができて、何ができないのか。限界値はどこか。挙動の癖はあるか。
最初のテスト対象は、裏庭の山羊のメリーだった。
最近少し元気がないと養母が心配していた。
「メリー、ちょっと失礼」
山羊の頭に手を置き、意識を集中する。
【診断】——。
視界が変わった。
山羊の「状態」が、データとして流れ込んでくる。体温、心拍、消化状態、筋肉の疲労度。
そして、黄色い警告。胃の中に草の繊維が詰まっている。消化不良。だから元気がない。
「これ、胃に繊維が溜まってますね。消化を助ける薬草を煎じて飲ませれば治ります」
養母に伝えると、半信半疑で薬草を用意してくれた。
二日後——メリーは元気を取り戻した。
小さな成功。でも、これだけでは「便利な家畜医」止まりだ。
次は道具。
村の鍛冶場を訪ね、使い古しの斧を借りた。老鍛冶のゴルドは訝しげだったが、「診断の練習だ」と言えば黙って貸してくれた。
柄を握り、スキルを発動する。
金属の「状態」が見える。刃に微細な亀裂。金属疲労だ。柄との接合部にも緩み。このまま使えば、力を込めた瞬間に折れる。
「刃に亀裂があります。接合部も緩んでる。このまま使うと危険です」
「……なに?」
ゴルドは斧を受け取り、刃を光に透かした。目を細め、そして、息を呑んだ。
「本当だ。こんな細かい傷、よく見つけたな」
「【診断】で見えたんです」
「ほう……」
ゴルドは顎髭を撫でながら、リオンをじっと見た。
「お前のスキル、案外使えるかもしれんぞ。少なくとも鍛冶の品質検査には重宝する」
悪い気はしなかった。だが鍛冶の品質検査要員。それがリオンの人生のゴールかと問われると、違う気がする。
さらに数日かけて、リオンはスキルの仕様を整理した。
頭の中で、前世の癖でドキュメントを作る。
【診断】仕様メモ。
一、対象に触れるか、数メートル以内に近づかないと発動しない。
二、生物にも無機物にも使える。
三、対象が複雑なほど、得られる情報は詳細になる。
四、大きな対象ほど集中力と時間を消費する。
五、攻撃能力はない。治療・修復もできない。あくまで「見る」だけ。
「できることとできないことの境界が見えてきた」
前世で監視ツールを導入するとき、最初にやることは「このツールで何が見えて、何が見えないか」を把握することだった。監視ツールは万能ではない。見えるメトリクスと見えないメトリクスがある。その境界を理解しないまま運用すると、見えていない部分で障害が起きたとき対応が遅れる。
【診断】も同じだ。「見える」ことの価値は大きいが、「見えるだけ」という限界も理解しておく必要がある。
直すのは、自分の手か、誰かの手を借りるしかない。
六日目の夕方。
リオンは村の共同井戸の前を通りかかった。
井戸の脇に、小さな魔法陣が埋め込まれている。汲み上げた水に浄化処理を施す、簡易的なものだ。直径は30センチほど。石板の表面に、複雑な紋様が刻まれている。
ふと——何かを感じた。
感じる、というより、「見えそう」な感覚。意識の端に、情報の断片がちらつく。
「……魔法陣にも、使えるのか?」
リオンはしゃがみ込み、石板に手を触れた。
冷たい感触。目を閉じ、意識を集中する。
【診断】——。
最初は何も起きなかった。山羊を診たときや、斧を診たときとは、手応えが違う。対象が「生きている」。魔力が流れている。その動きに、意識を同調させる必要がある。
数秒の沈黙。
そして、視界の裏側に、何かが浮かび上がった。
光の線。それが少しずつ構造を持ち始める。
入力パス。処理部。出力部。
魔力の流れ。負荷率。劣化度。
リオンは息を呑んだ。
見えた。
まるで前世のGrafanaダッシュボードのように。緑が正常、黄色が警告、赤が危険。色と濃淡と流れの速さで、直感的に「健康か不健康か」がわかる。
この井戸の浄化陣は——ほぼ緑。だが、入力パスの接合部に黄色い部分がある。微かな劣化。今すぐ問題にはならない。でも、放置すれば数年後……。
「経年劣化か。今は大丈夫だけど、いずれメンテナンスがいるな」
手を離し、立ち上がった。
心臓が速い。
興奮していた。
前世のSEとしての自分が、15年ぶりに、いや、この世界に生まれて初めて——本当の意味で目を覚ましている。
【診断】は魔法陣に使える。
魔法陣の状態が、構造が、異常が、見える。
家に帰り、夕食を食べながら、リオンは考えていた。
魔法陣。この世界のインフラの根幹。水を浄化し、農地を管理し、村を守る。すべてが魔法陣で動いている。
そして誰もその状態を把握していない。年に一度の巡回魔術師が来るまで、放置。日常的な監視も保守もない。
前世で言えば、監視なし、定期メンテなし、壊れたら外注。中小企業のITインフラでよく見た、最悪のパターンだ。
「……見えちゃったな」
見なければよかった、とは思わない。
でも見えてしまった以上、無視できるほど、九条諒は不誠実な人間ではなかった。
養母が声をかけてきた。
「リオン、ぼーっとしてるけど、大丈夫?」
「うん。ちょっと考えごと」
「スキルのこと?」
「まあ……そんなところ」
養母は微笑んだ。
「リオンがそう思うなら、きっと大丈夫だよ」
根拠のない信頼。でも、それが嬉しかった。
「……ありがとう、母さん」
夜。自室のベッドに横になり、天井を見つめた。
スキル【診断】。
戦闘適性ゼロ。攻撃能力なし。
でも——魔法陣の状態が見える。
そして、この世界の魔法陣インフラは、たぶん、思っているよりずっと脆い。
使い道は、まだはっきりとは見えない。家畜医にはなれる。鍛冶の品質検査もできる。だがそれは、【診断】のポテンシャルの一割にも満たない気がする。
魔法陣。あの構造。あの流れ。前世のネットワーク図にそっくりだった。
もしこの世界の魔法陣インフラを「運用保守」できるとしたら。
もし前世のSEの知識が、この世界で活きるとしたら。
リオンは寝返りを打った。
まだ仮説だ。検証が足りない。井戸の小さな浄化陣を見ただけで結論を出すのは、エンジニアの流儀に反する。
明日、村の水路沿いの浄化魔法陣を診てみよう。あれはこの村で最も重要な基幹インフラだ。あれを【診断】できれば、仮説はもう少し確度が上がる。
定時で帰りたい。穏やかに暮らしたい。
その気持ちは変わらない。
でも見えてしまったものを、放っておけるほど、器用じゃない。
リオンは目を閉じた。
眠りに落ちる直前、ふと思った。
前世では、インフラが僕の命を奪った。
この世界では、インフラが、僕に居場所をくれるかもしれない。
【あとがき】
スキル【診断】の仕様検証回。エンジニアが新しいツールを手にしたとき、まず仕様を調べるのは職業病ですね。魔法陣がGrafanaに見えた瞬間がこの話の核でした。