S03-P01 異世界SLA99.99% ~元SEは今日も魔法インフラを落とさない~

第20話: 定時で帰るって嘘ですか!

第2アーク · 5,866文字 · revised

蝋燭(ろうそく)の炎が、三度目の交換を迎えていた。

リオンは工房の作業机に向かい、通信魔法陣の負荷分散設計図を睨んでいた。昼間のロードバランシング実装は成功した。各村の通信遅延は劇的に改善され、エルナには「IT用語が漏れてます」と突っ込まれ、ドルクには「何語だそれは」と呆れられた。

だが、問題はそこじゃない。

「……ここのフェイルオーバー、手動切替になってるんだよな」

負荷分散は実装できた。しかし、中継ノードが一つ落ちた場合の経路切り替えが自動化されていない。今の設計だと、障害が起きたら誰かが現場に行って手動で切り替える必要がある。

前世のリオン、九条諒なら、こう言っただろう。

「自動フェイルオーバーのない冗長構成に意味はない」。

だから今夜中に設計を詰めておきたかった。明日の朝、エルナとドルクに説明するために。

窓の外はとっくに暗い。虫の声だけが聞こえる。

「あと少しだけ……」

その呟きが、何回目なのか。リオン自身にもわからなくなっていた。


最初に「あと少し」と思ったのは、夕食の後だった。ミーナが「今日はもう終わりにしましょう」と声をかけ、ドルクも道具を片付けて帰った。エルナは最後まで残っていたが、リオンが「先に上がって」と言うと、不満そうな顔で出ていった。

そのとき、まだ日没直後。あと少しだけ。

蝋燭を三本消費したということは、少なくとも九時間以上。深夜を通り越して未明だ。

「……前世と同じことしてる」

自覚はあった。でも手が止まらない。この設計ができるのは自分だけだ。エルナは魔力操作の天才だが経路設計はまだ教えきれていない。ドルクもミーナも専門外。

結局、自分がやるしかない。

「……SPOF(スポフ)だな、僕が」

呟いて、苦笑した。

Single Point of Failure。単一障害点。そこが壊れるとシステム全体が止まる、たった一つの弱点。

冗長化の大切さを誰よりも知っているくせに、自分自身を冗長化できていない。


四本目の蝋燭に火を移したとき、工房の扉が開いた。

「——やっぱり」

振り返ると、エルナが立っていた。

作業着ではなく、寝巻きの上に上着を羽織った姿。亜麻色(あまいろ)の髪は普段のように束ねておらず、肩に流れている。手には小さなランタンを持っていた。

「エルナ? どうしたの、こんな時間に」

「こんな時間に、はこっちの台詞です」

エルナの声は、静かだった。怒っているのではなく、怒りを通り越した声だった。前世の上司が本当にキレたときの声に似ている。怒鳴るより怖いやつだ。

「工房の灯りが見えたんです。私の部屋の窓から」

「ああ、ごめん。光が漏れてた?」

「漏れてたも何も、煌々(こうこう)と」

エルナはランタンを机の端に置いた。そしてリオンの手元を覗き込む。

「……これ、通信魔法陣の設計ですか。昼間のロードバランシングの続き?」

「うん。フェイルオーバーの自動化を」

「リオンさん」

エルナが遮った。

「今、何刻だと思ってるんですか」

「……えーと」

リオンは窓の外を見た。空は真っ暗で、星の位置からして。

「深夜二刻……くらい?」

「三刻です。朝まであと二刻もありません」

三刻。前世の時間で午前三時半。

リオンは、さすがに顔をしかめた。

「……そんなに経ってたか」

「経ってました」


エルナは作業机の向かい側に回り込み、リオンと正面から向き合った。

ランタンと蝋燭の灯りが、彼女の緑色の瞳を揺らしている。

「リオンさん。この工房を作ったとき、最初に掲げたルール、覚えてますか」

「……依頼は日中のみ。夜間対応はしない」

「そうです。リオンさん自身が決めたルールです」

リオンは目を逸らした。反論できない。

「これは依頼じゃなくて、設計作業だから」

「同じです」

エルナの声が、少し強くなった。

「依頼だろうが設計だろうが、夜中に一人で作業してたら同じことじゃないですか。定時で帰るって」

エルナは一拍、間を置いた。

「定時で帰るって言ったのは嘘ですか!」

その声が、静かな工房に響いた。

リオンは言葉を失った。

嘘じゃない。嘘をつくつもりはなかった。本気で定時退勤を目指していた。前世の二の舞はごめんだと、心の底から思っていた。

でも。

「あと少しだけ、って思ったんだ」

「その『あと少し』が九刻です」

エルナの指摘は正確だった。夕食後から数えて九刻。前世の尺度で十三時間以上。

「前の世界でもそうだったんですか?」

リオンは黙った。エルナはリオンの「前の世界」について詳しくは知らない。ただ、時々口にする断片から、何かを察しているようだった。

「……そうだね。よくこうなった」

「終電、っていうのがあったんですよね。夜中の最後の乗り物。『逃すと会社に泊まる』って、笑いながら言ってましたけど、全然面白くなかったです」

「休日出勤、っていうのも」

エルナの声が、少し震えた。

「それで最後は倒れたんですよね。前の世界で」

工房が、静まり返った。

「……うん。倒れた」

今夜の静けさの中では、嘘をつく気になれなかった。

「働きすぎて、倒れた。それでこの世界に来た」


エルナは、しばらく何も言わなかった。

ランタンの炎がちりちりと音を立てている。

やがて、エルナは口を開いた。

「リオンさん。私、怒ってるんです」

「……うん、わかってる」

「わかってないです」

エルナの声は、怒りだけじゃなかった。もっと複雑な何かが混じっていた。

「リオンさんがいなくなったら、この工房はどうなるんですか」

「……」

「通信魔法陣の設計ができるのは、リオンさんだけです。負荷分散の考え方も、フェイルオーバーの理論も、私はまだ全然わかってません。ドルクさんも、ミーナちゃんも、技術の根幹はリオンさんに頼ってます」

エルナの言葉は、一つ一つが正確にリオンの急所を突いていた。

「あなたが倒れたら——誰がインフラを守るんですか」

リオンは、息を呑んだ。

それはまさに、さっき自分が思っていたことだった。

自分がSPOFだということ。単一障害点だということ。自分が落ちたら、チーム全体が止まるということ。

でも、エルナの言葉には、技術的な指摘以上の重みがあった。

「私たちが——いるじゃないですか」

エルナの声が、かすかに震えた。

「私はまだ未熟です。設計はできません。でも、できるようになりたいと思ってます。リオンさんが教えてくれたから。手順書を書いて、原因を切り分けて、一つずつ確認する方法を」

エルナは机の上の設計図を指差した。

「この設計、明日教えてください。私にも理解できるように、手順書にして。そうすれば、リオンさんが一人で夜中にやる必要なくなるじゃないですか」

リオンはぐうの音も出なかった。


冗長化。

その言葉が、リオンの頭の中でぐるぐると回っていた。

システムの冗長化は散々やってきた。シングル構成の危険性は誰よりも理解している。防壁魔法陣の冗長化を領主に進言して却下されたこともある。

なのに自分自身の冗長化は、まったくできていなかった。

「……僕が一人で抱え込んでたら、前世と同じだ」

「そうです」

「チームを作ったのに、チームに任せてなかった」

「そうです」

「結局、『自分がやったほうが早い』って思ってた」

「そう」エルナは言いかけて、止まった。「……リオンさん、それ前の世界でも同じこと言ってたんですか?」

「まったく同じことを」

リオンは、自嘲するように笑った。

九条諒は、チームリーダーだった。部下がいた。でも「自分がやったほうが早い」と仕事を抱え込んだ。ナレッジを共有しなかった。手順書を書く暇がないと言い訳した。

そして過労で死んだ。

リオンになって、「今度こそチームを作る」と誓った。工房を建て、仲間を集め、役割を分担した。

でも肝心の自分が、同じ轍を踏んでいる。

「エルナ」

「はい」

「僕はバカだな」

「はい」

即答だった。リオンは思わず目を丸くした。

「……否定してくれてもいいんだけど」

「しません。本当にバカだと思ってるので」

エルナの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。怒りが溶け始めている。

「インフラの冗長化が大事だって、毎日のように言ってるのに。自分自身は冗長化しないなんて、バカ以外の何だっていうんですか」

「……返す言葉もない」


エルナは立ち上がり、リオンの隣に回った。

そして設計図の上に広がった巻物を、丁寧に巻き始めた。

「何して」

「片付けてるんです。今日はもう終わりです」

「でも、フェイルオーバーの」

「明日やりましょう。チームで」

リオンは口を閉じた。

エルナの手が、リオンの手元にあったペンを取り上げた。インク壺に蓋をして、道具を棚に戻していく。

その動作が、あまりにも自然で、リオンはぼんやりとそれを眺めていた。

「……エルナ」

「はい」

「僕がSPOFにならないためには、どうすればいいと思う?」

エルナは手を止めた。

「……SPOF、って何ですか?」

「Single Point of Failure。単一障害点。そこが落ちるとシステム全体が止まる、一つだけの弱点のこと」

「リオンさんが、それだって言いたいんですか」

「今の工房では、そうだと思う。技術の根幹を僕一人が握ってる。僕が倒れたら」

「倒れないでください」

エルナの声は、今度は怒りではなかった。

「倒れないように、私が監視します」

「……監視?」

「リオンさんが夜中に作業してたら、見つけて止めます。無理してたら、休ませます。それが私の仕事です」

リオンは目を瞬いた。

「それ、死活監視(しかつかんし)じゃないか」

「何ですかそれ」

「システムが生きてるか死んでるか、定期的にチェックする仕組み。前の世界では、サーバーが動いてるかどうかを監視するツールがあって」

「リオンさん」

「はい」

「また変な言葉が漏れてます」

リオンは口を(つぐ)んだ。そしてふと、笑いが込み上げてきた。

「……ありがとう、エルナ」

「え?」

「監視してくれるの、助かる。僕は自分では止まれないタイプだから。前世でも、誰かに止めてもらえてたら」

リオンは言葉を飲み込んだ。言わなくていいことだ。

「とにかく、ありがとう」

エルナの頬が、ランタンの灯り以上に赤く染まっていた。

「べ、別に……リオンさんのためじゃないですよ。インフラのためです。リオンさんが倒れたらインフラが落ちるから」

「うん。インフラのためだね」

「そうです。インフラのためです」

「わかった」

「……本当にわかってますか?」

エルナの視線が、ちらりとリオンの顔を窺った。

リオンは気づかなかった。いや、気づかないふりをしたのかもしれない。前世の九条諒は、恋愛の優先度を意図的に下げていた。大切な人より仕事を優先して、結局フラれた。それ以来、誰かに踏み込むことを避けている。

この世界でもまだ、その癖が抜けていない。


蝋燭を消した。

ランタンの灯りだけが、工房を薄く照らしている。

「帰りましょう、リオンさん」

「うん」

リオンは立ち上がり、腰を伸ばした。背中がばきばきと鳴る。体は正直だ。

工房の扉を開けると、夜風が頬を撫でた。冷たくて、気持ちがいい。見上げれば、星が降るようだった。

「……綺麗だな」

「はい。綺麗です」

二人並んで、夜道を歩く。

村は静まり返っている。犬の遠吠えと、虫の声だけが聞こえる。

「リオンさん」

「ん?」

「明日から、ルールを追加してもいいですか」

「どんなルール?」

「最後に工房を出るのは私にしてください。リオンさんが残ってたら、私が追い出します」

リオンは苦笑した。

「それ、監視ツールの自動アラートみたいだな。閾値(しきいち)を超えたら通知が飛んでくる」

「また変な言葉です」

「ごめんごめん」

「で、いいですか?」

「……いいよ。そうしよう」

エルナが小さく頷いた。その横顔を、星明かりが照らしている。

リオンは思った。

冗長化の第一歩は、一人で抱え込まないことだ。

前世では、それができなかった。「自分がやったほうが早い」と思い込んで、全部一人で背負って、最後には潰れた。

でも今は、隣に止めてくれる人がいる。

「エルナ」

「はい」

「明日、フェイルオーバーの設計、一緒にやろう。僕が全部説明する。手順書も書く。エルナが一人でもできるように」

「……本当ですか?」

「本当。僕がSPOFである限り、このチームは脆弱(ぜいじゃく)だ。僕の知識を共有して、誰でも対応できる体制を」

「リオンさん」

「はい」

「嬉しいですけど、今は寝てください」

「……はい」


エルナの宿舎の前で立ち止まった。

「じゃあ、おやすみ。エルナ」

「おやすみなさい、リオンさん」

エルナは扉に手をかけて、振り返った。

「あの」

「ん?」

「私、リオンさんの監視ツール……じゃなかった」

エルナは少し恥ずかしそうに言い直した。

「私はリオンさんがちゃんと休めるように、見ててあげます。だから」

彼女は、まっすぐにリオンの目を見た。

「もう二度と、前の世界みたいにならないでください」

その言葉が、夜の空気に溶けていった。

リオンは少しだけ、胸が痛んだ。

「……ならないよ」

「約束ですよ」

「約束する」

エルナは、ふわりと笑った。

その笑顔が、ランタンの灯りに照らされて、リオンは一瞬、目を奪われた。

だがすぐに視線を逸らす。前世の癖だ。近づきすぎるな。大切な人を、また仕事で失うことになる。

「おやすみ、エルナ」

「おやすみなさい」

扉が閉まった。


一人になった夜道を歩く。

前世には、深夜に本気で怒りに来てくれる人はいなかった。彼女は「仕事が忙しすぎる」と言って去り、友人には「お前、死ぬぞ」と笑われ、上司には「もうちょっと頑張れ」と言われた。

誰も本気で止めてくれなかった。いや。止めようとしてくれた人は、いたのかもしれない。僕が、聞く耳を持たなかっただけで。

自宅に戻り、布団に潜り込む。机の上の設計メモに手が伸びかけて、止めた。

エルナの声が、耳に残っている。

「定時で帰るって言ったのは嘘ですか!」

嘘じゃない。嘘にしたくない。

目を閉じると、仕事じゃないことが頭に浮かんでいた。

ランタンに照らされた緑色の瞳。「私たちが、いるじゃないですか」という声。星明かりの下の横顔。

リオンはその考えを、頭の隅に追いやった。まだ早い。今はチームを守ることが最優先だ。

でも、ほんの少しだけ、前世の九条諒が知らなかった温かさが胸の奥にあった。

最後に思ったのは——「明日こそ定時で帰ろう」。

それは前世の最期にも思ったことだった。でも今度は、隣にそれを見届けてくれる人がいる。


【あとがき】
自分自身がSPOF(単一障害点)だと気づく夜。インフラの冗長化を語りながら自分は冗長化できていない矛盾を、エルナが突きます。

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