S03-P01 異世界SLA99.99% ~元SEは今日も魔法インフラを落とさない~

第24話: だから冗長化しましょうって言ったのに

第2アーク · 4,197文字 · revised

深夜第一刻。角狼の遠吠えが絶え間なく響いている。

地下の魔法陣室で、エルナの額に脂汗が浮いていた。手動で防壁に魔力を流し続けて六時間。指先の光が、目に見えて弱くなっている。

「エルナ、出力を二割五分に落とせ」

「でも、それだと範囲が」

「館の外壁五十メートルまで縮小する。集落までは届かない。でもエルナが倒れたら防壁そのものがゼロになる。縮小しても維持する方が合理的だ」

全部守ろうとして全部落ちるより、守れる範囲を絞って確実に守る。トリアージの考え方だ。前世の大規模障害で嫌というほど学んだ。

「……わかりました。二割五分に落とします」

エルナが出力を絞ると、防壁の光がさらに薄くなった。リオンは【診断(ダイアグノーシス)】の目で防壁の形状を確認する。館の本館と別館、井戸、馬小屋はギリギリ圏内。使用人棟の東側は圏外に出た。

「館の者に伝えてくれ。使用人棟の東側の人間は本館に避難させろ。防壁の外になる」

傍に控えていた執事のヘルベルトが、即座に走っていった。


深夜第二刻。角狼が防壁への体当たりを始めた。

一頭が突進し、防壁に弾かれる。次の一頭。また次の一頭。群れで交代しながら同じ場所を狙っている。

「学習してる。弱い箇所を見つけようとしてるな」

リオンは【診断】で防壁の負荷分布を見ていた。角狼が集中的に叩いている北東の一角、防壁の厚みが薄い。

「エルナ、北東に魔力を少し回せるか。そこが狙われてる」

「やってみます」

エルナの指先が微かに動いた。魔力の流れが変わる。北東の防壁がわずかに厚みを増し、角狼の体当たりがまた弾かれた。

「……リオンさん、あとどのくらい持てばいいですか」

「ドルクさんが工房で刻印板を打ってる。設計図はあるから、ドルクさんの腕なら十時間から十二時間で仕上がるはずだ。往復に半日。朝には間に合う、と思いたい」

「思いたい、ってどういうことですか」

「精密な刻印は、急いだらミスが出る。ドルクさんは妥協しない人だから、時間がかかっても正確に仕上げてくるだろう。問題はそれが何時間かかるかだ」

エルナが苦笑した。汗まみれの顔で。

「信頼してるのか心配してるのか、よくわかりません」

「両方だよ」


深夜第三刻。エルナの手が震え始めた。

魔力の出力が不安定になっている。防壁が明滅を繰り返す。角狼たちが興奮して吠え声を上げた。獲物が弱っていることを感じ取っている。

「エルナ。正直に言え。あとどのくらいいける」

「……一刻。もって二刻」

前世の時間で一時間半から三時間。夜明けまでは四時間以上ある。

リオンは考えた。

エルナの魔力が尽きれば防壁は完全に消える。四十頭以上の角狼が無防備な館に突入する。館の兵士は三十名弱。装備は貧弱で、防壁があることを前提にした配置だ。角狼の群れと正面から戦えば、死人が出る。

「エルナ、出力を一割五分まで落とせ」

「一割五分? それじゃ館の本館しか守れませんよ」

「本館だけでいい。人を全員本館に集める。範囲を極限まで絞って、防壁の密度を上げる。薄く広くより、狭く厚く」

リオンは立ち上がり、地上への階段に向かった。

「館の全員を本館に避難させる。俺が指示してくる。エルナは出力を落として、体力を温存しろ。ドルクさんが来るまで、絶対に倒れるな」

「倒れません。リオンさんの監視ツールですから」

冗談を言えるうちは大丈夫だ。リオンは少しだけ安堵して、階段を駆け上がった。


館の広間にベルクハルトの一族と使用人たちが集められていた。子どもが泣いている。母親が抱きしめている。老人が壁際で震えている。

ベルクハルトは広間の中央に立っていたが、指示を出せずにいた。防壁がある日常しか知らない人間が、防壁のない夜に直面している。想定外の障害に対するマニュアルがないのだ。

「領主様。全員この本館に留まってください。防壁の範囲を本館に絞ります」

リオンの声は落ち着いていた。三日間の障害対応で鍛えた精神は、パニックの中でも冷静さを保つ。

「本館の外は防壁がなくなります。兵士は本館の出入り口を固めてください。角狼が侵入を試みた場合に備えて」

衛兵隊の隊長が頷き、兵士たちが動き始めた。

ベルクハルトは何も言わなかった。言えなかった。自分の判断が招いた結果を、目の当たりにしている。


地下に戻ると、エルナは出力を一割五分に絞っていた。防壁の範囲が本館だけになり、光は薄いが密度が上がっている。角狼が防壁に体当たりしても、さっきより弾く力が強い。

「いいぞ、エルナ。それで持たせろ」

「はい」

エルナの声に力が戻っていた。守る範囲が狭まったことで、負担が軽くなっている。出力は落ちたが、消耗のペースも落ちた。

リオンは【診断】で防壁の状態をモニタリングし続けた。出力の揺らぎ、負荷の偏り、魔力パスの温度。異常があれば即座にエルナに指示を出す。

二人きりの地下で、淡い光だけが揺れている。

「リオンさん」

「ん」

「前の世界でも、こういう夜があったんですか」

「ああ。何度も」

「一人で?」

「大体、一人だったな」

エルナは少し黙った。

「今は二人です」

「ああ。だいぶ、マシだ」


第四刻を過ぎた頃、角狼の攻撃が弱まった。群れの何頭かが森に引き返し始めている。一晩中防壁を突破できなかったことで、諦めが生まれたらしい。

エルナの魔力はまだ残っている。ギリギリだが、このペースなら夜明けまで持つ。

空の端が、うっすらと白み始めた。

「リオンさん。外、明るくなってきました」

「ああ。角狼は夜行性だ。日が出れば退く」

リオンは深く息を吐いた。峠を越えた。応急処置は成功だ。

だが、これは応急処置に過ぎない。コアが修復されなければ、今夜また同じことが起きる。エルナの体力が二晩連続で持つとは思えない。

「ドルクさん、まだかな……」


朝の光が地下にも届き始めた頃、地上が騒がしくなった。馬のいななきと、車輪の音。

階段を誰かが駆け下りてくる。重い足音。

「遅くなった」

ドルクだった。革のエプロンは煤だらけで、腕は火傷の跡がある。徹夜で鍛冶場を動かしていたのが一目でわかる。

その手に、布で丁寧に包まれた刻印板があった。

「……完成したのか」

「当たり前だ。設計図通りに打った。寸法の誤差は髪一本分もねえ」

ドルクはリオンの前に刻印板を差し出した。布を解くと、精緻な紋様が刻まれた金属板が現れた。新品の刻印板。コアの代替品。

リオンは【診断】で刻印板を確認した。紋様の精度、魔力の流路、耐久設計。すべて仕様通りだ。

「完璧だ、ドルクさん」

「仕様書通りに打っただけだ。図面がしっかりしてりゃ、鍛冶師は迷わねえ」

却下された提案書に添付していた設計図。あの日の仕事が、今夜、チームの命を守った。ドキュメントは裏切らない。


修復作業が始まった。

ドルクが壊れたコアの刻印板を外す。精密なボルトを一本ずつ外し、劣化した板を引き抜く。粉を吹いた金属の表面に、数十年分の疲労が刻まれていた。

「ひでぇ劣化だ。よく今まで持ってたもんだ」

「限界を超えてから壊れるまでの猶予期間に、たまたま収まってただけだよ。運だ」

新しい刻印板が嵌められた。ドルクが最後のボルトを締める。

「エルナ、手動出力を切れ。魔法陣に自律稼働を引き渡す」

エルナが手を引いた瞬間、魔法陣が自ら脈動を始めた。低く、規則的な振動。淡い青の光が、地下室に広がっていく。

防壁が蘇った。

「出力安定。防壁強度、通常の九割二分。範囲は全域に復帰」

リオンの声が、地下室に響いた。

エルナが壁にもたれかかった。膝が折れかけている。ドルクが黙って肩を貸した。

「お疲れさま。二人とも」

リオンの声は、穏やかだった。


地上に出ると、朝日が眩しかった。

館の広間にいた人々が、防壁の光が戻ったことに気づいて歓声を上げている。子どもが泣き止み、母親が安堵の涙を流し、老人が空を見上げて手を合わせていた。

ベルクハルトが、館の入口に立っていた。

一晩中、広間で民と共に過ごしたらしい。目の下の隈が深い。だが昨日の虚ろな目ではなかった。

「リオン」

辺境伯が、頭を下げた。

深く、長い礼だった。使用人たちがざわめく。領主が一介の少年に頭を下げるなど、前代未聞だ。

「お前が正しかった。冗長化の提案を退けたのは、わしの判断の誤りだ」

リオンは何も言わなかった。

「だから言ったのに」という言葉が喉まで上がってきて、飲み込んだ。前世でそれを口にしたことがある。結果は最悪だった。上司が逆上し、提案はさらに通りにくくなった。正論は、相手が受け入れる準備ができてから初めて意味を持つ。

「領主様。防壁は復旧しました。ただしまだシングル構成のままです。今回と同じ障害が再び起きる可能性があります」

「わかっておる」

「本日中に、障害報告書と再発防止策をまとめます。お目通しいただきたく」

「ああ。読む。今度は、ちゃんと読む」

ベルクハルトの声には、昨日までの傲慢さはなかった。代わりにあるのは、失敗から学ぼうとする老人の真摯さだった。


館の客室に通された三人は、ようやく腰を下ろした。

ミーナが差し入れのスープを温めて待っていた。昨夜のうちに馬車で追いかけてきたらしい。

「お疲れ様でした。まずスープ飲んでください。話はそれからです」

リオンはスープを受け取った。温かい。前世の深夜障害対応後に飲んだ自販機のコーンスープを思い出した。あれは一人で飲んでいた。今は四人いる。

エルナは三口でスープを飲み干し、毛布にくるまって寝息を立て始めた。ドルクは椅子に座ったまま腕を組んで目を閉じた。二人とも限界だったのだ。

リオンは窓の外を見た。朝日に照らされた辺境の景色。防壁の淡い光が、館と集落を包んでいる。

復旧した。今回は守れた。

でも、リオンは知っている。運で守れた稼働率に意味はない。仕組みで守らなければ、また同じことが起きる。

「……障害報告書、書くか」

呟いて、羊皮紙とペンを取り出した。

報告書を書くのは面倒だ。でも書かなければ同じことが起きる。ドキュメントは裏切らない。設計図がドルクの手を導いたように、報告書が次の障害を防ぐ。

前世でやり残した仕事を、今世で片付ける。

リオンはペンを走らせた。隣で仲間が眠る部屋で、静かに。


【あとがき】
「だから言ったのに」は正論でも最悪の一手。壊れてから通る提案書と、壊れる前に通る提案書。同じ中身でも、タイミングで意味が変わります。次回、障害報告書とポストモーテム。

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