S03-P01 異世界SLA99.99% ~元SEは今日も魔法インフラを落とさない~

第26話: 王都からの手紙

第2アーク · 4,164文字 · revised

工房の朝は、静かだった。

リオンは診断室の椅子に座り、壁に並んだ監視結晶石を順に眺めていた。ルーンフェル村、ミルデ村、ブラント村、ラーゼンの町、ヘルム集落——そしてベルクハルト辺境伯の館。六つの結晶石が、それぞれ穏やかに明滅している。

すべて正常。

「……暇だな」

呟いて、リオンは背もたれに体を預けた。
 暇なのが最高なんだよ、運用は。

防壁障害から三週間。ドルクが打った代替コアは完璧に動作し、ベルクハルトの防壁魔法陣は冗長化構成で再構築された。コアが二つ。片方が落ちても自動でフェイルオーバーする。
 あの夜、エルナと二人で手動防壁を維持した記憶はまだ鮮やかだが、もうあんな修羅場は起きない。仕組みが守ってくれる。


「リオンさん、朝ごはん持ってきました。あと、今月の収支報告です」

ミーナが片手に木の盆、もう片手に帳簿を持って入ってきた。朝食を届けながら仕事の話をするのが、彼女の朝のルーティンだ。

「SLA契約が六件に増えました。ルーンフェル村、ミルデ村、ブラント村、ラーゼン、ヘルム集落、ベルクハルト辺境伯の館。月額保守料の合計が銀ゼル九十五枚。黒字です」

「六件か……」

最初はルーンフェル村の一件、銀ゼル十五枚だけだった。あの防壁障害がきっかけで、一気に広がった。
 ベルクハルトの館が防壁を失い、角狼の群れに包囲されたあの夜。事件は辺境中に知れ渡り、同時にリオンたちの工房が緊急復旧と冗長化を成し遂げたことも広まった。

「大変でしたけど、結果的に最高の営業でしたね」

「不謹慎だけど、否定できない」

障害が起きて初めてインフラの重要性に気づく。前世でもこの世界でも、人の(さが)は変わらない。


工房の外に出ると、鍛冶場からもう金槌の音が聞こえていた。

「おはようございます、ドルクさん」

「おう」

ドルクは刻印板を打っていた。ミルデ村の定期メンテ用の交換部品だ。

「手順書の分は三枚ですよね」

「四枚打っておく。予備の予備だ」

あの防壁障害を経て、ドルクも変わった。以前は「言われた分だけ」だったのが、自主的にスペアパーツを確保するようになった。前世でいう保守用部材の先行手配。
 リオンは小さく笑って、裏手に回った。

エルナが魔力操作の自主練をしていた。指先に魔力を集中させ、宙に小さな文字を描いている。出力調整の感覚を体に叩き込む訓練だ。

「あの夜、自分の精度がまだ足りないって痛感して。リオンさんが読み上げるパラメータに、もっと速く反応できるようになりたくて」

「真面目だなぁ」

「リオンさんに言われたくないです。昨日も夜中に手順書書いてたでしょう。蝋燭の(あか)り、バレてますからね」

「……すみません」

「定時で帰るって、誰が言ったんでしたっけ?」

「僕です」

エルナは笑った。朝日を受けて亜麻色の髪が光る。
 リオンはその笑顔に、ほんの少しだけ胸の奥が温かくなるのを感じた。

感じたのだが、思考はすぐに今日のタスクに戻っていた。午前中にラーゼンの定期点検、午後はヘルム集落の経過観察。

「リオンさん、聞いてます?」

「え? ああ、ごめん」

「もう」


昼前に、村長のグラムが工房を訪ねてきた。

「リオン、ベルクハルト辺境伯から書状が来ておってな」

蝋印が押された正式な書状。リオンは読み進めるうちに、顔が曇っていった。

「『辺境インフラ顧問に任命する。辺境全域の魔法陣保守運用体制の統括責任者として——』」

リオンは巻物を置いて、深くため息をついた。

「これ、管理職ですか?」

「まあ、そういうことになるな」

「嫌なんですけど」

管理職。統括責任者。調整。前世で最も嫌いだった単語の三冠王だ。

九条諒がチームリーダーに昇進したとき何が起きたか。会議が増えた。報告書が増えた。キーボードに触る時間が減った。現場のサーバーに手を触れる機会がなくなり、障害が起きても直接手を動かせない。部下に指示を出して、祈るしかない。
 あの無力感は、前世で最も辛い記憶の一つだった。

「僕は現場が好きなんです。【診断】で魔法陣を見て、原因を切り分けて、直す。それだけでいい」

「気持ちはわかる。だが、お前さん自身が言っていたぞ。『一人に依存する体制はリスクだ』と」

自分の言葉が、ブーメランのように返ってきた。

「お前さんの実績が認められたんだ。防壁障害の対応、冗長化の設計、SLA契約。辺境のインフラが改善しているのは、みな知っておる」

「……現場には出られるんですか」

「ああ。拠点はこの工房のままでいい。ベルクハルトも、お前が現場を離れたがらないのは承知しておる」

リオンは腕を組んで考えた。

プレイングマネージャー。手も動かすし、全体も見る。前世のプロマネ専任とは違う。最悪ではない。

「……条件があります。現場作業は今まで通り。会議は最小限。報告書はミーナに任せます。あと」

「あと?」

「定時で帰ります」

グラムは声を上げて笑った。


昼食の席で、三人に顧問の件を伝えた。

「辺境インフラ顧問……すごい! リオンさん、出世じゃないですか!」エルナが目を輝かせた。

「出世って言うなよ……嬉しくない……」

「報酬は」ドルクがスープを啜りながら聞いた。

「月額で金ゼル三枚。あと、辺境伯の名義で各領に出入りできる通行証」

「金ゼル三枚!」ミーナが帳簿を開いた。「今の工房の月収の三倍ですよ! 設備投資できます! 監視結晶石の追加、予備刻印板の在庫確保、鍛冶場の炉の改修」

ミーナの投資計画が止まらないのを横目に、エルナがリオンを見た。

「リオンさんは嫌なんですか?」

「現場に出られなくなるのが怖い」

「私がいます」

エルナはまっすぐにリオンの目を見た。

「リオンさんが忙しいときは、私が現場を回ります。この前の防壁障害で、かなり鍛えられましたから。リオンさんが安心して任せられるくらいには、なってるつもりです」

あの夜の地下魔法陣室。パラメータを読み上げるリオンの声に、エルナが一つのズレもなく応え続けた。暗闘の中、二人の呼吸が重なっていた。
 いつの間にか、信頼できる技術者になっていた。

「……ありがとう、エルナ」

ドルクが皿を置いた。

「面倒くさそうだな、顧問って」

「ですよね」

「だがお前は一人で全部やりたがるからな。誰かに任せる練習だと思え」

ぐうの音も出なかった。


午後、ラーゼンの定期点検から戻ると、ミーナが珍しく慌てた顔で立っていた。

「リオンさん! 大変です!」

「どこか落ちた?」

反射的に監視結晶石に目をやる。全部正常。

「落ちてません。でもこれ」

ミーナが差し出したのは封書だった。質のいい羊皮紙に、深い紫色の蝋印。そして蝋印に刻まれた紋章は。

「この紋章、王家のものです。商家の娘ですから、間違いありません」

ミーナの声が少し震えていた。

差出人の欄に、流麗な筆跡で記されている。

——アステリア王国第二王女 カティア・フォン・アステリア


工房の食卓に四人が集まった。リオンは封を切り、手紙を読み上げた。

「『辺境における魔法インフラ改善の取り組みについて、複数の報告を受けております。防壁魔法陣の冗長化、定期保守契約制度の導入、手順書による知識共有の体系化——いずれも、王都の魔術局ですら実現できていない先進的な施策と伺いました』」

「魔術局でもやってないのか」ドルクが呟いた。

「『率直に申し上げます。王都の魔法インフラにも、辺境と同様の——あるいはそれ以上の問題があります。老朽化、属人化、文書の不備。これらは私が長年懸念してきた事柄です』」

リオンは一度手紙を下ろし、天井を見上げた。

地方支店で成功した業務改善が本社の目に留まり、「うちでもやってくれ」と呼ばれるパターン。完全に、あれだ。

「『つきましては、辺境での取り組みについて直接お話を伺いたく、視察をお願いできないでしょうか。王都にお越しいただくか、あるいは私が辺境に赴くことも検討しております。まずはご都合をお聞かせください。敬具』」

静寂が落ちた。

「——王都!」エルナが立ち上がった。「王女様が直々に!」

「大きな仕事ですね!」ミーナが身を乗り出した。「王都の保守契約が取れたら、規模が全然違いますよ! 辺境の何十倍——」

「ミーナ、すぐお金の話になる……」

「だってお金は大事ですよ!」

ドルクだけが腕を組んで、静かに座っていた。

「ドルクさんは?」

「面倒くさそうだな」

「ですよね」

リオンは深く頷いた。この工房で一番まともな感覚の持ち主は、やはりドルクだ。


夕暮れ。リオンは工房の屋根に上がり、沈む太陽を見ていた。手元にはカティア王女の手紙。

前世でも同じ経験があった。地方で築いた小さな成功体験が本社に伝わり、呼ばれた。だが、本社の政治に呑み込まれ、何も変わらなかった。今回は違うのだろうか。

わかっていることは一つだけ。
 王都にも同じ問題がある。老朽化、属人化、文書の不備。放置すれば——いつか必ず、落ちる。

そして、知ってしまった以上、放っておけない。壊れかけたシステムを見て見ぬふりができるほど、僕は器用じゃない。それが技術者の(さが)だ。

——ただし。

今度は、一人じゃない。
 エルナがいる。ドルクがいる。ミーナがいる。手順書がある。SLA契約がある。辺境に築いた仕組みがある。前世の九条諒とは違う。

窓の外に目を向けた。畑、森、村の屋根、遠くの山並み。すべての地下を、魔法陣のネットワークが走っている。リオンたちが直し、整え、安定稼働させてきたインフラだ。

その延長線上に——王都がある。

「……まあ、定時で帰れるなら考えてもいいか」

屋根から下りると、工房の窓から明かりが漏れていた。ミーナが旅の予算を組み、エルナが王都の地図を広げ、ドルクが黙々と刻印板を打っている。

「おかえりなさい、リオンさん! 返事はどうするんですか?」

「書くよ。『辺境の現状と取り組みについて、お話しできる機会をいただければ幸いです。ただし——』」

ペンを止めた。

「『——ただし、定時までにお願いします』」

「それは書かないでください」

エルナのツッコミに、工房が笑い声に包まれた。

辺境の小さな工房から始まった物語が——王都へと繋がっていく。
 元SEの第二の人生は、まだ終わらない。
 むしろ、ここからだ。


【あとがき】
辺境の小さな成功が王都の目に留まる。第2アークの締めくくりとして、リオンの世界が広がる瞬間を書けたことが嬉しいです。

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