カティア王女の返事を待つこと三日。工房の朝は、馬車の音で始まった。
「リオンさん、すごい装飾の馬車が来てます! あれって——」
エルナが窓から顔を引っ込めた。
「王家の紋章です。間違いありません」
ミーナの声が珍しく硬い。
工房の外に出ると、漆黒の馬車が停まっていた。扉には紫の紋章。御者台には剣を帯びた護衛が二名。一人がリオンを見て頷き、封書を差し出した。
「辺境インフラ顧問、リオン殿。王女カティア・フォン・アステリア殿下よりの親書です」
「……親書」
リオンは封を切った。
——リオン殿
先日のご返信、確かに拝見いたしました。
つきましては、王都アステラにお越しいただきたく、正式にご招聘いたします。
辺境で確立されたという魔法陣の保守運用体制——手順書による知識共有、冗長化による信頼性向上、SLA契約による明確な責任範囲の設定——これらは王都においても、いえ、王国全体において実現すべき施策です。
率直に申し上げます。
王都の魔法インフラは、辺境以上の問題を抱えています。
ご多忙とは存じますが、辺境での実績を直接お伺いしたく、一度王都にお越しいただけないでしょうか。宿と交通費、報酬は王家が負担いたします。
お返事をお待ちしております。
——アステリア王国第二王女 カティア・フォン・アステリア
「……やっぱり来た」
リオンは手紙を折りたたみ、深いため息をついた。
辺境で成功した業務改善が本社に呼ばれるパターン。前世でも何度か経験した。地方支店で地道に積み上げた実績が、本社の政治に揉まれて消えていく。そんな未来が透けて見える。
「リオンさん、どうするんですか?」
エルナが覗き込む。
「……断れると思う?」
「無理ですね」
即答だった。
ミーナが帳簿を閉じた。
「王女様からの正式招聘を断ったら、辺境伯の立場も悪くなります。それに、王都の保守契約が取れたら、規模が全然違いますよ」
「お金の話に持っていくの早いな」
「だって大事じゃないですか」
ドルクが鍛冶場から出てきて、腕を組んだまま手紙を一瞥した。
「行くんだろ?」
「……はい」
リオンは手紙を懐にしまった。
王都の魔法インフラが辺境以上の問題を抱えているなら——知ってしまった以上、放っておけない。それが技術者の性だ。
昼食の席で、工房の全員が集まった。
「とりあえず、一度は行きます。視察と情報収集。王都の現状を【診断】で見て、何ができるか判断する」
「私も行きます」
エルナが即答した。
「リオンさん一人だと、また夜中に作業して倒れますから」
「そこまで信用ないのか……」
「ありません」
断言された。
ミーナが手を挙げた。
「あたしも行きます。契約の交渉、宿の手配、経費精算——リオンさん一人に任せたら絶対トラブります」
「それも信用ないな」
「前世でホテルの予約忘れたって言ってたじゃないですか」
痛いところを突かれた。
ドルクがスープを啜りながら、短く言った。
「俺は留守番だな」
「え」
「辺境のメンテは続ける。誰かいなきゃまずいだろ」
リオンは少し驚いた。ドルクは普段、最低限しか口を出さない。だが、今回は自分から役割を引き受けた。
「手順書はある。予備パーツもある。最悪、通信魔法陣で連絡すりゃいい。お前がいなきゃ回らない体制は、お前が一番嫌いだろ?」
「……ありがとう、ドルクさん」
「礼はいらねぇ。帰ったら土産話を聞かせろ。王都がどれだけひどいか、楽しみにしてる」
三人が笑った。
午後、リオンは村長のグラムを訪ねた。
「王都に行くことになりました。エルナとミーナを連れて、一週間ほど」
「カティア殿下からの招聘か。断れんわな」
グラムは煙草をふかしながら頷いた。
「辺境のメンテは大丈夫なのか?」
「ドルクさんが残ります。手順書と監視体制があれば、緊急対応も可能です。それに——」
リオンはルーンフェル村の防壁魔法陣の監視結晶石を取り出した。淡い青の光が穏やかに明滅している。
「辺境は今、安定稼働してます。一週間なら問題ありません」
「お前さんがそう言うなら、信じよう」
グラムは煙草を灰皿に置いた。
「ただな、リオン。王都ってのは辺境と違う。政治がある。貴族がいる。魔術局ってのも、一枚岩じゃねぇだろう」
「……わかってます」
「本当にわかってるか? お前は技術の話しかしねぇから、政治に巻き込まれると弱いぞ」
かつての記憶が頭をよぎった。本社に呼ばれて、派閥争いに巻き込まれて、提案が握りつぶされた。あのときの無力感。
「だからエルナとミーナを連れていくんです。僕一人だと確実に地雷を踏むから」
「賢明だな」
グラムは笑った。
出発の前日。工房の全員で準備を進めた。
ミーナが旅の予算を組み、宿の予約を済ませ、契約書のひな型を作った。
エルナが辺境の手順書を整理し、ドルクに引き継ぎを行った。
ドルクは黙々と予備の刻印板を打ち、緊急時の連絡手順を確認した。
リオンは診断室で監視結晶石を一つ一つ確認していた。
ルーンフェル村、ミルデ村、ブラント村、ラーゼン、ヘルム集落、ベルクハルト辺境伯の館。六つの結晶石がすべて正常に明滅している。
「全部、安定してる……」
呟いて、リオンは小さく笑った。
一年前には考えられなかった光景だ。辺境の魔法陣は劣化し、障害が頻発し、誰も手を打てずにいた。今は手順書がある。冗長化がある。定期メンテがある。ドルクがいる。エルナがいる。
この体制なら、僕がいなくても回る。
それが嬉しいような、寂しいような、複雑な気持ちだった。
夕方、エルナが診断室に入ってきた。
「リオンさん、荷物まとめましたか?」
「まだ」
「やっぱり」
エルナは呆れたように笑って、隣に座った。
「王都、緊張しますね。私、村から出たことほとんどないんです」
「僕もだよ。ルーンフェル村に転生してから、辺境を回っただけだ」
「前の世界では都会だったんですよね?」
「うん。東京。人が多くて、電車が走ってて、夜でも明るい街」
「それ、王都も同じじゃないですか?」
「似てるかもな。ただ——」
リオンは結晶石の明滅を見つめた。
「前の世界の都会は、誰も助けてくれなかった。今は——エルナがいる」
エルナの頬が、夕焼けとは別の理由で赤くなった。
「……当たり前じゃないですか。リオンさん一人にしたら、また倒れるんですから」
「倒れないよ」
「信用してません」
二人で笑った。
出発の朝。
工房の前に王家の馬車が再び停まった。御者が扉を開け、リオンたちを待っている。
エルナとミーナが荷物を積み込む。リオンは最後にドルクと向き合った。
「ドルクさん、辺境を頼みます」
「ああ。お前も無理すんなよ」
「わかってます」
「わかってねぇだろ」
ドルクは短く笑って、リオンの肩を叩いた。
「定時で帰れよ」
「……はい」
馬車が動き出した。
窓から見える景色が、ゆっくりと流れていく。ルーンフェル村の畑、森、遠くの山並み。すべての地下を、魔法陣のネットワークが走っている。リオンたちが直し、整え、安定稼働させてきたインフラだ。
「リオンさん、やっぱり不安なんですか?」
エルナが隣から覗き込んだ。
「少し。以前、似たようなことがあって、失敗したから」
「今回は大丈夫ですよ」
「なんで?」
「だって、リオンさん一人じゃないですから」
ミーナが向かいの席から頷いた。
「契約の話はあたしに任せてください。丸め込まれないようにしますから」
「頼りになるな」
「当然です」
リオンは窓の外を見た。辺境が遠ざかっていく。
王都には何が待っているのか。カティア王女は何を求めているのか。魔術局とはどんな組織なのか。
わからないことだらけだ。
でも——今回は一人じゃない。エルナがいる。ミーナがいる。辺境には手順書がある。ドルクが残ってくれている。
かつての自分とは違う。
「……まあ、とりあえず現場を見てから考えよう」
呟いて、リオンは目を閉じた。
馬車は王都へと向かって走り続ける。
元SEの第二の人生が、新しい舞台へと動き出した。
【あとがき】
第27話「王都からの招聘状」でした。辺境で築いた信頼と仕組みがあるからこそ、リオンは新たな戦場へ踏み出せる。次回、いよいよ王都到着です。