王都アステラの城壁が見えたのは、出発から三日目の朝だった。
「あれが……王都……」
エルナが窓から身を乗り出した。
遠くから見ても圧倒的だった。高さ三十メートルはある石造りの城壁が、地平線まで続いている。城壁の上には防壁魔法陣の光が薄く張り巡らされ、大気中の魔力を吸い上げて脈動している。
ルーンフェル村の防壁魔法陣と、構造は同じだ。でも、規模が違う。
「あの防壁、どれだけの魔力を消費してるんだろう……」
「王都の人口は十万人って聞きますから、辺境の何百倍ですよ」
ミーナが地図を広げた。
「城壁の長さは外周で約十キロメートル。防壁魔法陣、上下水道の浄化魔法陣、通信魔法陣、灯火魔法陣。インフラの規模が桁違いです」
「……大きすぎる」
リオンは【診断】を発動した。まだ城壁まで数キロあるが、それでも魔力の流れが見える。
地下を走る巨大な魔力パス。まるで高速道路のように、魔力が流れている。分岐点、中継点、冗長経路。いや、冗長になってない。シングル構成の部分が多すぎる。
「これ……全部シングルで動いてる……?」
「リオンさん、何か見えるんですか?」
「地下の魔力パス。防壁、浄化、通信——すべて一本の幹線魔力パスに依存してる。どこか一箇所でも切れたら」
リオンは言葉を切った。
大きなシステムほど、落ちたときの被害が大きい。前世で何度も見てきた光景だ。データセンターの基幹回線が切れて、全国のサービスが止まる。単一障害点に依存した巨大システムの脆弱性。
「まさか、王都でも同じことやってるのか……」
城門をくぐると、街の喧騒が一気に押し寄せてきた。
石畳の大通りを人々が行き交い、露店が並び、馬車が走る。建物は三階建て、四階建てが当たり前で、屋根には灯火魔法陣の結晶石が埋め込まれている。
「すごい……人がいっぱい……」
エルナが目を丸くした。
ミーナも珍しく圧倒されている。
「これが王都……商家の娘として一度は来たかった場所です」
リオンだけが、違うものを見ていた。
【診断】の目で街をと、魔法陣の網が見える。大通りの地下を走る浄化魔法陣。建物の基礎部分に埋め込まれた灯火魔法陣。交差点ごとに設置された通信魔法陣の中継ノード。
そして、そのすべてが、古い。
「……劣化率、高すぎる」
呟いて、リオンは近くの建物の壁に手を触れた。【診断】を集中させる。
——刻印の摩耗率、六割。魔力パスの絶縁劣化、四割。出力低下、予測値の七割。
「これ、辺境より酷い……」
「リオンさん?」
「エルナ、ちょっと待って」
リオンは大通りの石畳にしゃがみ込み、地面に手を当てた。地下を走る浄化魔法陣の幹線を【診断】する。
——魔力パス、経年劣化顕著。推定残存寿命、三年から五年。冗長経路なし。単一障害点、十七箇所検出。
「嘘だろ……」
「リオンさん、顔色悪いです。大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない。これ、いつ落ちてもおかしくない」
ミーナが心配そうに覗き込んだ。
「王都の魔法陣って、そんなに酷いんですか?」
「酷いってレベルじゃない。辺境は部分的に劣化してたけど、ここは全体が限界に近い」
リオンは立ち上がった。
「カティア王女が『辺境以上の問題を抱えている』って書いてた意味がわかった。これは」
言葉を切って、王都の街並みを見渡した。
平和そうに見える。人々は笑い、商売をし、日常を営んでいる。でも、その足元で、インフラが悲鳴を上げている。
まるでレガシーシステムだ。動いてるから放置される。劣化してるのに予算が通らない。そしてある日、突然止まる。
「……これ、本気でやばいぞ」
馬車は王城の近くにある宿舎に到着した。王家が用意した施設で、外国の使節や招聘された技術者が泊まる場所だという。
「立派ですね……」
エルナが部屋を見回した。ベッドが三つ、机、暖炉、窓からは王城が見える。
「王女様が手配してくださったんです。ありがたく使いましょう」
ミーナが荷物を置いた。
リオンは窓から王城を見上げた。巨大な石造りの城。その地下に、古代の中枢魔法陣があるはずだ。
「明日、カティア王女に会う。その前に、もう少し街を見ておきたい」
「リオンさん、休まなくていいんですか?」
「休めない。これ、思ってたより深刻だ」
午後、三人で街を歩いた。
リオンは【診断】で魔法陣を見続けた。灯火魔法陣、防壁魔法陣、浄化魔法陣。どれも劣化している。ドキュメントがないのか、修復の痕跡が場当たり的だ。
「ここの防壁、出力が不安定だ。刻印の一部が欠けてる」
「あの建物の灯火魔法陣、魔力パスが劣化してます。このままだと半年以内に出力低下しそう」
エルナも【診断】ではないが、魔力の流れを感じ取れる。二人で街を診断しながら歩く。
ミーナだけが技術の話についていけず、少し寂しそうにしていた。
「あの、お二人とも、少しは観光しませんか?」
「あ、ごめん」
リオンは我に返った。
「ついつい診断モードに入ってた」
「前の世界でもそうだったんですか?」
「うん。新しいデータセンターに行くと、まず配線とサーバーラックを見ちゃう癖があって……」
「デートじゃなくて現地調査ですね、これ」
「デートじゃないだろ」
「そうですね」
ミーナの声が少しだけ残念そうだった。
夕方、中央広場に着いた。
そこには巨大な通信魔法陣の中継塔が立っていた。高さ十メートルはある石柱に、複雑な刻印が幾重にも刻まれている。王都と地方を結ぶ通信魔法陣の中枢だ。
「これが噂の中央中継塔……」
リオンは塔に近づき、【診断】を集中させた。
——中継処理負荷、定格の百二十パーセント。過負荷状態継続中。魔力パス、発熱による劣化進行。冗長系なし。推定障害発生率、今後一年以内に三十パーセント。
「……過負荷で動いてる。冗長もない。これが止まったら」
「どうなるんですか?」
エルナが聞いた。
「王都と地方の通信が全部止まる。辺境との連絡も切れる。軍の指揮系統も麻痺する」
「それ、国防上まずいんじゃ……」
「まずいどころの話じゃない。これ、帝国に攻撃されたら一発で終わる」
リオンは塔から手を離した。
「カティア王女が僕を呼んだ理由がわかった。これ——本気で危機的状況だ」
宿舎に戻ると、リオンはすぐに羊皮紙を広げて書き始めた。
王都で見た魔法陣のリスト。劣化率、推定残存寿命、単一障害点の数。すべて記録する。
「リオンさん、もう夜ですよ。休んでください」
「あと少し。これ、まとめておかないと明日の面談で説明できない」
「定時で帰るって」
「ここ、職場じゃないから」
「屁理屈です」
エルナが強引に羊皮紙を取り上げた。
「今日はもう寝てください。明日、カティア殿下に会うんでしょう? 寝不足で行ったら失礼です」
「……わかった」
リオンは椅子から立ち上がった。
窓の外に王都の夜景が広がっている。灯火魔法陣の光が街を照らし、まるで星空のように美しい。
でも、その光の一つ一つが、限界に近い魔法陣の悲鳴だ。
「エルナ、ミーナ」
「はい?」
「明日から、たぶん忙しくなる。辺境どころじゃない規模の仕事になるかもしれない」
「わかってます」
エルナが頷いた。
「私たちも覚悟して来ましたから」
ミーナも頷いた。
「契約の準備、整えておきますね」
リオンは小さく笑った。
「……やっぱり一人で来なくて良かった」
その夜、リオンは夢を見た。
前世の記憶。東京のデータセンター。障害アラートが鳴り響くサーバールーム。必死に復旧作業をする九条諒。
だが——何をしても直らない。システムは落ち続け、ユーザーの悲鳴が届く。そして——倒れる。冷たい床に。
「……っ」
リオンは目を覚ました。
隣のベッドでエルナが寝息を立てている。向こうのベッドではミーナが毛布にくるまっている。
ここは王都。あのデータセンターじゃない。
でも——状況は似ている。巨大で複雑で、劣化したシステム。止まれば甚大な被害が出る。そして、誰も本気で手を打っていない。
「……また、同じことを繰り返すのか」
呟いて、リオンは窓を開けた。
夜風が入ってくる。王都の街は眠らない。灯火魔法陣の光が、闇を照らしている。
この街を守れるのか。辺境でやったように、手順書を作り、冗長化を進め、安定稼働を実現できるのか。
わからない。
でも——知ってしまった以上、放っておけない。
それが技術者の性だ。
「……定時で帰れるかな」
自嘲気味に笑って、リオンは窓を閉めた。
明日、カティア王女と会う。王都の魔法インフラの現状を伝え、そして、何ができるか考える。
元SEの第二の人生は、まだ終わらない。
【あとがき】
第28話「王都アステラ」でした。圧倒的な規模のインフラの裏に隠れた脆弱性。リオンが見た王都の真実は、輝きの裏の悲鳴でした。