王城の謁見室は、圧倒的だった。
天井は高く、壁には王家の歴史を描いた壁画が並ぶ。床は磨き上げられた大理石で、奥の玉座には誰もいない。
「第二王女カティア・フォン・アステリア殿下、入室されます」
扉が開いた。
銀髪の女性が、二人の従者を従えて入ってきた。紫の瞳、凛とした佇まい、優雅な歩き方。すべてが「王女」という言葉を体現している。
リオンは一歩前に出て、頭を下げた。エルナとミーナも続く。
「辺境インフラ顧問、リオンです。お招きいただき、ありがとうございます」
「顔を上げてください、リオン殿」
カティアの声は柔らかかった。
「わざわざ辺境から来ていただき、感謝しております。楽にしてください」
リオンが顔を上げると、カティアが微笑んでいた。手紙で感じた知性と、実際に会って感じる威厳。両方が同時に存在している。
「早速ですが、辺境での取り組みについてお話を伺いたく。こちらへどうぞ」
カティアは謁見室の奥にある小さな会議室へ案内した。
会議室には大きなテーブルと椅子。壁には王都の地図が掛けられている。
カティアが椅子に座ると、従者が紅茶を運んできた。
「まず、辺境での実績を拝見したいのですが」
リオンは鞄から資料を取り出した。ミーナが昨夜まとめた報告書だ。
「辺境の六箇所で魔法陣の保守運用を担当しています。冗長化による信頼性向上、定期メンテによる予防保全、SLA契約による明確な責任範囲の設定。この三つが柱です」
「SLA契約……」
カティアが資料を読み、目を細めた。
「年間稼働率九十九パーセントを保証する契約、とありますね」
「はい。稼働率を数値で保証することで、依頼主は安心できます。僕たちも緊張感を持って運用できます」
「興味深い。王都の魔術局は、そういう契約をしていません」
「していないんですか?」
「ええ。『壊れたら直す』という事後対応のみです。予防保全という概念がない」
リオンは資料をめくった。
「昨日、王都の魔法陣を【診断】で見ました。率直に言って、限界に近いです」
カティアの表情が僅かに曇った。
「やはり……」
「中央中継塔は過負荷で動いています。城壁の防壁魔法陣も劣化が進んでいます。冗長化されていない箇所が多すぎる。これ、いつ落ちてもおかしくない状態です」
「……魔術局には何度も指摘しました。ですが」
カティアは紅茶を置いた。
「『今まで壊れたことないから大丈夫だ』と言われます。局長のアルヴィスは優秀ですが、古い考え方に固執しています」
「アルヴィス……?」
「魔術局長官です。王国最高峰の魔術師。一人で王都のインフラの大半を支えています」
リオンは嫌な予感がした。
一人で全部やる天才。属人化の権化。何人か見てきた。そして、そういう人間は、チームでの運用を嫌がる。
「……会えますか、その局長に」
「ええ。午後、魔術局を訪問する予定です。リオン殿にも同行していただきたく」
午後、魔術局の建物に到着した。
王城の隣にある石造りの建物。五階建てで、屋上には通信魔法陣の中継アンテナが立っている。
「ここが魔術局……」
エルナが見上げた。
「王国の魔法インフラを管理する中枢です。全国の魔法陣の情報がここに集約されています」
カティアが案内する。
建物に入ると、魔術師たちが慌ただしく行き交っていた。羊皮紙を抱えて走る者、魔法陣の設計図を広げて議論する者。みな忙しそうだ。
リオンは【診断】を軽く発動した。
建物の地下に、巨大な魔力パスが走っている。王都全体の魔法陣を監視・制御するための中枢システムだ。でも、ログが取られていない。監視体制が不十分だ。
「これ、障害が起きても原因を追跡できないんじゃ……」
「リオンさん、また診断モード入ってます」
エルナが小声で注意した。
最上階の局長室。
扉が開くと、一人の男が立っていた。
白髪混じりの黒髪をオールバックにした、痩身で威厳のある男。深紫のローブを纏い、鋭い灰色の瞳でリオンを見下ろしている。
「殿下。お連れした者は」
「辺境インフラ顧問、リオンです。辺境で魔法陣の保守運用に成功した技術者です」
カティアが紹介した。
アルヴィスは腕を組んだまま、リオンを値踏みするように見た。
「……辺境の、小僧か」
第一声がそれだった。
リオンは内心でため息をついた。前世でも何度も見たタイプだ。自分の実績に絶対の自信を持ち、他者の意見を聞かない技術者。
「はじめまして、アルヴィス局長。リオンです」
「殿下から話は聞いている。辺境で冗長化だの手順書だのをやっているそうだな」
「はい」
「で? それを王都でもやれと?」
アルヴィスの声に、明確な不快感があった。
「我々のやり方に口を出すつもりか、小僧」
リオンは深呼吸した。
ここで感情的になったら負けだ。相手は王国最高峰の魔術師。実績も地位もある。こちらは辺境から来た若造。
「口を出すつもりはありません。ただ、王都の魔法陣を【診断】で見て、リスクを感じました」
「リスク?」
「劣化が進んでいます。冗長化されていない箇所が多い。このまま放置すれば、いつか大規模障害が起きます」
「今まで壊れたことはない」
「今まで壊れなかったから、これからも壊れないとは限りません」
アルヴィスの目が鋭くなった。
「小僧、お前は何もわかっていない。王都の魔法陣は古代から続く精緻なシステムだ。一朝一夕で構築されたものではない。私は五十年、この魔法陣を守ってきた」
「五十年、一人で?」
「そうだ」
「それがリスクです」
リオンの言葉に、室内の空気が凍った。
アルヴィスの顔に、明確な怒りが浮かんだ。
「……何だと?」
「一人に依存する体制は、単一障害点です。アルヴィス局長が倒れたら、王都の魔法インフラは誰が守るんですか?」
「私は倒れん」
「断言できますか? 病気も事故もないと?」
「——」
アルヴィスは黙った。
リオンは続けた。
「僕も前の世界で同じことをやりました。一人で障害対応をして、一人で設計をして、一人で運用した。結果、過労で倒れました。それで終わりです。システムは誰も直せなくなりました」
「……」
「アルヴィス局長、あなたの技術は本物だと思います。五十年守ってきた実績も尊敬します。でも、それを属人化させたままにするのは、王国全体のリスクです」
長い沈黙の後、アルヴィスが口を開いた。
「小僧。お前は何もわかっていない」
声は低く、冷たかった。
「魔法陣は生き物だ。刻一刻と状態が変わる。手順書に書けるような単純なものではない。天才一人の直感が、凡人百人のマニュアルに勝る」
「それは——」
「黙れ」
アルヴィスが手を振った。
瞬間、室内の魔力が動いた。リオンの喉が締め付けられる感覚。魔法を使わずに魔力を操作している。王国最高峰の実力を見せつけられた。
「カティア殿下。この小僧を連れてきたのは失敗でしたな。辺境の成功体験を、王都に持ち込もうとは笑止」
「アルヴィス——」
「我々のやり方に口を出すな。以上だ」
魔術局を出ると、リオンは深くため息をついた。
「……最悪だ」
「リオンさん、大丈夫ですか?」
エルナが心配そうに覗き込んだ。
「大丈夫じゃない。完全に敵に回した」
カティアが申し訳なさそうに言った。
「すみません、リオン殿。アルヴィスは頑固で」
「いえ、殿下のせいじゃありません。僕が言い方を間違えました」
リオンは王城を見上げた。
「でも——言いたいことは言えた。あの局長、本当に優秀なんでしょうね。だからこそ、一人で全部やれてしまう。それが問題だ」
「どうしますか?」
ミーナが聞いた。
「このまま帰りますか?」
「……いや」
リオンは首を振った。
「王都の魔法陣は限界に近い。アルヴィスが認めなくても、リスクは変わらない。何とかしないと、いつか、大規模障害が起きる」
「でも、局長が反対してるんですよ?」
「反対されても、やるしかない。前の世界で学んだ。正論だけじゃ人は動かない。なら、実績で示す」
リオンはカティアを見た。
「殿下、一つお願いがあります」
「何でしょう?」
「王都の魔法陣を、詳細に【診断】させてください。現状のリスク評価をして、報告書を作ります。それを見せれば、アルヴィスも無視できないはずです」
カティアは少し考え、頷いた。
「……わかりました。許可します。ただし、魔術局には内密に」
「ありがとうございます」
宿舎に戻ると、リオンはすぐに作業を始めた。
王都の地図を広げ、【診断】で見た魔法陣の位置をマッピングする。劣化率、推定残存寿命、単一障害点。すべて記録する。
「リオンさん、また夜通し作業する気ですか?」
「これ、早くまとめないと」
「定時で」
「わかってる。でも、これは緊急だ」
エルナが呆れたように笑った。
「結局、前の世界と同じじゃないですか」
「……否定できない」
ミーナが紅茶を淹れてきた。
「とりあえず、これ飲んでください。倒れられたら困りますから」
「ありがとう」
リオンは紅茶を受け取り、地図を見つめた。
王都の魔法陣ネットワーク。巨大で複雑で、劣化している。前世のレガシーシステムと同じだ。
でも——今回は一人じゃない。エルナがいる。ミーナがいる。辺境で築いた方法論がある。
アルヴィスが認めなくても、やるしかない。
元SEの意地を見せてやる。
【あとがき】
第29話「我々のやり方に口を出すな」でした。天才一人に依存する体制の脆さ。アルヴィスとの衝突は、属人化という構造問題への挑戦の始まりです。