S03-P01 異世界SLA99.99% ~元SEは今日も魔法インフラを落とさない~

第30話: 五十年分の技術的負債

第3アーク · 3,438文字 · revised

翌朝、リオンたちは王都の地下水路に降りていた。

「ここが……王都の魔法陣の幹線……」

エルナが息を呑んだ。

幅五メートルはある石造りの地下水路。天井、壁、床。すべてに魔法陣が刻まれている。浄化魔法陣、魔力伝送路、防壁魔法陣の基幹部。王都全体のインフラを支える動脈だ。

そして、その全てが古い。

「リオン殿、ここは通常、立ち入り禁止区域です。特別に許可を出しました」

カティアが灯火魔法陣の結晶石を掲げた。

「お願いします。王都の真実を」

「わかりました」

リオンは地下水路の壁に手を当て、【診断(ダイアグノーシス)】を発動した。


視界が変わる。

魔力の流れが見える。地下水路を走る巨大な魔力パス。その表面に、無数の刻印が浮かび上がる。

——刻印摩耗率、平均六十五パーセント。
 ——魔力パス絶縁劣化、平均五十パーセント。
 ——出力低下、設計値の六十パーセント。
 ——修復痕、四百三十二箇所。すべて異なる術式パターン。

「……これ、何人が触ったんだ……?」

修復痕のパターンが統一されていない。それぞれが独自の方法で、場当たり的に直している。ドキュメントがない証拠だ。

「エルナ、ここ触って」

「はい」

エルナが壁に手を当てた。

「……魔力の流れが不安定です。波打ってる感じがします」

「そうだ。この修復痕、パッチワークすぎる。統一された方針がない」

リオンは地下水路を歩きながら【診断】を続けた。

十メートル進むごとに、新しい問題が見つかる。劣化した刻印、魔力パスの接続不良、過負荷で発熱している魔力リミッター。すべてが限界に近い。

「これ、辺境どころじゃない……」


三時間後、リオンたちは地上に戻った。

カティアが用意した執務室で、リオンは羊皮紙に調査結果をまとめていた。

「単一障害点、百二十三箇所検出。冗長化されていない重要インフラが多すぎます」

「百二十三……」

カティアが顔を曇らせた。

「劣化率の平均は六十パーセント。特に中央中継塔と城壁の防壁魔法陣が深刻です。推定残存寿命、三年から五年」

「五年……」

「ただし、これは平常運用の場合です。過負荷がかかれば、もっと早く壊れます」

リオンはペンを置いた。

「殿下、率直に言います。王都の魔法インフラは、五十年分の技術的負債を抱えています」

「技術的……負債?」

「前の世界の言葉です。『今やるべきことを後回しにして積み上がった問題』を指します」

リオンは地下水路で見た修復痕の図を描いた。

「この修復痕を見てください。すべて異なる術式パターンです。つまり、統一された手順書がない。その場その場で、誰かが独自の判断で直している」

「それは、アルヴィスが直しているのでは?」

「おそらくそうです。でも、アルヴィス局長の頭の中にしか、その修復方法がない。それが属人化です」

リオンは続けた。

「五十年間、アルヴィス局長は一人で王都のインフラを守ってきた。それは偉業です。でも、その五十年間、負債も積み上がり続けた」

「負債……とは?」

「手順書を作らなかった負債。冗長化しなかった負債。定期メンテを仕組み化しなかった負債。すべて、アルヴィス局長が一人でやれたから、後回しにされた」

カティアは黙って聞いていた。

「そして今、その負債が限界に達しています。アルヴィス局長が一人で対応できる範囲を、超えつつある」


午後、カティアの案内で王都の別の地区を調査した。

商業区の灯火魔法陣、防壁魔法陣、通信魔法陣。どこも同じだった。劣化、属人化、ドキュメント不在。

「ここの灯火魔法陣、出力が不安定だ」

リオンが壁に手を当てた。

「刻印の一部が欠けてる。でも、応急処置がしてある」

「アルヴィスの仕事?」

「おそらく。でも、この応急処置、いつ施されたのか記録がない。劣化の進行度も記録されていない」

リオンは手を離した。

「前の世界で、こういうシステムを『ブラックボックス』って呼んでました。中身がわからない。動いてるから触らない。そしてある日、止まる」

「……止まったら?」

「誰も直せません。設計者しか知らない仕様だから」

エルナが小声で聞いた。

「それって、アルヴィス局長が倒れたら」

「王都のインフラが全部止まります」


夕方、宿舎に戻った。

リオンは調査結果を報告書にまとめていた。ミーナが清書を手伝い、エルナが図表を整理する。

「リオンさん、この『技術的負債』って言葉、わかりやすく説明してもらえますか? 報告書に書きたいんです」

「簡単に言うと、『今楽するために、将来のリスクを先送りすること』だ」

リオンはペンを走らせた。

「手順書を作るのは面倒だ。だから作らない。冗長化するには金がかかる。だからやらない。定期メンテは時間がかかる。だからサボる。そうやって先送りした問題が、借金のように積み上がる」

「借金……」

「そう。技術的負債。いつか返さなきゃいけない。でも、返さずに放置すると、利子が膨らんで破綻する」

ミーナが帳簿を見る目で頷いた。

「それ、商売と同じですね。売掛金を回収しないで放置すると、いつか資金繰りが破綻する」

「まさにそれ」


報告書の最終ページに、リオンは推奨事項を書いた。

——推奨事項:
 一、王都魔法インフラの全域リスク評価を実施すること。
 二、アルヴィス局長の暗黙知を手順書として文書化すること。
 三、重要インフラの冗長化を最優先で進めること。
 四、定期メンテナンス体制を組織化すること。

ペンを置いた。

「……これを見せても、アルヴィス局長は認めないだろうな」

「なんでですか?」

「自分の五十年間を否定されてると感じるから」

リオンは窓の外を見た。

「前の世界でも同じだった。ベテランほど、自分のやり方を変えたがらない。『今まで壊れなかったから大丈夫』って言う。でも、それが一番危ない」

「リオンさんなら、どうしますか?」

エルナが聞いた。

「僕なら……」

リオンは少し考えた。

「まず小さく始める。一箇所だけ、手順書を作って冗長化する。それで成功事例を作って、広げていく。いきなり全部変えようとしたら、絶対に潰される」

「前の世界でも、そうやってたんですか?」

「……やろうとした。でも、政治に負けた」

リオンは苦笑した。

「だから今回は、政治も考えないと。カティア殿下の力を借りて、少しずつ進める」


翌朝、カティアに報告書を提出した。

執務室で、カティアは報告書を読み、何度も頷いた。

「……これは、衝撃的な内容ですね」

「率直すぎましたか?」

「いえ。むしろ、ここまで明確に書いていただいて感謝します」

カティアは報告書を閉じた。

「リオン殿、一つ質問があります。この技術的負債を返済するには、どれくらいの時間と費用がかかりますか?」

「最低でも三年。費用は概算で金ゼル千枚」

「王国の年間予算の一割……」

「ただし、放置した場合の被害額は、その何十倍です」

リオンは報告書の最後のページを開いた。

「中央中継塔が停止した場合のシミュレーション。通信途絶による軍の指揮系統麻痺、物流の停止、パニックによる二次被害。合計で金ゼル五千枚以上の損害が予測されます」

「……」

「予防するための千枚と、障害が起きてからの五千枚。どちらが安いか、明白です」

カティアは長い沈黙の後、頷いた。

「わかりました。この報告書を持って、もう一度アルヴィスと話をします」

「……聞いてくれるでしょうか」

「わかりません。でも、やるしかありません」


その夜、リオンは一人で王城の屋上に立っていた。

眼下に広がる王都の夜景。灯火魔法陣の光が、星空のように美しい。

でも、その一つ一つが、限界に近い魔法陣の悲鳴だ。

「五十年分の負債か……」

呟いて、リオンは前世を思い出した。

自分も同じことをしていた。手順書を作らず、一人で障害対応をして、知識を共有せず、そして、倒れた。

アルヴィス局長は、前世の自分の延長線上にいる。

だからこそ、わかる。あの人は悪意でやってるわけじゃない。ただ、自分のやり方を信じているだけだ。

「でも、それじゃダメなんだ」

リオンは夜空を見上げた。

一人の天才が守るシステムは、脆い。倒れたら終わりだ。

だから、組織で守る。手順書を作り、知識を共有し、誰でも対応できるようにする。それが運用だ。

「アルヴィス局長、あなたを否定したいわけじゃない。でも、このままじゃいけない」

呟いて、リオンは屋上を後にした。

明日から、本当の戦いが始まる。


【あとがき】
第30話「五十年分の技術的負債」でした。天才が一人で積み上げた技術的負債。返済を始めるには、まず「借金がある」と認めることからです。

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