翌朝、リオンたちは王都の地下水路に降りていた。
「ここが……王都の魔法陣の幹線……」
エルナが息を呑んだ。
幅五メートルはある石造りの地下水路。天井、壁、床。すべてに魔法陣が刻まれている。浄化魔法陣、魔力伝送路、防壁魔法陣の基幹部。王都全体のインフラを支える動脈だ。
そして、その全てが古い。
「リオン殿、ここは通常、立ち入り禁止区域です。特別に許可を出しました」
カティアが灯火魔法陣の結晶石を掲げた。
「お願いします。王都の真実を」
「わかりました」
リオンは地下水路の壁に手を当て、【診断】を発動した。
視界が変わる。
魔力の流れが見える。地下水路を走る巨大な魔力パス。その表面に、無数の刻印が浮かび上がる。
——刻印摩耗率、平均六十五パーセント。
——魔力パス絶縁劣化、平均五十パーセント。
——出力低下、設計値の六十パーセント。
——修復痕、四百三十二箇所。すべて異なる術式パターン。
「……これ、何人が触ったんだ……?」
修復痕のパターンが統一されていない。それぞれが独自の方法で、場当たり的に直している。ドキュメントがない証拠だ。
「エルナ、ここ触って」
「はい」
エルナが壁に手を当てた。
「……魔力の流れが不安定です。波打ってる感じがします」
「そうだ。この修復痕、パッチワークすぎる。統一された方針がない」
リオンは地下水路を歩きながら【診断】を続けた。
十メートル進むごとに、新しい問題が見つかる。劣化した刻印、魔力パスの接続不良、過負荷で発熱している魔力リミッター。すべてが限界に近い。
「これ、辺境どころじゃない……」
三時間後、リオンたちは地上に戻った。
カティアが用意した執務室で、リオンは羊皮紙に調査結果をまとめていた。
「単一障害点、百二十三箇所検出。冗長化されていない重要インフラが多すぎます」
「百二十三……」
カティアが顔を曇らせた。
「劣化率の平均は六十パーセント。特に中央中継塔と城壁の防壁魔法陣が深刻です。推定残存寿命、三年から五年」
「五年……」
「ただし、これは平常運用の場合です。過負荷がかかれば、もっと早く壊れます」
リオンはペンを置いた。
「殿下、率直に言います。王都の魔法インフラは、五十年分の技術的負債を抱えています」
「技術的……負債?」
「前の世界の言葉です。『今やるべきことを後回しにして積み上がった問題』を指します」
リオンは地下水路で見た修復痕の図を描いた。
「この修復痕を見てください。すべて異なる術式パターンです。つまり、統一された手順書がない。その場その場で、誰かが独自の判断で直している」
「それは、アルヴィスが直しているのでは?」
「おそらくそうです。でも、アルヴィス局長の頭の中にしか、その修復方法がない。それが属人化です」
リオンは続けた。
「五十年間、アルヴィス局長は一人で王都のインフラを守ってきた。それは偉業です。でも、その五十年間、負債も積み上がり続けた」
「負債……とは?」
「手順書を作らなかった負債。冗長化しなかった負債。定期メンテを仕組み化しなかった負債。すべて、アルヴィス局長が一人でやれたから、後回しにされた」
カティアは黙って聞いていた。
「そして今、その負債が限界に達しています。アルヴィス局長が一人で対応できる範囲を、超えつつある」
午後、カティアの案内で王都の別の地区を調査した。
商業区の灯火魔法陣、防壁魔法陣、通信魔法陣。どこも同じだった。劣化、属人化、ドキュメント不在。
「ここの灯火魔法陣、出力が不安定だ」
リオンが壁に手を当てた。
「刻印の一部が欠けてる。でも、応急処置がしてある」
「アルヴィスの仕事?」
「おそらく。でも、この応急処置、いつ施されたのか記録がない。劣化の進行度も記録されていない」
リオンは手を離した。
「前の世界で、こういうシステムを『ブラックボックス』って呼んでました。中身がわからない。動いてるから触らない。そしてある日、止まる」
「……止まったら?」
「誰も直せません。設計者しか知らない仕様だから」
エルナが小声で聞いた。
「それって、アルヴィス局長が倒れたら」
「王都のインフラが全部止まります」
夕方、宿舎に戻った。
リオンは調査結果を報告書にまとめていた。ミーナが清書を手伝い、エルナが図表を整理する。
「リオンさん、この『技術的負債』って言葉、わかりやすく説明してもらえますか? 報告書に書きたいんです」
「簡単に言うと、『今楽するために、将来のリスクを先送りすること』だ」
リオンはペンを走らせた。
「手順書を作るのは面倒だ。だから作らない。冗長化するには金がかかる。だからやらない。定期メンテは時間がかかる。だからサボる。そうやって先送りした問題が、借金のように積み上がる」
「借金……」
「そう。技術的負債。いつか返さなきゃいけない。でも、返さずに放置すると、利子が膨らんで破綻する」
ミーナが帳簿を見る目で頷いた。
「それ、商売と同じですね。売掛金を回収しないで放置すると、いつか資金繰りが破綻する」
「まさにそれ」
報告書の最終ページに、リオンは推奨事項を書いた。
——推奨事項:
一、王都魔法インフラの全域リスク評価を実施すること。
二、アルヴィス局長の暗黙知を手順書として文書化すること。
三、重要インフラの冗長化を最優先で進めること。
四、定期メンテナンス体制を組織化すること。
ペンを置いた。
「……これを見せても、アルヴィス局長は認めないだろうな」
「なんでですか?」
「自分の五十年間を否定されてると感じるから」
リオンは窓の外を見た。
「前の世界でも同じだった。ベテランほど、自分のやり方を変えたがらない。『今まで壊れなかったから大丈夫』って言う。でも、それが一番危ない」
「リオンさんなら、どうしますか?」
エルナが聞いた。
「僕なら……」
リオンは少し考えた。
「まず小さく始める。一箇所だけ、手順書を作って冗長化する。それで成功事例を作って、広げていく。いきなり全部変えようとしたら、絶対に潰される」
「前の世界でも、そうやってたんですか?」
「……やろうとした。でも、政治に負けた」
リオンは苦笑した。
「だから今回は、政治も考えないと。カティア殿下の力を借りて、少しずつ進める」
翌朝、カティアに報告書を提出した。
執務室で、カティアは報告書を読み、何度も頷いた。
「……これは、衝撃的な内容ですね」
「率直すぎましたか?」
「いえ。むしろ、ここまで明確に書いていただいて感謝します」
カティアは報告書を閉じた。
「リオン殿、一つ質問があります。この技術的負債を返済するには、どれくらいの時間と費用がかかりますか?」
「最低でも三年。費用は概算で金ゼル千枚」
「王国の年間予算の一割……」
「ただし、放置した場合の被害額は、その何十倍です」
リオンは報告書の最後のページを開いた。
「中央中継塔が停止した場合のシミュレーション。通信途絶による軍の指揮系統麻痺、物流の停止、パニックによる二次被害。合計で金ゼル五千枚以上の損害が予測されます」
「……」
「予防するための千枚と、障害が起きてからの五千枚。どちらが安いか、明白です」
カティアは長い沈黙の後、頷いた。
「わかりました。この報告書を持って、もう一度アルヴィスと話をします」
「……聞いてくれるでしょうか」
「わかりません。でも、やるしかありません」
その夜、リオンは一人で王城の屋上に立っていた。
眼下に広がる王都の夜景。灯火魔法陣の光が、星空のように美しい。
でも、その一つ一つが、限界に近い魔法陣の悲鳴だ。
「五十年分の負債か……」
呟いて、リオンは前世を思い出した。
自分も同じことをしていた。手順書を作らず、一人で障害対応をして、知識を共有せず、そして、倒れた。
アルヴィス局長は、前世の自分の延長線上にいる。
だからこそ、わかる。あの人は悪意でやってるわけじゃない。ただ、自分のやり方を信じているだけだ。
「でも、それじゃダメなんだ」
リオンは夜空を見上げた。
一人の天才が守るシステムは、脆い。倒れたら終わりだ。
だから、組織で守る。手順書を作り、知識を共有し、誰でも対応できるようにする。それが運用だ。
「アルヴィス局長、あなたを否定したいわけじゃない。でも、このままじゃいけない」
呟いて、リオンは屋上を後にした。
明日から、本当の戦いが始まる。
【あとがき】
第30話「五十年分の技術的負債」でした。天才が一人で積み上げた技術的負債。返済を始めるには、まず「借金がある」と認めることからです。