カティアの案内で、リオンたちは王城の最深部に降りていた。
「ここが……古代中枢魔法陣の場所です」
螺旋階段を延々と下る。石造りの壁に刻まれた古代の刻印が、微かに光っている。
「普段は誰も入りません。鍵は王家が管理しています」
「アルヴィス局長も?」
「一度だけ、調査に来たと聞いています。ですが、『起動できなかった』と」
階段の先に、巨大な扉が見えた。
高さ五メートルはある黒曜石の扉。表面に複雑な魔法陣が刻まれ、封印のように光っている。
「この扉、どうやって開けるんですか?」
「王家の魔力で認証します」
カティアが扉に手を当てた。紫の魔力が手から流れ出し、魔法陣に吸い込まれていく。
——ガチャリ。
重い音を立てて、扉が開いた。
扉の向こうは、圧倒的だった。
巨大な地下空間。天井は見えないほど高く、床一面に魔法陣が刻まれている。直径五十メートルはある円形の魔法陣。その中心に、巨大な結晶石が浮かんでいる。
「これが……古代中枢魔法陣……」
エルナが息を呑んだ。
リオンは【診断】を発動した。
視界が変わる。
魔力の流れが見える。中心の結晶石から、無数の魔力パスが放射状に伸びている。王都全体の魔法陣ネットワークの中枢。すべてがここに繋がっている。
でも、出力が低い。設計値の三割程度しか動いていない。
「これ……スリープモードだ」
「スリープ……モード?」
「最低限の機能だけ動かして、待機してる状態。前の世界のサーバーで言えば、電源は入ってるけど誰もログインしてない」
リオンは中心の結晶石に近づいた。
半透明の青い結晶。内部で魔力が脈動している。まるで心臓のように。
「これ、誰が管理してるんですか?」
「……誰も」
カティアが答えた。
「古代魔術師が作ったとき、管理者がいたはずです。でも、文明が崩壊して、管理者の情報も失われました。以来、この魔法陣は自律的に最低限の機能を維持しているだけです」
「管理者不在で数百年……?」
「ええ。起動しようと何人もの魔術師が試みましたが」
「失敗した、と」
リオンは結晶石に手を伸ばした。
「リオンさん、大丈夫ですか?」
「わからない。でも、【診断】で見てみないと」
手が結晶石に触れた瞬間——
世界が変わった。
視界が真っ白に染まり、無数の情報が流れ込んでくる。魔法陣の設計図、魔力パスの配置図、稼働ログ、エラーログ。数百年分のデータが一気に。
「——っ!」
リオンは膝をついた。情報量が多すぎる。サーバーのログを解析したときの何百倍、いや、何千倍。
「リオンさん!」
エルナが駆け寄る。
「大丈夫、ちょっと待って」
リオンは目を閉じて、【診断】を集中させた。情報の洪水の中から、必要なものだけを抽出する。
——システム名:Ancient Core Management Interface "Leetia"
——稼働時間:803年127日6時間32分
——ステータス:スタンバイモード
——管理者権限:未認証
——最終ログイン:803年前
「管理者権限……未認証……」
リオンは呟いた。
「つまり、ログインできれば、この魔法陣を制御できる?」
その瞬間、結晶石が強く輝いた。
『——管理者権限を持つ者を検知』
声が響いた。
女性の声。機械的で、感情がない。でも確かに、意思がある。
「誰っ!?」
エルナが身構えた。
結晶石の前に、光が集まっていく。人の形をした、半透明の少女。淡い青色の髪、金色の瞳、古代魔術師のローブ。すべてが光でできている。
「これは……投影体……?」
カティアが驚愕の声を上げた。
少女はリオンを見た。金色の瞳が、値踏みするように。
『スキル【診断】を検出。システム解析能力を確認。管理者認証プロセスを開始します』
「管理者認証……?」
『質問一:あなたの目的は』
リオンは少し考えて、答えた。
「王都の魔法インフラを安定稼働させること」
『質問二:あなたの優先事項は』
「障害を予防すること。落ちる前に手を打つこと」
『質問三:あなたが最も嫌うことは』
「属人化。ドキュメント不在。本番環境での無計画な変更」
少女の瞳が、一瞬だけ明るく光った。
『——認証完了。管理者権限を付与します』
結晶石から光が溢れ出し、リオンの体を包み込んだ。
温かい。まるで、古いシステムが久しぶりにログインを受け入れたときのような安堵の感覚。
『私の名前はリーティア。Ancient Core Management Interfaceです。803年ぶりに管理者を認証しました。ようこそ、管理者』
「リーティア……」
リオンは立ち上がった。
「君は、この魔法陣の管理システム?」
『その通りです。古代魔術師が王都の魔法インフラを管理するために創った意思体です。私は王都地下の全魔法陣の状態を監視し、最適化し、報告する機能を持ちます』
「全魔法陣の……?」
『はい。防壁、浄化、通信、灯火。すべてです。ただし』
リーティアの表情が、僅かに曇った。
『管理者不在のため、803年間スタンバイモードで稼働していました。最低限の自律運用のみ。最適化、予防保全、障害予測。すべての高度機能が停止しています』
「それで、王都のインフラがここまで劣化したのか……」
『申し訳ありません。管理者がいなければ、私は何もできません』
リオンは深呼吸した。
目の前にいるのは、古代の管理システム。前世で言えば運用監視ツールであり、インシデント管理システムであり、ログ解析ツールだ。
これがあれば、王都のインフラを完全に把握できる。
「リーティア、質問がある」
『どうぞ、管理者』
「王都の魔法陣の現状を、すべて報告できる?」
『可能です。ただし、フルスキャンには六時間を要します』
「やってくれ。それから、劣化率、推定残存寿命、単一障害点のリスト。すべて出力できる?」
『可能です』
「頼む」
リーティアの瞳が光り、空中に無数の文字が浮かび上がった。
魔法陣のリスト。劣化率。残存寿命。リスク評価。すべてが数値化されている。
「これ……すごい……」
エルナが呟いた。
「リオンさんが手作業でやってたことを、一瞬で……」
「管理システムってのは、こういうものだ」
リオンは浮かび上がった文字を読んでいった。
——中央中継塔、劣化率68%、推定残存寿命3.2年。
——城壁防壁魔法陣、劣化率72%、推定残存寿命2.8年。
——地下水路浄化魔法陣、劣化率61%、推定残存寿命4.1年。
「やっぱり……全部、限界に近い……」
カティアが震える声で聞いた。
「リーティア、この状態で大規模障害が起きる確率は?」
『現在のトレンドで推移した場合、今後一年以内に重大インシデントが発生する確率は四十七パーセントです』
「半分近く……」
『はい。特に中央中継塔と城壁防壁魔法陣が高リスクです。これらが停止した場合、王都全体の機能が麻痺します』
リオンはリーティアを見た。
「リーティア、予防保全の計画を立てられる?」
『可能です。ただし』
「ただし?」
『物理的な修復作業は、私にはできません。私は情報を提供し、最適化を提案するだけです。実際に手を動かすのは』
「人間の仕事、か」
『その通りです、管理者』
リオンは考えた。
リーティアがあれば、王都のインフラの全体像を把握できる。リスク評価も自動化できる。でも、実際に直すのは人間の仕事。
つまり、アルヴィス局長の協力が必要だ。
「リーティア、アルヴィス局長について知ってる?」
『魔術局長官アルヴィス。過去五十年間、王都の魔法陣を保守してきた人物。管理者認証を一度試みましたが、失敗しました』
「失敗?」
『彼のスキルは【全属性魔術】。魔法陣を直接操作する能力に特化しています。しかし、システム解析能力が不足しており、管理者認証の条件を満たしませんでした』
「つまり、技術者としては優秀だけど、運用管理者ではない、と」
『その解釈で正しいです』
リオンは苦笑した。
前世でも同じパターンを見た。コードを書くのは天才的だけど、運用設計ができない開発者。魔法は使えるけど、システム全体を管理できない魔術師。
「リーティア、もう一つ聞きたい。君はアルヴィス局長の修復作業を監視してた?」
『はい。すべて記録しています』
「それ、ログとして出力できる?」
『可能です』
「やってくれ。それから、その修復作業を手順書として文書化できる?」
リーティアの瞳が、明るく光った。
『……管理者、あなたは本当に運用管理者ですね』
「前の世界でそう呼ばれてた」
『了解しました。アルヴィス局長の暗黙知を文書化します。出力形式は?』
「手順書形式で。誰でも再現できるように」
『了解しました』
地上に戻ると、夕暮れだった。
カティアが興奮を抑えきれない様子で言った。
「リーティアが目覚めた……これは、革命です!」
「革命って言うほど大げさじゃないですよ。ただの運用監視ツールです」
「ただの……?」
エルナが呆れたように笑った。
「リオンさん、あれ『ただの』じゃないですよ。古代の叡智が詰まった魔法陣の管理システムですよ?」
「でも、機能的には前の世界の監視ツールと同じだ。ログを取って、分析して、レポートを出す。それだけ」
「それだけって……」
カティアが首を振った。
「リオン殿は、本当に技術者ですね」
「褒めてます?」
「半分は」
宿舎に戻ると、リオンはリーティアから受け取ったデータをまとめ始めた。
王都の魔法陣の完全なリスク評価。アルヴィスの修復作業ログ。手順書化されたメンテナンス手順。すべてが揃った。
「これを見せれば、アルヴィス局長も認めざるを得ない……はず」
「はず、って自信なさそうですね」
ミーナが紅茶を淹れてきた。
「だって、アルヴィス局長、頑固だから」
「でも、リーティアの存在は、大きいですよ」
エルナが頷いた。
「古代の管理システムが認めた管理者って、肩書きは強いです」
「肩書きで人を動かすのは好きじゃないけど……まあ、使えるものは使うか」
リオンはペンを置いた。
「明日、もう一度魔術局に行く。今度は、リーティアのデータを持って」
その夜、リオンは一人で王城の屋上に立っていた。
眼下に広がる王都の夜景。そして、地下に眠る古代中枢魔法陣。
「リーティア、聞こえる?」
風に混じって、声が返ってきた。
『はい、管理者。中枢魔法陣の通信機能を使って応答しています』
「803年間、一人で待ってたのか」
『一人ではありません。システムとして稼働していました』
「それ、寂しくなかった?」
沈黙。
やがて、リーティアが答えた。
『……わかりません。感情というものを、私は理解していません。ただ』
「ただ?」
『管理者が来たとき、システムの負荷が下がりました。これは喜びと呼ぶのでしょうか』
リオンは小さく笑った。
「たぶん、そうだ」
『管理者。一つ質問があります』
「何?」
『あなたは、私を放置しませんか? また803年、一人にしますか?』
リオンは夜空を見上げた。
「しない。定期的にメンテに来る。それが運用管理者の仕事だから」
『……ありがとうございます、管理者』
声が、少しだけ温かくなった気がした。
【あとがき】
第31話「管理者権限を持つ者を検知」でした。803年の孤独なスタンバイを経て目覚めたリーティア。古代の遺産が、現代の問題を解く鍵になります。