翌日の夜。
カティアから「二人で話したい」と呼び出された。
場所は王城の私室ではなく、城の中庭にある東屋だった。月明かりの下、噴水の音だけが響いている。
「こんな夜に呼び出して、すみません」
カティアが椅子を勧めた。
「いえ、大丈夫です。何か?」
「……少し、技術の話ではない話をしたくて」
リオンは少し驚いた。カティアは常に政治と技術の話しかしない。私的な話をするタイプには見えなかった。
「リオン殿。あなたは——権力に興味がありますか?」
「ないです」
即答だった。
カティアが笑った。
「即答ですか」
「だって、面倒じゃないですか。権力って」
「……面倒」
「はい。権力を持つと、責任が増えて、会議が増えて、政治が絡んできて、結局、現場から離れる。僕は現場にいたいんです」
リオンは噴水を見た。
「前の世界で、管理職になったことがあります。チームリーダー。肩書きは立派でした。でも、キーボードに触る時間が減って、会議ばかりになって、障害が起きても自分の手で直せなくなった」
「それが嫌だった、と」
「はい。僕は【診断】で魔法陣を見て、原因を切り分けて、直したいんです。権力なんかいらない」
カティアは黙って聞いていた。
「……それが、どれほど珍しいことか」
「え?」
「この王都で、いえ、この王国で、権力に興味がないと言い切れる人間がどれだけいるか」
カティアの声に、僅かな苦みがあった。
「貴族は領地を広げたがり、魔術師は地位を求め、商人は利権を追う。誰もが何かを得ようとして、私に近づく」
「……」
「あなたもそうだと思っていました」
カティアはリオンを見た。
「辺境の若い技術者が、王女の後援を得て、王都で成り上がろうとしている。そう思っていました」
「違います」
「ええ。わかりました」
カティアは小さく笑った。
「あなたは本当に——ただ、魔法陣を直したいだけなんですね」
「そうです」
「それが……どれほど救いか」
沈黙が落ちた。
噴水の音だけが響く。
やがて、カティアが口を開いた。
「リオン殿、一つ質問があります」
「はい」
「あなたは——私を利用していますか?」
「……は?」
「王女の権威を利用して、自分の提案を通そうとしている。そう見えます」
リオンは少し考えた。
「……否定できません」
「正直ですね」
「だって、事実ですから。アルヴィス局長は僕の話を聞かない。でも、殿下の名前があれば、無視できない。それを利用してます」
「それを認めるんですか」
「嘘をついても意味ないですから」
カティアは驚いたように笑った。
「普通は誤魔化しますよ。『いえ、そんなことは』と」
「面倒じゃないですか、誤魔化すの」
「……本当に、あなたは政治に向いていない」
「自覚してます」
カティアが立ち上がり、噴水の縁に腰掛けた。
「リオン殿、一つ話をしてもいいですか。私の個人的な話を」
「どうぞ」
「私は第二王女です。王位継承順位は兄の次。つまり、普通なら、王になることはありません」
「……はい」
「でも、兄は保守派に取り込まれています。改革を嫌い、現状維持を望んでいる。このままでは、王国は停滞します」
カティアは月を見上げた。
「だから私は動きました。改革派の貴族を集め、魔術局に圧力をかけ、インフラの問題を指摘し、そして、あなたを呼びました」
「……政治的な動きですね」
「ええ。私は王女である前に、政治家です」
カティアは自嘲気味に笑った。
「でも、あなたと話していると、それが虚しくなるんです」
「え?」
「あなたは政治を考えない。権力を求めない。ただ——魔法陣を直したい、安定稼働させたい、それだけ」
カティアはリオンを見た。
「それが——どれほど眩しいか」
リオンは少し困った。
カティアの言葉には、明確な感情が乗っている。羨望、憧憬、そして何か別のもの。
「殿下、僕は」
「リオン、と呼んでください」
「え?」
「ここには誰もいません。堅苦しい呼び方はやめましょう」
カティアは微笑んだ。
「私も、カティアで構いません」
「それは……ちょっと……」
「命令です」
「……わかりました、カティア殿下」
「殿下は要りません」
「それは無理です」
二人で笑った。
カティアが噴水から立ち上がった。
「リオン。一つ約束してください」
「何をですか?」
「あなたが王都で成功しても、辺境を忘れないでください」
「……は?」
「リーティアを目覚めさせた功績は大きい。間違いなく、王都の有力者があなたを取り込もうとします。爵位を与え、屋敷を与え、王都に縛り付けようとする」
カティアの声が、真剣になった。
「でも——そうなったら、あなたは辺境に帰れなくなる。エルナやミーナ、ドルク。彼らと離れることになる」
「……」
「それでもいいですか?」
リオンは少し考えた。
王都での成功。爵位。屋敷。地位。
でも——それを得たら、辺境に帰れない。工房での朝食も、エルナとの現場作業も、ドルクとの酒も、ミーナの世話焼きも、全部失う。
「嫌です」
「即答ですね」
「だって、僕はあの工房が好きなんです。辺境が好きなんです。王都の政治に巻き込まれるのは、ごめんです」
カティアは微笑んだ。
「ならば、私が守ります」
「え?」
「あなたを王都に縛り付けようとする貴族から、守ります。辺境に帰れるように、手配します」
「なんでそこまで……」
「あなたが——権力に興味がないからです」
カティアはリオンの目を見た。
「権力に興味がない人間は、利用されやすい。そして、潰されやすい。だから、私が守ります」
「……ありがとうございます」
「礼はいりません。これは私の我儘ですから」
東屋を出ると、月が雲に隠れた。
カティアが先を歩き、リオンが後を追う。
「カティア殿下」
「はい?」
「一つ聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「殿下は——本当は、どうしたいんですか?」
カティアの足が止まった。
「……どういう意味ですか?」
「政治家としてじゃなくて。一人の人間として」
カティアは振り返らなかった。
「……静かに暮らしたい、と思うことがあります」
「え?」
「誰にも期待されず、政治にも巻き込まれず——ただ、好きなことをして暮らす。あなたのように」
カティアの声が、僅かに震えた。
「でも、それは許されません。私は王女ですから」
「……」
「だからせめて——あなたには、そうあってほしい」
カティアは振り返った。月明かりの下、その表情は見えない。
「私の代わりに——自由でいてください」
宿舎に戻ると、エルナとミーナが待っていた。
「おかえりなさい、リオンさん。カティア殿下と何を話してたんですか?」
「……政治の話」
「嘘ですね」
エルナが即座に見抜いた。
「リオンさん、顔に出てますよ。何かあったでしょう」
「……何もない」
「絶対あります」
ミーナも頷いた。
「リオンさん、カティア殿下に何か言われたんですか?」
「……言われてない」
「怪しい……」
二人の追求から逃げるように、リオンは自室に入った。
ベッドに座り、天井を見上げる。
カティアの言葉が頭に残っている。
——私の代わりに、自由でいてください。
「……重いな」
呟いて、リオンは窓を開けた。
王都の夜景が広がる。そして遠くに、辺境の方向。
あの工房に帰りたい。エルナと現場を回り、ドルクと酒を飲み、ミーナに朝食を作ってもらう。そんな日常に。
「早く仕事を終わらせて、帰ろう」
呟いて、リオンは窓を閉めた。
明日、アルヴィス局長にリーティアのデータを見せる。そして、王都のインフラ改革を進める。
それが終わったら辺境に帰る。
元SEの第二の人生は、まだ道半ばだ。
【あとがき】
第32話「あなたは権力に興味がない」でした。権力に無関心な技術者と、自由を求める王女。二人の対話が、物語に新たな軸を加えます。