S03-P01 異世界SLA99.99% ~元SEは今日も魔法インフラを落とさない~

第33話: 障害想定は不吉

第3アーク · 3,739文字 · revised

王都での生活が始まって、二週間が経った。

リオンは魔術局の一室に与えられた執務室で、辺境から持ち込んだ手順書のファイルを並べていた。水浄化魔法陣の定期メンテ手順、防壁障害の緊急対応、通信魔法陣のリソース監視。これまで辺境で積み上げてきた運用ノウハウの蓄積だ。

王都にも同じものが必要になる。いや、規模が桁違いに大きい分、もっと必要だ。

「リオンさん、お茶持ってきました」

ミーナが手に木製のトレイを持って入ってきた。彼女もまた王都での滞在が始まって以降、リオンの生活サポートを一手に引き受けている。

「ありがとう、ミーナ」

「ところで、午後の魔術局との会議の準備はできてますか?」

「……会議か」

リオンは手元の資料を見下ろした。

今日の議題は『インシデント対応訓練の導入』。辺境で学んだ最も重要な教訓の一つだ。障害が起きてから慌てるのではなく、障害が起きる前に訓練しておく。誰がどう動くか、どのリソースを優先するか、判断基準をあらかじめ決めておく。

前世のインフラ運用では当たり前だった。

——問題は、この世界ではそうでないことだ。


午後、魔術局の会議室にリオンは立っていた。

長いテーブルの向かい側に、アルヴィス局長と魔術局の幹部が三人。その端にカティア王女が座っている。カティアが同席していることに、リオンは少し安堵した。少なくとも、話を最初から跳ねられる可能性は減る。

「では、辺境での実績をもとに提案いたします」

リオンは手元の手順書を開いた。

「障害が発生した際の対応フローを事前に訓練しておくこと——これが王都の魔法インフラ安定化の鍵になると考えています」

アルヴィスが険しい顔で腕を組んだ。

「訓練?」

「はい。実際に障害が発生したと仮定して、誰がどう動くか、誰に報告するか、判断基準はどこか。これをあらかじめシミュレーションしておくんです」

幹部の一人——白髭の老魔術師が顔をしかめた。

「障害が起きると『仮定』する、とな」

「はい。障害は必ず起きます。だから事前に訓練しておく。辺境のルーンフェル村では防壁障害を想定した訓練をして——」

「待て」

老魔術師が手を上げた。

「障害が『必ず起きる』だと?」

「ええ、まあ……魔法陣は経年劣化しますし、予期しない負荷もありますから」

「それは理解している。だが」

老魔術師は深く息を吐いた。

「障害が起きることを、わざわざ想定するというのは……不吉だ」

リオンは言葉を失った。

「……不吉、ですか?」

「そうだ。魔法陣は神聖なる古代の遺産。それが『壊れる』ことを前提にするなど、畏れ多い」

別の幹部——中年の女性魔術師も頷いた。

「訓練と称して『障害が起きた』と仮定すること自体が、魔法陣への冒涜ではないか。そのような想定をすれば、本当に障害が引き寄せられる」

リオンは深く息を吸った。

冷静になれ。これは技術の話ではない。信仰の話だ。

この世界では魔法陣は「古代の神聖な遺産」であり、壊れることを想定すること自体が不敬と見なされる——宗教的な抵抗がある。

前世でも似た経験があった。老舗企業の基幹システムが「絶対に落ちない」という神話を守るために、障害対応訓練を拒否した。結果、本当に障害が起きたとき、誰も動けずパニックになった。

「……落ちますよ」

リオンは静かに言った。

「失礼ですが、魔法陣は壊れます。古代の遺産であろうと、経年劣化は避けられない。それを神聖視して見て見ぬふりをしても、壊れるときは壊れる」

アルヴィスが鋭い視線を向けた。

「それはわかっている。だが、わざわざ訓練で『障害が起きた』と仮定することが問題だと言っているのだ」

「訓練しなければ、本番で混乱します。誰がどう動けばいいかわからなくなる」

「今まで混乱したことなどない」

「それは局長が一人で全部対処しているからです」

リオンはアルヴィスを真っ直ぐに見た。

「局長がいなくなったとき、誰がどうやって障害を直すんですか?」

静寂が落ちた。

アルヴィスの眉が僅かに動いた。

「……私がいなくなる?」

「いつかは引退するでしょう。病気で倒れるかもしれない。あるいは」

リオンは言葉を切った。言いすぎたかもしれない。だが、言わなければならない。

「複数の場所で同時に障害が起きたら、局長一人では対処できません。その時、訓練を受けていない部下たちが右往左往する姿が見えます」

アルヴィスの表情が険しくなった。

「小僧、言っていいことと悪いことがある——」

「アルヴィス」

カティアが静かに声を発した。

「リオンの提案は、一理ある」

一同がカティアに視線を向けた。

「障害を想定することが不吉だという気持ちはわかります。私も魔法陣は尊いものだと思っています。ですが」

カティアはリオンを見た。

「辺境でリオンが実践してきた取り組みは、実際に成果を上げています。防壁障害を想定した訓練を行ったルーンフェル村では、実際に障害が起きた際に、住民が冷静に避難し被害を最小限に抑えた」

「それは——」

「訓練をしていなければ、どうなっていたと思いますか?」

老魔術師は黙り込んだ。

「リオン、提案を具体的に聞かせてください。どのような訓練を想定していますか?」

リオンは資料を開いた。

「まず小規模なものから始めます。例えば、水浄化魔法陣が停止したと仮定して、誰が現場に駆けつけ、誰が住民への告知を行うか。所要時間はどれくらいか。これを実際にやってみる」

「実際に止めるのか?」

「いえ、最初は『止まったと仮定して』動くだけです。魔法陣は動かしたまま、紙の上で判断と行動のフローを確認する」

女性魔術師が少し安堵の表情を見せた。

「それなら……魔法陣を実際に止めるわけではないのだな」

「はい。ただし——」

リオンは続けた。

「最終的には、実際に計画的にシステムを止める訓練も必要です。事前に住民に告知し、短時間だけ停止させて、復旧の手順を確認する」

「それは——」

「計画的に止めるのと、突然壊れるのは全く違います。前者なら準備ができる。後者は混乱を招く。どちらがマシですか?」

老魔術師は唸った。

「……机上訓練までなら、許容してもよいかもしれん。だが実際にシステムを止めることは——」

「殿下」アルヴィスがカティアを見た。「これは王族の判断が必要です」

カティアは静かに頷いた。

「では、段階的に進めましょう。まずは机上訓練から。その結果を見て、次のステップを判断します」

リオンは小さく息を吐いた。

完全な承認ではないが、足がかりは得た。


会議の後、リオンはカティアと二人で廊下を歩いていた。

「ありがとうございます、殿下。あなたが後押ししてくれなければ、即座に却下されていました」

「当然です。あなたの提案は正しい」

カティアは歩みを止め、窓の外——王都の街並みを見た。

「この街の地下に、無数の魔法陣が走っています。水、灯火、通信、防壁……すべてが古代の遺産に依存している」

「……はい」

「それが壊れたとき、誰が直せるのか。私もずっと不安に思っていました」

カティアはリオンを振り返った。

「だから、あなたの方法論を王都に根付かせたい。属人化を解消し、誰もが対応できる体制を作る。それが王国の未来を守ることになる」

リオンはカティアの真剣な瞳を見て、頷いた。

「僕は政治には興味ありません。でも、インフラは守りたい。壊れたシステムを見て見ぬふりはできない」

「それで十分です」

カティアは微笑んだ。

「視察と称して、また伺ってもよろしいですか?」

「……視察ですか?」

「ええ、視察です」

その笑みには、政治的な計算以外の何かが混じっていた気がしたが——リオンは深く考えないことにした。


夕方、宿舎に戻ると、ミーナが夕食の準備をしていた。

「お疲れ様です、リオンさん。会議はどうでしたか?」

「……文化の壁は厚かった」

リオンはテーブルに座り、深く息を吐いた。

「障害を想定すること自体が不吉だと言われて。訓練の導入は机上演習までが限界」

「それでも一歩前進じゃないですか」

ミーナはスープを注ぎながら言った。

「辺境だって最初は大変でしたよね。村長さんたちを説得するのに、何度も説明して」

「……そうだな」

かつてでもそうだった。新しいやり方を導入するとき、最初は必ず抵抗がある。それでも一つずつ実績を積み上げて、信頼を得ていく。

「辺境と違って、王都は規模が大きい分、変えるのも時間がかかりますよ」

「わかってる。焦らずにやる」

ミーナは微笑んだ。

「リオンさん、昔より随分辛抱強くなりましたね」

「……そうか?」

「はい。前なら『面倒くさい』って投げ出してたかもしれません」

リオンは苦笑した。

確かに、以前の自分なら政治的な調整なんて真っ先に逃げ出していた。でも今はエルナがいて、ミーナがいて、ドルクがいる。辺境で築いた仕組みがある。

一人じゃない。だから、やれる。

「……でも、定時で帰りたい気持ちは変わらないけどね」

「それは変えないでください」

ミーナの笑い声が、部屋を温かく満たした。


【次回予告】
古代中枢魔法陣のメンテナンス——リーティアとの定期的な交流が始まる。無機質だった応答に、わずかな変化が現れ始める。

【あとがき】
第33話「障害想定は不吉」でした。「壊れることを前提に備える」という考えが、神聖視する文化と衝突する。技術と宗教の壁は根深い。

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