王都地下の中枢魔法陣室。
石造りの広い空間に、床一面に広がる古代魔法陣が淡く発光している。その中央に、半透明の少女の姿が浮かんでいた。
「現在のシステム稼働率は68.1%。前回メンテナンス時より0.3ポイント上昇」
リーティアは感情のない声で報告した。
「了解。今日も診断を始めます」
リオンは魔法陣の縁に膝をつき、【診断】を発動した。視界が魔力の流れで満たされる。
——古代魔法陣は、想像以上に複雑だった。
辺境の魔法陣が一本道の配管だとすれば、この中枢魔法陣は都市全体の地下インフラだ。無数の魔力パスが分岐し、交差し、時には循環している。そのすべてをリーティアという意思体が管理している。
「セクターC-7の魔力伝送容量が低下している。劣化率は推定12%」
「わかった。後で優先修復リストに入れておく」
「了解」
リーティアの応答は相変わらず機械的だ。淡々と、事務的に、データを返す。
リオンはそれがむしろ心地よかった。前世のサーバー監視システムと同じだ。余計な感情を挟まず、正確な情報だけを返してくれる。
「今日の診断は以上。また明後日来ます」
「……待て」
リオンが立ち上がろうとしたとき、リーティアが声をかけた。
「何か?」
「次回のメンテナンス予定時刻は?」
「明後日の午前十時」
「了解した。記録する」
リーティアの金色の瞳が一瞬明滅した。
翌日、リオンは魔術局での会議と、王都の防壁魔法陣の現地調査に追われていた。辺境と比べて規模が桁違いで、診断だけで丸一日かかる。
宿舎に戻ったのは夕刻だった。
「リオンさん、お疲れ様です」
ミーナがいつものように夕食を用意してくれている。
「ありがとう。今日は本当に疲れた……」
リオンはテーブルに座り、肩を回した。
「明日は?」
「午前中は魔術局の定例会議。午後はリーティアのメンテ——あ」
リオンは手元の手帳を見た。
「……メンテ、明日の予定だったか」
「はい、そう書いてありますよ」
ミーナが手帳を覗き込んだ。
「でも、定例会議って午後までかかるんじゃなかったでしたっけ?」
「そうなんだよな……」
リオンは眉を寄せた。
明日の会議は長引く可能性が高い。魔術局の幹部たちは話が長い。午前で終わらず、午後まで食い込むことはよくある。
「リーティアのメンテ、一日ずらしてもいいかな」
「大丈夫なんですか?」
「システム自体は問題ない。メンテは予防的なものだから、一日くらいなら——」
リオンは言いかけて、止まった。
前世で、何度この言い訳をしただろう。
『一日くらい大丈夫』『次にまとめてやる』『今忙しいから後で』——そうやって定期メンテを先延ばしにした結果、小さな問題が積み重なって、ある日突然障害が起きる。
「……いや、やっぱりちゃんと行く」
「会議は?」
「午前で抜ける。定期メンテの時間は守るべきだ」
ミーナは嬉しそうに笑った。
「リオンさんらしいです」
翌日、リオンは定例会議を午前で切り上げ、地下の中枢魔法陣室へ向かった。
石の階段を下り、重い扉を開けると——リーティアがすでに中央に浮かんでいた。
「遅い」
リーティアの第一声がそれだった。
「……え?」
「予定時刻は午前十時。現在時刻は十時十七分。遅延が発生している」
「ああ、ごめん。会議が少し長引いて——」
「定期メンテの時間は守るべきだ」
リーティアの声に、わずかな抑揚があった気がした。
リオンは一瞬言葉を失い、それから小さく笑った。
「……ごめん。次からは時間通りに来る」
「了解」
リーティアの瞳がまた明滅した。
メンテナンスが始まった。
リオンは魔法陣の各セクターを順番に診断し、リーティアが内部データと照合する。二人の連携は回を重ねるごとにスムーズになっていた。
「セクターD-4、魔力パスに微細な歪み。放置すると三ヶ月以内に劣化が進行する可能性」
「確認した。修復優先度を中に設定」
「次、セクターD-5——問題なし」
「了解」
淡々とした作業が続く。
リオンにとって、この時間は不思議と落ち着いた。会議での政治的なやり取りや、魔術局の幹部たちの抵抗とは無縁の、純粋に技術だけを扱う時間。
「リーティア、一つ聞いていい?」
「許可する」
「この中枢魔法陣、設計思想がすごく合理的だ。冗長化されたパス、負荷分散の仕組み、障害時の自動切り替え——前世で見た大規模データセンターのネットワーク設計に近い」
「当然だ。古代の設計者は高度な知識を持っていた」
「設計者……古代魔術師のこと?」
「そうだ」
リーティアは少し間を置いた。
「彼らは、システムが『壊れる』ことを前提に設計した」
リオンは手を止めた。
「……壊れることを前提に?」
「そうだ。魔法陣は必ず劣化する。外部からの攻撃もある。だから、一箇所が壊れても全体が止まらないように、冗長化と自動復旧の仕組みを組み込んだ」
「それって——」
リオンは昨日の会議を思い出した。
『障害を想定すること自体が不吉』と言った魔術局の幹部たち。だが、この魔法陣を作った古代の魔術師たちは、むしろ障害を前提に設計していた。
「古代の設計者は、現代の魔術師より現実的だったのかもしれない」
「現実的……その評価は正しい」
リーティアは静かに言った。
「彼らは魔法を神聖視していなかった。道具として、システムとして扱った。だからこそ、これほど長く機能し続けている」
リオンは深く頷いた。
辺境で築いてきた運用思想が、実は古代魔術師たちの思想と重なっている。彼らもまた、障害を前提に、冗長性を持たせ、手順を明確にしていた。
「リーティア、君は……古代の設計者と話したことがあるのか?」
「ある。私は彼らによって作られた」
リーティアの声が少しだけ柔らかくなった。
「彼らは私に『システムを守れ』と命じた。それが私の存在理由だ」
「……そうか」
リオンは立ち上がり、リーティアを見上げた。
「じゃあ、僕も同じだ。このシステムを守る。君と一緒に」
リーティアの瞳が光った。
「……管理者」
「ん?」
「次回のメンテナンス予定は?」
「二日後の午前十時」
「時間厳守で頼む」
その言い方に、リオンは思わず笑った。
「了解。今度は遅刻しない」
それから数日が経った。
リオンは約束通り、毎回時間通りにメンテナンスに訪れた。リーティアとの作業は次第に効率化され、診断から修復優先度の設定まで、ほぼ無駄のない流れになっていた。
そして——リーティアの応答が、少しずつ変わり始めた。
「セクターE-2、問題なし」
「了解。……管理者、今日は早い」
「会議が予定より早く終わったんだ」
「効率的だ」
「褒められてる?」
「事実を述べているだけだ」
リオンは笑った。
「前より、少し喋るようになったな」
「……そうか?」
リーティアの瞳が僅かに揺れた。
「データ処理の最適化の結果、応答速度が向上しただけだ」
「そういうことにしておこう」
リオンは次のセクターに移った。
ある日のメンテナンス中、リーティアが唐突に言った。
「管理者」
「何?」
「お前は……なぜ毎回時間通りに来る?」
リオンは手を止めて、リーティアを見た。
「定期メンテだから」
「それだけか?」
「うん、それだけ」
リーティアは黙った。
「……前の管理者候補たちは、誰も定期的に来なかった」
「前の管理者候補?」
「アルヴィスや、その前任者たち。彼らは初回だけ訪れて、その後は来なくなった」
リオンは少し考えた。
「たぶん、彼らにとってここは『問題がなければ触らない場所』だったんだろう。動いているなら放置する」
「……それは合理的ではない」
「そうだね。でも、かつてでもよくあった。『動いているものには触るな』って言われて、メンテナンスを後回しにする」
「それで障害が起きる」
「そう。だから僕は定期メンテを大事にする」
リオンは微笑んだ。
「それに——」
「それに?」
「君と話すの、嫌いじゃないから」
リーティアの瞳が明滅した。
「……それは、業務外の理由だ」
「まあね」
「非効率だ」
「そうかもしれない」
リオンは作業を再開した。
リーティアは何も言わなかったが——その金色の瞳が、いつもより少し明るく光っていた気がした。
その日の夜、宿舎でミーナに報告した。
「リーティア、少しずつ人間くさくなってきた」
「人間くさい?」
「うん。最初はただのシステム応答だったのが、最近は感情……っぽいものが見える」
ミーナは嬉しそうに笑った。
「それって、リオンさんがちゃんとメンテしてるからじゃないですか?」
「どういう意味?」
「だって、リーティアさん、数百年ずっと一人で動いてたんでしょ? それが、リオンさんが定期的に来てくれるようになって——嬉しいんじゃないですか」
リオンは手を止めた。
「……嬉しい?」
「はい。だって、待っててくれてるんですよね? 『今日は来るのが遅い』って」
確かに、リーティアは毎回時間を気にする。
それは単なるシステムの時刻管理ではなく——待っている、という感情なのかもしれない。
「……そうか」
リオンは小さく笑った。
「じゃあ、もっと時間通りに行かないとな」
「そうですよ。女の子を待たせちゃダメです」
「女の子……なのか、リーティア」
「見た目は少女ですよ」
ミーナは笑い、それからふと真面目な顔になった。
「でも、リオンさん」
「ん?」
「あんまり全員に優しくしてると、後で大変なことになりますよ」
「……何の話?」
「何でもないです」
ミーナはくすくす笑いながら、食器を片付け始めた。
リオンには、その意味がよくわからなかった。
翌日のメンテナンス。
リオンが定刻通りに地下室に入ると、リーティアがすでに待っていた。
「定刻通りだ」
「約束だからね」
「……そうか」
リーティアの声が、ほんの少しだけ柔らかくなった気がした。
「では、メンテナンスを開始する」
「了解」
リオンは魔法陣の前に座り、【診断】を発動した。
淡々とした作業が続く中で——リオンはふと思った。
この時間が、意外と嫌いじゃない。
会議も政治も関係ない、純粋に技術だけを扱う時間。そして、一人じゃない。リーティアという、不思議な相棒がいる。
「管理者」
「ん?」
「……別に待っていたわけではないが」
「何が?」
「定刻に来てくれるのは、システム運用上、望ましい」
リオンは笑った。
「了解。次も時間通りに来るよ」
リーティアの瞳が、いつもより少しだけ明るく光った。
【次回予告】
カティア王女が「視察」と称して頻繁にリオンのもとを訪れるようになる。政治の話をしたがるカティアと、技術の話しかしないリオン。ミーナの視線が冷たくなる。
【あとがき】
第34話「定期メンテの時間は守るべきだ」でした。予防保全の価値を示すために、まず信頼を勝ち取る。地道な実績が壁を溶かしていきます。