S03-P01 異世界SLA99.99% ~元SEは今日も魔法インフラを落とさない~

第35話: 視察という名の

第3アーク · 4,885文字 · revised

執務室のドアがノックされた。

「リオン殿、よろしいですか」

カティアの声だ。リオンは手元の手順書から顔を上げた。

「どうぞ」

扉が開き、カティアが侍女を伴わずに一人で入ってきた。公務の礼服ではなく、動きやすい乗馬服姿だ。

「視察に来ました」

「……また、ですか?」

リオンは苦笑した。

カティアが執務室を訪れるのは、これで今週三度目だ。最初は『魔術局の改革について相談したい』、二度目は『辺境での保守契約の詳細を聞きたい』、そして今日は『視察』。理由は毎回違うが、結果は同じだ。執務室に来て、リオンと話をする。

「構いませんが……今日は特に見せるものもないですよ」

「構いません。作業を見ているだけでも参考になります」

カティアは椅子に座り、リオンの手元を見た。

「それは?」

「王都の通信魔法陣の監視手順書です。辺境で使っていたものを、王都の規模に合わせて改訂してる」

「ほう……」

カティアは興味深そうに覗き込んだ。

「この『異常検知時の判断フロー』というのは?」

「通信が遅延したとき、どこから調べるかの手順です。まず中継地点の負荷を確認して、次に魔力パスの劣化をチェックして」

リオンは淡々と説明を続けた。

カティアは熱心に聞いている——ように見えたが、リオンにはその視線が手順書ではなく、自分の顔に向いている気がした。

「……殿下?」

「ああ、申し訳ない。続けてください」

「はい……で、最終的に原因が特定できたら、修復優先度を判定して」

「リオン殿」

「はい?」

カティアは手元の手順書を閉じた。

「少し、技術以外の話をしてもよろしいですか」

「……政治の話ですか?」

「いえ、そうではなく」

カティアは少し言葉を探すように間を置いた。

「あなたは、王都での生活には慣れましたか?」

「ああ、はい。ミーナが色々世話を焼いてくれるので」

「そうですか。それは良かった」

カティアは微笑んだ。

「辺境が恋しくはないですか?」

「……まあ、正直に言えば」

リオンは窓の外を見た。

「辺境の方が静かでしたね。会議も少ないし、政治的な調整もない。魔法陣と向き合っているだけで良かった」

「では、王都に来たことを後悔していますか?」

「いえ、そういうわけじゃありません」

リオンはカティアを見た。

「王都のインフラは辺境よりずっと深刻です。属人化も進んでいるし、規模も大きい。放置すれば必ず落ちる。だから、ここでやるべきことはある」

「あなたは本当に……」

カティアは静かに笑った。

「インフラのことしか考えていませんね」

「そうですね」

リオンは何の躊躇もなく答えた。

「僕はそういう人間です」

カティアは少しだけ困ったような顔をした。


その日の夕方、宿舎に戻るとミーナが待っていた。

「おかえりなさい、リオンさん」

「ただいま。今日も疲れた……」

リオンはテーブルに座り、肩を回した。

「今日もカティア殿下が来られたんですか?」

「……なんでわかるの?」

「だって、三日連続ですもん。魔術局の職員さんから聞きました」

ミーナは夕食の支度をしながら、何気ない調子で言った。

「殿下、リオンさんのこと気に入ってるんですね」

「どうだろう。たぶん、改革の相談相手が欲しいだけだと思う」

「そうですか?」

「うん。僕は技術の話しかしないから、政治家としては話し相手として微妙だと思うけど」

ミーナは振り返った。

「リオンさん、本当に鈍感ですよね」

「……何が?」

「何でもないです」

ミーナはスープを注ぎながら、小さくため息をついた。


翌日も、カティアは執務室を訪れた。

「視察です」

「……はい」

リオンはもう驚かなくなっていた。

「今日は通信魔法陣の現地調査に行く予定なんですが……ご一緒されますか?」

「ええ、ぜひ」

カティアはすぐに頷いた。

二人は王都の地下にある通信魔法陣の中継拠点へ向かった。石造りの通路を進み、広い地下室に辿り着く。そこには巨大な魔法陣が複数配置されており、王都と各地を結ぶ通信の中継を担っている。

「ここが王都の通信ハブです」

リオンは魔法陣を指差した。

「ここから辺境、東部、南部、北部——各地への通信が中継される。問題は、この魔法陣が単一構成なこと」

「単一構成……つまり、冗長化されていない?」

「はい。ここが止まると、王都から各地への通信が全部止まる」

カティアは眉を寄せた。

「それは……問題ですね」

「ええ。辺境では小規模でも冗長化を入れてます。こんな重要な拠点が単一構成なのは、正直信じられない」

リオンは【診断】を発動し、魔法陣の状態を確認した。

「劣化も進んでる……負荷率も高い。あと半年以内に何らかの対策を打たないと、障害が起きる可能性がある」

「半年……」

カティアは魔法陣を見つめた。

「リオン殿、これを冗長化するには何が必要ですか?」

「まず予算。もう一基、同規模の魔法陣を構築する必要があります。それから技術者——鍛冶師と魔術師のチーム。工期は三ヶ月くらい」

「予算は何とかします」

カティアは即答した。

「技術者も手配しましょう。必要な人材リストを出してください」

「……本当に?」

「ええ。あなたが必要だと言うなら、それは必要なことです」

カティアはリオンを真っ直ぐに見た。

「私は、あなたの判断を信頼しています」

リオンは少し戸惑った。

技術的な判断を信頼されるのは嬉しいが——カティアの視線には、それ以上の何かが含まれている気がした。

「……わかりました。リストを作ります」

「ありがとうございます」

カティアは微笑んだ。


地上に戻る途中、カティアが話しかけた。

「リオン殿、少しお時間よろしいですか」

「はい」

「王都の庭園を散歩しませんか。ずっと地下にいると息が詰まるでしょう」

リオンは少し考えたが、断る理由もなく頷いた。

王都の中庭——広い庭園に色とりどりの花が咲いている。カティアは花壇の脇を歩きながら、静かに言った。

「この庭、好きなんです」

「綺麗ですね」

「ええ。ここに来ると、少しだけ政治を忘れられる」

カティアは立ち止まり、花を見つめた。

「私は第二王女として生まれました。兄がいるので王位を継ぐことはありませんが、それでも王族としての責任は重い」

「……はい」

「改革を進めようとすれば、保守派に反発される。何もしなければ、国が停滞する。どちらを選んでも誰かが不満を持つ」

カティアは寂しそうに笑った。

「時々思うんです。もし王族でなければ、もっと自由に生きられたのかな、と」

リオンは黙って聞いていた。

「でも、あなたを見ていると——」

カティアはリオンを振り返った。

「権力に興味がなく、ただ自分の信じることをやっている。それが……少し羨ましい」

「僕は、ただ魔法陣を守りたいだけです」

「わかっています。だからこそ、羨ましいんです」

カティアは一歩近づいた。

「リオン殿、あなたは——私のことをどう思っていますか?」

「え?」

リオンは戸惑った。

「どう、って……改革派の王女で、インフラの重要性を理解してくれる数少ない王族の方、ですか?」

カティアは目を閉じた。

「……そうですか」

「何か、間違ってますか?」

「いえ、間違っていません」

カティアは小さく笑った。

「あなたらしい答えです」

リオンにはその笑みの意味がわからなかった。


その夜、宿舎に戻ると、ミーナの機嫌が明らかに悪かった。

「今日もカティア殿下とご一緒だったんですね」

「うん、通信魔法陣の調査で」

「調査の後、庭園を散歩されたとか」

「……なんで知ってるの?」

「噂になってますよ。『第二王女が辺境の技術者と庭園デート』って」

「デート!?」

リオンは驚いて立ち上がった。

「違う、あれは休憩で——」

「私には関係ないですけどね」

ミーナはスープを乱暴に注いだ。

「リオンさんが誰とデートしようと、私はただの経理担当ですから」

「いや、だから、デートじゃなくて」

「はいはい」

ミーナは皿を置いて、部屋の奥に引っ込んだ。

リオンは途方に暮れた。

何が起きているのか、まったくわからない。


翌日、執務室で手順書を書いていると、またドアがノックされた。

「視察です」

カティアの声。

リオンは深く息を吸った。

「……殿下、申し訳ないんですが」

「はい?」

「あまり頻繁に来られると、噂になるみたいで……」

「ああ」

カティアは小さく笑った。

「庭園デートの件ですか」

「ご存知だったんですか!?」

「ええ。侍女から聞きました」

カティアは椅子に座った。

「気にしないでください。噂はすぐに消えます」

「でも——」

「それに」

カティアは真剣な顔になった。

「視察は本当に必要なんです。あなたの取り組みを理解して、魔術局や貴族たちに説明するために。これは政治的に重要なことです」

「……そうですか」

「ええ。だから、これからも、視察に来ます」

カティアは微笑んだ。

「構いませんか?」

リオンは諦めた。

「……はい」


その夜、ミーナは相変わらず不機嫌だった。

「また来たんですか」

「うん……視察だって」

「視察、視察って、毎日視察する必要ありますか?」

「僕もそう思うんだけど……断りにくくて」

ミーナはため息をついた。

「リオンさん、自覚ないんですね」

「何の?」

「殿下、リオンさんのこと好きなんですよ」

リオンは固まった。

「……え?」

「気づいてなかったんですか?」

「いや、だって、僕は技術の話しかしてないし——」

「だからですよ」

ミーナは呆れたように言った。

「殿下の周りには、権力目当てで近づく人ばかりなんです。でも、リオンさんは違う。権力に興味がなくて、技術の話しかしない。それが新鮮なんですよ」

「……そんな」

「それに、リオンさん、殿下と話してるとき楽しそうですもん」

「楽しい……かな?」

「はい。技術の話をしてるときのリオンさん、いつも楽しそうです」

ミーナは寂しそうに笑った。

「私にはできない話ですから」

リオンはミーナを見た。

「ミーナ——」

「いいんです」

ミーナは首を振った。

「私は経理担当ですから。リオンさんの生活を支えるのが仕事です」

「でも——」

「それより、明日の予定確認しましょう。午前中は魔術局の定例会議、午後はリーティアさんのメンテですね」

ミーナは話題を変えた。

リオンは何か言いたかったが、言葉が見つからなかった。


翌日のリーティアのメンテ中。

「管理者、集中していない」

「……え?」

「診断の精度が通常より3.2%低下している」

リーティアの指摘に、リオンは苦笑した。

「ごめん。ちょっと色々考えてて」

「何を?」

「……人間関係」

「人間関係?」

リーティアは首を傾げた。

「それはシステム運用と関係ない」

「そうなんだけどね」

リオンは魔法陣に手を当てた。

「最近、周りの人たちの気持ちがよくわからなくて」

「データで判断すればいい」

「人の気持ちは、データじゃ測れないんだよ」

「非効率だ」

「そうだね」

リオンは笑った。

「リーティアは楽でいいな。システムだから、感情に振り回されない」

「……私も」

リーティアは少し間を置いた。

「最近、よくわからない」

「何が?」

「管理者が来ない時間、待っている自分が理解できない。これは業務上必要な待機ではない。なのに——待っている」

リオンはリーティアを見上げた。

半透明の少女の姿が、いつもより少し寂しそうに見えた。

「……それ、たぶん感情だよ」

「感情?」

「うん。君も、少しずつ人間くさくなってる」

「それは——システムとして、望ましくない」

「そうかな。僕は、悪くないと思うけど」

リーティアの瞳が明滅した。

「……管理者は、優しすぎる」

「そうかな」

「そうだ。だから周りが混乱する」

リオンは苦笑した。

「それって、僕のせい?」

「間違いなくお前のせいだ」

リーティアの声に、わずかな抑揚があった。

リオンは笑い、診断を再開した。

人間関係は難しい。それは前世でも今世でも変わらない。

でも、少なくとも、今はインフラを守ることに集中できる。それだけで、十分だ。


【次回予告】
エルナとの通信魔法陣での定期連絡。辺境は安定稼働を続けている。嬉しいが、どこか寂しさを感じるリオン。ミーナが王都版SLA契約を提案する。

【あとがき】
第35話「視察という名の」でした。カティアの視察が見せた、政治と個人の間にある揺れ。リーティアにも変化の兆しが。

文字数: 4,885