S03-P01 異世界SLA99.99% ~元SEは今日も魔法インフラを落とさない~

第36話: リオンさんがいなくても大丈夫です

第3アーク · 4,343文字 · revised

週に一度の定例通信の日だった。

リオンは王都の通信魔法陣室に入り、辺境との回線を開いた。魔法陣が淡く発光し、文字が浮かび上がる。

『リオンさん、聞こえますか?』

エルナの文字だ。

リオンは返信用の魔法陣に魔力を込め、文字を刻む。

『聞こえてる。今週の辺境の状況は?』

『すべて正常です。ルーンフェル村、ミルデ村、ブラント村、ラーゼン、ヘルム集落、ベルクハルト辺境伯の館——稼働率は全拠点で98%以上を維持しています』

リオンは小さく息を吐いた。

完璧だ。辺境のインフラは、リオンがいなくても安定して動いている。

『よくやってる。問題は?』

『今週は軽微な障害が一件。ミルデ村の灯火魔法陣で出力低下がありましたが、手順書通りに対処して三十分で復旧しました』

『原因は?』

『魔力パスの接続部の劣化です。予備部品と交換して解決。ドルクさんが予備を打っておいてくれたので、すぐに対応できました』

リオンは頷いた。

障害が起きても、手順書があり、予備部品があり、チームが動ける体制——これが理想的な運用だ。

『エルナ、成長したな』

『……ありがとうございます』

文字が少し震えたように見えた。

『でも、リオンさんがいたら、もっと早く対処できたかもしれません』

『いや、三十分で復旧なら十分だ。辺境のチームは一人前になった』

リオンは続けた。

『正直に言うと——もう僕がいなくても、辺境は回るな』

『……そんなことないです』

エルナの返信が少し遅れた。

『リオンさんがいないと、やっぱり不安です』

『手順書があるだろう』

『それはそうですけど——』

文字が止まった。

『リオンさん、王都での仕事はどうですか?』

話題を変えたのだと気づいた。

『相変わらず大変だ。魔術局の幹部たちは保守的で、新しいやり方を受け入れるのに時間がかかる。それに、』

リオンは少し笑った。

『カティア殿下が毎日のように視察に来る』

『毎日……ですか』

エルナの文字が硬くなった気がした。

『ミーナちゃんから聞きました。殿下、リオンさんのこと気に入ってるんですよね』

『技術の話をしてるだけだよ』

『そうですか』

短い返信。

リオンは少し居心地の悪さを感じた。エルナの機嫌が悪い——気がする。通信魔法陣越しでもわかる。

『エルナ?』

『何でもないです。ところで、次回の辺境への視察予定は?』

『まだ決まってない。王都の仕事が立て込んでて——』

『そうですか』

また短い返信。

『……エルナ、怒ってる?』

『怒ってません』

明らかに怒っている。

『あの、もしかして——』

『リオンさん、そろそろ時間です。次回の定例通信は一週間後ですね』

『待って、エルナ——』

『失礼します』

通信が切れた。

リオンは魔法陣の前で呆然と立ち尽くした。

何が起きた?


宿舎に戻ると、ミーナが待っていた。

「エルナさんとの通信、どうでしたか?」

「……辺境は順調だけど、エルナの機嫌が悪かった」

「そりゃそうですよ」

ミーナは呆れたように言った。

「リオンさん、辺境に全然帰ってないじゃないですか」

「王都の仕事が忙しくて」

「忙しいのはわかりますけど、エルナさんは寂しいんですよ」

ミーナは夕食の支度をしながら続けた。

「エルナさん、リオンさんがいない間、すごく頑張ってるんです。手順書を読んで、訓練して、チームをまとめて。全部、リオンさんに認めてもらいたいから」

「……そうか」

「でも、リオンさんは王都で忙しそうにしてて、カティア殿下と庭園デートして」

「だから、あれはデートじゃ」

「エルナさんから見たら同じですよ」

ミーナはスープを注いだ。

「リオンさん、たまには辺境に顔を出してあげてください」

「……うん」

リオンは深く頷いた。

辺境が安定稼働しているのは嬉しい。でも、エルナやドルクと顔を合わせる時間が減っているのも事実だ。

「来週、一度帰ろうかな」

「そうしてください。エルナさん、絶対喜びますから」

ミーナは笑った。


翌日、執務室で通信魔法陣の冗長化計画を書いていると、ミーナが資料を持ってきた。

「リオンさん、これ見てください」

「何?」

「王都版のSLA契約書案です」

リオンは資料を受け取った。

辺境で使っているSLA契約書を、王都の規模に合わせて改訂したものだ。稼働率保証、定期メンテナンススケジュール、障害対応時間——すべて数値化されている。

「……これ、いつ作ったの?」

「昨日の夜です。辺境のフォーマットがあったので、規模を拡大するだけでした」

ミーナは嬉しそうに言った。

「王都の魔術局と正式なSLA契約を結べば、予算も確保できますし、リオンさんの立場も強くなります」

「立場……」

「今のままだと、リオンさんは『辺境から来た助言者』扱いです。でも、正式な保守契約を結べば、対等なビジネスパートナーになれます」

ミーナは資料を指差した。

「月額保守料は金ゼル五十枚。王都のインフラ規模を考えれば妥当な金額です。それに、成果報酬型のボーナス条項も入れました。稼働率が目標を超えたら追加報酬が出る仕組みです」

「……すごいな、ミーナ」

「これくらいは当然です」

ミーナは胸を張った。

「リオンさんは技術の専門家ですけど、契約とお金の話は私の領分ですから」

リオンは資料を読み進めた。

確かに、よくできている。技術要件と契約条項が明確に分離され、双方の責任範囲が明記されている。前世の保守契約書と遜色ないクオリティだ。

「これ、魔術局に提案してみる」

「お願いします。あと」

ミーナは別の資料を出した。

「辺境チームへの報酬配分案も作りました」

「報酬配分?」

「はい。王都での収入が増えたら、辺境チームにも還元すべきです。エルナさんやドルクさんがいなければ、辺境の実績は作れなかったわけですから」

リオンは資料を見た。

王都からの収入の一部を、辺境チームに配分する仕組みが書かれている。エルナ、ドルク、そして辺境の各村への還元——すべて計算されている。

「……ミーナ、本当にすごいな」

「当然です」

ミーナは少し照れたように笑った。

「私、リオンさんの商売パートナーですから」

「商売パートナー……」

リオンはミーナを見た。

彼女はいつも、リオンの生活を支え、仕事を回してくれる。技術はわからないと言いながら、契約やお金の面で完璧に補完してくれる。

「ありがとう、ミーナ」

「……はい」

ミーナは嬉しそうに微笑んだ。


その週末、リオンは辺境に戻った。

久しぶりに見る工房は、相変わらず静かだった。鍛冶場からは金槌の音が聞こえる。

「ただいま」

工房に入ると、ドルクが作業台で刻印板を打っていた。

「おう、帰ってたのか」

「うん。久しぶりに」

「王都は大変そうだな」

「まあね」

リオンは椅子に座った。

「辺境はどう?」

「順調だ。エルナが全部回してる」

ドルクは手を止めた。

「あの嬢ちゃん、お前がいない間、すごく頑張ってたぞ」

「……そうか」

「手順書を何度も読み返して、訓練して、村人たちに説明して。お前に負けないくらい真面目だ」

ドルクは笑った。

「お前、あの嬢ちゃんのこと、どう思ってんだ?」

「どうって……優秀な技術者だと思ってる」

「それだけか?」

「うん」

ドルクはため息をついた。

「お前、本当に鈍感だな」

「……何が?」

「いや、いい。自分で気づけ」

ドルクは作業を再開した。


午後、エルナが工房に戻ってきた。

「リオンさん!」

扉を開けた瞬間、エルナの顔が明るくなった。

「帰ってたんですか!」

「ああ、週末だけだけど」

「そうなんですか」

エルナは嬉しそうに笑い、それからすぐに表情を引き締めた。

「辺境の状況、報告します。全拠点、稼働率98%以上。今週の障害は一件のみ。予定通り復旧しました」

「聞いてる。通信魔法陣で報告もらった」

「はい。手順書通りに対処して」

「エルナ」

リオンはエルナを見た。

「よくやってくれてる。ありがとう」

エルナの顔が赤くなった。

「……当然です。私、リオンさんの弟子ですから」

「もう弟子じゃないだろう。一人前の運用技術者だ」

「そんな」

「本当だよ。辺境は、もう僕がいなくても回ってる。それは、エルナが成長したからだ」

エルナは俯いた。

「……嬉しいです」

「ん?」

「リオンさんに認めてもらえて、嬉しいです」

エルナは顔を上げた。

「でも」

「でも?」

「リオンさんがいなくても大丈夫、って言われると……ちょっと寂しいです」

リオンは言葉を失った。

「私、リオンさんと一緒に現場を回るのが好きだったんです。魔法陣を診断して、原因を切り分けて、一緒に直す。あの時間が」

エルナは言葉を切った。

「……好きでした」

リオンは何と答えればいいのかわからなかった。

エルナの気持ちは——わかる。前世で、信頼していた先輩が異動したとき、同じような寂しさを感じた。

でも、それは仕事上の関係だ。技術者同士の信頼関係だ。

——それだけ、だよな?

「エルナ、僕は王都にいるけど、辺境のことも見てる。週に一度は通信するし、必要なら戻ってくる」

「はい」

「それに、エルナがいるから、安心して王都の仕事に集中できる。辺境を任せられる人がいるって、すごく心強い」

エルナは微笑んだ。

「……ありがとうございます」

「これからも、頼むな」

「はい!」

エルナは元気よく頷いた。

だが、その笑顔の奥に——わずかな寂しさが残っているのを、リオンは気づかなかった。


夕方、工房の三人で夕食を囲んだ。

「王都の話、聞かせてくれよ」ドルクが酒を注ぎながら言った。

「大変だよ。魔術局の幹部たちは保守的だし、カティア殿下は毎日視察に来るし」

「殿下が?」エルナの手が止まった。

「うん。視察と称して、執務室に来る」

「……毎日?」

「ほぼ毎日」

エルナの表情が硬くなった。

「それは……大変ですね」

「まあね。でも、殿下がいないと魔術局を動かせないから、助かってはいる」

「そうですか」

エルナは黙々と食事を続けた。

ドルクがリオンに目配せした。気づけ、と言っているようだった。

リオンには、何に気づけばいいのかわからなかった。


その夜、宿舎に戻る前に、エルナが話しかけてきた。

「リオンさん」

「ん?」

「次はいつ帰ってきますか?」

「わからない。また来週通信するから、そのとき相談しよう」

「……そうですか」

エルナは少し寂しそうに笑った。

「王都、頑張ってください」

「ありがとう。エルナも、辺境を頼む」

「はい」

エルナは小さく手を振った。

リオンは工房を後にした。

振り返ると、エルナがまだ立っていた。手を振り返すと、彼女も小さく手を振った。

——その姿が、なぜか少し寂しそうに見えた。


【次回予告】
通信魔法陣の経路に不正な中継陣を検知。誰かが通信を盗聴している——帝国のサイバー攻撃、Phase 1が始まる。

【あとがき】
第36話「リオンさんがいなくても大丈夫です」でした。属人化の解消とは、自分がいなくても回る仕組みを作ること。エルナの成長が光る一話です。

文字数: 4,343