週に一度の定例通信の日だった。
リオンは王都の通信魔法陣室に入り、辺境との回線を開いた。魔法陣が淡く発光し、文字が浮かび上がる。
『リオンさん、聞こえますか?』
エルナの文字だ。
リオンは返信用の魔法陣に魔力を込め、文字を刻む。
『聞こえてる。今週の辺境の状況は?』
『すべて正常です。ルーンフェル村、ミルデ村、ブラント村、ラーゼン、ヘルム集落、ベルクハルト辺境伯の館——稼働率は全拠点で98%以上を維持しています』
リオンは小さく息を吐いた。
完璧だ。辺境のインフラは、リオンがいなくても安定して動いている。
『よくやってる。問題は?』
『今週は軽微な障害が一件。ミルデ村の灯火魔法陣で出力低下がありましたが、手順書通りに対処して三十分で復旧しました』
『原因は?』
『魔力パスの接続部の劣化です。予備部品と交換して解決。ドルクさんが予備を打っておいてくれたので、すぐに対応できました』
リオンは頷いた。
障害が起きても、手順書があり、予備部品があり、チームが動ける体制——これが理想的な運用だ。
『エルナ、成長したな』
『……ありがとうございます』
文字が少し震えたように見えた。
『でも、リオンさんがいたら、もっと早く対処できたかもしれません』
『いや、三十分で復旧なら十分だ。辺境のチームは一人前になった』
リオンは続けた。
『正直に言うと——もう僕がいなくても、辺境は回るな』
『……そんなことないです』
エルナの返信が少し遅れた。
『リオンさんがいないと、やっぱり不安です』
『手順書があるだろう』
『それはそうですけど——』
文字が止まった。
『リオンさん、王都での仕事はどうですか?』
話題を変えたのだと気づいた。
『相変わらず大変だ。魔術局の幹部たちは保守的で、新しいやり方を受け入れるのに時間がかかる。それに、』
リオンは少し笑った。
『カティア殿下が毎日のように視察に来る』
『毎日……ですか』
エルナの文字が硬くなった気がした。
『ミーナちゃんから聞きました。殿下、リオンさんのこと気に入ってるんですよね』
『技術の話をしてるだけだよ』
『そうですか』
短い返信。
リオンは少し居心地の悪さを感じた。エルナの機嫌が悪い——気がする。通信魔法陣越しでもわかる。
『エルナ?』
『何でもないです。ところで、次回の辺境への視察予定は?』
『まだ決まってない。王都の仕事が立て込んでて——』
『そうですか』
また短い返信。
『……エルナ、怒ってる?』
『怒ってません』
明らかに怒っている。
『あの、もしかして——』
『リオンさん、そろそろ時間です。次回の定例通信は一週間後ですね』
『待って、エルナ——』
『失礼します』
通信が切れた。
リオンは魔法陣の前で呆然と立ち尽くした。
何が起きた?
宿舎に戻ると、ミーナが待っていた。
「エルナさんとの通信、どうでしたか?」
「……辺境は順調だけど、エルナの機嫌が悪かった」
「そりゃそうですよ」
ミーナは呆れたように言った。
「リオンさん、辺境に全然帰ってないじゃないですか」
「王都の仕事が忙しくて」
「忙しいのはわかりますけど、エルナさんは寂しいんですよ」
ミーナは夕食の支度をしながら続けた。
「エルナさん、リオンさんがいない間、すごく頑張ってるんです。手順書を読んで、訓練して、チームをまとめて。全部、リオンさんに認めてもらいたいから」
「……そうか」
「でも、リオンさんは王都で忙しそうにしてて、カティア殿下と庭園デートして」
「だから、あれはデートじゃ」
「エルナさんから見たら同じですよ」
ミーナはスープを注いだ。
「リオンさん、たまには辺境に顔を出してあげてください」
「……うん」
リオンは深く頷いた。
辺境が安定稼働しているのは嬉しい。でも、エルナやドルクと顔を合わせる時間が減っているのも事実だ。
「来週、一度帰ろうかな」
「そうしてください。エルナさん、絶対喜びますから」
ミーナは笑った。
翌日、執務室で通信魔法陣の冗長化計画を書いていると、ミーナが資料を持ってきた。
「リオンさん、これ見てください」
「何?」
「王都版のSLA契約書案です」
リオンは資料を受け取った。
辺境で使っているSLA契約書を、王都の規模に合わせて改訂したものだ。稼働率保証、定期メンテナンススケジュール、障害対応時間——すべて数値化されている。
「……これ、いつ作ったの?」
「昨日の夜です。辺境のフォーマットがあったので、規模を拡大するだけでした」
ミーナは嬉しそうに言った。
「王都の魔術局と正式なSLA契約を結べば、予算も確保できますし、リオンさんの立場も強くなります」
「立場……」
「今のままだと、リオンさんは『辺境から来た助言者』扱いです。でも、正式な保守契約を結べば、対等なビジネスパートナーになれます」
ミーナは資料を指差した。
「月額保守料は金ゼル五十枚。王都のインフラ規模を考えれば妥当な金額です。それに、成果報酬型のボーナス条項も入れました。稼働率が目標を超えたら追加報酬が出る仕組みです」
「……すごいな、ミーナ」
「これくらいは当然です」
ミーナは胸を張った。
「リオンさんは技術の専門家ですけど、契約とお金の話は私の領分ですから」
リオンは資料を読み進めた。
確かに、よくできている。技術要件と契約条項が明確に分離され、双方の責任範囲が明記されている。前世の保守契約書と遜色ないクオリティだ。
「これ、魔術局に提案してみる」
「お願いします。あと」
ミーナは別の資料を出した。
「辺境チームへの報酬配分案も作りました」
「報酬配分?」
「はい。王都での収入が増えたら、辺境チームにも還元すべきです。エルナさんやドルクさんがいなければ、辺境の実績は作れなかったわけですから」
リオンは資料を見た。
王都からの収入の一部を、辺境チームに配分する仕組みが書かれている。エルナ、ドルク、そして辺境の各村への還元——すべて計算されている。
「……ミーナ、本当にすごいな」
「当然です」
ミーナは少し照れたように笑った。
「私、リオンさんの商売パートナーですから」
「商売パートナー……」
リオンはミーナを見た。
彼女はいつも、リオンの生活を支え、仕事を回してくれる。技術はわからないと言いながら、契約やお金の面で完璧に補完してくれる。
「ありがとう、ミーナ」
「……はい」
ミーナは嬉しそうに微笑んだ。
その週末、リオンは辺境に戻った。
久しぶりに見る工房は、相変わらず静かだった。鍛冶場からは金槌の音が聞こえる。
「ただいま」
工房に入ると、ドルクが作業台で刻印板を打っていた。
「おう、帰ってたのか」
「うん。久しぶりに」
「王都は大変そうだな」
「まあね」
リオンは椅子に座った。
「辺境はどう?」
「順調だ。エルナが全部回してる」
ドルクは手を止めた。
「あの嬢ちゃん、お前がいない間、すごく頑張ってたぞ」
「……そうか」
「手順書を何度も読み返して、訓練して、村人たちに説明して。お前に負けないくらい真面目だ」
ドルクは笑った。
「お前、あの嬢ちゃんのこと、どう思ってんだ?」
「どうって……優秀な技術者だと思ってる」
「それだけか?」
「うん」
ドルクはため息をついた。
「お前、本当に鈍感だな」
「……何が?」
「いや、いい。自分で気づけ」
ドルクは作業を再開した。
午後、エルナが工房に戻ってきた。
「リオンさん!」
扉を開けた瞬間、エルナの顔が明るくなった。
「帰ってたんですか!」
「ああ、週末だけだけど」
「そうなんですか」
エルナは嬉しそうに笑い、それからすぐに表情を引き締めた。
「辺境の状況、報告します。全拠点、稼働率98%以上。今週の障害は一件のみ。予定通り復旧しました」
「聞いてる。通信魔法陣で報告もらった」
「はい。手順書通りに対処して」
「エルナ」
リオンはエルナを見た。
「よくやってくれてる。ありがとう」
エルナの顔が赤くなった。
「……当然です。私、リオンさんの弟子ですから」
「もう弟子じゃないだろう。一人前の運用技術者だ」
「そんな」
「本当だよ。辺境は、もう僕がいなくても回ってる。それは、エルナが成長したからだ」
エルナは俯いた。
「……嬉しいです」
「ん?」
「リオンさんに認めてもらえて、嬉しいです」
エルナは顔を上げた。
「でも」
「でも?」
「リオンさんがいなくても大丈夫、って言われると……ちょっと寂しいです」
リオンは言葉を失った。
「私、リオンさんと一緒に現場を回るのが好きだったんです。魔法陣を診断して、原因を切り分けて、一緒に直す。あの時間が」
エルナは言葉を切った。
「……好きでした」
リオンは何と答えればいいのかわからなかった。
エルナの気持ちは——わかる。前世で、信頼していた先輩が異動したとき、同じような寂しさを感じた。
でも、それは仕事上の関係だ。技術者同士の信頼関係だ。
——それだけ、だよな?
「エルナ、僕は王都にいるけど、辺境のことも見てる。週に一度は通信するし、必要なら戻ってくる」
「はい」
「それに、エルナがいるから、安心して王都の仕事に集中できる。辺境を任せられる人がいるって、すごく心強い」
エルナは微笑んだ。
「……ありがとうございます」
「これからも、頼むな」
「はい!」
エルナは元気よく頷いた。
だが、その笑顔の奥に——わずかな寂しさが残っているのを、リオンは気づかなかった。
夕方、工房の三人で夕食を囲んだ。
「王都の話、聞かせてくれよ」ドルクが酒を注ぎながら言った。
「大変だよ。魔術局の幹部たちは保守的だし、カティア殿下は毎日視察に来るし」
「殿下が?」エルナの手が止まった。
「うん。視察と称して、執務室に来る」
「……毎日?」
「ほぼ毎日」
エルナの表情が硬くなった。
「それは……大変ですね」
「まあね。でも、殿下がいないと魔術局を動かせないから、助かってはいる」
「そうですか」
エルナは黙々と食事を続けた。
ドルクがリオンに目配せした。気づけ、と言っているようだった。
リオンには、何に気づけばいいのかわからなかった。
その夜、宿舎に戻る前に、エルナが話しかけてきた。
「リオンさん」
「ん?」
「次はいつ帰ってきますか?」
「わからない。また来週通信するから、そのとき相談しよう」
「……そうですか」
エルナは少し寂しそうに笑った。
「王都、頑張ってください」
「ありがとう。エルナも、辺境を頼む」
「はい」
エルナは小さく手を振った。
リオンは工房を後にした。
振り返ると、エルナがまだ立っていた。手を振り返すと、彼女も小さく手を振った。
——その姿が、なぜか少し寂しそうに見えた。
【次回予告】
通信魔法陣の経路に不正な中継陣を検知。誰かが通信を盗聴している——帝国のサイバー攻撃、Phase 1が始まる。
【あとがき】
第36話「リオンさんがいなくても大丈夫です」でした。属人化の解消とは、自分がいなくても回る仕組みを作ること。エルナの成長が光る一話です。