暗号化の実装から三日後。
リオンは地下のリーティアのもとを訪れていた。今日は通常のメンテナンスではなく、魔力紋章の実装についての相談だ。
「リーティア、魔力紋章の詳細な仕様を教えてほしい」
「了解した」
リーティアは中枢魔法陣の一部を光らせた。古代の魔法陣構造が浮かび上がる。
「魔力紋章は、送信者固有の魔力パターンを通信に埋め込む技術だ。各魔術師の魔力には固有の『波形』がある。それを記録し、通信に付加する」
「なるほど……指紋みたいなものか」
「指紋?」
「前世の技術だ。人間の指には固有のパターンがあって、それで個人を識別する」
「概念は同じだ。魔力の波形は偽造が極めて困難。だから、送信者の真正性を保証できる」
リオンはメモを取った。
「受信側はどうやって検証する?」
「事前に登録された魔力パターンと照合する。一致すれば正規の送信者、不一致なら偽装と判定する」
「完璧だ……」
リオンは興奮した。
これは前世でいうデジタル署名そのものだ。公開鍵暗号の概念を、魔力パターンで実現している。
「古代魔術師、すごいな……」
「当然だ。彼らは魔法を道具として、体系的に設計した」
リーティアは静かに言った。
「現代の魔術師が魔法を神聖視するのとは、根本的に異なる」
「君も、そういう考え方なのか?」
「私は彼らに作られた。だから、彼らの思想を受け継いでいる」
リーティアはリオンを見た。
「管理者——お前も、同じだ」
「……そうかもしれない」
リオンは笑った。
「魔法を神聖視せず、道具として扱う。障害を前提に設計する。それが、古代魔術師の思想なら——僕も同じだ」
リーティアの瞳が明滅した。
「だから、お前は管理者として認証された」
魔力紋章の実装は、暗号化よりも複雑だった。
各拠点の魔術師の魔力パターンを登録し、通信魔法陣に検証機構を組み込む必要がある。
リオンは一週間かけて、王都と各地の拠点に魔力紋章システムを実装した。
そして、最終テストの日。
「エルナ、そっちから通信を送ってくれ」
リオンは王都の通信魔法陣室で待機していた。
『了解しました。送信します』
エルナからの通信が届いた。
リオンは魔力紋章の検証機構を起動した。魔法陣が発光し、エルナの魔力パターンが解析される。
そして、『認証成功。送信者: エルナ』という表示が浮かんだ。
「成功だ……」
リオンは安堵の息を吐いた。
『リオンさん、こちらも検証できました。リオンさんの魔力紋章、正常です』
「よかった。これで、通信の送信者を確実に検証できる」
リオンは他の拠点にもテスト通信を送った。
東部——認証成功。南部——認証成功。北部——認証成功。
すべての拠点で、魔力紋章による認証が正常に動作している。
その日の午後、リオンはアルヴィスとカティアに報告した。
「暗号化と魔力紋章の実装、完了しました」
「どういう状態だ?」アルヴィスが聞いた。
「通信内容は暗号化され、盗聴されても中身を読めません。さらに、送信者の真正性は魔力紋章で検証されます。偽の送信者からの通信は、受信側で弾かれます」
リオンは図を描いた。
「これで、盗聴となりすましの両方に対処できます」
カティアは微笑んだ。
「素晴らしい。どれくらいの期間で実装したのですか?」
「二週間です」
「二週間で、王国全体の通信セキュリティを刷新した……」
カティアは感心したように言った。
「あなたの技術力は、本当に驚異的です」
「いえ、リーティアの協力がなければできませんでした。古代の技術を教えてもらったおかげです」
「リーティア……古代中枢魔法陣の意思体か」
アルヴィスが腕を組んだ。
「あれは数百年、誰も起動できなかった。お前が初めてだ」
「たぶん、【診断】が管理者権限として認識されたんだと思います」
「……ふん」
アルヴィスは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「私も何度か試したが、ダメだったぞ」
「局長の魔力は強すぎるんじゃないですか。リーティアは『管理者』を求めてる。攻撃力じゃなくて、診断と保守の能力を」
アルヴィスは黙った。
カティアが笑った。
「アルヴィス、あなたも認めたらどうですか。リオン殿の方法論が、正しかったと」
「……まだ認めん」
アルヴィスは顔を背けた。
「ただ、悔しいが、役に立っているのは事実だ」
リオンは笑った。
アルヴィスも、少しずつ変わってきている。
その夜、リオンは宿舎でミーナと夕食を取っていた。
「お疲れ様です、リオンさん。暗号化、完成したんですね」
「うん。これで盗聴されても安心だ」
「すごいですね。二週間で王国全体のセキュリティを変えちゃうなんて」
ミーナは嬉しそうに言った。
「でも、相手も黙ってないんじゃないですか?」
「……そうだな」
リオンは真剣な顔になった。
「盗聴がダメだとわかったら、次は別の攻撃に移るだろう。たぶん——なりすまし攻撃か、魔法陣への直接攻撃」
「なりすまし?」
「偽の指示を送りつける。例えば、僕の名前を騙って『この魔法陣を停止しろ』って命令を送る」
「それ、防げるんですか?」
「魔力紋章があれば大丈夫。偽の送信者は認証で弾かれる」
リオンはスープを啜った。
「問題は、魔法陣への直接攻撃だ」
「直接攻撃?」
「魔法陣の構造を書き換える。入力パスから不正な術式を注入するとか、魔力パスを物理的に破壊するとか」
ミーナは不安そうな顔をした。
「それって……戦争ですよね」
「……ああ」
リオンは頷いた。
「帝国は本気だ。魔法インフラを破壊して、王国の国力を削ごうとしている」
「リオンさん、大丈夫なんですか?」
「わからない」
リオンは正直に答えた。
「でも、やるしかない。インフラを守るのが、僕の仕事だから」
ミーナは少し寂しそうに笑った。
「リオンさん、本当に変わりませんね」
「何が?」
「インフラのことしか考えてない」
「……そうかもしれない」
リオンは苦笑した。
「前世でも、今世でも、結局やってることは同じだ。システムを守る。障害に対処する。それだけ」
「それだけ、って言いますけど」
ミーナは真剣な顔になった。
「リオンさんがいなかったら、辺境も王都も、とっくに落ちてましたよ」
「そんなことない。誰かがやってた」
「でも、リオンさんみたいに、ちゃんとやれる人はいませんでした」
ミーナは微笑んだ。
「だから、私はリオンさんを支えます。お金の面でも、生活の面でも」
「……ありがとう、ミーナ」
「どういたしまして」
翌日、リオンは定期メンテのためにリーティアのもとを訪れた。
「今日も定刻通りだ」
「約束だからね」
「……管理者」
リーティアが珍しく、自分から話しかけてきた。
「何?」
「魔力紋章の実装、成功したな」
「うん。リーティアのおかげだ」
「私は情報を提供しただけだ。それを実装したのはお前だ」
リーティアは少し間を置いた。
「古代魔術師以来、魔力紋章を実装できた者はいなかった。お前が初めてだ」
「……そうなのか」
「そうだ。だから、」
リーティアの声が、わずかに柔らかくなった。
「誇っていい」
リオンは笑った。
「ありがとう、リーティア」
「礼を言われることではない。事実を述べただけだ」
リオンはメンテナンスを始めた。
淡々とした作業が続く中で、リーティアがまた話しかけてきた。
「管理者、質問がある」
「何?」
「お前は——なぜそこまでインフラを守ろうとする?」
リオンは手を止めた。
「……どういう意味?」
「お前は報酬のためでもなく、名誉のためでもなく、ただインフラを守ろうとする。その動機が理解できない」
リオンは少し考えた。
「……かつてで、守れなかったからかな」
「守れなかった?」
「うん。前の世界で、僕は大規模なシステム障害を経験した。何日も復旧できなくて、たくさんの人が困った」
リオンは遠い目をした。
「あの時、もっとちゃんと保守していれば、もっと冗長化していれば——障害は防げたかもしれない」
「……それが、お前の原動力か」
「たぶんね。二度と同じことを繰り返したくない。だから、」
リオンは微笑んだ。
「今度は、ちゃんと守りたい」
リーティアは静かに頷いた。
「……そうか」
「おかしい?」
「いや」
リーティアの瞳が明滅した。
「お前らしい」
その週の定例通信で、リオンはエルナに報告した。
『暗号化と魔力紋章、全拠点で稼働中。通信のセキュリティは大幅に向上した』
『すごいです、リオンさん! これで盗聴の心配はないんですね』
『ああ。ただ、相手は次の手を打ってくるだろう。警戒を怠らないでくれ』
『了解しました』
エルナの返信が少し遅れた。
『……リオンさん』
『ん?』
『次はいつ辺境に帰ってきますか?』
リオンは少し考えた。
『来月には一度戻る。辺境の監視体制も確認したい』
『はい。待ってます』
エルナの文字が、少しだけ嬉しそうに見えた。
その夜、リオンは執務室で次の対策を考えていた。
暗号化と魔力紋章で、通信の盗聴となりすましには対処できた。
次は——魔法陣への直接攻撃だ。
入力パスからの不正術式注入、魔力パスの物理破壊、過剰負荷による暴走——考えられる攻撃手段は無数にある。
「……全部に対処するのは無理だな」
リオンは頭を抱えた。
かつてでも同じだった。攻撃者は一箇所突破すればいいが、防御側は全部守らなければならない。不公平なゲームだ。
でも、やるしかない。
「まずは、入力値の検証を強化するか……」
リオンはメモを取り始めた。
魔法陣への入力を検証し、不正な術式を弾く仕組み——かつてでいうサニタイズだ。
それを全ての魔法陣に実装すれば、インジェクション攻撃を防げる。
「……時間がかかるな」
でも、やらなければならない。
帝国の攻撃は、これからエスカレートする。
リオンはそれを、かつての経験から知っていた。
深夜、宿舎に戻ると、ミーナがまだ起きていた。
「リオンさん、遅かったですね」
「ごめん。次の対策を考えてて」
「もう休んでください。明日も早いんでしょう?」
「……うん」
リオンはテーブルに座った。
「ミーナ、僕——」
「はい?」
「この戦い、勝てるかな」
ミーナは少し驚いた顔をした。
リオンが弱音を吐くのは、珍しい。
「……わかりません」
ミーナは正直に答えた。
「でも、リオンさんがやると決めたなら、私は信じます」
「根拠は?」
「根拠なんてないですよ」
ミーナは笑った。
「ただ、リオンさんがやるって言ったことは、今まで全部実現してきましたから」
リオンは小さく笑った。
「……そうだな」
「だから、大丈夫ですよ」
ミーナは温かい紅茶を淹れた。
「今日は、ちゃんと寝てください」
「……ありがとう」
翌朝、リオンは魔術局に向かった。
アルヴィスとの定例会議で、次の対策——入力値検証の強化を提案する予定だ。
王都の街を歩きながら、リオンは空を見上げた。
穏やかな朝だ。だが、この平和は——脆い。
地下では、帝国の工作員が次の攻撃を準備しているだろう。
通信の盗聴がダメなら、次は魔法陣への直接攻撃。
そして——その次は、もっと大規模な破壊工作。
「……来るなら、来い」
リオンは呟いた。
「守ってみせる」
これは障害対応ではない。戦争だ。
でも——リオンの戦場は、サーバールームだ。
魔法陣を守る。インフラを守る。
それが、元SEの戦い方だ。
【次回予告】
なりすまし攻撃が発生。リオンの名を騙った偽の指示が各地に送られる。認証トークンとダブルチェック体制の導入が急務となる。帝国の攻撃がエスカレートする。
【あとがき】
第38話「盗聴されてる通信が速くても意味ないです」でした。暗号化と署名認証の実装により通信の安全性は大幅向上。しかし帝国の攻撃はこれからです。