S03-P01 異世界SLA99.99% ~元SEは今日も魔法インフラを落とさない~

第41話: 入力値は信用するな

第3アーク · 3,245文字 · revised

王都でのサニタイズ層展開が完了した翌日。

リオンは魔術局の会議室で、カティアと向き合っていた。

「辺境にも同じ脅威がありますね」

カティアの言葉に、リオンは頷いた。

「はい。王都で起きたインジェクション攻撃は、辺境でも再現できます。むしろ」

「むしろ?」

「辺境の方が防御体制が薄い。狙いやすいはずです」

カティアは地図を広げた。アステリア王国全土の地図だ。

「辺境の農地魔法陣は何ヶ所ありますか」

「ルーンフェル村、ミルデ村、ブラント村、ラーゼン、ハーゼル……少なくとも十五ヶ所以上です」

「では、すべてにサニタイズ層を実装する必要がありますね」

「そうです。ただ」

リオンは資料を取り出した。

「王都では私とアルヴィス局長が直接実装しましたが、辺境まで私が行くのは時間的に厳しい。辺境は」

「エルナに任せる、ということですか」

リオンは一瞬、躊躇した。

エルナは優秀だ。魔力操作の腕は確かで、リオンの方法論も理解している。だが、サニタイズ層の実装は繊細だ。一つ間違えれば、正常な動作まで阻害してしまう。

「……不安ですか」

カティアが静かに聞いた。

「少しだけ」

「でも、信頼はしているんですね」

「はい」

「なら、任せてみてはどうですか。あなたはいつも『属人化はリスクだ』と言っているでしょう」

リオンは苦笑した。

「自分の言葉に縛られてますね」

「ええ。でも、それがあなたの良いところです」


その日の午後、リオンはエルナを呼んだ。

「辺境のサニタイズ層展開、あなたに任せたい」

エルナの目が見開かれた。

「……私に?」

「はい。設計書と手順書はすべて渡します。ミーナも同行させます。辺境の各村を回って、農地魔法陣にサニタイズ層を実装してください」

「でも、私一人で——」

「一人じゃないです。通信魔法陣で常に連絡を取れます。何か問題があれば、すぐに相談してください」

エルナは設計書を受け取り、じっと見つめた。

「……リオンさんは、来ないんですか」

「王都にはまだやることがあります。それに——」

リオンはエルナの目を見た。

「あなたなら、できます」

エルナの頬が少し赤くなった。

「……分かりました。やります」


翌朝、エルナとミーナは辺境への馬車に乗り込んだ。

「頑張ってきます、リオンさん!」

「気をつけて。何かあったらすぐに連絡してください」

「はい!」

馬車が走り出す。リオンはその後ろ姿を見送った。

「心配か」

アルヴィスが隣に立っていた。

「……少しだけ」

「だが、任せたのだろう」

「はい」

「なら、信じろ」

アルヴィスはそう言って、踵を返した。


三日後。

最初の報告が通信魔法陣で届いた。

「リオンさん、ルーンフェル村の農地魔法陣、サニタイズ層の実装完了しました!」

エルナの声が弾んでいた。

「テスト結果は?」

「正常入力は通過、異常入力は全部弾きました! 設計書通りです!」

リオンは安堵の息を吐いた。

「よくやりました。次はミルデ村ですね」

「はい! 手順書の通りに進めます!」

通信が切れた後、リオンは小さく笑った。

「……できてるじゃないか、エルナ」


エルナの報告は日を追うごとに正確になっていった。

「ブラント村、完了。テスト結果は良好です」

「ラーゼン、完了。ただし——」

「ただし?」

「土壌魔力の入力パターンが、設計書の想定範囲をわずかに超えています。これは正常値として扱っていいですか?」

リオンは資料を確認した。

「それ、この地域の土壌特性です。設計書の補足資料に記載してあります。範囲を微調整してください」

「了解です! ……あ、ありました。補足資料の三ページ目ですね」

「その通り。よく気づきましたね」

「リオンさんが『異常値は必ず理由がある。調べずに無視するな』って言ってたので」

リオンは思わず笑った。

「よく覚えてましたね」

「当たり前です。リオンさんの教え、全部覚えてますから」


一週間後。

エルナとミーナが王都に戻ってきた。

「ただいま戻りました!」

エルナが報告書を差し出した。

「辺境十五ヶ所の農地魔法陣、すべてにサニタイズ層を実装しました。テスト結果はすべて良好。異常値検知、不正術式の遮断、すべて正常に動作しています」

リオンは報告書に目を通した。実装記録、テスト結果、各村の魔術師への説明記録——すべてが丁寧に記録されている。

「……完璧ですね」

「本当ですか!?」

「ええ。これなら、僕がやったのと同じレベルです」

エルナの顔が輝いた。

「やった……!」

「お疲れ様でした、エルナ」

「リオンさんの手順書があったから、できました!」

「いえ。手順書があっても、実行するのはあなたです。よくやりました」

エルナは嬉しそうに笑った。その笑顔を見て、リオンは——少しだけ、肩の荷が下りた気がした。

一人で全部やる必要はない。信頼できる仲間がいる。任せられる。


その夜、工房で三人が夕食を囲んだ。

「辺境の村長さんたち、みんな喜んでましたよ」

ミーナが楽しそうに話した。

「『これで王都と同じ対策ができる』って。リオンさんが辺境を見捨てなかったことに、感謝してました」

「見捨てるわけないです」

「でも、王都の方が忙しかったでしょう?」

「忙しいけど——辺境も大事です」

エルナが嬉しそうに頷いた。

「リオンさんらしいです」

「それより、エルナ」

「はい?」

「今回の展開で、気づいたことはありますか」

エルナは少し考えて、答えた。

「手順書の大切さ、ですかね。リオンさんの手順書があったから、私一人でも実装できました。もし手順書がなかったら——きっと途中で詰まってました」

「他には?」

「……入力値は信用するな、ですか」

リオンは頷いた。

「その通り。魔法陣に入ってくるデータは、すべて疑う。正常に見えても、本当に正常か検証する。それがサニタイズの本質です」

「なんだか、人を疑ってるみたいで——最初は嫌でした」

「分かります。でも——」

「でも?」

「疑うのは『データ』であって、『人』じゃないです。人は信頼する。でも、データは検証する」

エルナは目を丸くした。

「……それ、すごく納得しました」

「前の世界で学んだことです」


翌日、リオンはアルヴィスに辺境の展開完了を報告した。

「エルナ一人で、十五ヶ所すべてを?」

「はい。報告書も完璧です」

アルヴィスは報告書を読み、小さく頷いた。

「……成長したな、あの娘は」

「ええ」

「お前の教育の賜物か」

「いえ、エルナ自身の努力です」

アルヴィスはリオンを見た。

「お前は本当に、手柄を自分のものにしないな」

「手柄じゃなくて、チームの成果ですから」

「……ふん」

アルヴィスは照れ隠しのように顔を背けた。

「とにかく、これで王都と辺境の農地魔法陣はすべて保護された。インジェクション攻撃のリスクは大幅に減少した」

「はい。ただし——」

「ただし?」

「これで終わりじゃありません。相手は必ず次の手を打ってきます」

「分かっている」

アルヴィスは窓の外を見た。

「だが、以前の我々なら——こんな対策すらできなかった。お前が来てから、この国の魔法インフラは確実に強くなっている」

「……ありがとうございます」

「礼を言うのは私の方だ」

アルヴィスはそう言って、部屋を出て行った。


夜。

リオンは工房の屋根に上がり、星空を見上げていた。

王都と辺境、すべての農地魔法陣にサニタイズ層が実装された。これで、少なくともインジェクション攻撃は防げる。

だが——これで終わりじゃない。

攻撃者は次の手を打ってくる。MITM、なりすまし、インジェクション——段階的にエスカレートしている攻撃は、まだ終わらない。

「次は何を仕掛けてくるか……」

リオンは呟いた。

だが——今は一人じゃない。

エルナがいる。アルヴィスがいる。ミーナがいる。カティアがいる。リーティアがいる。

みんなで守ればいい。

「さて、次に備えよう」

リオンは工房に戻り、手順書を開いた。

次の攻撃に備えて——記録を残す。

それが、リオンの戦い方だった。


【あとがき】
第41話「入力値は信用するな」でした。サニタイズの実装が完了。守りの技術は地味だが、インフラを支える根幹です。

文字数: 3,245