サニタイズ層の展開から十日。攻撃は止まっていた。
「静かすぎますね……」
エルナが監視結晶石を眺めながら呟いた。
「相手は次の攻撃手段を探しているんでしょう」
リオンは資料を整理しながら答えた。
「でも、いつまでも防戦一方じゃ」
その時、アルヴィスが部屋に入ってきた。珍しく、カティアも同行している。
「リオン、話がある」
「どうしました」
アルヴィスとカティアは顔を見合わせた。そして、カティアが口を開いた。
「攻撃者を、捕まえたいのです」
リオンは二人の話を聞いた。
「帝国の工作員が王都に潜伏している可能性が高い。諜報部の報告では、魔術工作局の解呪技師が数名、王国内に侵入している可能性がある」
「解呪技師……」
「魔法陣の構造を解析し、弱点を見つける専門家です。今回の一連の攻撃、MITM、インジェクション。これらは高度な技術がなければ実行できません」
リオンは頷いた。
「確かに、ただの破壊工作じゃない。魔法陣の仕組みを理解している者の仕業です」
「では。その者を捕まえる方法はありますか」
リオンは少し考えた。
「……ハニーポットを張りましょう」
「はにーぽっと?」
「偽の重要魔法陣を設置するんです。いかにも『ここを攻撃すれば大きな被害が出る』と見せかけた囮を用意する。工作員が食いついてきたら、捕まえます」
アルヴィスの目が鋭くなった。
「罠を張る、ということか」
「はい。ただし、」
「ただし?」
「本物っぽく見せないと、相手は警戒します。完璧な偽物を作る必要があります」
作戦会議が始まった。
「どんな偽魔法陣を作るんですか?」
エルナが聞いた。
「王都の水浄化魔法陣の中枢、という設定にしましょう。『ここを止めれば王都全域の水供給が停止する』、そう思わせます」
「でも、実際には?」
「ただの監視用魔法陣です。停止しても何も起きません。でも、外から見れば本物の中枢魔法陣に見える」
アルヴィスが地図を広げた。
「設置場所はどこがいい」
「王都の地下水路、第四区画。本物の水浄化魔法陣から少し離れた場所に設置します。近すぎると怪しまれますが、遠すぎると信憑性がない」
「なるほど」
カティアが質問した。
「工作員はどうやって誘引するんですか」
「情報を『漏らす』んです。わざと。魔術局内の通信で『新しい中枢魔法陣が完成した』『セキュリティ強化のため、一般の技師はアクセス禁止』と話題にします。盗聴されることを前提に」
「……大胆ですね」
「ハニーポットの基本です。相手が食いつきたくなる餌を撒く」
二日間で、偽の中枢魔法陣が完成した。
外見は本物の水浄化魔法陣そっくりだ。複雑な刻印、魔力パス、制御部。すべてが精巧に作られている。だが、実際には何も制御していない。ただの監視装置だ。
「すごい……本物にしか見えません」
エルナが感心した。
「リーティアに協力してもらいました。古代魔法陣の意匠を再現してもらったので、説得力があります」
そして、罠の核心、侵入検知システム。
「この魔法陣に誰かが触れたら、すぐに通知が来ます。魔力パターンも記録されます。逃げられる前に、近衛兵が包囲します」
アルヴィスが頷いた。
「近衛兵は配置した。お前の合図次第で、いつでも突入できる」
「分かりました」
その日の午後、リオンは魔術局内で「うっかり」会話をした。
「新しい中枢魔法陣、もう完成したんですか?」
「ああ、第四区画の地下水路にな。セキュリティ強化のため、一般の技師はアクセス禁止だ」
「すごいですね。これで水供給の安全性が」
「声が大きい。機密だぞ」
「すみません」
わざとらしい会話。だが、これでいい。盗聴されているなら、相手は食いつく。
三日後の深夜。
監視結晶石が激しく点滅した。
「来ました!」
リオンが立ち上がる。エルナとアルヴィスもすぐに反応した。
「第四区画地下水路、侵入者検知!」
「近衛兵、突入しろ!」
アルヴィスが命令を飛ばした。
リオンたちが地下水路に到着したとき、すでに戦闘は終わっていた。
近衛兵に取り囲まれた一人の女性が、床に組み伏せられている。暗い赤髪、琥珀色の瞳、引き締まった体つき、そして、左耳には小さなピアス。
「帝国の解呪技師……!」
カティアが息を呑んだ。
女性は無表情に近衛兵を見上げた。抵抗する様子はない。
「……まんまと嵌められたわけね」
その声は、驚くほど冷静だった。
「あなたが一連の攻撃の実行犯ですか」
リオンが聞いた。
女性はリオンを見た。その瞳は、興味深そうに、リオンを観察している。
「ハニーポット。古典的だけど、よくできてた。あの偽魔法陣、リーティアの意匠を完璧に再現してる。誰が設計したの?」
「……僕です」
「ふうん」
女性は少し笑った。
「あなたがリオン。噂通り、面白い技術者ね」
「あなたは?」
「セラフィーナ。帝国魔術工作局、第三解呪技師」
セラフィーナは王都の牢獄に収監された。
だが、リオンには、どうしても気になることがあった。
「あの女性、尋問はしないんですか」
カティアに聞いた。
「もちろんします。ただ」
「ただ?」
「あまり期待できないかもしれません。帝国の工作員は訓練を受けています。簡単には口を割りません」
「……そうですか」
リオンは少し考えた。そして、決心した。
「僕が話を聞いてもいいですか」
カティアとアルヴィスが驚いた顔をした。
「お前が?」
「はい。尋問じゃなくて——技術の話を」
「技術の話?」
「あの人、僕の偽魔法陣を見て『よくできてる』って言いました。つまり、技術を理解してる。なら、技術者同士で話せるかもしれません」
カティアは少し考えて、頷いた。
「分かりました。ただし、近衛兵を同席させます」
「構いません」
牢獄の面会室。
セラフィーナは椅子に座り、手錠をかけられていた。リオンが入ってくると、少しだけ目を細めた。
「……捕虜に技術の話を聞くの?」
「おかしいですか」
「おかしい。普通は尋問でしょう」
「尋問は他の人に任せます。僕は——あなたの技術が知りたい」
セラフィーナは一瞬、言葉を失った。そして、小さく笑った。
「……変わってるわね、あなた」
「よく言われます」
リオンは椅子に座った。
「あなたがやったMITM攻撃、インジェクション攻撃——すごく精巧でした。通信経路への偽中継陣の挿入、入力パスへの術式注入——どちらも魔法陣の深い理解がないとできません」
「……それが?」
「どうやって魔法陣の構造を解析したんですか。【解呪】のスキルを持ってるんですよね」
セラフィーナの瞳が光った。
「……本当に、技術の話がしたいの?」
「はい」
「なぜ?」
「興味があるからです」
セラフィーナはしばらくリオンを見つめた。そして、小さく息を吐いた。
「【解呪】は、魔法陣の構造を層ごとに分解して解析するスキル。入力層、処理層、出力層——それぞれの機能と接続を可視化できる」
「それで脆弱性を見つけたんですね」
「そう。通信魔法陣の中継プロトコルに認証がないこと、農地魔法陣の入力検証が甘いこと——全部、【解呪】で見つけた」
「……すごいですね」
「褒めてるの?」
「技術的には、すごいです」
セラフィーナは少し笑った。
「あなた、本当に変わってる」
リオンはさらに質問を続けた。
「あの入力パスの魔力パターン偽装、どう検知したんですか。僕のサニタイズ層を突破する方法、考えてましたよね」
セラフィーナの目が鋭くなった。
「……なぜそう思うの」
「あなたなら考えるはずだからです。防御を見たら、突破方法を考える。それが——技術者の性でしょう」
セラフィーナは長い沈黙の後、口を開いた。
「……三層検証は厄介ね。形式、範囲、術式——どれか一つでも引っかかれば弾かれる。でも」
「でも?」
「正常なデータに『少しだけ』異常を混ぜれば、検証をすり抜けられる可能性がある。範囲チェックの閾値ギリギリを狙うとか」
「……やっぱり」
リオンは頷いた。
「僕も同じこと考えました。だから、閾値に『バッファ』を持たせてます。想定範囲の95%を超えたら警告、98%で遮断」
セラフィーナの目が見開かれた。
「……それ、私の攻撃を想定してたの?」
「いえ、一般的なセキュリティ設計です。でも、あなたみたいな技術者がいるなら、それくらいは必要だと思って」
セラフィーナはしばらく黙っていた。そして、小さく呟いた。
「……面白い」
「え?」
「あなたと話すの、面白い」
セラフィーナの表情が、少しだけ柔らかくなった。
「帝国では、誰も私の技術を理解してくれなかった。命令されて攻撃を実行するだけ。でも、あなたは」
「僕は?」
「私の技術を『すごい』って言った。敵なのに」
リオンは少し考えて、答えた。
「技術に敵も味方もないです。あなたの【解呪】は純粋にすごい。使い方が——間違ってただけで」
セラフィーナは目を伏せた。
「……そうね。使い方が、間違ってた」
面会を終えて牢獄を出ると、エルナが待っていた。
「リオンさん、どうでしたか」
「話してくれました。彼女の技術、本物です」
「……」
エルナの表情が少し曇った。
「リオンさん、あの人のこと」
「どう思ってるか、ですか?」
「はい」
「敵です。でも、技術者としては尊敬できます」
エルナは少し複雑な顔をした。
「……リオンさんらしいです」
「怒ってます?」
「怒ってません。ただ」
「ただ?」
「あの人、リオンさんと話すとき、楽しそうでした。それが——少しだけ、嫌でした」
エルナはそう言って、先に歩いて行った。
リオンは。その背中を見て、少しだけ戸惑った。
その夜、リオンはアルヴィスに報告した。
「セラフィーナから、攻撃手法の詳細を聞き出しました」
「よくやった」
「ただ、彼女は命令で動いていただけです。本当の黒幕は帝国の魔術工作局」
「分かっている。だが、一人捕まえたことで——攻撃は鈍化するだろう」
「……そうでしょうか」
リオンは窓の外を見た。
「帝国には、まだ工作員がいるはずです。セラフィーナは一人じゃない」
「ならば」
「次の攻撃に備えます。そのために」
リオンは資料を取り出した。
「セラフィーナから聞いた情報を元に、防御をさらに強化します」
アルヴィスは小さく笑った。
「お前は本当に——休まないな」
「休んだら、落ちますから」
「……そうか」
アルヴィスは部屋を出て行った。
深夜。
リオンは一人、手順書を更新していた。
セラフィーナとの会話を記録する。【解呪】の仕組み、攻撃手法、対策。すべてを文書化する。
次に同じ攻撃が来ても——防げるように。
「……彼女、どうなるんだろうな」
リオンは呟いた。
帝国の工作員。敵。だが、技術者として、彼女は本物だった。
その技術が、破壊ではなく——何かを守るために使われたら。
リオンは首を振った。
「考えても仕方ない。今は——記録だ」
ペンを走らせる。
戦いは——まだ終わらない。
【あとがき】
第42話「罠を張る」でした。攻撃者を逆に捕らえるハニーポット作戦。守るだけでなく、攻撃の痕跡から敵を炙り出します。