セラフィーナとの共同作業が始まってから一週間。
王都の魔法陣の脆弱性診断は順調に進んでいた。第一区画から第五区画まで、すでに十二ヶ所の脆弱性を発見し、対策を施した。
「今日は地下水路系の診断ですね」
エルナが資料を確認しながら言った。
「ええ。王都の水供給を担う重要インフラです。慎重に」
その瞬間、監視結晶石が一斉に点滅した。
「何!?」
リオンが立ち上がる。
「第二区画、水浄化魔法陣、停止!」
「第三区画も!」
「第四、第五も連鎖停止!」
次々と上がる報告。リオンの顔が青ざめた。
「カスケード障害……!」
魔術局の中央管制室は、阿鼻叫喚だった。
魔術師たちが走り回り、怒号が飛び交う。監視魔法陣の結晶石が赤く点滅し、警告音が鳴り響いている。
「第六区画も停止しました!」
「地下水路の魔力パスが、遮断されてます!」
「復旧作業を」
「待て! 勝手に触るな!」
アルヴィスの怒声が響いた。
彼は中央の制御盤の前に立ち、複数の魔法陣を同時に操作している。額には汗が滲み、顔色が悪い。
「局長、状況は!?」
リオンが駆け寄った。
「地下水路の第七系統が停止した。それが引き金になって、依存している他の系統が連鎖的に停止している」
「依存関係の波及……」
「そうだ。一つ止まれば、それに繋がっているものが全部止まる。今」
アルヴィスは制御盤を睨んだ。
「第二系統から第八系統まで、七つの系統が停止している」
「王都の水供給が」
「半分以上、止まっている」
リオンは息を呑んだ。
王都の人口は十万。その半分、五万人の水供給が停止している。飲料水、生活用水、すべてが止まる。
「復旧は」
「私が一つずつ直している。だが」
アルヴィスの声が掠れた。
「時間がかかる」
リオンは【診断】を発動し、地下水路系全体の状態を見た。
複雑に絡み合った魔力パスのネットワーク。第七系統を起点に、次々と停止が波及している。まるでドミノ倒しのように。
「これ、依存関係が可視化されてないんですね」
「……何?」
「どの魔法陣がどの魔法陣に依存しているか、誰も把握していない。だから、」
リオンは図を描いた。
「第七系統が停止したとき、それに依存している第二、第三、第四が連鎖停止する。でも、それが分かっていれば、事前に切り離せたはずです」
「今更そんなことを言っても」
「言います! これ、設計の問題です!」
リオンの声が強くなった。
「単一障害点だらけです! 一つ止まれば全部止まる設計、こんなの、前の世界なら設計ミスで怒られます!」
「だが、これが現実だ!」
アルヴィスが怒鳴り返した。
「理想を語っている暇があるなら、手を動かせ!」
リオンは、一瞬、言葉を失った。
そして、深く息を吐いた。
「……すみません。今は復旧が最優先ですね」
「分かればいい」
アルヴィスは再び魔法陣の復旧作業に戻った。
リオンはエルナとセラフィーナを呼んだ。
「二人とも、復旧を手伝ってください」
「何をすればいいですか」
「まず、依存関係を把握します。どの魔法陣がどの魔法陣に繋がっているか」
「それ、時間がかかるわよ」
セラフィーナが言った。
「今は一分一秒を争う状況。依存関係の調査なんて」
「やります」
リオンはきっぱり言った。
「闇雲に復旧しても、また連鎖停止します。まず全体像を把握してから、正しい順序で復旧する。それが」
「それが?」
「障害対応の鉄則です」
三人は地下水路に降りた。
暗く湿った通路に、無数の魔法陣が刻まれている。だが、そのほとんどが、光を失っている。
「すごい規模……」
エルナが呟いた。
「リオンさん、これ全部を」
「全部見ます。【診断】で魔力パスの接続を確認して、依存関係を図にします」
リオンは一つ一つの魔法陣を【診断】で調べ始めた。
第一系統は第七系統の出力を入力として使っている。第二系統は第一と第七の両方に依存している。第三系統は、。
「これ、スパゲッティすぎる……」
リオンの手が震えた。
前世で見た最悪のレガシーシステムを思い出す。誰も設計書を持っていない。誰も全体像を把握していない。壊れたら。その場しのぎで直すだけ。
「でも、やるしかない」
リオンは図を描き続けた。
二時間後。
依存関係図が完成した。
「……ひどいですね、これ」
エルナが図を見て呻いた。
「第七系統を起点に、七つの系統が芋づる式に依存している。しかも、循環参照まである」
「循環参照?」
「第二系統が第三系統に依存していて、第三系統が第二系統に依存している。どっちを先に復旧しても、もう片方が動かない」
セラフィーナが図を見て、小さく笑った。
「……これ、設計した人、天才か馬鹿かどっちかね」
「たぶん、天才が一人で全部やって、誰にも引き継がなかったパターンです」
「あなたの局長のこと?」
「……否定できません」
リオンは図を持って、アルヴィスのもとへ戻った。
「局長、依存関係図ができました」
アルヴィスは魔法陣の復旧作業を続けながら、図をちらりと見た。
「……それが何だ」
「これを見れば、復旧の順序が分かります。まず第七系統を復旧して、次に第一系統、その次に」
「私は今、第三系統を復旧している」
「それ、無駄です」
リオンはきっぱり言った。
「第三系統は第七系統に依存しています。第七が動いていないのに第三を復旧しても、すぐに停止します」
「……」
アルヴィスの手が止まった。
「だから、まず第七を復旧してください。僕が手伝います」
「……私一人で」
「一人じゃ無理です」
リオンはアルヴィスの目を見た。
「局長、あなたは今、何時間、休まずに作業してますか」
「……四時間だ」
「嘘ですね。六時間は経ってます」
アルヴィスの顔に、初めて疲労の色が浮かんだ。
「……何時間だろうと、私がやらねば」
「誰がやるんですか、ですよね。でも」
リオンは真剣な顔で言った。
「今は、僕がいます。エルナがいます。セラフィーナもいます。一人で全部やる必要はありません」
「……」
「お願いです。僕たちに任せてください」
アルヴィスは長い沈黙の後、小さく頷いた。
「……悔しいが、お前の言う通りだ」
復旧作業が再開された。
今度は、依存関係図に基づいた正しい順序で。
「第七系統、復旧開始!」
リオンが【診断】で状態を確認し、エルナが魔力を注入する。セラフィーナが【解呪】で構造を確認し、異常がないか監視する。
「魔力パス、接続確認!」
「出力、正常範囲!」
「第七系統、復旧完了!」
一つ目の系統が光を取り戻した。
「次、第一系統!」
同じ手順を繰り返す。リオンの指示、エルナの魔力操作、セラフィーナの構造確認、三人のチームワークで、一つずつ復旧していく。
「第一系統、復旧!」
「第二系統、復旧!」
「第三系統、循環参照があります! 第四系統を先に復旧してください!」
「了解、第四優先!」
次々と魔法陣が光を取り戻していく。
四時間後。
すべての系統が復旧した。
「全系統、稼働確認!」
エルナが報告した。
「水浄化魔法陣、すべて正常動作!」
「監視結晶石、緑点灯!」
中央管制室に、安堵の空気が流れた。
リオンは椅子に座り込み、深く息を吐いた。
「……終わった」
「お疲れ様です、リオンさん」
エルナが水を差し出した。
「ありがとう」
セラフィーナも疲れた顔で座り込んだ。
「……あなたたち、すごいわね」
「何がですか」
「チームで動くこと。帝国では、みんな単独行動だった。誰も協力しない。でも、あなたたちは」
「一人じゃ無理だからです」
リオンはあっさり言った。
「僕一人じゃ、この規模の障害は対応できません。だから、チームで動く」
「……そうね」
セラフィーナは小さく笑った。
アルヴィスが、リオンたちのもとへ歩いてきた。
「……すまなかった」
「え?」
「お前の言う通りだった。依存関係を把握せずに、闇雲に復旧しようとした。それが——間違いだった」
リオンは首を振った。
「局長が悪いわけじゃありません。この設計が」
「いや」
アルヴィスは厳しい顔で言った。
「この設計を作ったのは、私だ」
「……」
「若い頃、私が一人で王都の地下水路系を構築した。その時は——全体像を把握していた。どこが何に依存しているか、すべて頭に入っていた」
「でも」
「でも、誰にも伝えなかった。文書も残さなかった。『私がいれば大丈夫』——そう思っていた」
アルヴィスの声が震えた。
「だが、今日——私は限界を迎えた。一人では、対応できなかった」
「……」
「悔しいが、これがあれば私がいなくても対応できるな」
アルヴィスは依存関係図を見た。
「この図があれば——他の者でも、正しい順序で復旧できる」
「はい」
「……お前の言っていたことが、ようやく分かった」
アルヴィスはリオンを見た。
「属人化はリスクだ。一人に依存する体制は——脆い」
「……」
「私は間違っていた。認める」
リオンは——アルヴィスの目を見た。そこには、誇りではなく——謙虚さがあった。
「局長、これから」
「これからは、お前のやり方でやる」
アルヴィスはきっぱり言った。
「依存関係図を作る。手順書を整備する。チームで動く。——私一人の時代は、終わりだ」
その夜。
リオンは工房で、依存関係図を清書していた。
「リオンさん、まだ起きてたんですか」
エルナが温かい飲み物を持ってきた。
「図を綺麗にまとめてから寝ます」
「……またですか」
「これ、次の障害に備えて必要なんです」
エルナは溜息をついて、リオンの隣に座った。
「今日、局長が変わりましたね」
「ええ」
「リオンさんの方法を、認めてくれた」
「……時間がかかりましたけどね」
リオンは図を描きながら言った。
「でも、アルヴィス局長は——本当に優秀です。一人で王都のインフラを支えてきた。それは、すごいことです」
「でも、限界があった」
「そうです。どんなに優秀でも、一人には限界がある。だから、」
「だから、チーム?」
「はい」
エルナは微笑んだ。
「リオンさんらしいです」
翌朝、アルヴィスが魔術局の全技師を集めた。
「昨日のカスケード障害について、反省と対策を共有する」
彼は依存関係図を広げた。
「この図を見ろ。地下水路系の全系統の依存関係が記されている。今後、すべての技師はこの図を把握すること」
「……こんな図、初めて見ます」
若い技師が呟いた。
「私も初めて見る」
アルヴィスは淡々と言った。
「これは、リオンが作った。彼が来るまで——私たちには、こういう文書がなかった」
「……」
「今後、すべての魔法陣について、依存関係図を作成する。手順書を整備する。そして」
アルヴィスは技師たちを見渡した。
「障害対応は、チームで行う。一人で抱え込むな。知識を共有しろ。それが」
「それが?」
「魔術局の新しいルールだ」
技師たちがざわめいた。
リオンは。その光景を、静かに見守った。
変わり始めている。
この国の魔法インフラが——少しずつ、強くなっている。
その日の午後。
リオンは地下でリーティアと話していた。
「管理者、カスケード障害の対応、お疲れ様」
「ありがとう、リーティア」
「アルヴィスが変わった。管理者の影響ね」
「……そうかもしれません」
リーティアは微笑んだ。
「数百年、この王都のインフラを見てきたけど——管理者が来てから、一番変化が速い」
「良い変化だといいんですけど」
「良い変化よ。確実に、このインフラは強くなっている」
リオンは少し安心した。
「でも、まだ終わりじゃないですよね」
「ええ。敵は、まだ動いている」
リーティアの表情が真剣になった。
「今回のカスケード障害——本当に偶然だと思う?」
「……まさか」
「可能性はある。誰かが意図的に、第七系統を停止させた」
リオンの背筋に冷たいものが走った。
「それって」
「攻撃よ。セラフィーナを捕まえたけど——帝国の工作員は、まだいる」
「……」
「次の攻撃に備えて。管理者」
「はい」
リオンは手順書を開いた。
記録を残す。次に備える。
戦いは——まだ終わらない。
【あとがき】
第44話「全部止まる」でした。カスケード障害という最悪の事態。一人では限界がある、チームで動く意味をアルヴィスが身をもって知ります。