開戦から一週間。帝国の攻撃は止まらなかった。
「管理者、西部中継陣への侵入未遂を検知。第四防壁への過剰魔力投入を検知。南部水浄化魔法陣への干渉を検知」
リーティアの報告が、途切れない。
「全部、同時か」
リオンは額を押さえた。
「分散攻撃。複数箇所を同時に狙って、対応を分散させる作戦」
「僕たちのリソースが足りないことを、帝国は知ってる」
アルヴィスが地下に降りてきた。
「リオン、第四防壁の出力が限界に近い。予備の魔法陣が必要だ」
「わかってます」
リオンは疲れた顔で答えた。
「でも、予備の魔法陣を構築する時間も人手も足りない」
「……」
「このままだと、どこかが落ちます」
沈黙が落ちた。セラフィーナが口を開いた。
「リオン。一つ、提案がある」
「何?」
「フェイルオーバー構成。完全な予備魔法陣を作るんじゃなくて、最低限の機能だけを持つ『待機系』を用意するのは?」
リオンは考えた。
フェイルオーバー構成。障害時に自動で切り替わる予備システム。理想は「主系と同じ機能を持つ予備系」だが、それには膨大な時間とコストがかかる。
でも、最低限の機能だけなら?
「いけるかもしれない」
リオンの目が光った。
「完全な複製じゃなく、最低限の防御機能だけを持つ『縮退運用用の予備系』を作る。それなら、短時間で構築できる」
「ただし」アルヴィスが釘を刺した。「縮退運用では、出力は通常の半分以下になる」
「それでも、ゼロよりはマシです」
リオンは即答した。
「主系が落ちても、最低限の防御が残る。その間に修復すればいい。それが、フェイルオーバーの本質です」
「わかった」
アルヴィスは頷いた。
「私が主系の保守を続ける。お前は予備系の設計に集中しろ」
「ありがとうございます」
リオンは羊皮紙を広げた。
「エルナ、セラフィーナ、二人で予備系の構築を頼む」
「了解」
「最低限の機能って、具体的には?」
「防壁なら、物理攻撃を防ぐ層だけ。魔力攻撃の精密フィルタリングは省略。通信なら、基本的な中継機能だけ。暗号化は一時的にオフでもいい」
「暗号化オフは危険では?」
「危険だけど、通信がゼロよりはマシ。優先順位をつけるんだ。今は、止まらないことが最優先」
エルナとセラフィーナは頷いた。
「わかりました。すぐに取り掛かります」
だが、問題があった。
「管理者、予備系の構築に必要な部品のリストを作成した」
リーティアが羊皮紙を表示する。
「刻印板、魔力伝送用の特殊鉱石、フィルタ用の魔道金属」
「これ、全部で何日分の在庫がある?」
「現在の在庫では、三箇所分。必要なのは十二箇所分」
「足りない」
ミーナが駆け込んできた。
「リオンさん! 在庫が足りないって報告が」
「わかってる。ミーナ、至急で部品を発注して」
「どこから調達しますか? 王都の業者は今、軍の発注で手一杯です」
リオンは考えた。王都の業者は頼れない。辺境の業者も、帝国との国境近くは危険だ。
「ドルクさんに連絡を」
「ドルクさん?」
「彼なら、辺境で部品を調達できる。鍛冶ギルドとのコネもあるし、リグレットの町は帝国から遠い」
「でも、ドルクさん一人でこんなに大量の部品を?」
「一人じゃないよ」
リオンは微笑んだ。
「ドルクさんには、『予備の予備を用意する』癖がある。きっと、何か持ってるはずだ」
ミーナは通信魔法陣で、ドルクに連絡を取った。
数分後、返信が来た。
『了解した。明日、第一便を送る』
リオンは驚いた。
「もう準備してたのか……」
翌日、ドルクからの荷馬車が王都に到着した。刻印板、特殊鉱石、魔道金属。予備系の構築に必要な部品が、ぎっしりと詰まっていた。
「これ……どうやって調達したんですか?」
エルナが驚いた。荷馬車を護衛してきた商人が答えた。
「ドルクさんが、『いつか必要になる』って備蓄してたそうです。で、今回の戦争が始まったとき、すぐに各地の鍛冶師に声をかけて」
「ドルクさんらしい」
リオンは呟いた。
その夜、リオンは通信魔法陣でドルクに連絡した。
「ドルクさん、助かりました」
『当たり前だ。お前が困ってるのに、黙って見てるわけにはいかねぇ』
「でも、これ相当な量ですよね。辺境の備蓄、大丈夫ですか?」
『問題ねぇ。予備の予備を用意するのは職人の基本だ』
ドルクの声が、少し柔らかくなった。
『それに、お前が守ろうとしてんのは王都だけじゃねぇだろ。辺境も、この国全体のインフラだ。なら、俺にもできることがある』
「ドルクさん……」
『部品は送り続ける。だから、お前は倒れるなよ』
「はい」
通信が切れた後、リオンは一人呟いた。
「一人じゃないんだな、本当に」
翌日から、予備系の構築が急ピッチで進んだ。
エルナとセラフィーナが現場で魔法陣を刻み、アルヴィスが魔力パスを調整し、リオンが設計と監督を担当する。
「第一防壁、予備系構築完了!」
「第二通信中継陣、予備系稼働確認!」
「第三水浄化魔法陣、予備系テスト中——問題なし!」
一週間で、六箇所の予備系が完成した。
「早い」アルヴィスが感心した。「通常なら、一箇所で一週間かかる作業だぞ」
「手順書があるから」
リオンは淡々と答えた。
「設計図、構築手順、テストフロー。すべて標準化してあります。だから、誰でも同じ品質で構築できる」
アルヴィスは苦笑した。
「属人化の排除。お前の思想が、こういう場面で活きるのか」
だが、問題は残っていた。
「管理者、フェイルオーバーの自動切り替えロジックに不具合を検知」
リーティアが報告した。
「主系が落ちたとき、予備系への切り替えが0.5秒遅れる。この遅延は許容範囲か?」
「0.5秒か」
リオンは考えた。
0.5秒。防壁なら、その間に攻撃が通過する可能性がある。通信なら、パケットがロストする。水浄化なら影響は小さい。
「リーティア、優先度をつけよう」
「どういうことだ?」
「防壁と通信は、0.5秒でも致命的。だから手動切り替えに変更する」
「手動? それでは対応が遅れるのでは」
「遅れるけど、誤作動よりはマシ。自動切り替えのバグで予備系が暴走したら、元も子もない」
「一方、水浄化は0.5秒の遅延でも問題ない。こっちは自動切り替えでいい」
「理解した。リスクの高い系統は手動、低い系統は自動か」
「そう。完璧を目指すんじゃなく、現実的な妥協点を見つけるんだ」
セラフィーナが横から口を挟んだ。
「リオン、それって『トリアージ』だよね」
「そうだね。すべてを完璧に守ろうとすると、全部中途半端になる。だから、守れるものから確実に守る」
「戦場の論理だ」
セラフィーナは呟いた。
「帝国でも、同じことを教えられた」
リオンはセラフィーナを見た。
「でも、今は守る側として使ってる」
「うん」
セラフィーナは小さく微笑んだ。
「壊す側より、守る側のほうが、難しくてやりがいがある」
十日目、すべての予備系が完成した。王都の主要魔法陣十二箇所、すべてにフェイルオーバー構成が整った。
「テスト完了。主系を意図的に停止。予備系が起動。切り替え時間、0.3秒」
リーティアが報告する。
「許容範囲内だ」
「よし」
リオンは深く息を吐いた。
「これで、一箇所が落ちても全体は止まらない」
アルヴィスが拍手した。
「見事だ、リオン」
「いえ、みんなのおかげです」
リオンはエルナ、セラフィーナ、そしてリーティアを見た。
「エルナの現場対応力、セラフィーナの設計知識、リーティアの情報統合、そしてアルヴィス局長の魔力調整。全部が揃って、初めてできた」
「これがチームの力です」
その夜、ミーナが差し入れを持ってきた。
「リオンさん、お疲れさまです! ドルクさんから手紙が届いてますよ」
「ありがとう、ミーナ」
リオンは手紙を開いた。
『リオン
部品の追加便を明日送る。刻印板が三十枚、特殊鉱石が十樽だ。
こっちは辺境で踏ん張ってる。お前は王都で踏ん張れ。
無理すんな。倒れたら意味がねぇ。
酒は——戦争が終わったら、な。
ドルク』
リオンは手紙を握りしめた。
「ドルクさん……」
目頭が、少し熱くなった。
ミーナが横から覗き込んだ。
「ドルクさん、優しいですよね」
「うん」
「リオンさんのこと、本当に心配してくれてる」
「そうだね」
リオンは微笑んだ。
「ドルクさんだけじゃない。エルナも、ミーナも、アルヴィス局長も、セラフィーナも。みんな、支えてくれてる。だから、僕も頑張れる」
ミーナは少し照れたように笑った。
「あたしも、できることをやりますから」
「ありがとう、ミーナ」
「技術はわからないけど、お金の流れならわかります。部品の調達、予算管理、あたしに任せてください」
「頼りにしてる」
その夜、リオンは久しぶりに早く眠りについた。夢の中で、辺境の工房が見えた。ドルクが炉の前で、黙々と刻印板を打っている。その姿がとても頼もしかった。
翌朝、帝国からの攻撃が激化した。
「管理者、警告。複数の魔法陣への同時攻撃を検知。第一防壁、第三通信中継陣、第五水浄化魔法陣。すべて高負荷」
「来たか」
リオンは立ち上がった。
「フェイルオーバーの真価が試される。みんな、配置について!」
第一防壁に、過剰な魔力が投入される。主系が悲鳴を上げ、停止した。瞬時に、予備系が起動する。
「予備系起動。防壁出力、通常の60%で維持」
「よし、持ちこたえてる!」
第三通信中継陣に、不正なパケットが殺到する。主系が処理しきれず、リオンが手動で予備系に切り替えた。
「予備系に切り替え完了。通信遅延、20%増加だが機能は維持」
「十分だ!」
第五水浄化魔法陣に、干渉信号が送り込まれる。主系が異常を検知し、自動でフェイルオーバーが発動した。
「予備系、自動起動。水浄化機能、問題なし」
「完璧!」
帝国の攻撃は一時間続いたが、王都のインフラは一つも落ちなかった。
「全箇所、機能維持」
リーティアが報告する。
「フェイルオーバー構成——機能している」
リオンは深く息を吐いた。
「間に合った」
エルナが駆け寄ってきた。
「リオンさん、やりました! 一つも落ちませんでした!」
「うん。みんなのおかげだ」
リオンは疲れた顔で笑った。
アルヴィスが地下に降りてきた。
「リオン、見事だった」
「ありがとうございます。だが、これで終わりじゃありません」
リオンは頷いた。
「帝国は、次の手を打ってきます。次はもっと厄介な攻撃が来る。だから——」
リオンは全員を見回した。
「今のうちに、主系を修復して予備系を強化する。フェイルオーバーがあるから、安心して修復作業ができる。これが冗長化の本当の価値です」
その日、王都の住民たちは何も知らなかった。裏側で魔法陣が落ちそうになり、ギリギリで持ちこたえたことを。フェイルオーバーが機能したことを。リオンたちが必死で守り抜いたことを。
でも、それでいい。
「インフラは、止まらないのが当たり前」
リオンは呟いた。
「裏側でどれだけ苦労しても、住民には何も伝わらない。でも——それが、運用の仕事だから」
夜、リオンは一人作戦室に残り、次の手順書を書きながらふと思った。
僕の戦場は裏方だ。誰にも見えない場所で、黙々とインフラを守る。それがリオンの戦い方だった。
**あとがき**:「ゼロよりはマシ」——完璧を諦め、最低限を確保するフェイルオーバーの発想がインフラを救った第51話。辺境からドルクが部品を送り続けるシーンは、前線と裏方のどちらもが戦場であることを物語っています。