帝国との開戦から三日。王都アステラの空気が、張り詰めていた。
城壁には兵士が並び、魔術師たちが防壁魔法陣の出力強化に追われている。正門前の広場では、騎兵隊が整列し、出撃の号令を待っている。
そしてリオンは、地下にいた。
「……管理者。敵性魔力パターンを三つ検知。南東区画の通信魔法陣に対する侵入の試み」
中枢魔法陣の部屋で、リーティアの声が響く。
「どこから?」
「辺境の中継陣経由。迂回ルートを使っている。直接防壁を突破する気はない、インフラへの間接攻撃だ」
「やっぱりか」
リオンは深く息を吐いた。
先の御前会議で議論された通り、帝国の戦略は「魔法インフラの破壊による国力低下」だ。正面から戦っても勝てないから、裏側から崩す。通信を断ち、防壁を落とし、水路を止める。そうすれば王国は内部から崩壊する。その戦略に、リオンは対抗しなければならない。
剣も持てない。攻撃魔法も使えない。
でも、この国のインフラは僕が落とさせない。
「リオンさん!」
エルナが駆け込んできた。
「第二区画の防壁、負荷が急上昇してます!」
「リーティア、確認」
「確認完了。防壁への同時多数接続。通常の三倍の魔力処理負荷。ただし物理攻撃ではない、ダミーの魔力パケットだ」
「フェイントか」
リオンはすぐに判断した。
「エルナ、防壁は放置。南東区画の通信魔法陣の防御を強化して」
「でも、防壁が」
「帝国の狙いは通信の乗っ取りだ。防壁への攻撃は囮で、本命は通信経路への侵入」
エルナは一瞬迷ったが、すぐにリオンの指示に従った。
「わかりました!」
彼女は南東区画へ走る。リオンはリーティアに問う。
「通信経路のログ、過去一時間分を表示」
「了解」
空中に、魔力の流れが可視化される。通信魔法陣の中継ルート、各地点での遅延時間、異常なパケットの痕跡。すべてが、リオンの目の前に浮かび上がった。
「ここだ」
リオンは一点を指差した。
「北の中継陣、ここに不正な迂回ルートが追加されてる。リーティア、この中継陣を経由する通信を一時停止」
「了解。ただし北部地域との通信が途絶する」
「いい。今は侵入を防ぐのが優先だ」
リーティアが魔法陣を操作する。瞬時に、北部中継陣が切り離された。侵入の試みが止まる。
「敵性パターン、消失。侵入を阻止」
「よし」
リオンは小さく息を吐いた。だが、これは始まりに過ぎない。
アルヴィスが地下に降りてきた。
「リオン、第二防壁への攻撃は」
「囮でした。本命は通信経路への侵入。既に阻止済みです」
アルヴィスは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに表情を戻した。
「見事だ。だが、これは終わりじゃない」
「ですよね。帝国は、次の手を打ってくる」
リオンは頷いた。
「通信経路の防御を強化します。リーティア、すべての中継陣に認証ルーチンを追加して。不正なルート追加を検知したら、即座に切断」
「了解。ただし、認証処理の追加により、通信遅延が平均で15%増加する」
「許容範囲だ。今は安全性が優先」
「管理者の判断を信頼する」
エルナが戻ってきた。
「南東区画、防御強化しました。魔力パターンの認証フィルタを二重にしてます」
「ありがとう、エルナ」
「でも、これってずっと続くんですよね」
エルナの声が、少し沈んだ。
「帝国が攻め続ける限り、私たちもずっと対応し続けないと」
「うん」リオンは正直に答えた。「終わりは、見えない」
「でも、やるしかない」
リオンは立ち上がった。
「僕は剣も持てないし、攻撃魔法も使えない。前線に立つこともできない」
エルナとアルヴィスを見る。
「でも、この国のインフラは僕が落とさせない。これが、僕の戦場だから」
その夜、王宮の作戦会議室にリオンが呼ばれた。
国王、カティア、軍の司令官、そして魔術局の幹部たち。
「本日の攻撃、報告を」
軍司令官が口を開いた。
「南部国境で小規模な衝突。被害は軽微。ただし——」
「魔法インフラへの攻撃が三件」
リオンが続けた。
「通信経路への侵入未遂、防壁への囮攻撃、そして水浄化魔法陣への低出力干渉」
「水浄化にまで?」
貴族たちがざわめいた。
「帝国の狙いは明確です」
リオンは地図を広げた。
「軍事施設ではなく、インフラを狙っている。通信、防壁、水、灯火。生活の基盤すべてを破壊して、内部から崩壊させる戦略です」
「では、どう対抗するのだ」
「三つの対策を提案します」
リオンは指を折った。
「第一に、冗長化構成の全面展開。重要な魔法陣すべてに予備を用意し、一つが落ちても即座にフェイルオーバーする体制を作ります」
「第二に、通信の暗号化と認証強化。不正な侵入を検知次第、自動で切断するフィルタを全中継陣に配備します」
「第三に、分散対応体制。王都だけでなく、各拠点に運用チームを配置し、属人化しない体制を構築します」
「待て」
第一王子が口を挟んだ。
「それは、どれほどの人員と時間がかかるのだ」
「人員は最低でも五十名。時間は——」リオンは正直に答えた。「一ヶ月では足りません。三ヶ月は必要です」
「三ヶ月! その間、帝国は待ってくれるのか?」
「待ってくれません」
静寂が落ちた。カティアが口を開いた。
「では、その三ヶ月、インフラを守り続けられるのですか」
「全力を尽くします」
リオンは真剣な目で答えた。
「完璧には守れないかもしれない。でも、最低限のインフラは絶対に落とさない。人命に直結する水と防壁。通信と灯火。これだけは、何があっても守り抜きます」
国王が立ち上がった。
「わかった。リオン殿、そなたに全権を委ねる」
リオンは目を見開いた。
「必要な人員、資材、予算。すべて、そなたの判断に任せる。王国のインフラを頼む」
リオンは深く頭を下げた。
「全力を尽くします」
会議室を出ると、カティアが待っていた。
「リオン」
「殿下」
「無理をしないでください」
カティアの声が、珍しく柔らかかった。
「あなたがいなければ、王国のインフラは守れません。だから、倒れないでください」
「はい」
「これは命令ではなく、私の願いです」
カティアは微笑んだ。
「必ず、生きて帰ってきてください」
リオンは一人、王宮の屋上に立った。
眼下に広がる王都。灯火魔法陣が輝き、防壁が空を覆っている。
この街を守る。
「前の世界では、逃げた」
リオンは呟いた。
「大切なものより仕事を優先して、結局どっちも失った」
風が吹く。でも、今回は違う。
リオンは拳を握った。
「今回は守り抜く。インフラも、大切な人たちも」
夜空を見上げる。
「僕の戦場は裏方だ。剣は持てない。魔法も使えない。英雄にもなれない」
リオンの目が、強く光った。
「でも——この国のインフラは、僕が落とさせない」
翌朝、魔術局の作戦室に臨時チームが集まった。
リオン、エルナ、アルヴィス、セラフィーナ、そしてリーティアが投影体で参加している。
「これより、王国魔法インフラ防衛チームの本格始動を宣言します」
リオンが口火を切った。
「目的は一つ。帝国の攻撃から、王国のインフラを守り抜くこと」
リオンは羊皮紙を広げ、役割分担を再確認した。
「アルヴィス局長は、既存魔法陣の保守統括と緊急修復。セラフィーナは脆弱性診断と防御設計。エルナは現場対応チームのリーダー。リーティアは中枢魔法陣からの監視と情報統合。そして僕は、全体の指揮と手順書の作成です」
「質問」
セラフィーナが手を上げた。
「今日の攻撃、どう思う?」
「本気じゃない」リオンは即答した。「偵察です。帝国は、僕たちの防御体制を試している」
「なら、本気の攻撃は?」
「近いうちに来ます。だから——」
リオンは全員を見回した。
「今日から、時間との戦いです」
その日、リオンは一日中、地下の中枢魔法陣に籠もっていた。通信経路の認証強化、防壁のフィルタリング追加、水浄化魔法陣の異常検知。手順書を書き、リーティアと共に実装し、エルナたちに共有する。昼食を忘れ、夕食も忘れた。
「管理者」
リーティアが声をかけた。
「現在時刻、22時。本日の稼働時間、15時間」
「あとちょっとで、この認証ルーチンが完成するから」
「管理者の健康状態、良好ではない」
「大丈夫だよ」
リーティアは少し間を置いて、言った。
「管理者の損失は、システム運用上、最大のリスク要因」
「それ、前も聞いた」
「繰り返す。管理者が倒れれば、このシステムは機能しない」
リオンは手を止めて、リーティアを見た。
「心配してくれてるの?」
「別に」
リーティアの投影体が、わずかに揺れた。
「合理的判断だ。管理者の維持は、稼働率向上に直結する」
「そっか」
リオンは微笑んだ。
「ありがとう、リーティア」
「……理解不能」
深夜、エルナが差し入れを持ってきた。
「リオンさん、また寝てないんですか」
「まだ終わってないんだよ」
「定時で帰るって言ったのは嘘ですか!」
エルナが怒った。
「今は戦時下だから……」
「戦時下でも、人間は寝ないと倒れるんです!」
エルナはリオンの肩を掴んだ。
「リオンさんが倒れたら、誰がインフラを守るんですか」
「エルナやアルヴィス局長がいるから」
「私たちだけじゃ、リオンさんみたいに全体を見られません」
エルナの目が、真剣だった。
「だから、お願いです。無理しないでください。今日は、もう休んでください」
リオンは観念して、手を止めた。
「わかった。今日はここまでにする」
「本当ですか」
「うん。エルナの言う通りだよ」
リオンは疲れた顔で笑った。
「倒れたら意味がない。前世で学んだはずなのに、つい一人で抱え込む癖が出る」
「リオンさん……」
「ありがとう、エルナ。君がいてくれて、助かってる」
エルナは少し頬を赤らめた。
「当たり前です。私、リオンさんの一番弟子ですから。だから、これからもちゃんと言います。無理しすぎたら、止めます」
「頼む」
その夜、リオンは久しぶりにベッドで眠った。夢の中で、前世の記憶が蘇る。鳴り続ける携帯。終わらない障害対応。サーバールームの冷たい床。
でも、今は違う。エルナがいる。ミーナがいる。アルヴィスがいる。セラフィーナがいる。リーティアがいる。一人じゃない。
翌朝、リオンは早朝から作戦室に出勤した。机の上に、手順書の束が置かれていた。
『通信魔法陣 認証強化マニュアル ver1.0』
『防壁魔法陣 異常検知手順書 ver1.0』
『水浄化魔法陣 緊急対応フロー ver1.0』
すべて、昨夜リオンが書き上げたものだ。
「これで、僕がいなくても最低限の対応はできる」
リオンは呟いた。そして、次の手順書の執筆を始める。
戦いは、まだ始まったばかりだ。帝国は、次の手を打ってくる。でも、僕の戦場はここだ。裏方のインフラ防衛。それが、リオンの戦い方だった。
**あとがき**:開戦と同時に裏方の緊張感が一気に跳ね上がる第50話。「フェイントの向こうに本命がある」――インフラ攻撃の怖さは、目に見えないところで進行するところです。次話、冗長化構成の構築が急ピッチで始まります。