S03-P01 異世界SLA99.99% ~元SEは今日も魔法インフラを落とさない~

第54話: リオン殿の安全も国の資産です

第4アーク · 5,890文字 · revised

深夜三時。中枢魔法陣の地下室に、羊皮紙を走る筆の音だけが響いていた。

リオンは机に向かい、第四防壁の強化設計書を書いていた。セラフィーナのペネトレーションテストで洗い出した十二箇所の脆弱性。そのうち重大と判定した四箇所の対策設計が、まだ終わっていない。

視界がぼやける。文字が二重に見える。

「あと、もう少し」

呟いて、筆を握り直す。指先が震えていた。

「管理者。現在時刻、三時十二分。本日の稼働時間、二十一時間」

リーティアの声が、静かに響いた。

「管理者の生体データに異常を検知。心拍数の不規則化、体温低下、集中力指標の著しい劣化」

「大丈夫だよ。あとこの一枚が終われば」

リオンの手が止まった。

筆が机の上を転がる。

そのまま、前のめりに崩れ落ちた。


「管理者?」

リーティアの投影体が明滅した。

「管理者、応答なし。管理者!」

金色の目が激しく点滅する。リーティアは中枢魔法陣の全系統に緊急信号を発した。

「緊急通知。管理者が意識を喪失(ロスト)。場所、中枢魔法陣制御室。全関係者に通達する」

最初に駆けつけたのはエルナだった。

隣の仮眠室で眠っていた彼女は、リーティアの警告で飛び起きた。制御室に飛び込むと、リオンが机の前で崩れている。

「リオンさん!」

抱き起こす。呼吸はある。脈もある。意識がない。

「リーティア、状態は」

「極度の疲労による意識喪失と推定。生命に別状はない。だが」

リーティアの声が、わずかに揺れた。

「過去五週間の管理者の稼働データを分析した。平均稼働時間、十八・三時間。睡眠時間、平均三・八時間。栄養摂取量、推奨値の六割」

エルナは唇を噛んだ。

「また、こうなるってわかってた」

リオンを背負い、仮眠室のベッドに運ぶ。額に手を当てると、冷たかった。

毛布をかけ、水差しを枕元に置く。それからリオンの机に戻り、書きかけの設計書を見た。

『第四防壁 強化設計書 ver3.2』

几帳面な字で、びっしりと書き込まれている。途中で筆跡が乱れ、最後の数行はほとんど読めなかった。

「定時で帰るって、いつも嘘ばっかり」


リオンが目を覚ましたのは、六時間後だった。

薄く目を開けると、ベッドの横にエルナが椅子に座ったまま眠っていた。膝の上に毛布が滑り落ちている。ずっと、ここにいたのだ。

「エルナ」

小さく呼ぶと、エルナがぴくりと目を開けた。

「リオンさん! 起きた。よかった……」

その目が赤い。泣いたのか、寝不足か、あるいは両方だろう。

「僕、倒れたのか」

「はい。深夜三時に」

「そっか」

リオンは天井を見つめた。

また、前の世界と同じことをしてた。

サーバールームで一人、三日連続の障害対応。モニターの光だけが照らす部屋で、気づいたら床に倒れていた。あのときはそのまま、目が覚めなかった。

「僕は、学ばないな」

「リオンさん?」

「前の世界で、同じことで死んだのに」


昼前。カティアが魔術局に緊急で到着した。

作戦室には、エルナ、ミーナ、セラフィーナ、アルヴィスが集まっている。リーティアの投影体が、部屋の隅に静かに浮かんでいた。

リオンはベッドから起き上がり、壁にもたれて座っている。まだ顔色が悪い。

「全員、揃っているな」

カティアの声は、いつもの丁寧さの奥に鋭さがあった。

「リーティア。管理者の稼働データを、全員に共有してくれ」

「了解」

リーティアが中空にデータを投影した。

折れ線グラフ。過去五週間の稼働時間が、右肩上がりに伸びている。十六時間、十八時間、二十時間。昨日は二十一時間。

「過去五週間の管理者の稼働分析結果を報告する」

リーティアの声は、いつもの無機質さの中に、かすかな感情が混じっていた。

「手順書作成、管理者が100%担当。設計作業、管理者が92%担当。脆弱性対策の設計・検証、管理者が87%担当。監視業務のエスカレーション判断、管理者が100%担当」

沈黙が落ちた。

「すべてが管理者に集中している」


カティアが口を開いた。

「リオン殿の安全も国の資産です」

それから首を振った。

「いや、そういう話ではない。これは国防上の危機だ」

全員がカティアを見た。

「このままリオン殿に依存し続ければ、彼が倒れた瞬間に王国のインフラ防衛は崩壊する。帝国がその隙を突けば、戦争に負ける」

「殿下の仰る通りです」

リオンが苦笑した。

「前の世界の言葉で言えば、僕自身がSPOFになってる」

「えすぴーおーえふ?」

ミーナが首を傾げた。

「Single Point of Failure——単一障害点(たんいつしょうがいてん)。そこが壊れたら全体が止まる、たった一つの弱点のこと」

アルヴィスが腕を組んだまま、低い声で言った。

「小僧」

「はい?」

「お前は私に、『一人で全部やるな』と説教したな」

沈黙。

「依存関係を把握しろ。手順書を作れ。チームで動け。そう言ったのは、お前自身だろう」

アルヴィスの灰色の目が、まっすぐリオンを見ている。

「それが今、自分がそうなっているではないか」

リオンは一瞬言葉を失った。それから苦笑した。

「返す言葉もないです」

「ふん」

アルヴィスは鼻を鳴らした。だがその表情は、怒りではなかった。


「では、対策を立てましょう」

エルナが立ち上がった。

「リオンさんがいなくても回る体制を、作ります」

全員が頷いた。エルナは深呼吸して、リオンの目を見た。

「私が手順書の作成を引き継ぎます」

「エルナ?」

「リオンさんが書くのを、ずっと横で見てきました。構成、確認項目の洗い出し、優先度のつけ方。覚えてます」

あの頃は「ドキュメント嫌いです」と泣きそうな顔をしていた子が。

「頼む、エルナ」

ミーナが手を挙げた。

「あたしからも、提案があります」

帳簿を開き、書き込みだらけの紙を見せた。

「シフト制を導入します。全員の稼働時間を管理して、誰も十二時間以上は働かない。リオンさんも例外なしです」

「ミーナ……」

「商人はね、数字で管理するんです」

ミーナはそろばんを弾いた。

「今の人数なら三交代制が組めます。夜間は二人体制で回して、緊急時だけ全員召集。これなら全員が六時間以上寝られます」

「すごいな、ミーナ。もうシフト表できてるの?」

「昨日の夜から作ってました」

ミーナは少し膨れた。

「リオンさんがまた無理するって、わかってましたから」

セラフィーナが口を開いた。

「脆弱性診断は、私が単独で回す」

簡潔だった。それがセラフィーナらしかった。

「レポートのフォーマットは、リオンに教わった。診断手順も、優先度判定の基準も、頭に入っている」

「でも、僕がレビューしないと」

「不要だ」

セラフィーナの琥珀色の目が、静かにリオンを見た。

「私は帝国でトップクラスの解呪技師だった。攻撃側の手口は、お前より詳しい」

「……」

「診断結果の最終判断だけ、エルナと共有する。それで充分だ」

セラフィーナは淡々と言い切った。技術者としての自信。それは、この数ヶ月でリオンと働く中で裏打ちされたものだった。

アルヴィスが、ゆっくりと立ち上がった。

「王都の基幹系統は、私が責任を持とう」

全員が驚いて彼を見た。

「手順書は、すでに頭に入っている」

アルヴィスは窓の外を見た。

「かつて、手順書など不要だと言った。天才一人いれば済む、そう信じていた」

「局長……」

「だが、お前に教えられた。属人化はリスクだ。チームで動け。手順書を残せ」

アルヴィスはリオンを振り返った。

「今度は、私がチームの一員として動く番だ」


「私からも提案がある」

リーティアの投影体が、一歩前に出た。

「自動監視アラートシステムを実装する」

「自動監視?」

「現在、監視データの異常判定は管理者が目視で行っている。私が閾値(しきいち)を設定し、異常を検知した場合、管理者を介さず直接担当者に通知する」

リーティアは中空にシステム構成図を投影した。

「防壁系の異常はアルヴィスへ。脆弱性関連はセラフィーナへ。通信系・水路系の異常はエルナへ。物資・人員に関わる問題はミーナへ」

「僕を経由しない、分散型の監視体制か」

「そうだ。管理者がボトルネックになっている現状を、アーキテクチャで解決する」

リーティアの金色の目が、静かに光った。

「管理者が寝ていても——システムは止まらない」

リオンは全員の顔を見回した。

エルナが手順書を引き継ぐ。ミーナがシフトを管理する。セラフィーナが脆弱性診断を自律的に回す。アルヴィスが基幹系統を担う。リーティアが自動監視を実装する。

「みんな……」

「では、決まりだ」

カティアが宣言した。

「リオン殿には、これより四十八時間の強制休養を命じる」

「四十八時間!?」

「その間、チームだけでインフラを運用する。リオン殿は作戦室への立ち入りを禁止する」

「でも、帝国の攻撃が」

「だから、やるんです」

エルナが言った。

「リオンさんがいなくても大丈夫だって、証明します」


四十八時間が始まった。

リオンは自室に軟禁された。ミーナが鍵を預かり、食事を三食きっちり運んでくる。

「リオンさん、お昼ですよ。作戦室の状況は教えません。休んでください」

ミーナは笑顔で食事を置き、扉を閉めた。

初日の夜。通信中継陣に異常。リーティアのアラートがエルナに飛んだ。手順書を開き、入力側の魔力品質低下を特定。予備経路に切り替え、十分で復旧。

二日目の深夜。防壁系の魔力変動。アラートはアルヴィスへ。手順書を広げ、十五分で対処した。報告書に一行。『手順書通りに対処。問題なし。 アルヴィス』

同日午後。セラフィーナが第二防壁に新たな脆弱性を発見。レポートを書き、対策を設計し、エルナと共有してミーナのシフト表に実装スケジュールを組み込んだ。リオンの手を借りずに完結した。

ミーナのシフト表は機能し、全員が六時間以上寝た。


四十八時間が経過した。

リオンは自室で、チームから提出された報告書を読んでいた。

エルナの対応記録。アルヴィスの確認報告。セラフィーナの脆弱性レポート。ミーナのシフト管理表。リーティアのアラート履歴。

すべてが整然と記録されている。

トラブルは三件発生し、三件とも手順書に従って対処された。新たな脆弱性が一件発見され、対策まで設計された。誰も十二時間以上働かず、全魔法陣の稼働率は99.7%を維持した。

「僕がいなくても、回ったんだ」

報告書を握る手が、震えた。


前世の記憶が蘇る。

深夜のサーバールーム。冷却ファンの唸る音だけが響く部屋で、モニターの青い光に照らされながら、一人で倒れた。

誰も引き継げなかった。手順書はなく、設計書もなく、全部が九条諒の頭の中にしかなかった。

自分が倒れた翌日、三つのシステムが止まったと後で聞いた。いや、聞けるはずがない。自分は死んだのだから。

あのとき思った。僕が全部抱え込んだせいだ。

報告書を見つめる。エルナの字で書かれた対応記録。ミーナの几帳面なシフト表。セラフィーナの簡潔なレポート。アルヴィスの短い報告。リーティアの正確なログ。

「今は、僕がいなくても回る」

目頭が熱くなった。


作戦室に向かうと、カティアが廊下で待っていた。

「休養は充分か」

「はい。おかげさまで」

「報告書は読んだか」

「読みました」

カティアは少し間を置いて言った。

「リオン殿の安全も国の資産です、と私は言った」

「はい」

「だが、資産という言葉は適切ではなかったな」

カティアはリオンを見た。紫色の目が、王女の仮面を外している。

「そなたは大切な人だ。王女としてではなく、一人の人間として」

「……」

「だから——二度と、一人で全部を背負うな」

リオンは深く頭を下げた。

「ありがとうございます、殿下。僕もみんなが大切です」

顔を上げて、作戦室の扉を開けた。

全員がいた。

エルナが手順書の束を抱えて立っている。ミーナがシフト表を更新している。セラフィーナが脆弱性レポートを読み返している。アルヴィスが防壁の監視データを確認している。リーティアが中空にシステムステータスを投影している。

誰もがリオンを見て、しかし作業の手を止めなかった。

それが答えだった。

リオンがいなくても回る。リオンが戻っても、特別なことは起きない。それが正しい運用体制だ。

「リオンさん、おかえりなさい」

エルナが微笑んだ。

「四十八時間のログ、まとめておきました。あと、手順書を三本新しく書きました。添削お願いします」

「三本も?」

「リオンさん、今日のシフト表です。稼働は十時間まで。超えたら止めます」

ミーナが紙を差し出した。

「晩ごはんは十八時。遅刻したらおかず減らします」

「それは困る」

セラフィーナが脆弱性レポートを渡した。構成は完璧だった。

「確認は不要だが、意見があれば聞く」

「問題ない。完璧だ」

「当然だ」

「管理者。自動監視アラート、四十八時間の発報三件。誤検知ゼロ。対応完了率百パーセント」

リーティアが報告した後、少し間を置いた。

「定期メンテの時間は、守ってほしい。管理者のメンテナンスによるシステム最適化は、自動化では代替できない」

「もちろん。約束するよ」

リーティアの投影体が、ほんの少しだけ明るくなった。


リオンは作戦室の隅で、椅子に座った。

みんなが、それぞれの持ち場で働いている。

前の世界では、僕が全部抱え込んで一人で死んだ。

でも今は違う。手順書がある。シフト表がある。自動監視がある。任せられる人がいる。

属人化しない体制。誰が倒れても止まらないシステム。前世でずっと作りたかったものを、この世界では作れた。みんなが一緒に。

アルヴィスが横を通りかかった。足を止めて、リオンを見下ろす。

「小僧」

「はい?」

「お前の説教、ようやく自分に効いたようだな」

「耳が痛いです」

「ふん」

アルヴィスは背を向けた。

「だが、悪くない気分だ。チームで動くというのは」

そう言って、足早に去っていった。

窓の外、王都の夜景が広がっている。防壁の光が、静かに輝いていた。

戦争はまだ終わらない。帝国の攻撃は、これからさらに激しくなるだろう。

でも——一人じゃない。

僕が倒れても、システムは止まらない。

それがSLA99.99%を実現するための、最も重要な設計思想だ。単一障害点を排除すること。

リオンは小さく笑った。

「定時で帰ろう」

ミーナのシフト表を確認する。今日の退勤時間は二十時。

「あと三時間か」

前世では定時で帰れたことなど、一度もなかった。

でも今日は帰れる。

みんなが、支えてくれているから。


**あとがき**:タイトルの「リオン殿の安全も国の資産です」がカティア自身によって訂正される瞬間が、この話の核心です。「資産」ではなく「大切な人」。そして全員がリオンなしで回る体制を48時間で証明する。SPOF排除は技術論であると同時に、信頼の物語でもあります。

文字数: 5,890