魔術局の監視室に、甲高い警報音が響き渡った。
リオンは羊皮紙から顔を上げた。リーティアの投影体が、金色の目を明滅させながら報告する。
「管理者。第三防壁に異常魔力集中を検知。入力魔力量、規定値の三百七十パーセント。上昇継続中」
「三百七十?」
リオンは椅子から飛び上がった。
「フェイルセーフは」
「反応なし。防壁は魔力を受け入れ続けている」
エルナが駆け込んできた。
「リオンさん! 第三防壁の魔力量が」
「わかってる。今、診断する」
リオンの【診断】が、第三防壁の構造を映し出した。
防壁魔法陣の核心部。そこに膨大な魔力が流れ込んでいる。防壁は本来、外部からの攻撃を受けて魔力を消費する。その逆だ。誰かが意図的に魔力を注ぎ込んでいる。
「これ、外部からの強制入力だ」
「入力上限は」
「ない」
リオンは呟いた。
「古代の設計思想だ。魔力は自然に供給されるものだから、『多すぎる』なんて想定していない」
「それじゃあ」
「受け入れ続ける。限界を超えるまで」
リーティアの声が割り込んだ。
「魔力量、規定値の四百十パーセント。制御回路に負荷。防壁出力の不安定化を確認」
「くそ」
リオンは魔術局の広間に走り出た。
「アルヴィス局長!」
アルヴィスは既に杖を構えていた。
「わかっている。第三防壁の出力が暴れている」
「帝国の攻撃です。外部から魔力を強制注入している。防壁を内側から破裂させる気だ」
アルヴィスの顔が強張った。
「そんな攻撃は」
「前の世界でも似たようなのがありました。バッファオーバーフロー。システムに許容量を超えるデータを流し込んで暴走させる攻撃です」
「魔法陣に、そんなことができるのか」
「できます。実際にやられてる」
リオンは監視用の魔力盤を見た。第三防壁の魔力量がどんどん上昇していく。
「このまま行けば十五分で臨界。防壁が内側から崩壊します」
エルナが走ってきた。
「リオンさん、どうすれば」
「魔力の入力元を遮断したいけど、外部から注入されてる。経路がわからない」
「セラフィーナさんを呼びましょう!」
「もう呼んでる。でも間に合うか」
リーティアの声。
「魔力量、規定値の四百五十パーセント。防壁制御回路の魔力パスに亀裂発生。このままでは」
「防壁が爆発する」
リオンは拳を握った。
「魔力を逃がす方法は」
「管理者」リーティアが言った。「防壁の出力を上げて、魔力を放出させる方法がある」
「それ、防壁を解除するってことだぞ」
「短時間なら問題ない。三秒間、全出力で放出すれば過剰魔力を消費できる」
「三秒」
リオンは計算した。
「その間、防壁はゼロになる。外から攻撃されたら」
「リスクは承知している。だが何もしなければ防壁は崩壊する」
アルヴィスが前に出た。
「やれ」
「局長」
「三秒間なら、私が防壁を代わりに張る。完璧ではないが凌げる」
アルヴィスは杖を握った。
「お前の判断を信じる」
リオンは頷いた。
「ありがとうございます」
「礼はいい。早くしろ」
リオンはリーティアに指示した。
「第三防壁、全魔力放出。カウントダウン、五秒前から」
「了解」
エルナが魔力を練る。
「私も補助に回ります」
「頼む」
リーティアの声が響く。
「五、四、三」
アルヴィスが杖を掲げた。銀色の魔力光が彼の周囲に渦巻く。
「二、一」
「放出!」
第三防壁が、轟音と共に光を放った。膨大な魔力が空に向かって解放される。夜空が一瞬、昼間のように明るくなった。
その瞬間、防壁がゼロになる。
アルヴィスの魔法が発動した。銀色の障壁が第三防壁の位置に展開される。完璧ではない。だが三秒間は保つ。
「一」
リオンが数えた。
「二」
何も起きない。帝国は攻めてこない。
「三」
防壁が復活した。魔力量が正常値に戻る。
リーティアが報告する。
「第三防壁、復旧。魔力量、規定値内に安定」
「成功、か」
リオンは深く息を吐いた。
アルヴィスが杖を下ろした。額に汗が浮いている。
「間に合ったな」
「局長、ありがとうございます」
「ふん。当然のことをしただけだ」
アルヴィスは窓の外を見た。
「だが、これで終わりではないだろう」
「はい。第一波です。次が来ます」
セラフィーナが飛び込んできた。
「遅れた。状況は」
「終わった」
「そうか」
セラフィーナは悔しそうに眉を寄せた。
「私がもっと早く」
「いや、間に合わなかったよ。今回のは準備してても防げなかった。想定外だった」
「バッファオーバーフロー」
セラフィーナは呟いた。
「魔力の強制注入。帝国の新しい攻撃手法だ」
「知ってたのか」
「理論は知っていた。でも実際にやるとは」
セラフィーナは防壁の方を見た。
「これは古代魔法陣の根本的な弱点を突いている」
エルナが尋ねた。
「根本的な弱点?」
「入力上限チェックがない」
リオンが答えた。
「古代の魔術師は、魔力が『多すぎる』なんて想定していなかった。魔力は自然界から適量が供給されるもの。それが前提だった」
「でも外部から意図的に注入されたら」
「受け入れ続ける。限界を超えて暴走するまで」
セラフィーナが続けた。
「これは——性善説で設計されたシステムの末路だ」
「性善説……」
「誰も悪意を持たない前提で作られている。だから悪意ある攻撃に無防備だ」
リオンは深く息を吐いた。
「対策を打たないと。次が来る前に」
「対策? どうやって」
「入力上限を設定する」
リオンは魔力盤を見た。
「防壁に魔力のリミッターを追加する。一定量を超える魔力が入力されたら、自動で遮断する仕組みを」
「そんなもの、作れるのか」
「作るしかない」
リオンはエルナを見た。
「エルナ、手伝ってくれ」
「もちろんです」
深夜。リオンの作業台には設計図が広がっていた。
魔力リミッター。魔法陣の入力部に設置する、過剰魔力を遮断する装置。物理パーツと魔力回路を組み合わせた、急造の防御機構。
「ドルクさんに部品を発注しないと」
リオンは羊皮紙に部品リストを書き始めた。
「魔力弁、逆流防止板、過負荷検知用の魔力センサー」
「リオンさん」
エルナが入ってきた。
「まだ起きてたんですか」
「うん」
「寝てください。倒れますよ」
「もう少しで設計が終わる」
「リオンさん!」
エルナがリオンの肩を掴んだ。
「前の世界で同じことしたんでしょう。無理して、倒れて。今回は一人じゃないんですよ」
リオンはエルナを見た。彼女の緑色の目が、真剣にこちらを見つめている。
「ごめん」
「謝らないでください。ちゃんと休んでください」
「うん」
リオンは椅子から立ち上がった。
「設計図、明日の朝に完成させる。それで」
「それで、エルナさんと私で部品の発注をします」
ミーナが扉から顔を出した。
「あたしも起きてました」
「お前もか」
「リオンさんが一人で抱え込むの、わかってますから」
ミーナは微笑んだ。
「だから、見張ってます」
翌朝。リオンは設計図を完成させ、エルナとミーナに渡した。
「これで部品の手配を」
「了解です」
ミーナが計算機を取り出した。
「ドルクさんに最優先で発注します。あと、予備素材の在庫も確認しないと」
「頼む」
リオンはリーティアの部屋に向かった。中枢魔法陣の前で、リーティアが待っていた。
「管理者。本日の稼働率、95.8%。第三防壁の緊急停止により低下」
「ありがとう。リーティア、相談がある」
「なんだ」
「魔力リミッターを全防壁に設置する。でも時間がかかる。その間、また攻撃が来たら、君の力で魔力の異常上昇を検知して即座に警告してほしい」
「了解した」
リーティアは少し間を置いて、言った。
「管理者は無理をしすぎだ」
「え?」
「昨夜の作業時間、六時間。睡眠時間、二時間。これは最適な稼働状態ではない」
「まあ、そうだけど」
「管理者の健康はシステム運用の最優先事項だ。倒れられたら困る」
リーティアの声が、ほんの少しだけ揺れた。
「これは、合理的判断だ」
リオンは微笑んだ。
「ありがとう、リーティア」
「礼はいい。ただ、定期メンテの時間は守ってほしい」
「わかった。今日の夕方、また来る」
「待っている」
リーティアの投影体が、ほんの少しだけ明るくなった。
三日後。魔力リミッターの第一号が完成した。
ドルクが送ってきた部品を組み合わせ、リオンとエルナが魔力回路を組み込んだ装置。手のひらサイズの金属板に、複雑な魔力パスが刻まれている。
「よし。テストしよう」
リオンは第三防壁の入力部にリミッターを設置した。
「リーティア、模擬的に過剰魔力を入力してくれ」
「了解。規定値の二百パーセントで送る」
魔力が流れ込む。瞬間、リミッターが発動した。カチン、と小さな音がして、過剰分の魔力が遮断される。
「成功だ」
エルナが拍手した。
「やりました!」
「これで次の攻撃は防げる」
その夜、帝国の第二波が来た。今度は第一防壁と第五防壁への同時攻撃。だが魔力リミッターが即座に反応し、過剰魔力を遮断した。
「リミッター正常作動。過剰魔力、遮断完了」
リーティアの報告に、リオンは安堵の息を吐いた。
「間に合った」
アルヴィスが隣で呟いた。
「悔しいが」
「え?」
「お前の方法論、間違いなく正しい」
アルヴィスは窓の外を見た。
「私一人では、この攻撃は防げなかった。だがお前の装置は、私がいなくても防いだ」
「局長……」
「認めよう。属人化はもう限界だ」
リオンはアルヴィスを見た。誇り高い天才が自分の限界を認めた。それはとても勇気のいることだった。
「ありがとうございます」
「礼はいい。次の攻撃に備えろ。帝国はまだ手を緩めない」
「はい」
リオンは頷いた。
窓の外、王都の夜景が広がっている。防壁の光が静かに輝いていた。
バッファオーバーフロー攻撃。古代魔法陣の根本的な弱点を突いた帝国の第一波。それは辛うじて防がれた。
だが——これは、始まりに過ぎなかった。
**あとがき**:「性善説で設計されたシステムの末路」という言葉が示す通り、悪意を想定しない設計は脆い。3秒間の防壁ゼロをアルヴィスの個人技で凌ぎつつ、根本対策として魔力リミッターを急造する。属人的な「英雄の一手」と仕組みとしての「入力上限」、両方が必要だったという構造が第55話のテーマです。