魔力リミッターの設置から五日後。
王都の東側防壁に、警報が鳴り響いた。
「管理者。第二防壁に攻撃検知。数、三百五十六。継続的に増加中」
リーティアの声に、リオンは顔を上げた。
「三百五十六? 攻撃が?」
「肯定。小規模攻撃の連続。防壁は正常に防いでいるが、処理負荷が上昇している」
「見せて」
リオンの【診断】が、第二防壁の状態を映し出した。
そこには無数の魔力反応があった。一つ一つは弱い。防壁が簡単に防げるレベル。だが数が多すぎる。
「これ、低級魔獣か」
リオンは呟いた。
「ゴブリン、スライム、魔力ネズミ。雑魚を大量に送り込んでる」
「雑魚?」
エルナが尋ねた。
「でも、防壁は防いでますよね」
「防いでる。でも防壁の処理能力が圧迫されてる。一匹一匹は弱いけど、数が多すぎてリソースを食われてるんだ」
「それって」
「DDoS攻撃だ」
セラフィーナが駆けつけてきた。
「飽和攻撃か。帝国の古典的な手法だ」
「知ってるのか」
「ああ。防壁に大量の低レベル攻撃を送り込んで、処理能力を飽和させる。そして本命の攻撃が来る。防壁が雑魚の処理に忙殺されている隙に、強力な攻撃を混ぜる」
「なるほど」
リオンは歯噛みした。
「雑魚は囮か。本命はまだ来ていないのか」
「時間の問題だ」
リーティアが報告する。
「攻撃数、五百三十二。防壁処理負荷、七十二パーセント。このままでは飽和する」
リオンは拳を握った。
「このままじゃ、本命が来たときに対応できない。雑魚を自動で遮断する」
羊皮紙を取り出した。
「前の世界で言うファイアウォール。ルールベースのフィルタリングだ」
「ルールベース?」
「『これは脅威じゃない』というパターンを登録しておいて、該当する攻撃は防壁本体に届く前に弾く。そういう仕組みだよ」
セラフィーナが前に出た。
「それ、私にやらせてくれ」
「え?」
「パターンマッチングによる攻撃判定は帝国で訓練されたことだ」
セラフィーナは真剣な目でリオンを見た。
「低級魔獣の魔力パターンはわかる。フィルタリングルールを作るなら、私が適任だ」
「でも」
「信頼してくれ。私はもう、帝国の犬じゃない」
リオンは、セラフィーナを見た。琥珀色の目が、真っ直ぐにこちらを見つめている。
「わかった。頼む、セラフィーナ」
一時間後。セラフィーナはフィルタリングルールを完成させた。
羊皮紙に、魔力パターンの特徴が細かく記されている。ゴブリンの魔力パターンは周波数が低く安定しない。スライムの魔力パターンは均一で単純。魔力ネズミは短時間で減衰する。
リオンはルールを確認した。
「これ、完璧だ」
「当然だ」
セラフィーナは少し得意げに言った。
「帝国では、こういうパターン解析を何百回とやらされた。嫌いな訓練だったが、今になって役に立つとは」
「セラフィーナさん、すごいです」
エルナが感心して言った。
「これなら雑魚を全部弾けますね」
「理論上は。だが実装が必要だ」
セラフィーナはリオンを見た。
「リオン。これを防壁に組み込めるか?」
「やってみる」
リオンは防壁の入力部に、新しい魔力回路を追加し始めた。フィルタリング層。防壁本体の前に設置する、パターンマッチング機構。セラフィーナのルールを魔力回路に変換し、刻み込んでいく。
「エルナ、魔力パスをここに接続して」
「はい」
「リーティア、テストパターンを送ってくれ。ゴブリンレベルの魔力で」
「了解」
テスト魔力が流れ込む。瞬間、フィルタリング層が反応した。パターンマッチング成功。雑魚と判定。遮断。魔力が、防壁本体に届く前に弾かれた。
「成功だ」
エルナが拍手した。
「やりました!」
リオンはフィルタリング層を第二防壁に設置した。
「リーティア、実戦投入。フィルタリング層、起動」
「了解。フィルタリング層、起動」
瞬間、防壁の処理負荷が一気に下がった。
「処理負荷、七十二パーセントから三十五パーセントに低下。雑魚攻撃、フィルタリング層で遮断中」
「効いてる」
リオンは安堵の息を吐いた。
「これで本命が来ても対応できる」
その瞬間、警報が鳴った。
「管理者。強力な魔力反応を検知。第二防壁に接近中。出力、規定値の八百パーセント」
「来た!」
リオンは【診断】を集中させた。雑魚の群れの中に、一つだけ異質な魔力が混じっている。高位魔獣。おそらくオーガクラス。防壁を正面から破壊できる出力。
「フィルタリング層は?」
「パターン不一致。高位脅威と判定。防壁本体に処理を委譲」
「よし!」
リオンは拳を握った。
「雑魚はフィルタで弾かれてる。防壁本体は、高位脅威だけに集中できる」
第二防壁が、光を放った。
高位魔獣の攻撃を受け止め、魔力を分散させ、反射する。完璧な防御。雑魚に処理能力を食われていない防壁は、本来の性能を発揮できた。
「第二防壁、攻撃を完全防御。高位魔獣、撃退」
リーティアの報告に、リオンは深く息を吐いた。
「間に合った」
セラフィーナが隣で呟いた。
「ルールベースのフィルタリング。前の世界の技術か」
「うん。ファイアウォールの基本だよ」
「興味深い」
セラフィーナは真剣な目でリオンを見た。
「前の世界では、こういう防御技術が普通にあったのか」
「基本的な考え方としてはね」
エルナが尋ねた。
「でも、これ、新しいパターンが来たらどうするんですか?」
「ルールを更新する」
リオンは答えた。
「新しい攻撃パターンが来たら、セラフィーナが解析して、ルールに追加する。それを繰り返していけばどんどん賢くなる」
セラフィーナが続けた。
「学習型の防御機構か。面白い」
「帝国では、こういうのはなかったのか?」
「なかった。攻撃のパターン解析は訓練されたが、それを防御に使うという発想はなかった」
セラフィーナは少し寂しそうに笑った。
「帝国は壊すことしか考えていなかったから」
その夜、リオンはセラフィーナと二人で監視室にいた。フィルタリング層の動作ログを確認している。
「今日だけで雑魚攻撃、千二百三十七回。すべてフィルタで遮断」
「効率がいい」
セラフィーナは満足そうに頷いた。
「防壁本体のリソースは高位脅威のためだけに使われている」
「セラフィーナのおかげだよ。あのパターンルールがなければ、実装できなかった」
「礼はいい」
セラフィーナは視線を逸らした。
「これは私の贖罪だ」
「贖罪?」
「帝国で、私は攻撃のためにこの技術を使っていた」
セラフィーナの声が、静かに響いた。
「魔法陣の弱点を見つけて、攻撃パターンを作って、壊すことばかり考えていた」
「でもお前と一緒に働いて、わかった」
セラフィーナはリオンを見た。
「守る技術のほうが——難しくて、やりがいがある」
リオンは微笑んだ。
「うん。守るほうが難しいよ」
「なぜだ?」
「壊すのは一瞬でいい。でも守るのは、ずっと続けないといけない。毎日、毎時間、毎分。止まらずに動き続ける。それが、運用保守の仕事だから」
「そうか」
セラフィーナは少し考えて、言った。
「なら私も、ずっと続ける」
「え?」
「この王都のインフラを、お前と一緒に守り続ける」
セラフィーナの琥珀色の目が、真っ直ぐにリオンを見つめた。
「それが私のやりたいことだ」
リオンは少し驚いて、それから微笑んだ。
「ありがとう、セラフィーナ」
「礼はいい。ただ、技術が面白いだけだ」
「そう?」
「ああ。お前の方法論は興味深い。もっと学びたい」
「じゃあ、明日も一緒に作業しよう」
「ああ」
セラフィーナは、ほんの少しだけ嬉しそうに頷いた。
翌朝、リオンはフィルタリング層を全防壁に展開する作業を開始した。エルナとセラフィーナが手分けして、各防壁に魔力回路を追加していく。
「第一防壁、フィルタリング層設置完了」
「第四防壁も完了です」
「よし。残りは第五と第七だけだ」
ミーナが進捗表を確認している。
「このペースなら、今日中に全防壁にフィルタを設置できますね」
「ああ。そうすれば帝国の飽和攻撃は、もう通用しない」
夕方、第五防壁への大規模飽和攻撃があった。だがフィルタリング層が即座に反応し、雑魚をすべて遮断した。
「雑魚攻撃、千五百二十三回。すべて遮断。防壁本体への負荷、ゼロ」
リーティアの報告に、リオンは満足げに頷いた。
「完璧だ」
アルヴィスが隣で呟いた。
「お前の作る防御機構は、私一人よりも確実だな」
「局長一人じゃ、この数の雑魚は捌けませんから」
「ふん。そうだな」
アルヴィスは少し寂しそうに笑った。
「私が全盛期でも、千回の攻撃を同時に防ぐのは無理だ」
「でも仕組みを作れば、誰でも防げる。それが、運用保守の強みです」
その夜、リオンはリーティアの部屋を訪れた。
「管理者。本日の稼働率、97.5%。良好」
「ありがとう、リーティア。今日も無事に乗り切れた」
「管理者」
「ん?」
「フィルタリング層は効率的だ。防壁本体のリソース使用率が大幅に低下している」
「うん。セラフィーナのおかげだよ」
リーティアは少し間を置いて、言った。
「管理者はセラフィーナを信頼しているのだな」
「ああ。彼女は優秀な技術者だから」
リーティアの投影体が、ほんの少しだけ揺れた。
「私も、優秀なシステムだ」
「もちろん。君がいなければ、王都のインフラは守れない」
リーティアの金色の目が、少し明るくなった。
「管理者。定期メンテの時間だ」
「わかった。今日もよろしく」
窓の外、王都の夜景が広がっている。防壁の光が、静かに輝いていた。
DDoS的飽和攻撃——大量の雑魚による防壁処理の飽和。それは、ルールベースのフィルタリングによって完全に無力化された。
だが帝国の攻撃は、まだ続く。次は、どんな手を使ってくるのか。
リオンは警戒を緩めなかった。
**あとがき**:「雑魚の洪水を仕組みで弾く」。セラフィーナの攻撃者知識を守る側に転用し、パターンマッチでDDoSを無力化する第56話。千五百回の攻撃を人力で捌く不可能を、ルール一枚が解決する痛快さがテーマです。