S03-P01 異世界SLA99.99% ~元SEは今日も魔法インフラを落とさない~

第57話: トリアージ

第4アーク · 4,393文字 · revised

それは夜明け前に起きた。

王都各地から、同時に警報が鳴り響いた。

「管理者! 複数の魔法陣に攻撃。第三防壁、通信魔法陣第七ノード、水浄化魔法陣第二系統、灯火魔法陣東区画、同時発生!」

リーティアの声が、緊迫していた。

リオンは監視室に飛び込んだ。魔力盤に、無数の赤い警告が点灯している。

「同時多発攻撃か」

エルナが駆けつけてきた。

「リオンさん、これ」

「帝国の新しい戦術だ」

リオンは歯噛みした。

「一箇所じゃない。同時に複数を攻撃して、対応を分散させる気だ」


アルヴィスが杖を握って入ってきた。

「状況は!」

「四箇所同時攻撃。すべて深刻です」

リオンは魔力盤を見た。

「第三防壁、魔力パスに亀裂。このままでは三十分で崩壊。通信魔法陣第七ノード、中継機能が停止して東部の通信が途絶。水浄化魔法陣第二系統、浄化機能が低下して住民に汚染水が供給される恐れ。灯火魔法陣東区画、出力ゼロ。東区の住民が真っ暗の中にいる」

アルヴィスの顔が強張った。

「全部、同時に対処できるのか」

「無理です」

リオンは静かに答えた。

「人手が足りない。全部は救えません」

沈黙が落ちた。エルナが、震える声で言った。

「全部、救えない?」

「ああ」

リオンは深く息を吐いた。

「今ここにいるのは、僕とエルナ、アルヴィス局長。運用チームは他の拠点に配置されてる。呼び戻すにも時間がかかる」

「じゃあ」

「優先順位を決める」

リオンは魔力盤を見つめた。

「全部は救えない。だからどれを優先するか、決めないといけない」


ミーナが羊皮紙を抱えて飛び込んできた。

「リオンさん! 東区から救援要請が」

「わかってる」

リオンは目を閉じた。深呼吸。冷静に。感情を切り離して判断する。前の世界で、何度もやったこと。障害対応のトリアージ。全部は救えない。だから、救う順番を決める。

目を開けた。

「優先度A。水浄化魔法陣第二系統」

「え」

エルナが驚いた声を上げた。

「防壁じゃなくて、水浄化を?」

「防壁は三十分保つ。でも、水浄化は今すぐ止めないと、汚染水が住民に届く」

リオンは冷静に言った。

「人命に直結する。だから最優先だ」

「優先度B。第三防壁」

リオンは続けた。

「三十分の猶予がある。その間に水浄化を修復して、それから防壁に取り掛かる」

「優先度Cが通信魔法陣と灯火魔法陣?」

「ああ」


ミーナが声を上げた。

「でも、東区の人たちが真っ暗で困ってるんですよ!」

「わかってる」

リオンは静かに答えた。

「でも灯火がなくても、人は死なない。通信が途絶えても、すぐには死なない」

「人命に直結するものから。それ以外は後だ」

リオンの声が、監視室に響いた。

「これがトリアージだ」

アルヴィスが前に出た。

「わかった。お前の判断に従う」

「局長」

「私は第三防壁に向かう。三十分、保たせてみせる」

「お願いします」

リオンはエルナを見た。

「エルナ、水浄化魔法陣に向かってくれ」

「はい」

エルナは少し震えていたが、頷いた。

「リオンさんは?」

「僕はここで全体を監視する。状況が変わったら、優先度を変更する。だからリーティアと一緒に、全体を見る」


エルナが水浄化魔法陣に到着した。

魔法陣の浄化層が、劣化している。帝国の攻撃で、魔力パスに不正術式を注入されたらしい。

「リオンさん、浄化層が」

「診断結果を送る。今から」

リオンの【診断】データが、エルナの魔力盤に届いた。

「浄化層の第三回路と第五回路が汚染されてる。そこを切り離して、予備回路に切り替えて」

「了解です」

エルナが魔力を練る。汚染された回路を切り離し、予備回路を起動させる。

「切り替え成功。浄化機能、復旧しました!」

「よし。そのまま第三防壁に向かって。アルヴィス局長を支援してくれ」

「はい!」

第三防壁では、アルヴィスが一人で魔力を注ぎ込んでいた。亀裂が入った魔力パスを、自分の魔力で無理やり繋いでいる。

額に汗が浮かぶ。もう若くはない。魔力の総量は衰えていないが、持久力が落ちている。三十分、保てるか。

「局長!」

エルナが駆けつけてきた。

「補助に入ります!」

「助かる」

アルヴィスは少し安堵の表情を見せた。

「亀裂部分に魔力を流し込んでくれ。私が構造を保つ」

「了解です!」

二人の魔力が、防壁を支える。


監視室では、リオンとリーティアが状況を監視していた。

「水浄化魔法陣、復旧完了。第三防壁、アルヴィス局長とエルナで維持中」

「通信魔法陣と灯火魔法陣は、まだ手が回せない」

「管理者」

リーティアが言った。

「東区から苦情が入っている」

「わかってる」

「灯火魔法陣の復旧を求める声、多数」

「わかってる」

リオンは拳を握った。

その瞬間、ミーナが入ってきた。

「リオンさん! 東区の代表者が来てます!」

「今は無理だ」

「でも」

「後だ!」

リオンは声を荒げた。

「今、防壁が崩壊寸前なんだ。灯火は後回しにするしかない!」

ミーナが、ビクッと震えた。

リオンは自分の声の大きさに気づいて、深く息を吐いた。

「ごめん、ミーナ」

「いえ」

ミーナは少し泣きそうな顔で、でも頷いた。

「わかってます。リオンさんが一番辛いって」

リオンはミーナを見た。彼女の茶色の目が、涙を堪えながらこちらを見つめている。

「東区の人たちには、僕が後で説明する」

「はい」

「今は防壁を守らせてくれ」

「わかりました」

ミーナは部屋を出て行った。

リオンは一人、魔力盤の前に座った。全部は救えない。わかっている。でもそれを決めるのは、いつも辛い。


第三防壁の修復が完了したのは、三十五分後だった。

アルヴィスとエルナの連携で、亀裂部分が完全に修復された。

「第三防壁、復旧完了。魔力パス、正常」

リーティアの報告に、リオンは安堵の息を吐いた。

「ありがとう、局長、エルナ。次は通信と灯火だ」

アルヴィスの声が、疲れていた。

「リオンは通信魔法陣に行くのか」

「はい。診断(ダイアグノーシス)で原因を特定します。エルナは灯火魔法陣に向かってくれ」

「了解です」

通信魔法陣第七ノード。リオンは【診断】を発動させた。

中継機能が停止している。魔力パスが切断されている。

「これ、物理的に切られてる」

リオンは呟いた。

「帝国の工作員が直接侵入したのか」

切断部分を確認する。綺麗に切られている。魔術師の仕業だ。修復には、部品が必要だ。

リオンはミーナに連絡した。

「ミーナ、魔力パスの予備部品を持ってきてくれ」

「了解です!」

三十分後。部品が届き、リオンは魔力パスを修復した。通信魔法陣が再起動する。東部の通信が復旧した。

「通信魔法陣第七ノード、復旧完了」

リーティアの報告。

そして。

「灯火魔法陣東区画、エルナによって復旧完了」

「全部、終わった」

リオンは深く息を吐いた。夜明けから、もう昼過ぎだ。六時間。休む暇もなく、走り続けた。


魔術局に戻ると、東区の代表者が待っていた。

「あなたがリオン殿か」

中年の男性が、厳しい顔でリオンを見た。

「なぜ、灯火魔法陣の復旧を後回しにした」

「人命に直結する魔法陣を優先したからです」

リオンは静かに答えた。

「水浄化魔法陣が壊れていたら、汚染水が供給されていた。防壁が崩壊していたら、都市全体が危険に晒されていた」

「だからといって」

「灯火がなくても、人は死にません」

リオンは真っ直ぐに男性を見た。

「不便です。困ります。でも死なない。全部を同時に救うことはできなかった。だから人命に直結するものから、対処しました」

男性は、少し黙って、それから深く頭を下げた。

「わかりました」

「え」

「東区の住民は、不満を言っていました。でもあなたの判断は、正しかった」

男性は顔を上げた。

「私たちが不便だと騒いでいる間に、あなたは都市全体を守っていた」

「ありがとうございます。そして、すみませんでした」

リオンは少し驚いて、それから微笑んだ。

「いえ。お気持ちはわかります」

男性が去った後、リオンはその場に座り込んだ。疲労が、一気に押し寄せてきた。

「終わった」

エルナが隣に座った。

「リオンさん、お疲れ様です」

「エルナも」

「あの」

エルナは少し迷って、言った。

「リオンさん、辛かったですよね。優先度を決めるの、すごく辛かったですよね」

「ああ」

リオンは天井を見上げた。

「全部救えないってわかってても、やっぱり辛い」

ミーナが温かいスープを持ってきた。

「リオンさん、これ」

「ありがとう、ミーナ。さっきは怒鳴ってごめん」

「いえ」

ミーナは首を振った。

「あたし、わかってます。リオンさんが一番辛いって。技術はわからないけど、リオンさんの気持ちはわかります」

ミーナは微笑んだ。

「だからあたしは、リオンさんを支えます」

アルヴィスが部屋に入ってきた。

「お前の判断は間違っていなかった」

「局長」

「トリアージ。戦場の医者が使う方法だ」

アルヴィスは窓の外を見た。

「全員を救えないとき、誰を優先するか決める。それは誰もやりたくない、辛い判断だ」

「はい」

「だが誰かがやらなければならない。お前はその重荷を背負った」

「一人じゃありません」

リオンは微笑んだ。

「エルナも、局長も、ミーナも、みんながいたから、できました」


その夜、リオンはリーティアの部屋を訪れた。

「管理者。本日の稼働率、91.2%。同時多発攻撃により大幅に低下」

「うん。でも全部、復旧できた」

「管理者の判断は適切だった」

リーティアは静かに言った。

「トリアージ。最適な資源配分だ」

「最適、か」

リオンは苦笑した。

「最適だとしても、辛いよ」

リーティアは少し間を置いて、言った。

「管理者はシステムではない。人間だ」

「え?」

「システムなら冷静に優先度を判定できる。でも人間は感情がある。だから辛い」

リーティアの金色の目が、リオンを見つめた。

「でもそれは、弱さではない」

リーティアは続けた。

「感情があるから、人間は正しい判断ができる。システムは数値だけで判断する。でも人間は人の命の重さを理解できる」

リーティアの声が、ほんの少しだけ揺れた。

「だから——管理者の判断は、正しかった」

リオンは、リーティアを見た。彼女の投影体が、静かに揺れている。

「ありがとう、リーティア」

「礼はいい。ただ、データに基づいた事実を述べただけだ」

「そう?」

「ああ。別に、管理者を慰めたわけではない」

リオンは微笑んだ。

「わかった。ありがとう、リーティア」

リーティアの投影体が、ほんの少しだけ明るくなった。

窓の外、王都の夜景が広がっている。すべての魔法陣が、再び輝いている。

同時多発攻撃。全部は救えない、最も辛い戦い。だがリオンは冷静に判断し、優先度を決め、一つずつ対処した。

トリアージ。人命に直結するものから。それ以外は後だ。

それは正しい判断だった。辛くても、正しかった。

そして明日も、戦いは続く。


**あとがき**:全部は救えないとき、何を切り捨てるか。ミーナに怒鳴ってしまうリオンの人間味と、東区住民が最後に見せた理解が、トリアージという冷徹な方法論に体温を通わせる第57話です。

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