S03-P02 頭上に『好感度』が見える転生者、人の心がわかりすぎて逆に孤独です

第3話: 最適化された人間関係

第1アーク · 4,565文字 · draft

入学三日目の朝。教室の扉を開けた瞬間、三十以上の数値が視界を埋め尽くした。

47、52、43、38、55、61——暖色、灰色、寒色。人の頭上に浮かぶ光る数字が、春の陽光と混じり合ってちらつく。

二日もあれば十分だった。この教室の人間関係マップは、もう俺の頭の中で完成している。

窓際の席を中心に座る六人が、貴族派。リーダーはセリア・フォン・ハイデルン——白銀の髪をゆるく巻いた上位貴族の令嬢で、背筋の伸び方が周囲と一線を画している。頭上の数値『47』。初期値としては悪くない。ただし取り巻きの内訳を見れば、実態はわかる。セリアへの数値が70を超えているのは六人中二人だけ。残りは48前後——表面的な追従だ。風向き次第で離れる程度の関係。

教卓寄りの席に固まるのが、平民派。五人。中心はヨハン——日に焼けた肌と鍛冶仕事で太くなった腕。鍛冶師の家の出だと初日に聞いた。互いの数値が60前後で安定していて、奨学生同士の連帯は堅い。ただしヨハン自身のセリアに対する数値は『31』。嫌悪に片足を突っ込んだ数字だ。

そしてどちらにも属さない中間層が二十人弱。

俺は中央やや後方——どちらのグループからも等距離の席を選んだ。隣には商家の息子、マルクス・レーヴェン。丸い眼鏡の奥に人の良さそうな目をした中間層の典型。好感度『52』。昨日、教科書を拾ってやった分が上乗せされている。

「おはよう、マルクス。今日の魔法理論、予習してきた?」

「あ、蓮。おはよう。いや全然……あの教授、板書が早すぎるんだよ」

マルクスが苦笑する。頭上の数値がわずかに揺れた。

52から53。

朝の挨拶。共通の不満への共感。たったこれだけで1ポイント。

人間関係はシンプルだ——と俺は思った。正しい言葉を、正しいタイミングで、正しい相手に投げればいい。前世でこの目があったら、あんなに苦しまなかったのに。


昼休み。学食への移動中に、俺は「偶然」セリアのグループと合流した。

偶然、ではない。セリアたちが席を立つタイミングを見計らって、廊下で自然に隣を歩く。それだけの小さな計算。

「セリア嬢、さっきの講義の属性親和の理論——ハイデルン家は代々研究してるって聞いたことがあって」

これは昨夜、図書室で調べた情報だ。ハイデルン家は光属性の研究で名を馳せた学術貴族。セリアにとって家名は誇りのはず。

案の定、彼女の碧い目が輝いた。

「あら、よく知ってるのね。そうよ、曾祖父の代から光属性親和の研究を続けていて——特に光の屈折と魔力変換効率の関係は、うちの家系が最初に論文にしたの」

47から51。一気に4ポイント。「家の誇りへの敬意」は上位貴族に対する最効率のトリガーだ。六年間で培った経験則が、ここでも正しく機能する。

セリアが語る研究の話に、俺は適度に質問を挟んだ。「屈折率の測定って、どうやるんですか?」——感心した表情を浮かべる。浮かべる、というのは語弊があるかもしれない。実際に興味がないわけではない。ただ、俺が本当に注目しているのは話の内容ではなく、頭上の数値の推移だった。

51、52、53——順調だ。

セリアの声が弾む。質問するたびに数値が微増する。まるで正解を選び続けるゲームだ。次の選択肢はどれか。もう少し踏み込むか、ここで引くか。

数値を見ながら判断する。55。ここで今日は打ち止めにしよう。一日で上げすぎると不自然だ。

「ありがとうございます、セリア嬢。すごく勉強になりました」

「ふふ、いつでも聞いてちょうだい。柊くん、見どころがあるわね」

55。暖色の数値が、学食の明かりに照らされて揺れていた。

セリアのグループが先に行った後、俺は一人で学食のスープを啜った。味がしない。いや、味はあるのだろう。ただ、さっきの会話の「味」がわからない。光属性の研究は本当に面白かったのか? それとも、数値が上がったから面白いと思い込んでいるだけなのか。

区別がつかないことが、少し怖かった。


午後の模擬戦演習。ペア分けで余ったヨハンに、俺から声をかけた。

「ヨハン、よかったら組まないか。俺、戦闘はからっきしだから胸を借りるつもりで」

平民派リーダーには「下手に出る、ただし卑屈にならない」が正解だ。対等な目線を保ちつつ、相手を立てる。相手の実力を認める姿勢は、努力で成り上がった人間に最も響く。

ヨハンの目が一瞬探るように細まった。品定めだ。貴族の三男が自分に頭を下げてきた——その意図を測っている。

「……いいぜ。手加減はしねえけどな」

43から46。方向性は正しい。

模擬戦は当然、俺の惨敗だった。木剣を三合と持たずに叩き落とされ、地面に尻もちをついた。ヨハンの剣筋は荒いが重い。鍛冶場で鍛えた腕力が、型の粗さを補って余りある。

だが負けること自体は、計算のうちだ。

「すげえな。奨学生って聞いてたけど、剣の腕は貴族の子弟より上なんじゃないか」

嘘ではない。実際に強かった。ただ、この言葉を選んだのは本心からではなく、数値を見ながらだ。「奨学生」という言葉を肯定的な文脈で使う。出自を誇りに変える一言。

「……ふん。当たり前だ。こちとら才能じゃなく、努力で勝ち取ってんだよ」

ヨハンが手を差し出してきた。俺はその手を取って立ち上がる。

46から49。そして51。50の壁を超えた。「好意的な知人」の領域だ。


三日目の放課後。

教室に一人残って、窓の外を眺めていた。春風が中庭の新緑を揺らし、どこかで鳥が鳴いている。

今日一日で、俺はクラスの平均好感度を8ポイント上昇させた。セリア55、ヨハン51、マルクス58。暖色の数値が並ぶ。三日でここまで来れたのは上出来だろう。

だが——今日の会話を思い返す。

全部、うまくいった。全員の数値が上がった。完璧なプレイだった。

なのに——何を話したか、中身を思い出せない。

正確には覚えている。セリアの光属性研究の話。ヨハンの模擬戦。マルクスとの教科書の貸し借り。「戦術」としての記憶は鮮明だ。何を言えば数値が上がり、どの表情を浮かべれば効果的か。そういう手順は完璧に再生できる。

ただ、そこに俺の感情がない。

楽しかったのか? 嬉しかったのか? わからない。ゲームのスコアを上げているとき、スコアそのもの以外に何を感じる?

何も感じない。ただ数字が上がる。それだけだ。

前世で、仕事の目標を達成したとき。上司に認められたとき。あの頃の空虚さと、今の空虚さは、何が違う?

何も違わない。

夕日が教室を橙色に染めていた。空の教室に、俺一人分の影が長く伸びている。


四日目。

「おっ、蓮じゃん! 昼飯行こうぜ!」

廊下で大きな声が飛んできた。赤茶色の寝癖頭が人混みを割って突進してくる。

カイル・ブレイド。頭上の数値——65。昨日も一昨日も、入学初日のオリエンテーション以来ぴたりと動かない数字。あの日、48から65まで一気に跳ね上がって、そこで凍りついた。

「ああ、いいよ」

学食の席に向かい合って座る。カイルは例によってBランチの大盛りを注文し、山盛りのパンをちぎりながら聞いてきた。

「なあ蓮。お前さ、教室ではすげー愛想いいのに、俺と二人のときは普通だよな。どっちが本物?」

65のまま。嫌味でも探りでもない。琥珀色の目がただ純粋に疑問を映している。

「……どっちも俺だよ」

嘘だ。教室の俺は最適化された仮面だ。でもそれを言葉にはできなかった。

カイルが少し首を傾げた。それから、あっけなく話題を変える。

「ふーん。まあいいけど。Bランチ食い終わったらCランチも食っていい?」

「お前の胃袋の話はしてない」

カイルが笑う。65。変わらない。

この男の隣にいると、数値を気にしなくていい。最適化する必要がない。何も計算しなくていい。ただ座って、飯を食って、くだらない話をするだけでいい。

それがどれだけ貴重な時間か、たぶんカイル本人は知らないだろう。


四日目の放課後。それは席替えから始まった。

窓際の席を貴族派が独占しているのは不公平だ、とヨハンが声を上げた。セリアは涼しい顔で「入学時の席順は慣例よ」と返す。

教室の空気が一気に張り詰めた。

数値がリアルタイムで動くのが見える。セリア派の生徒はセリアへの数値を上げ、ヨハン派の生徒はヨハンへの数値を上げる。味方への忠誠表明だ。中間層は双方の数値を下げていた——巻き込まれたくないという本音が、数字にそのまま出ている。

俺は立ち上がった。

「二人とも、ちょっといいかな」

三十以上の視線が集まる。

「席替えの件だけど——月ごとのローテーションにしたらどうだ? 全員が窓際を経験できるし、毎月隣の席が変わればクラスの交流にもなる」

折衷案。どちらの顔も潰さない。貴族の「慣例」も否定せず、平民の「公平」も確保する。数値の動きを見ながら、最も多くの人間がプラスに振れる案を瞬時に算出した。

ヨハンが先に折れた。「……ローテーションなら文句はねえよ」

セリアが髪をかき上げて頷く。「合理的ね。柊くんの案に賛成よ」

セリア55から57。ヨハン51から54。中間層も軒並み2〜3ポイント上昇。教室に安堵の空気が広がった。

完璧な調整。まるでソーシャルゲームの日課をこなすように、俺はそう思った。


校門を出たところで、聞き慣れた声が背中に届いた。

「蓮」

振り返ると、リーナが夕日を背にして立っていた。亜麻色の髪が春風に揺れている。

頭上の数値。71。今朝から変わっていない。

「今日、教室の前を通りかかったとき、中が見えたんだけど」

リーナは腕を組んだまま続けた。

「席替えの仲裁。すごいね、蓮。みんなに好かれてる」

声のトーンが、褒め言葉のそれじゃない。俺は反射的に数値を確認した。71。動いていない。だから——大丈夫だ、と思った。数値が動かないなら問題ない。

「……揉めてるのを放っておけなかっただけだよ」

リーナが一歩近づいた。翡翠の目がまっすぐ俺を見る。逃げ場のない視線だった。

「あのさ、蓮。わたし、気づいてるよ」

心臓が跳ねた。

「蓮、最近——みんなに優しいよね。誰にでも。セリアさんにも、ヨハンくんにも、マルクスくんにも。全員に『ちょうどいい距離』で、全員に『ちょうどいい言葉』をかけてる」

71。変わらない。だがリーナの目の奥に浮かんでいるのは——寂しさだ。数値には映らない、生の感情。数字はただ「71」と表示するだけで、その奥にあるものを何ひとつ教えてくれない。

「それって——」

リーナが言葉を切った。夕風が二人の間を吹き抜ける。春の匂いがした。

「——誰にも優しくないのと、同じじゃない?」

頭上の数値が動いた。

71から、70。

たった1ポイント。数字にすれば、それだけの下落だ。

リーナはそれ以上何も言わず、踵を返した。振り返らなかった。夕日の中で小さくなっていく背中。亜麻色の髪が、最後にひとつだけ揺れた。

俺は動けなかった。

70。その数値が網膜に焼きついていた。

——違う。今、俺はまた数字を見ている。リーナの言葉の意味ではなく、1ポイント下がったという事実に衝撃を受けている。リーナの声に込められた感情ではなく、頭上の数値の変動に。

三日間で積み上げたセリアの57、ヨハンの54、マルクスの58。全部暖色で、全部順調で、全部——空っぽだ。

「誰にも優しくないのと同じ」。

その一言が、最適化で積み上げた数値の山を、足元から揺らしていた。

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