入学十日目。朝の大教室に、全学科の一年生が詰め込まれていた。
合同講義。月に二度の全学科合同の時間だ。普段は基礎魔法理論の座学だが、今日は教壇に立ったベルント教授の表情がどこか晴れやかだった。咳払いひとつで教室を静め、羊皮紙の巻物を広げる。
「本日は、来月に控えた実習成果発表について説明する」
教室がざわめいた。実習成果発表——学園生活最初の大きな行事だ。学科混合の五人グループで課題に取り組み、その成果を全校の前で発表する。
「グループ編成は、諸君の自主編成とする。学科の壁を越えた協力を学ぶ場であるから、最低二つの学科から成員を集めること。本日中にグループを確定し、名簿を提出せよ」
教授が巻物を閉じた瞬間、教室の空気が変わった。隣同士で顔を見合わせる者、すぐに席を立って仲のいいグループに駆け寄る者、腕を組んで黙考する者。
俺はその喧騒の中で、視界を一周させた。
百余りの頭上に浮かぶ好感度の数値を、片端から読み取っていく。セリア57。ヨハン54。マルクス58。文官科の顔なじみを確認し、次に魔法科や剣術科の生徒へ。
誰と誰を組ませれば摩擦が最小になるか。各人の好感度の相互関係から、最適なグループ編成を——。
頭の中に、見えない設計図が広がっていく。
昼休み。食堂は蜂の巣をつついたような騒ぎだった。
あちこちのテーブルでグループ編成の交渉が始まっている。笑い声、真剣な相談、ときどき険悪な沈黙。
「貴族は貴族同士で組むのが筋でしょう。学術的な基盤が違うのだから、発表の質を考えれば当然よ」
セリアの隣に座った取り巻きの一人が声高に主張していた。セリア自身は紅茶のカップを傾けながら、否定も肯定もしない顔をしている。
「実力で組むべきだ。名前だけ並べて発表が失敗したら、笑い者になるのはこっちだぜ」
反対側のテーブルでは、ヨハンが腕を組んで言い返した。周りの奨学生たちが頷く。
いつもの構図だ。貴族派と平民派。先週の席替えのときと同じ対立軸。この手の揉め事は、入学してからもう何度目だろう。
俺は食堂の隅で、ライ麦パンを齧りながら双方の数値を観察していた。
状況は読める。折衷案も見える。
席を立った。
「ちょっといいか」
まずセリアのテーブルに近づく。周囲の数値が注目でわずかに揺れた。
「セリア、お前の得意は光属性の理論だろう。発表に学術的な深みを持たせたいなら、実技で動けるメンバーがいたほうが映える。逆にヨハンのところは実技に強いが、論文構成や発表の組み立ては弱い」
セリアの薄い青の瞳がこちらを見た。57。まだ判断を保留している。
「何が言いたいの、柊くん」
「セリアとヨハンが同じグループに入れば、得意分野が補完し合う。理論と実技の両輪が揃えば、他のグループより一段上の発表ができる。そこにマルクスが入れば、商取引の実務知識で構成の実用性もカバーできる」
ヨハンのテーブルにも視線を向けた。
「ヨハン、発表の評価を上げたいなら、セリアの学術知識は武器になる。貴族と組むのが気に食わないのはわかるが、成果を出すには使えるものは使ったほうがいい」
ヨハンの54がかすかに揺れた。腕組みを解かないまま、考えている。
「……で、残りの枠は」
「錬金術科のフレッツと、魔法科のディルク。フレッツは実験設計に強い。ディルクは魔法科の中でも発表経験が豊富だ。五人で学科が三つ混ざるから、規定もクリアする」
午前中に頭の中で組み上げた編成を、淀みなく並べていく。好感度の数値から読み取った相性を、もっともらしい理由に変換して。
数分のやり取りで、セリアが髪を耳にかけながら頷いた。
「……理に適ってるわね。試してみてもいいわ」
「悪くない案だ。少なくとも、適当にくじ引きで決めるよりはな」
ヨハンも渋々ながら同意した。
一つ目のグループが決まると、堰を切ったように他の生徒たちからも相談が飛んできた。
「柊くん、うちのグループも見てくれない?」
「蓮、こっちも人数合わなくて——」
俺は食堂を回り、一組ずつ調整していった。好感度の数値を読み、摩擦が少ない組み合わせを提案し、双方の顔を立てる。席替え仲裁の実績があるから、みんな俺の提案を素直に聞いてくれる。
食堂の空気が、対立から協調に変わっていく。笑い声が増える。数値が上がる。
完璧な調整——に見えた。
放課後。文官科の教室。
ほとんどの生徒が帰った後の教室は、窓から差し込む午後の陽だけが明るかった。俺は自分の席で、提出したグループ名簿の控えを眺めていた。
「蓮」
声がかかった。振り返ると、マルクスが鞄を肩にかけたまま教室の入り口に立っていた。
58。いつもの数値。
「何だ、マルクス。まだ帰ってなかったのか」
「ちょっと話したくてさ」
マルクスが近くの椅子を引いて座った。背もたれに腕を乗せ、少し首を傾げてこちらを見る。人懐こいが、どこか値踏みするような——商人の息子の目だ。
「蓮、お前すごいよな。昼の仲裁、全部見てたけど——誰とでもうまくやる。セリアにも、ヨハンにも、ちょうどいい言葉をちょうどいい順番で出してた」
「買いかぶりだろ」
「買いかぶりじゃないよ。現にみんな納得して帰った。揉め事ゼロだ。間違いなくお前のおかげだ」
マルクスの58は動かない。褒め言葉は本心だろう。ただ、商人の息子は本題を切り出す前にまず相手を認める。
「でもさ——」
来た。
「お前自身はどのグループに入りたかったんだ?」
窓の外で、春風が新緑の枝を揺らした。中庭から生徒たちの声がかすかに聞こえる。
「どこでも。俺はどこでもうまくやれるから」
自然に出た言葉だった。嘘ではない。好感度が見える以上、どのグループに入っても調整はできる。どこでもうまくやれる。それは事実だ。
マルクスが黙った。
三秒。五秒。
それから、少しだけ目を細めた。
「それ、答えになってないだろ」
「……何が」
「『どこでもいい』って、裏を返せば『どこにもいたくない』と同じだぞ」
マルクスの声は穏やかだった。責めているのではない。商談で相手の嘘を見抜いたときの——静かな確信の声だ。
「俺はさ、親父の手伝いで商談に何度も同席してるんだけど。取引相手が本音を隠してるとき、すぐわかるんだよ。言葉が滑らかすぎるんだ。引っかかりがない。答えてるようで何も答えてない」
マルクスが俺の目を真っ直ぐ見た。
「今のお前の返事が、まさにそれだった」
58。
俺は反射的に数値を確認した。
56。
——下がった。2ポイント。
色味は暖色のまま。嫌悪ではない。ただ、ほんの少し輝きが鈍った。
失望だ。蓮の回答が本音じゃないと見抜いた。そして「こいつは俺に本音を見せなかった」という事実が、信頼を2だけ削った。
「まあ、無理に答えろとは言わないけどさ」
マルクスが立ち上がった。鞄の紐を肩にかけ直す。
「お前が全員の調整役やってくれたのは、本当に助かった。でも——調整してる本人が一番楽しくなさそうだったのは、たぶん気のせいじゃないぜ」
軽い足音が教室を横切り、ドアが閉まった。
56。
西日に照らされた教室に、その数字だけが残った。
教室を出て、渡り廊下を歩く。
夕方の渡り廊下は、両側の中庭から吹き込む春風が心地いい場所だった。石畳のアーチに夕日が長い影を落としている。柱の間から見える中庭では、新緑が夕日を受けて鮮やかに輝いていた。
向こうから、見慣れた亜麻色の髪が歩いてきた。
リーナだ。魔法科の教科書を胸に抱えている。ハーフアップの髪が、夕風にふわりと揺れていた。
67。くすんだオレンジ。
「あ、蓮」
リーナが足を止めた。
「実習成果発表のグループ、もう決まった? 蓮のところは?」
「ああ、まだ最終調整が残ってるけど、たぶん大丈夫」
大丈夫。
口から出た瞬間、マルクスの言葉が頭をよぎった。「答えになってない」。でも他に何と言えばいい。何と言えば——
「大丈夫……」
リーナが俺の言葉を小さく繰り返した。視線が一瞬だけ遠くなり、また戻る。
「蓮って、『大丈夫』が口癖だよね」
「……そうか?」
「本当に大丈夫なときも、そうじゃないときも、同じ顔で言うの」
リーナの翡翠の目が、まっすぐこちらを見ていた。怒っているのでも、悲しんでいるのでもない。確かめようとしている。この「大丈夫」の向こう側に何があるのかを。
何か言わなければ。
何か——本当のことを。
でも、何が「本当のこと」なのか、俺自身がわからなかった。グループ編成は成功した。揉め事は回避した。全員が納得した。何が「大丈夫じゃない」のか、言葉にできない。
沈黙が落ちた。渡り廊下に夕風が吹き抜ける。リーナの髪が揺れた。俺の口は閉じたまま。
「……まあいいけど。頑張ってね」
リーナが視線を逸らした。口元にかすかな笑みが浮かんだが、その笑みは目まで届いていなかった。
すれ違う。肩と肩が触れるか触れないかの距離。
数値を見た。
66。
1、落ちた。
リーナの足音が遠ざかっていく。渡り廊下のアーチの向こうに、亜麻色の髪が夕日に溶けて消えていく。
俺は何も言えないまま、その場に立っていた。
文官科の教室に戻った。
もう誰もいない。机と椅子が整然と並ぶ教室に、俺だけが座っている。
窓の外。春の夕暮れ。中庭のベンチや芝生の上で、生徒たちがグループの顔合わせをしている。笑い声が窓ガラス越しに聞こえてくる。誰かが冗談を言い、別の誰かが肩を叩いて笑う。あちこちに小さな輪ができて、夕日に照らされた顔がオレンジ色に染まっている。
俺はその風景をガラス越しに眺めながら、今日の「成果」を振り返った。
全グループの編成を調整した。貴族派と平民派の対立を仲裁した。学科の壁を越えた協力体制を作った。食堂にいたほとんどの生徒の好感度は維持か微増。全体最適としては、申し分ない結果だ。
でも。
マルクス。58から56。
リーナ。67から66。
全員の正解を選んだはずなのに、一番近くにいた二人の数値が下がった。
マルクスは俺の「本音のなさ」を見抜いた。リーナは俺の「大丈夫」の空虚さを指摘した。二人とも、俺が何かを隠していることに気づいている。好感度可視化の存在は知らなくても、俺という人間の中に空洞があることは——感じ取っている。
窓の外で、また笑い声が弾けた。グループが決まって喜んでいるのだろう。握手をしている生徒、肩を組んでいる生徒。あの輪の中に、俺はいない。
調整役は輪の中心にいるように見えて、実はどの輪にも入っていない。全員を繋ぐ役を引き受けた人間は、自分自身がどこかに繋がることを——後回しにする。
——「どこでもいい」は「どこにもいたくない」と同じ。
マルクスの言葉が、まだ耳の奥で反響していた。あいつは商人の嗅覚であの一言を放ったのだ。取引相手が本音を隠しているとき、言葉が滑らかすぎる。引っかかりがない。——俺の処世術そのものだ。
夕日が教室の床を橙色に染めていた。窓枠の影が机の上に長く伸びている。
全員にとっての正解は、誰か一人にとっての正解ではないのかもしれない。全員を満足させる最適解の中に、俺自身の居場所はない。
好感度を読みながら全員の調和を作る。それが俺のやり方だった。でも、調和を作る俺自身は——どこにも調和していない。
中庭の笑い声。春の夕暮れ。窓ガラスに、自分の顔がうっすら映っていた。
その目の上に浮かぶ数字は——当然、見えない。自分自身の好感度だけは、この能力では覗けない。
もし見えたとして。俺は自分に、何点をつけるだろう。
風が窓の隙間から入り込んで、机の上のグループ名簿の控えをぱらりとめくった。
笑い声が聞こえる。
俺の書いた最適解の上を、春の風が通り過ぎていった。