S05-P01 追放された宮廷菓子師は、辺境の厨房で幸せを焼く

第7話: 収穫祭の約束

第1アーク · 2,721文字 · draft

秋が、深まっていた。

白霜の森の木々は赤と金に色づき、朝晩の冷え込みが厳しくなっている。村の畑では最後の収穫が急ピッチで進められ、男たちは日の出から日没まで鎌を振るっていた。

「収穫祭は、来週の木曜日だよ」

朝食の配膳を手伝いながら、マリーが言った。

「年に一度の祭りだからね。村中総出で、広場に長テーブルを出して、みんなで食べるのさ」

「どんなものを出すんですか?」

「干し肉とパンと芋のスープ。毎年同じ」

マリーは苦笑した。

「辺境だからねえ。華やかなもんは何もない。でも、一年で一番楽しい日ではあるよ」

リゼットは、手を止めた。

——収穫祭。

辺境の、年に一度の祭り。村人が全員集まる日。

その日に——菓子を出せたら。

「マリーさん」

「ん?」

「収穫祭に、甘いものを出してもいいですか」

マリーはぽかんとリゼットを見つめた。

「甘いもの? 祭りに?」

「はい。木の実のタルトを作りたいんです。黒胡桃と、霜花蜜と、高原りんごで」

マリーはしばらくリゼットの顔を見つめていたが、やがて大きな笑みを浮かべた。

「いいじゃないか! この村で、祭りに甘味が出るのは初めてだよ」


その話は、あっという間に村中に広がった。

ビスコッティやジャムで「菓子師さん」の存在を知っていた村人たちが、次々とリゼットのもとに集まってきた。

「リゼさん、うちの黒胡桃、使ってくれよ。裏庭の木に今年はたくさん生ったんだ」

薪割りのヨハンが、麻袋いっぱいの黒胡桃を持ってきた。殻つきのまま、ずっしりと重い。

「こんなに……! ありがとうございます!」

「どうせ苦くて食えねえもんだ。あんたが使えるなら嬉しいよ」

ヨハンは照れたように頭を掻いて去っていった。

昼過ぎには、子供たちが走ってきた。

「お姉ちゃん! 黒胡桃、拾ってきたよ!」

「わたしも!」

「森の奥の大きい木のやつ! 実が大きいの!」

小さな手が差し出す巾着袋を、リゼットは両手で受け取った。

「ありがとう。たくさん集めてくれたのね」

「うん! お姉ちゃんのお菓子、もっと食べたいから!」

子供たちの笑顔に、リゼットの胸が温かくなった。


翌日、マリーが東の丘のおばあちゃんを連れてきた。

「エルザばあちゃんだよ。りんごを分けてくれるって」

白髪の老婆が、布に包んだ籠を差し出した。中には、小振りで青みがかったりんごが詰まっている。

「高原りんごさ。酸っぱいから、うちじゃ煮て食うしかないんだけど」

リゼットは一つ手に取り、齧った。

——酸っぱい。舌の奥がきゅっと締まるような、鋭い酸味。

だが、酸味の底に——しっかりとした果肉の甘さがある。これなら霜花蜜と煮詰めれば、フィリングとして最高の素材になる。

「エルザさん、これ……素晴らしいです」

「あらまあ。酸っぱいだけのりんごを褒められたのは初めてだよ」

エルザは皺だらけの顔で笑った。

「祭り、楽しみにしてるからね。甘いもんなんて、この歳で初めて食べることになるのかもしれないよ」


素材が、厨房に集まった。

焙煎黒胡桃。霜花蜜。高原りんご。大麦粉。山羊乳バター。

マリーが分けてくれた貴重なバターも含めて、作業台の上に並べる。リゼットはその一つ一つを手に取り、匂いを嗅ぎ、味を確かめた。

ここにあるのは全て、辺境の素材だ。王都にはないもの。この土地だけが育てたもの。

リゼットはレシピ帳を開き、空白のページに向かった。

『木の実タルト——収穫祭のために』

生地は大麦粉と山羊乳バターと霜花蜜。辺境のサブレ生地。

フィリングは二層。下に焙煎黒胡桃を敷き、上に霜花蜜で煮た高原りんごを並べる。

仕上げに霜花蜜を薄く塗って焼き上げる。

ペンが走る。分量、手順、注意点。頭の中でレシピが組み上がっていく。

焙煎黒胡桃の香ばしさが土台。霜花蜜の繊細な甘さが全体を繋ぎ、高原りんごの酸味がアクセントになる。

三つの味が、三角形のように支え合う構造——。

「いける」

リゼットは呟いた。

このレシピなら、辺境の素材だけで、王都にも負けないタルトが作れる。確信があった。味のバランスは、絶対味覚が保証する。

問題は——焼きだ。


その日の夕方、リゼットは試し焼きをすることにした。

まずは小さめの生地を一つだけ。レシピの確認と、窯の具合を見るために。

大麦粉に山羊乳バターを切り込み、霜花蜜を少し加えて生地をまとめる。冷やして休ませてから薄く伸ばし、小さな型に敷く。

ここまでは順調だった。手に馴染んだ工程。問題はない。

石窯に火を入れる。薪は松材。マリーの宿にある薪は、すべて松だ。

リゼットは窯口に手をかざした。熱気が掌を叩くように押し寄せてくる。

「……熱い」

松材は火力が強い。樹脂が多く、勢いよく燃える。パンを焼くには申し分ない。

でも——菓子には、強すぎる。

薪を一本引き抜いてみた。それでも窯の中は熱い。石が蓄熱して、温度がなかなか下がらない。

「……仕方ない。このまま試してみよう」

小さなタルト生地を窯に入れた。

十分後。

取り出した生地は——縁が黒く焦げ、中心はまだ白かった。焼きムラが激しい。

リゼットは鉄板を作業台に置いて、生地を見つめた。

松材の炎は一方向に集中しやすい。窯の奥と手前で温度差が大きい。王都の窯なら煉瓦(れんが)の内壁が熱を分散してくれるが、この石窯にはそんな機能がない。

「温度が、安定しない……」

タルトの繊細な焼き加減には、穏やかで均一な熱が必要だ。松材では、それが得られない。

必要なのは、火力の穏やかな広葉樹の薪。(なら)(かし)。王都の菓子房では必ず楢の炭を使っていた。

だが辺境では、松しかない。楢は貴重な建材で、薪にする余裕はない。

「……どうしよう」

リゼットは窯の前にしゃがみ込んだ。

味のレシピは完成した。自信がある。

でも——焼けない。この窯では、タルトが焼けない。

収穫祭まで、あと六日。

村人たちが素材を集めてくれた。子供たちが楽しみにしている。エルザばあちゃんが「甘いもんを初めて食べる」と笑っていた。

その期待に——応えなければ。


その夜、リゼットは部屋でレシピ帳を広げていた。

タルトのレシピの横に、窯についてのメモを書き加える。

『問題: 松材では温度が安定しない。焼きムラが出る。対策を要検討。』

窯を改造する? 時間が足りない。別の燃料を探す? 松以外の薪は——。

答えが、出ない。

リゼットはペンを置いて、窓の外を見た。

月が高い。森の影が、窓の下に長く伸びていた。

あの森には楢の木も生えているかもしれない。でも、木を伐って薪にするには時間がかかる。乾燥が必要だ。生木では使えない。

「……何か方法があるはず」

リゼットは呟いた。

宮廷菓子師として三年。どんな窯でも使いこなすのが菓子師の技だと、師匠に教わった。

まだ、諦めるには早い。

明日から——窯との格闘が始まる。

文字数: 2,721