◆レオン視点
朝、目が覚めた。
ベッドの中。暖かい毛布。
天井を見る。
——ここは魔王城だ。
もう何日目だっけ。
二週間? もっと?
剣の練習をした。廊下は走らないって怒られた。肉をこねた。字を習った。
夜中に目が覚めて、ホットミルクをもらった。
あの夜、俺は——
「……おやすみ、レオン」
って、魔王に言われた。
名前で。くん付けなしで。
……なんだよ、それ。
枕元に、字の練習帳がある。
魔王が作ってくれたやつ。
「あ」「い」「う」「え」「お」
こんなの、何の意味があるんだ。
勇者に字なんていらない。聖剣があればいい。
——でも。
読めるようになった。少しだけ。
昨日、リーゼが「これ読んでみて」って渡してきた紙の、最初の一行が読めた。
『おはよう』
って書いてあった。
リーゼが「……すごい」って言った。
すごくなんてねぇよ。たった三文字だ。
でも——
なんか、嬉しかった。
……起きなきゃ。
体を起こす。服を着る。ボロボロの冒険者服。継ぎ接ぎだらけ。
魔王が「新しいの作ろうか」って言ってきたけど、断った。これは——これは俺のもんだから。
廊下に出る。
厨房から匂いがする。味噌汁の匂い。魚を焼く匂い。
足が、自然に厨房に向かう。
——待てよ。
俺は勇者だぞ。
魔王を倒しに来たんだぞ。
なのに、朝ごはんの匂いにつられて——
足を止めようとする。
止まらない。
……ああ。
もうダメだ。
もう全然、帰りたくない。
王都に。教会に。あの「行ってこい」だけの場所に。
ここにいたい。
朝起きて「おはよう」って言われて、ごはんを食べて、字を習って、夜は「おやすみ」って言われる。
ここにいたい。
——でも。
「……俺は、勇者なのに」
声に出して呟いた。
誰も聞いていない。
勇者なのに。
魔王の城を、帰りたい場所だと思ってる。
……おかしいだろ。
厨房の扉の前で立ち止まった。
扉の向こうから、魔王の鼻歌が聞こえる。
——入ろう。
今日だけ。
今日だけ、朝ごはんを食べて。
また明日考えればいい。
扉を開けた。
「おはよう、レオン(^^)」
魔王が振り返って、笑った。
「……おはよう」
って、答えた。
自分から。
今日は、自分から。
「あら。今日は『おはよう』言えたな(^^) えらいえらい」
「……べ、別に。たまたまだ」
魔王が「ふふ(^^)」って笑った。
——ああ。
やっぱり、ここがいい。
◆リーゼ視点
目が覚めた。
鼻が利く。
分析魔法の副産物で、匂いから色々なことがわかる。
——味噌汁の匂い。
昆布と、煮干し。
それと、焼き魚。鮭。フライパンで皮目を焼いている、脂の匂い。
朝ごはんができている。
……また、作ってくれてる。
魔王は毎朝、朝ごはんを作る。
四人分。いつも。
最初は意味がわからなかった。
敵に食事を出す意味。保護する意味。
でも——
今はわかる。
あの人は、ただ作りたいから作ってる。
「お腹すいてる子にごはんあげるのに、理由いる?」って、そういう顔をしてる。
……私は、昔、食べなかった。
食べなくても動けたから。
空腹に慣れていたから。
でもある日、魔王が言った。
「食べるのは、生きたいってことやで」
……って。
それを聞いて、初めて気づいた。
私は、生きたかったんだって。
ずっと生きたくないわけじゃなかったんだって。
ただ、生きたいって言っていいかわからなかっただけ。
起き上がる。
ローブを着る。大きめのサイズ。使い古しだけど、魔王が繕ってくれた。
廊下に出る。
厨房に向かう。
——今日は、自分から行く。
呼ばれる前に。
「ごはんできてるで」って言われる前に。
食卓に座る前に、厨房を覗いた。
魔王がフライパンで鮭を焼いている。
ガルドが鍋の前でスープをかき混ぜている。
レオンが——卵を焼いている?
「……レオン、手伝ってるの?」
「……う、うるせぇ。別に、たまたまだ」
「ふふ(^^) レオンくん、卵焼くの上手なってきたで」
「……だから、褒めんな」
レオンが照れている。
珍しい。
「リーゼちゃんもおはよう(^^) もうすぐできるで」
「……おはよう」
自分から言えた。
食卓に座る。
いつもの場所。
目の前に、お椀が置かれる。
味噌汁。湯気が上がる。
一口飲む。
「…………」
温かい。
体に染みる。
焼き魚が出てくる。ご飯が出てくる。卵焼きが出てくる。
それと、ガルドのスープ。じゃがいもと玉ねぎの匂い。
全部、手作り。
全部、私たちのために。
「……いただきます」
自分から言った。
言わなきゃって思ったんじゃない。
言いたかったから。
ご飯を食べる。
魚をほぐす。
卵焼きを口に入れる。
スープを一口飲む。
「…………美味しい」
声に出して、言った。
魔王が動きを止めた。
ガルドが「え」って顔をした。
レオンが箸を落としそうになった。
「……リーゼちゃん」
「…………」
「今、『美味しい』って——」
「……言った。全部、美味しいから」
魔王の目が潤んだ。
「……あかん。泣きそう」
「……泣かないで」
「無理や(^^) 嬉しすぎて無理や」
ヴェルザが「魔王様……お控えを……」って言ってるけど、魔王は目を拭いている。
……私、帰りたくない。
王都には、誰もいない。
待っている人も、心配してくれる人も。
でもここには——
毎朝「おはよう」って言ってくれる人がいる。
「ちゃんと食べなさい」って言ってくれる人がいる。
「美味しい」って言ったら、泣くほど喜んでくれる人がいる。
……ここにいたい。
◆ガルド視点
朝、スープ当番で起きた。
魔王さまが「ガルくん、スープ得意やな」って言ってくれたから、それから朝のスープは僕が作ることになった。
厨房に行く。
魔王さまがもう起きている。
「おはよう、ガルくん(^^)」
「お、おはようございます……!」
緊張する。
でも、嬉しい緊張。
「今日のスープ、何にする?」
「あ、あの……じゃがいもと、玉ねぎと……」
「ええな(^^) ほなそれで行こか」
一緒に作る。
魔王さまが野菜を切って、僕が鍋に入れて、火加減を見る。
「火ぃ強すぎたらあかんで。弱火でコトコト」
「は、はい……!」
コトコト。
鍋の中で野菜が踊る。
いい匂いがしてくる。
「……えへへ」
笑ってしまった。
スープを作ってると、幸せな気持ちになる。
これが僕にできること。戦えないけど、これならできる。
「上手になったなぁ(^^)」
「……えへへ……」
魔王さまに褒められると、もっと嬉しい。
レオンが起きてきた。リーゼも起きてきた。
みんなで朝ごはんを作る。
——みんなで。
勇者と魔王と四天王が、一緒に朝ごはんを作ってる。
おかしいよね。
でも、おかしくない。
これが、当たり前になってる。
食卓にスープを運ぶ。
お椀によそう。
「いただきます」
みんなで言う。
リーゼが味噌汁を飲んで、焼き魚を食べて、それから僕のスープに口をつけた。
「……うん。今日も美味しい」
リーゼが言った。
リーゼが、僕のスープを飲んで「美味しい」って——!
「……り、リーゼさん……!」
「……どうしたの」
「『美味しい』って……!」
「……美味しいから」
「……えへへ……えへへ……!」
嬉しい。
僕が作ったスープを、リーゼが「美味しい」って言ってくれた。
レオンも黙って食べてる。
でも、おかわりした。二杯目。
レオンは文句言わないで食べる時が、一番美味しいって思ってる時だ。
ヴェルザさまも「……美味であります」って小声で言った。
魔王さまが、みんなを見て、笑ってる。
「……みんなちゃんと起きてきたなぁ(^^)」
……そうだ。
今日、みんな自分から起きてきた。
呼ばれる前に。
——僕も、帰りたくない。
村には、もう何もない。
「お前は戦士だ」って言われて、教会に連れて行かれて。
それだけ。
でもここには——
毎朝スープを作る場所がある。
「上手やな」って言ってくれる人がいる。
みんなで食卓を囲む、温かい時間がある。
……ここが、いい。
ここにいたい。
「……よしこさん」
——あ。
言っちゃった。
「ん?」
「……あ、あの、ま、魔王さま……!」
「ふふ(^^) ええよ、よしこで」
「で、でも……!」
「呼びたいように呼んだらええ(^^)」
ヴェルザさまが「魔王様……それは威厳が……」って言ってるけど、魔王さまは笑ってる。
「……よしこ、さん」
「ん(^^)」
「……えへへ……」
嬉しい。
名前で呼んでいいって言ってもらえた。
——ここにいたい。
ずっと。
◆よしこ視点
朝ごはんを作りながら、ふと気づいた。
この子ら、全員起きてきた。
自分から。
レオンくんは、呼ばれる前に厨房に来た。
リーゼちゃんは、自分から「いただきます」を言った。
ガルくんは、スープ当番やからって、誰よりも早く起きてきた。
——ああ。
保育園でもそうやった。
最初は泣いて嫌がっとった子が、ある日、自分から登園してくる。
「おはよう」を自分から言えるようになる。
ごはんを「美味しい」って言えるようになる。
それは、「ここが自分の居場所」って認めた証や。
この子らは——
もう、帰りたくないって思っとる。
無理に引き留めたわけやない。
ただ、ごはんを作って、「えらいな」って言って、「おやすみ」って言っただけ。
でも、それだけで——
子どもは、居場所を見つける。
「……ヴェルちゃん」
「ヴェルザです」
ヴェルザが即座にツッコミを入れてきた。
このやり取りも、もう日常や。
「この子ら、どう思う?」
「……恐れながら」
ヴェルザが食卓の三人を見た。
レオンが卵焼きをおかわりしている。
リーゼがご飯を静かに食べている。
ガルドがスープを嬉しそうに飲んでいる。
「……勇者には、見えませぬな」
「せやろ?」
「ただの——子どもに見えます」
「うん(^^)」
そうや。
ただの子どもや。
ごはんを食べて、笑って、時々泣いて。
そういう、普通の子どもや。
「……魔王様」
「ん?」
「この者たちは、もう帰れないのではないでしょうか」
「……そうやな」
帰れない。
王都にも、教会にも。
でも——
「ヴェルちゃん」
「ヴェルザです」
「この子らが帰る場所がないなら——」
わては、食卓を見た。
レオンが、リーゼに何か話しかけている。
リーゼが、珍しく小さく笑った。
ガルドが、嬉しそうに二人を見ている。
「——ほなここがおうちやな(^^)」
ヴェルザが息を呑んだ。
「……魔王様」
「ん?」
「それは……よろしいのですか」
「何が?」
「勇者を……保護するということは——」
「保護やないで」
わては笑った。
「家族や(^^)」
「……家族」
「うん。この城が、この子らの『おうち』や」
ヴェルザが何も言えなくなった。
——でも、わかっとる。
この子らが「おうち」を見つけたってことは、外の世界が動き出すってことや。
王都は、勇者が帰ってこないことに気づいとる。
調査隊が来る。
そしたら——
まぁ、そん時はそん時や(^^)
「……魔王様。何を企んでおられるのです」
「企んでへんよ。掃除せなって思っとるだけや」
「……掃除」
「お客さん来るんやろ? ほな城ぐらい綺麗にしとかな」
ヴェルザが頭を抱えた。
「魔王様……魔王城を掃除するなど……」
——あ。そういえば。
「ヴェルちゃん」
「ヴェルザです」
「わたくしからの命令です。玄関ホールから磨いてちょうだい」
急に姿勢を正した。我ながらたまにはちゃんと魔王せなあかんと思ったんやけど——
「……魔王様、今の口調だけは、その……魔王らしゅうございました」
「え、ほんま? 普段あんまりやらんからな(^^)」
「あまりやらないのではなく、やってください。常に」
「ええやん、堅いの疲れるし(^^)」
「…………はい」
ヴェルザが諦めた顔をした。
もう慣れたんやろな、この人も。
食卓から、笑い声が聞こえてくる。
ガルドが「えへへ」って笑ってる。
レオンが「うるせぇ」って言いながら笑ってる。
リーゼが、静かに微笑んでる。
——ああ。
これや。
これが、わてのやりたかったことや。
魔王でも保育士でも、やることは同じ。
目の前の子を、笑顔にすること。
「ここにおってええんや」って、思わせてあげること。
それだけや(^^)
「……さて。ヴェルちゃん」
「ヴェルザです」
「調査隊、いつ頃来ると思う?」
「……恐らく、一週間以内かと」
「ほな、掃除頑張らな」
「……はい」
ヴェルザが深々と頭を下げた。
「魔王様。——わたくしも、この城が『おうち』でございます」
「…………え」
「300年仕えておりますが、初めてそう思いました」
——あかん。
泣きそう。
「……ヴェルちゃん」
「ヴェルザです」
「ありがとうな(^^)」
「……いえ。こちらこそ」
ヴェルザが、少しだけ笑った。
300年で、初めて。
——よし。
朝ごはんの片付けして、掃除して、お昼ご飯作って、おやつ作って。
やることいっぱいや(^^)
でも、ええ。
忙しいのは、生きとる証拠や。
この城で、この子らと一緒に。
——ここが、おうちや。
【あとがき】
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第10話、Arc1の最終話です。
「おしりが痛い」から始まった物語が、「ここが、おうち」に辿り着きました。十話分の旅は短いようで、よしこにとっては保育園の最初の一学期くらいの手応えがあったかもしれません。
この話で描きたかったのは、「自分から動く」ということでした。自分から起きる。自分からおはようと言う。自分から美味しいと言う。誰に強制されたわけでもなく、「そうしたいからそうする」——それが居場所を見つけた証だと、よしこは知っています。40年間、保育園でそういう瞬間を見てきたから。
リーゼの「全部、美味しいから」が、書いていて一番胸に来た台詞でした。「食べるのは生きたいってことやで」と言った言葉が、ちゃんとこの子に届いていた。
Arc2は「魔王城のおやつの時間」です。日常が深まります。四天王が全員登場します。そして王都から、調査隊がやってきます。
よしこの「掃除せな」が、次の物語の始まりです。
ブックマーク・評価・感想をいただけると、よしこと一緒に泣いて喜びます(^^)
次回、Arc2第1話「お客さんが来るで」でお会いしましょう。